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【完結済み長編】魔王の娘、世界を統べる  作者: 木原梨花
第八章 暴走の果てに

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第63話 オニロの選択

 エザーレ村から離れた林の中で、オニロは片膝をつき、地面へ掌を当てていた。

 風は戦場の様子を運んでくる。剣が空気を裂く音、甲冑の重い足音、結晶砲の内部で魔力が膨らむ低い唸り。地面を伝う振動まで拾い上げ、耳元へ届けてくる。目を閉じれば、騎士団の配置が幾重もの波となって脳裏に浮かんだ。

 街道を中心として、精霊遮断杭は弧を描くように打ち込まれている。杭同士の力が重なる場所では精霊の気配が薄れ、反対に間隔の広い北側では、途切れかけた気配が辛うじて残っていた。森で見つけた抜け道は、そこへつながっている。

 結晶砲は発射のたびに内部の魔力を失い、再び満ちるまで動きを止める。二度の砲撃を数えたことで、充填に必要な時間も読めた。大型砲だけは周期が乱れている。壊れかけた砲身を無理に動かしているらしく、魔力が荒々しく膨らみ、金属の軋む振動が絶え間なく続いていた。

 装着式兵器にも癖がある。剣を振るう直前には肩の結晶が強く脈打ち、その力が背中から腕へ流れる。膝と肘の継ぎ目にある駆動部が、甲冑と人間の動きをつないでいた。そこを断てば、中の兵士を傷つけずに止められる。

 騎士団の中枢へ回り込み、精霊遮断杭と結晶砲を破壊する道筋は見えた。

 自分一人なら行ける。

 風で気配を隠し、兵士たちの裏をつけば、誰にも見つからず大型砲へ辿り着けるかもしれない。中枢を潰せば戦況は大きく変わる。セラスのもとへ戻るよりも、その方が多くの者を救える可能性さえあった。

 それでも、オニロは立ち上がれなかった。

 遠くで風が爆ぜた。土の壁が崩れる音と、幾つもの悲鳴が重なる。その中心に、よく知る魔力の揺らぎがあった。

 ――セラスだ。

 地と風と炎。三つの力が互いを押し退けるように乱れ、次の瞬間には強引に押し込められていく。暴れかけた炎を、セラスが一人で抑え込んだのだ。

 オニロの指が地面を掴んだ。

 今すぐ戻りたい。だが、その衝動に従えば、また同じことになるような気がした。セラスを守るために生まれ、セラスの隣にいることだけを求められてきた自分へ。

 母の言葉が、胸の底から浮かび上がる。

 ――あなたを生んだことに、私たちの勝手な願いがなかったとは言わないわ。

 自分の息子を魔王の右腕にするために産んだということを、トゥルマリナは誤魔化さなかった。魔王の子とともに歩む者が必要だった。父と母はその願いを込めて、自分をこの世へ送り出した。

 けれど、何のために生きるかまで決めた覚えはないと、母は続けた。

 与えられた役目を受け入れることも、捨てることも出来る。どちらを選んだとしても、その先を生きるのはオニロ自身だった。

 ――私は、一人で魔王になる。

 セラスの声も蘇った。

 あのとき、彼女は自分を見なかった。目を合わせれば決意が揺らぐと知っているように、固く唇を結び、オニロの手が届かないところへ行こうとした。

 突き放された痛みは、今も消えていない。

 同時に、セラスが何を恐れていたのかもわかっていた。

 自分のために生まれたオニロを、これ以上巻き込みたくなかったのだ。魔王の娘という重荷を背負い、その重さで誰かを押し潰すことを恐れていた。だから一人で歩こうとした。

 オニロは地面から手を離した。

 生まれた理由は変えられない。父と母が自分へ託した願いも、セラスと過ごしてきた時間も、すべて自分の中に残っている。そこから先の道なら、自分で選べる。

 誰かに命じられなくても、セラスが魔王の娘でなくても、きっと同じ場所を選ぶ。

 泣くことも出来ずに立ち尽くしていた幼い背中を知っている。罪を抱えながら、それでも誰かを守ろうと手を伸ばし続ける姿を見てきた。その手が届かないものを、自分の手で拾いたいと思った。

 風が、オニロの髪を揺らした。

 遠く離れた戦場で、セラスの魔力が一瞬だけ止まる。

 名を呼ばれた気がした。

 声など聞こえなかった。それでも、オニロは迷わず立ち上がった。

「待ってろ、セラス」

 地面を蹴る。

 風が足元へ集まり、身体を押し出した。木々の間を抜け、騎士団の側面を駆け抜ける。兵士たちが振り向くより早く、その頭上を飛び越えた。放たれた風の刃は身を捻ってかわし、結晶弾は横から風をぶつけて軌道を逸らす。

