第61話 断たれた補給線
街道へ踏み出した途端、焼けた土と金属の臭いが濃くなった。
炎の向こうでは、結晶の光を纏った兵士たちがエザフォスへ殺到している。剣が砕け、甲冑が地面へ叩きつけられる音に混じって、兵士たちの呻き声が絶え間なく聞こえていた。誰かが倒れるたび、その後ろから次の者が押し出される。負傷者を助けようと駆け寄る者はいない。前進を命じる声だけが、何度も戦場を鞭打っていた。
セラスは息を呑み、足を止めた。
戦争とは、もっと遠くにあるものだと思っていた。エザフォスが、こんな暴走が起こらないように人間達を押さえつけてくれたいたからだ。
だが強大な兵器が生み出されたことで、そんな平穏はもう、消えてしまった。
止めたい。
その思いだけは確かなのに、何をすれば止められるのかがわからない。騎士団へ退けと命じても、聞き入れるはずがない。力で押さえ込めば、また誰かを傷つける。兵器だけを壊そうにも、今のセラスには魔力を細かく操れる自信がなかった。
一歩進む。地面が僅かに傾いた。
慌てて足へ力を込めたが、今度は身体の内側が遅れて揺れた。戻ってきた精霊たちの気配が、まだ馴染んでいない。風の囁きへ意識を向ければ水の声が遠のき、大地へ支えを求めれば炎の熱が急に膨らむ。傾いた秤の上へ、次々と重りを載せられているようだった。
「でも、行かなきゃ……」
返事をしただけで息が切れた。
それでも顔を上げ、再び足を動かそうとしたときだった。
「セラス!」
戦場とは反対側から、自分を呼ぶ声がした。
振り返ると、村の北側にある細い道から、一頭の馬が駆け込んでくるところだった。その背から飛び降りた女は髪を乱し、衣服のあちこちを泥で汚していた。
「ルビア……?」
名を呼ぶより早く、ルビアが駆け寄ってくる。両肩を掴まれたかと思うと、そのまま強く抱き締められた。
「よかった……間に合った」
耳元で聞こえた声は掠れていた。
「無事なのね? 怪我は?」
「怪我はしてないよ。でも、どうしてここに……」
「オゲーラで起こっていることの報告は、あなたも聞いたのよね?」
「うん。ラティオが受け取ってたよ。だからルビアは来ないと思ってたけど……」
「ちょっと今、オゲーラもややこしい状態になっててね。私があっちにいると、街の人たちが巻き添えにされる可能性があるから『住民が協力して魔族を追い出した』っていうことにしておいてもらってるの」
「……手伝ってくれてるんだ」
「ええ。私以外にも、何人か騎士団の足止めのためにオゲーラとエザーレ村の間の街道で細工をしてくれてる人もいるわ――あなたたちのおかげでね」
「え?」
「あなたとオニロが命がけであの街を護ったから、彼らは魔族を信じてくれるようになったの。だから彼らは同じ人間の騎士団ではなく、私たち魔族に協力してくれるようになったの」
「……そっか」
胸の奥に、不思議な感覚が沸き上がる。くすぐったいような、申し訳ないような――でも、やっぱり、満たされるような。
オゲーラの街を護ったのは、もう二度と誰かを苦しめるようなことをしたくなかったからだった。村を焼いてしまった。それはもう、元には戻せない。そのことを後悔している。だからセラスは、護ると決めた――それを、オゲーラの人たちは見ていてくれたのだ。
ルビアは身体を離すと、セラスの頬へ手を当てた。額から顎まで確かめるように眺め、ようやく小さく息を吐く。しかし、青ざめた顔までは誤魔化せなかったらしい。
「怪我はなくても、ひどい顔色ね」
「精霊たちが戻ってきたばかりで、まだうまく……」
「だったら、なおさら一人で行動すべきじゃないわ。いてもたってもいられない、っていう気持ちはわかるけどね」
叱るような口調とは裏腹に、頬へ触れた手は優しかった。
