第60話 魔王出陣
光と闇が衝突した場所から、凄まじい風圧が広がった。
街道の土が抉れ、砕けた石が雨のように降り注ぐ。村の入口に立っていた者たちは揃って腕で顔を庇い、何人かはその場へ尻餅をついた。宿屋の窓が激しく震え、積まれていた荷物が崩れ落ちる。
それでも、エザフォスは立っていた。
掲げた掌の前で、黒い魔力の壁が軋んでいる。青白い光はそこへ食い込み、壁の表面へ幾筋もの亀裂を走らせていた。それでも、エザフォスは動じた様子もない。
やがて、結晶砲の光が細くなった。黒い壁を貫けないまま砕け、無数の光の粒となって空へ散っていく。
朝靄の中へ青白い残光が降り注いだ。
騎士団の列が、僅かに揺れる。大型結晶砲による攻撃を真正面から受け止めても、魔王は膝すらついていなかった。
エザフォスは掌を下ろすと、騎士たちへ向かって一歩を踏み出した。
「次はない」
地を這うような低い声は、轟音の余韻が残る街道を真っ直ぐに走った。
「これ以上、村へ攻撃を向けるならば、砲ごと破壊する」
ルーナは馬上からエザフォスを見据えていた。その顔に動揺はない。片手を上げると、後方に控えていた兵士たちが一斉に前へ出た。
彼らが身につけているのは、通常の甲冑ではなかった。胸部や背中に黒い結晶を埋め込んだ金属装具が取りつけられ、そこから伸びた細い管が両腕と両脚を覆っている。関節の脇では歯車が絶えず回転し、動くたびに甲高い駆動音を響かせていた。
「装着式結晶兵器部隊、前へ! 魔王を村から引き離せ!」
兵士たちが地面を蹴る。その速さは、人間のものではなかった。
土を爆ぜさせながら一気に距離を詰め、先頭の兵士がエザフォスへ斬りかかる。結晶の光を帯びた剣が首筋へ迫ったが、エザフォスは僅かに身を傾けただけで躱した。すれ違いざまに腕を伸ばし、兵士の肩に取りつけられた金属装具を掴む。その隙間から、魔王の魔力を注ぎ込む。
硬い音とともに、甲冑の一部が引き剥がされた。
兵士の右腕から力が抜ける。振り下ろしかけていた剣が地面へ落ち、その身体も前のめりに倒れた。エザフォスは襟元を掴んで支えると、街道の脇へ投げ捨てた。
左右から、別の兵士が迫る。
エザフォスは一人目の剣を魔術で弾いて折り、返した手から魔力を注いで胸部の装具を砕いた。もう一人の突きも魔術で作った盾で受け、剣先を逸らす。そのまま背後へ回り、背中の結晶を覆う金具に魔力を注ぎ――破壊した。
エザフォスはただただ甲冑だけを破壊し続ける。剣を折り、腕や脚を動かしている装具を外し、戦えない状態にしていく。魔王を殺すために殺到した兵士たちは、次々と武器を失って街道へ倒れていった。
「怯むな! 出力を上げろ!」
後方から指示が飛ぶ。
まだ立っている兵士たちの装具が、高い悲鳴のような音を上げた。胸部に埋め込まれた結晶の光が強まり、管を通って四肢へ流れ込んでいく。
兵士の一人が大きく身体を反らした。兜の隙間から呻き声が漏れる。それでも動きは止まらず、本人の意思とは無関係であるかのように両脚を前へ運んだ。
剣を握る手が震えている。腕へ巻きついた金具がそれを無理やり固定し、再び剣を持ち上げさせる。
「止めろ」
エザフォスの声に、兵士は答えなかった。
一歩踏み出すたびに、甲冑の隙間から血が落ちる。結晶が勝手に動かす兵器に、人間の骨や筋肉が耐えられていない。兵士の身体はすでに限界を越えているというのに、結晶は命を燃料にするように光り続けていた。
「その装具を外せ。このままでは死ぬぞ」
「魔王の言葉など聞くか!」
兵士は歯を食いしばり、地を蹴った。