 精霊遮断杭の間を通り過ぎた瞬間、肌を締めつけていた重苦しさが僅かに緩んだ。途切れかけていた精霊の気配が、風の向こうに戻ってくる。

 戦場の中心で、一人の兵士が宙から落ちていた。

 その真下では、セラスへ向かって大剣が振り下ろされようとしている。

 オニロは右手を空へ、左手をセラスへ向けた。

 落下していた兵士の身体を風が受け止める。背中から地面へ叩きつけられる寸前で勢いを殺し、土の上へ転がした。

 同時に、オニロの身体がセラスと大剣の間へ滑り込む。

 刃が届くより先に、細く絞った風が大柄な兵士の肘を打った。甲冑の継ぎ目に嵌め込まれていた駆動部が弾け飛ぶ。力の流れを失った右腕が重みを増し、大剣を支えきれず地面へ落とした。

 オニロは踏み込み、男の胸元へ掌を当てた。

 風が甲冑だけを強く押す。男の身体は後方へ飛ばされたが、地面へ落ちる直前に別の風が受け止めた。装着式兵器の重みに引かれながら、数度転がって止まる。

「オニロ……」

 地面に膝をついたセラスが、呆然と彼を見上げていた。頬から流れた血が顎を伝い、焼けた両手は赤く腫れている。

 安堵するより先に、その顔が強張った。

「どうして来たの。ここにいたら、あなたまで――」

 横から二人の兵士が迫る。

 オニロは振り返らずに風を放った。一人目の膝裏にある留め具を外し、二人目の肩から伸びる導管を切る。甲冑は中途半端な姿勢のまま動きを止め、兵士たちは重さに耐えきれず、その場へ膝をついた。

 身体には刃を触れさせていない。

 セラスの目が、僅かに見開かれる。

「装着式兵器の弱点はわかった。精霊遮断杭の配置も、結晶砲が次に撃てるまでの時間も読める。俺がいれば、もっと効率的に守れる」

「だからって……」

「俺が傷つくのが怖いんだろ」

 セラスの唇が震えた。

「当たり前だよ。オニロは、私のために生まれたからって、それだけでずっと私に付き合おうとしてる。私が魔王になったら、今よりもっと危険な目に遭わせる。いつか、私のせいで――」

「最後まで聞けよ」

 強い声に、セラスが息を呑む。

 オニロは彼女へ手を差し出した。焼けた掌へ触れないように、手首の近くで止める。

「俺は、セラスの右腕になるために生まれた。そう聞いたとき、自分の人生を全部決められた気がした。どこへ行くかも、誰の隣に立つかも、最初から俺のものじゃなかったんじゃないかって、そう思ったのは嘘じゃない」

 口にすると、胸の奥に残っていた痛みが鈍く疼いた。それでも、もう目を逸らさなかった。

「でも、俺は決めた。俺はセラスの隣に立つ。誰かに作られた役目の続きを生きるためじゃなく、俺がここにいたいから」

 セラスの瞳が揺れた。

 遠くで結晶砲が唸りを上げている。立ち止まっていられる時間は少ない。それでも、この言葉だけは置き去りに出来なかった。

「一人で全部背負えば、誰も巻き込まずに済むと思ったんだろ」

 セラスは俯いた。膝の上に置かれた指が、土を掻く。

「……私が背負うべきものだから」

「だったら、俺の人生まで一人で決めるな」

 セラスが顔を上げた。

「俺がここにいると決めたことまで、セラスが背負う必要はない。危ないなら、どうすれば生き残れるか一緒に考える。間違えたら一緒に止める。何度でも選び直せばいい」

「そんなの、いつまで……」

「一生だよ」

 オニロは迷わず答えた。

「一生一緒に考える。一生一緒に戦う。セラスが魔王になっても、その先で何になっても、俺は俺の意思で隣にいる」

 セラスの目元が歪んだ。泣きそうな顔を隠そうとして、いつものように唇を噛む。けれど、もう背を向けようとはしなかった。

「私、またオニロを傷つけるかもしれない」

「そのときは怒る」

「守れないかもしれない」

「俺も自分で身を守る」

「……本当に、いいの?」

 オニロは差し出した手を、もう一度だけ前へ動かした。

「セラスは、どうしたい?」

 長い沈黙のあと、セラスの指が持ち上がった。傷ついた掌を避け、オニロの手首をそっと掴む。その力は微かに震えていたが、離れようとはしなかった。

「隣にいてほしい」

 掠れた声が、戦場の音に紛れかける。

 オニロはその手を掴み返し、セラスを立ち上がらせた。

「ああ。ずっといる」

 二人は並んで前を向いた。

 風の向こうでは、結晶砲の魔力が限界まで膨らんでいる。周囲には装着式兵器の兵士たちが迫り、精霊の気配は今も激しく揺れていた。

 オニロは騎士団の中枢へ続く道を指し示す。

「まず、あの結晶砲を止める。俺が道を開く」

 セラスは袖で頬の血を拭い、短く息を吸った。

「うん。私がオニロを守る」

 繋いでいた手を離し、それぞれの力を構える。

 今度は、どちらも一人ではなかった。

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