戦場から、再び金属の砕ける音がした。ルビアはそちらへ目を向ける。兵士たちを食い止めるエザフォスの姿が見えて、その表情が引き締まった。
「ラティオとトゥルマリナを呼んで。急いで伝えなければならないことがあるの」
「何かわかったの?」
「騎士団の補給についてよ。うまく使えば、あの大砲を止められるかもしれない」
セラスは風の精霊へ意識を伸ばした。だが声を運んでもらおうとした途端、周囲の風が一斉に集まり、髪と衣服を激しくはためかせる。慌てて力を緩めると、風は行き先を失って空へ散った。
「ご、ごめん。まだ難しいみたい」
「充分だよ。ちゃんと聞こえた」
森の方角から声がした。
ラティオが、木々の間を抜けて歩いてくる。上着には泥と草の種がつき、手には刃の欠けた剣を持っていた。額にも薄く血が滲んでいる。
「ラティオ、怪我してる!」
「掠っただけだ。それより、ルビアがここまで来たってことは、オゲーラで何か掴んだんだろう?」
「相変わらず話が早くて助かるわ。トゥルマリナも呼べる?」
ラティオが指先を動かす。細い風が戦場へ向かい、炎の壁の間を縫ってトゥルマリナのもとへ届いた。
精霊が戻ったことで、炎は先ほどよりも安定している。トゥルマリナは近くにいた火の精霊たちへ壁を維持するように頼んでから近づいてきた。ルビアの姿に気づくと、その足が僅かに鈍る。
「どうして、あなたが……」
「随分な挨拶ね。せっかく命懸けで知らせに来たのに」
「頼んでいないわ」
「そういうところ、千年前から変わっていないのね」
二人の間へ、炎とは異なる熱が生まれる。
ラティオは口を挟まず、ルビアへ先を促した。セラスも二人の顔を交互に見たが、何も言わなかった。
「オゲーラで徴発された物資の記録を見たの。食料や武器だけじゃない。結晶砲に使う部品も大量に持ち出されていたわ」
「部品?」
「砲身を冷却する筒と、光をひとつに集めるための収束器よ。街の職人が修理に駆り出されていたから、間違いないわ。あの大砲は、最大出力で撃つたびに内部の部品を交換しなければならないみたいね」
ラティオは街道の向こうへ目を凝らした。
大型結晶砲の周囲では、大勢の兵士が慌ただしく動いている。砲身からは白い蒸気が立ち上り、何人もの作業員が水をかけ続けていた。青白く輝いていた収束部は、今や黒ずんでいる。
「なるほど。妙だと思っていたんだ。あれだけの兵器なら、エザフォスが前へ出た時点で二撃目を放ってもいいと思ってたんだけど……撃たないんじゃなくて、撃てないのか」
「少なくとも、すぐにはね」
「最初から部品を使い潰す前提で作られている。連続使用するには、交換用の部品が欠かせない。だが、あの様子ならまだ届いていないな」
ラティオの目が、砲身から立ち上る蒸気を追う。熱を逃がすたび、青白い光が明滅していた。次の砲撃へ必要な魔力はすでに満たされつつあるように見える。だが、動きがない。
「今の出力でもう一度撃てば、砲身そのものが壊れる。部品が届かない限り、奴らはあの大砲を使えないわ。しばらくは遠距離砲を警戒せずに動ける」
「その部品って、いつ届くの? すぐに届いちゃう?」
「彼らにとっては残念だけど、すぐには来ないでしょうね」
ルビアの唇に、僅かな笑みが浮かんだ。
「街のみんなが協力してくれているのはこの部分よ。徴発品の記録を書き換えたり、荷物の積み順を入れ替えたり、古い街道へ誘導したりね。補給馬車は何度も足止めされている。騎士団はまだ、全部が偶然だと思っているはずよ」
ラティオは面白そうに笑った。
「オゲーラの人間が、王都に逆らったのか」
「まあね。自分たちの街で作られた兵器が、誰かの命を奪うのを止めたいのですって」
ルビアはそう言ってから、街道の先を見た。
「でも、時間を稼げるのはここまでよ。いずれ騎士団も気づく。だから、予備部品を積んだ馬車そのものを奪う」