先ほどを上回る速度で迫る。その途中で右脚から骨の砕ける音がした。身体が傾いても、装具は倒れることすら許さない。折れた脚を金具で支え、兵士をエザフォスのもとまで運んでいく。
エザフォスは眉間に皺を寄せる。
振り下ろされた剣を受け止めると、胸部の装具へ手を当てる。黒い魔力が細い筋となって金属の継ぎ目へ入り込み、内側から結晶だけを砕いた。
光が消える。支えを失った兵士の身体が崩れ落ちた。
エザフォスはその身体を抱き止めた。兜の下から覗く顔はまだ若い。唇から血を流しながら、それでも兵士は折れた腕を動かそうとしている。
「まだ……戦えます……」
「もう動くな」
「命令、が……」
言葉の途中で、兵士は意識を失った。
エザフォスは倒れた者を街道へ横たえ、ゆっくりと顔を上げた。目の前では、次の兵士たちが装具の出力を上げている。その後ろで指揮官たちは、倒れた者へ目を向けることもなく前進を命じていた――
***
宿の入口から戦いを見つめていたセラスは、自分の腕を強く抱いた。
「あの人たち……騎士団の人なんだよね」
隣にいるミリーへ尋ねたつもりだった。しかし声は掠れ、砕けた石の転がる音にさえ埋もれそうだった。
「うん」
「王都の人たちを護る人なんだよね。それなのに、どうして……」
最後まで言葉にすることが出来なかった。
装具を砕かれ、地面へ倒れた兵士たちは誰も死んでいない。それはエザフォスが彼らを殺さないよう、一人ずつ手加減しているからだ。だが、後ろにいる人間たちは違う。同じ甲冑を纏い、同じ王都の紋章を掲げる者たちを、壊れても構わない道具のように前へ送り出している。
誰かの命を、ひとつの目的のために使い潰す。
その光景を責めようとした瞬間、炎に包まれた村が脳裏へ蘇った。
セラスが焼いた家々。逃げ惑う人々。地面へ倒れ、二度と起き上がらなかった者たち。
――自分の未熟さが招いた惨劇。
あの光景はセラスにとって、未だに生々しい傷となって残っている。もう二度とあんなものは見たくない、と、心に誓うのに十分な出来事だった。だからもう、セラスは誰も殺したくない。
それなのに。
「わかんない……」
セラスの指が、自分の腕へ食い込んだ。
「人間なのに。どうして、同じ人間をこんなふうに出来るの……?」
ミリーは答えなかった。答えられなかったのかもしれない。ただ、震えるセラスの手へ、自分の手を重ねた。
***
街道では、装着式兵器を纏った兵士たちが左右へ分かれ始めていた。正面からエザフォスを突破出来ないと判断し、村の両側から回り込もうとしている。
トゥルマリナが村の入口へ進み出た。
「ここから先へは行かせないわ」
右手を地面へ向ける。赤い光が掌から零れ落ち、乾いた土の上を蛇のように走った。次の瞬間、街道を横断するように炎が噴き上がった。普段の彼女が操る炎には遠く及ばない。それでも、人間の進路を断つには充分だった。赤い壁が村と騎士団の間を分かち、回り込もうとした兵士たちが足を止める。
一人が勢いを殺せず、そのまま炎へ踏み込んだ。トゥルマリナが指を動かすと、炎は兵士を避けるように左右へ割れた。直後、足元から新たな火柱が上がる。
兵士が悲鳴を上げ、慌てて後退した。
「命を捨てる覚悟を誇るのは勝手よ」
トゥルマリナの髪が、炎の熱に煽られて揺れる。
「けれど、それを他人に強いる者の命令に従う必要はないわ」
兵士たちは剣を構えたまま、炎の向こうで立ち尽くした。後ろから前進を命じる声が飛ぶ。そのたびに結晶の光が強くなり、苦痛に耐える呻き声が重なった。
トゥルマリナは奥歯を噛み締め、さらに炎を広げた。
誰も通さないために。