「奪うって、どうやって?」
セラスが尋ねると、ルビアは村の奥へ目を向けた。そこでは、エザーレ村とローカ村の者たちが力を合わせて防壁を築いている。
「この辺りの脇道を知っている人を集めるわ。補給隊が足止めされている場所まで森を抜けて、馬車を街道から外す。兵士が多ければ難しいけれど、輸送を急ぐために護衛を分散させているはずよ」
その言葉を聞いて、ラティオは頷いた。
「俺はここに残って、結晶砲と本隊の動きを見る。精霊遮断杭も、一つ壊しただけじゃ完全には止まっていない。もう一度術を封じられる可能性もある」
「だったら、私が行くわ」
トゥルマリナの言葉に、ルビアが目を瞬いた。
「あなたが?」
「何か問題でも?」
「問題というより……私と一緒に行くつもりなの?」
「補給馬車を奪うのでしょう。護衛を殺さずに退かせるなら、火の精霊がいた方が早いわ」
トゥルマリナはルビアを見ようとしない。声もいつもより硬かった。
千年以上、まともに顔を合わせてこなかった姉妹だ。離れていた時間はあまりにも長い。たった一度、同じ目的へ向かって歩いたからといって、過去が消えるわけではない。何を話せばいいのかも、どれほど近づいていいのかも、二人ともまだわかっていないのだろう。
ルビアはしばらく妹の横顔を見つめた後、静かに笑った。
「オニロを見ていたら、私も、と思ったのよ」
トゥルマリナが、初めて姉へ顔を向けた。
「あの子、自分が何のために生まれたのかを知っても、それだけで自分の生き方を決めようとはしなかった。自分が本当はどうしたいのか、ずっと考えていたわ。だから私も、いつまでも昔のせいにして立ち止まっているのはやめようと思ったの」
「……千年も経ってから?」
「遅いことくらい、自分が一番よくわかっているわよ」
ルビアの笑みが、少しだけ寂しそうに歪んだ。
「でも、遅いからって何もしなければ、あと千年経っても同じでしょう?」
トゥルマリナは答えなかった。
炎の向こうにある街道へ目を向ける。その横顔には、簡単には解けないものが幾重にも重なっていた。それでも、拒む言葉は口にしなかった。
「足手まといにはならないで」
やがて、それだけを告げる。
「それが姉に言う言葉なの?」
「今さら姉らしく振る舞われても困るわ」
「確かに、そこから話し合わなくちゃいけないみたいね」
「……帰ってからね」
トゥルマリナが歩き出す。ルビアも、その隣へ並んだ。
二人の肩は触れていない。視線も交わさない。それでも、同じ道を歩いている。
ラティオは何も言わず、その背中を見送っていた。ほんの僅かに細められた目には、懐かしいものを遠くから眺めるように、柔らかい。
セラスもまた、二人の背中を見つめた。
千年という時間が過ぎても、自分から歩み寄ろうとすることは出来る。その事実が、胸の奥へ細い棘のように刺さった。
――オニロは、今どこにいるのだろう。
自分から離れろと言った。そばにいれば縋ってしまうから。彼の生き方を奪いたくなかったから。
けれど、自分が彼のためだと思って選んだ道が、本当に正しかったのかはわからない。オニロの気持ちを聞く前に、また自分一人で答えを決めてしまっただけではないのか。
今、ここにいてくれたなら。
そう願いかけた心へ、セラスは蓋をすることが出来なかった。
***
エザーレ村へ続く街道では、いくつもの補給馬車が立ち往生していた。
「まだ車輪は直らないのか!」
「軸が歪んでいます! 交換しなければ動かせません!」
「交換部品は後続の馬車に積んであるだろう!」
「その後続が来ていないんです!」
輸送隊の指揮官が怒鳴るたび、兵士たちが荷台を開け、積み上げられた木箱をひっくり返していく。だが、目当ての部品は出てこない。記録上は先頭の馬車へ積まれているはずのものが最後尾にあり、食料と記されていた箱から剣が出てきた。封蝋は正規のものに見える。誰が、どこで入れ替えたのかもわからない。
少し離れた場所では、道案内として同行していたオゲーラの男が、困り果てた顔で古びた地図を広げていた。
「おかしいな。この先で本道と合流するはずなんですが」
「さっきも同じことを言っただろう!」
「ええ、ですからおかしいんです。この道は子どもの頃から何度も通っているんですがねえ」
男は首を傾げながら、地図を上下逆さまに持っていた。
その背後で、荷馬車の御者がそっと手綱を引く。馬車は混乱に紛れ、列から少しずつ離れていった。荷台に積まれているのは、大型結晶砲の予備部品だった。
街道脇の木へ、細い赤布が結ばれている。オゲーラの者たちが残した目印だ。馬車がその木を通り過ぎた瞬間、森の奥で小さな火が灯った。煙も出さず、葉の陰で一度だけ揺れて消える。
ルビアはそれを確認し、伏せていた身体を起こした。
「目当ての馬車よ」
周囲では、エザーレ村とローカ村から集まった者たちが息を潜めている。手にしているのは剣ではない。縄や板、農具ばかりだった。道を塞ぎ、馬車を奪うために持ってきたものだ。
その隣で、トゥルマリナが掌を開いた。
小さな火の精霊たちが指先へ集まり、赤い光となって戯れている。
「護衛は六人。御者は協力者みたいね」
「ええ。兵士を傷つけずに、馬車だけ森へ引き入れるわ」
「随分と面倒な条件ね」
「出来ない?」
ルビアが挑むように笑う。
トゥルマリナは鼻を鳴らした。
「誰に言っているのよ」
二人の視線が、初めて同じ場所へ向いた。
***
大型結晶砲のそばで、タルデはオゲーラから届いた報告書を握り潰した。
車輪の破損。積み荷の誤記。道案内の間違い。後続部隊の遅延。一つなら事故で済む。二つなら不運とも言える。だが、同時にこれほど重なるはずがない。
「オゲーラの住民どもか」
呟きとともに、紙が地面へ落ちた。
目の前では、結晶砲の技師たちが焼けた収束器を取り外そうとしている。金属は熱で変形し、砲身へ食い込んでいた。水を浴びせるたび、耳を刺すような音とともに白い蒸気が噴き上がる。
「交換用の収束器は、あとどのくらいで届くんです?」
「わかりません。補給隊との連絡が途絶えています」
「では、今あるもので撃ってください」
技師の顔が強張った。
「無理です。冷却が終わっていません。収束器にも亀裂があります。このまま出力を上げれば、制御出来ません」
「一度は撃てるのでしょう?」
「撃てるかどうかではありません。砲身が破裂すれば、周囲の兵士も巻き込まれます」
タルデは答えず、結晶砲へ近づいた。
砲身の奥では、巨大な結晶が脈打つように明滅している。第一射で力を使い果たしたわけではない。器の方が耐えられないだけだ。
ならば、壊れる前に撃てばいい。
側面に取りつけられた制御器へ手を伸ばし、出力を制限している留め具を外す。技師が止めようとしたが、タルデはその手を振り払った。
「魔王たちが精霊を取り戻しました。時間を与えれば、こちらの損害が増えるだけです。兵士を失うのと、砲を失うのと、村を消し去るのと――どれが最も安上がりか、考えるまでもないでしょう?」
「ですが、まだ前方には我々の部隊が!」
「退かせてください。間に合わない者は、そのままで構いません」
制御器を限界まで押し上げる。
結晶の光が、瞬く間に膨れ上がった。
砲身全体が激しく震え、亀裂の入った収束器から青白い火花が飛び散る。金属が耐えきれずに歪み、巨大な獣が苦痛に呻くような音が街道へ響いた。周囲の技師や兵士たちが逃げ出す中、タルデだけが砲身の傍らに立ち続けている。
「出力、限界値を超えます!」
「照準をエザーレ村へ合わせなさい!」
結晶砲の先端へ、青白い光が集まり始めた。
――今度こそ村を、焼き払うために。