そして、誰も殺さないために。
***
最初の砲撃が放たれた直後、ラティオは村の東側から外へ出ていた。
騎士団の兵士たちの多くは、エザフォスへ注意を奪われている。森へ配置された者たちも、村の入口で始まった戦闘を気にしていた。精霊遮断杭を探すなら、今しかない。
木々の間を進むにつれ、息苦しさが増していく。
魔力は身体の中にある。だがそれを術へ変えるための精霊だけが、指の間から零れ落ちるように遠い。ラティオは僅かに残る風へ意識を伸ばし、流れが不自然に途切れている場所を探った。
やがて、街道脇の草むらに黒い金属が覗いているのを見つける。
近づいて土を払うと、地中へ深く打ち込まれた杭が姿を現した。表面には細かな溝が刻まれ、その内側を黒ずんだ光が流れている。光は杭の中へ留まらず、地面の下を通って別の杭へ繋がっていた。
「なるほど。一本で精霊を退けているわけじゃないのか」
杭同士を結び、村を包む輪を作っている。その内側へ精霊が入れないよう、力を循環させているのだ。魔術でも魔方陣を描くことでその強度や正確性を増すことがある。それと同じ手法を使っているのだろう。
「……これも、魔族から聞き出した手法かもな」
吐き捨て、奥歯を噛みしめる。人間は時として非道な行いを当然のようにやってのけるが、今回はこれまでになかったほど、酷かった。
だが今は、そんなことを考えている暇はない。
恐らく、この一本を抜き取れば、魔方陣は完成しなくなる。完全に効果を消すことは出来ないだろうが、今よりも魔術が使いやすくなるはずだ。
ラティオが杭へ手を伸ばしたとき、背後で草を踏む音がした。
「何者だ!」
振り返るより先に、剣が背中へ迫る。
ラティオは横へ身を投げ、地面を転がった。立ち上がりざまに指を振ると、僅かな風が騎士の足元へ絡みつく。普段なら身体ごと吹き飛ばせるはずの術は、片足を払うだけで消えた。それでも均衡を崩すには充分だった。
倒れた騎士の手から剣を蹴り飛ばし、柄で兜を殴る。もう一人が助けを呼ぼうとしたため、風で口元を覆い、その腹へ拳を叩き込んだ。
「悪いな、俺はエザフォスほど強くないから、体術も学んでるんだ」
二人が動かなくなったことを確かめ、ラティオは再び杭へ向き直る。
奪った剣を杭の溝へ差し込む。両手で力を込めると、金属同士が擦れ合い、耳障りな音を立てた。
黒い光が一瞬だけ強くなる。杭が侵入を拒むように震え、剣の刃へ亀裂が入った。
「随分と頑丈だ」
ラティオは息を吐き、残る魔力を剣先へ集めた。
杭の内側へ細い風を滑り込ませる。金属と結晶の僅かな隙間を探り、そこから少しずつ押し広げていく。
額から汗が落ちた。
風が途切れかけるたびに呼び戻し、剣をさらに深く押し込む。やがて杭の内部から、何かが割れる小さな音が聞こえた。
「見つけた」
ラティオは剣の柄へ全体重をかけた。
亀裂が走り、杭の中心に埋め込まれていた黒い結晶が砕ける。
瞬間、地面の下を巡っていた光が途切れ――周囲の空気が大きく動いた。
閉ざされていた扉を押し開けるように、風が村へ流れ込んでいく。木々が一斉に枝を揺らし、土の中を水の気配が走った。消えかけていた朝露が光を弾き、街道を隔てて燃える炎が高く立ち上がる。
精霊たちが、開いた輪の内側へ雪崩れ込んでいった。
***
「子どもと動けない人を先に!」
ミリーは村の中を走り回り、逃げ遅れた者たちを避難場所へ誘導していた。
大型結晶砲の初撃の反動で建物の一部が崩れ、道には木片や割れた瓦が散乱している。戦いはまだ村の入口で食い止められていたが、いつ兵士が侵入してくるかわからない。
村の奥にある石造りの建物へ、老人や子どもたちが次々と入っていく。入りきれなかった者は地下の貯蔵庫へ向かい、その入口を厚い板で補強していた。
「この荷車を横に倒せ! 隙間には土を詰めるんだ!」
声を上げたのは、ローカ村から逃げてきた男だった。
避難民たちは、荷車から家財道具を下ろし、道を塞ぐように並べていく。壊れた家具や樽を積み、その上から土を入れた袋を重ねる。村を失ったばかりの彼らへ、再び逃げろと命じる者はいなかった。
「あなたたちも中へ入って! ここは危ないよ!」
ミリーが呼びかけると、男は土の袋を肩へ担いだまま首を横に振った。
「それはお前も同じだろう、ミリー!」
荷車の陰では、年若い女も板を組み合わせている。その手には、結晶兵器の実験で負った火傷の痕が残っていた。
「俺はローカじゃ、何も出来なかった。家も畑も全部なくなっちまった。だから今度もただ見てるだけなんて、もう嫌なんだ」
エザーレ村の者たちは、最初こそ戸惑ったように彼らを見ていた。
王都騎士団は魔族を倒すために来たのだと、まだ信じようとしている者もいた。自分たちは命令に従えば助けてもらえる。反乱へ加担するつもりなどなかったと伝えれば、見逃してもらえる。そう口にしていた若者もいた。だが――
炎の向こうから一本の矢が飛んできた。矢は荷車へ突き刺さり、積まれていた布を貫いた。つい先ほどまで、その陰には子どもが隠れていた。
「村人も魔族への協力者だ! 抵抗する者は排除しろ!」
騎士団の声が聞こえる。王都の紋章を見つめていた若者の顔から、縋るような色が消えた。
魔王を信じると決めた時点で、この村にいる者は騎士団にとって全てが敵なのだ。話を聞くつもりも、罪の有無を確かめるつもりもない。魔族を倒すためなら、村ごと消し去っても構わないと考えている。
若者は足元に落ちていた板を拾い上げた。
「これで、入口を塞ごう」
ローカ村の男が一瞬だけ目を見開き、すぐに道の反対側を指した。
「ああ! あっち側、やってくれるか!?」
「わかった」
一人が動くと、周囲にいた者たちも続いた。
エザーレ村とローカ村。暮らしてきた場所も、魔王への思いも異なる者たちが、同じ荷車を押し始める。誰かに命じられたわけではない。自分たちの後ろにいる者を護るため、それぞれの手で壁を作っていく。
ミリーはその姿を見届けると、次の避難者を迎えるために走り出した。
その頬を、強い風が撫でた――精霊たちが、戻ってきた。
村の中へ吹き込んだ風が、建物の隙間を駆け抜けていく。井戸の水面が揺れ、街道を塞いでいた炎が一際高く燃え上がった。
失われていた世界が、急に身体の中へ戻ってくる。完全ではない。それでも、呼吸は確かに楽になった。
セラスは胸元を押さえ、その場へ膝をつきかけた。眩暈はまだ消えていない。離れていたものが一度に繋がったため、むしろ身体の内側を掻き回されているようだった。
それでも震える足へ力を込め、ゆっくりと身体を起こす。
目の前では、エザフォスが兵士たちの装具を砕き続けている。トゥルマリナは炎で村を護り、倒れた騎士たちの向こうでは、次の兵士が結晶の光を纏って前へ進もうとしていた。村の中では、人々が自分たちの手で防壁を作っている。
だから、決めた。
自分が犯した罪は消えない。炎の中で失われた命も、二度と戻ることはない。だからこそ、同じことを繰り返してはならない。
魔族も、人間も、これ以上誰かの憎しみや目的のために失われてほしくない。
――この争いを、止めたい!
その願いだけを胸に、セラスは戦場へ向かって歩き出した。




