第57話 守るべきもの
ラティオが去ったあと、オゲーラの街は静かに動き始めた。
兵器を積んだ荷車は、街の西側にある騎士団の駐屯地へ集められている。街道沿いには篝火が焚かれ、騎士たちが慌ただしく行き来していた。荷台を覆う分厚い布の隙間からは、黒い鉄の塊や、精霊の結晶を収めるための金属筒が覗いている。機密に溢れ、近づくだけで捕らえられかねない場所だった。
それでも、オゲーラの人々は騎士たちの目を盗み、それぞれに出来ることを始めていた。
鍛冶職人は、荷車の不具合を調べるふりをして車軸の留め具を緩めた。商人は兵糧の数が合わないと騒ぎ立て、積み荷を一つずつ降ろさせた。厩番の少年たちは、軍馬に与える飼葉へ水を混ぜ、腹を壊さない程度に食いつきを悪くした。
どれも、それだけでは進軍を止められない小さな妨害だ。だが、小さな躓きも重なれば、人の足を止める。
「急げ! いつまでかかっている!」
騎士の怒声が夜の街に響く。
兵器を満載した荷車が動き出した直後、ひどく軋んだ。数歩も進まないうちに片側の車輪が傾き、荷台が大きく沈み込む。積まれていた金属の塊がぶつかり合い、耳障りな音を立てた。
「止めろ! 結晶に衝撃を与えるな!」
「だから俺は言ったんだ! こんな重いものを運ぶなら、車軸を交換しなきゃ保たないって!」
鍛冶職人が声を張り上げる。嘘ではない。限界まで兵器を積み込んだ荷車は、どれも今にも潰れそうなほど軋んでいた。
騎士たちは荷台から兵器を降ろし、壊れた箇所を調べ始める。その隣では、軍馬が突然言うことを聞かなくなり、御者が手綱を引いていた。
混乱は、ゆっくりと駐屯地全体へ広がっていく。
少し離れた路地からその様子を見ていたルビアは、胸元で手を握り締めた。
上手くいっている。
だが、これで騎士団が諦めるとは思っていなかった。遅らせられるのは、せいぜい数刻。夜明けまで足止め出来るかもわからない。
「ルビアさん」
背後から呼ばれ、振り返る。
駐屯地で荷運びをしている男が、人目を避けるように外套を深く被って立っていた。周囲を確かめてから、折り畳んだ紙を差し出す。
「兵器の積み込みを任されてる奴から、配置を聞き出した。全部は無理だったが、これだけでも役に立つと思う」
ルビアは紙を受け取り、篝火の届かない暗がりで開いた。
そこに記されていたのは、騎士団の隊列だった。
先頭に置かれるのは、兵士が直接身に纏う装着式兵器部隊。通常の鎧よりも遥かに重い金属装具を、精霊の結晶によって動かすらしい。その後方には魔術を打ち消す装置を載せた荷車が続き、最後尾には遠距離から攻撃するための大型結晶砲が配備される。結晶砲は村へ近づける必要がない。騎士団は、エザーレ村の外から撃つつもりなのだ。
「魔術を使えなくしてから兵士を送り込み、逃げ道を塞いで砲撃する……」
呟いた声が、冷えた夜気へ沈んだ。
王都側は魔王軍と正面から戦うつもりはないのだ。村を包囲し、抵抗する力を奪い、一方的に焼き払おうとしている。
「これを、ラティオたちに知らせないと」
「でも、あの人はもう行っちまったんだろう?」
「ええ。だから私が直接行くわ」
男の顔が強張った。
「無茶だ。騎士団は街の出入り口を固めてる。今は商人だって外へ出してもらえない」
「それでも行かないと。予定が早まったことは伝えられたけれど、兵器の配置まではわかっていなかった。知らずに迎え撃てば、エザーレ村の人たちは逃げることさえ出来なくなる」
紙を畳み、服の内側へ隠す。
怖くないわけではない。いくら自分が魔族とはいえ、騎士団に捕まれば、何をされるかわからない。これまでのように、ただ疑われるだけでは済まないだろう。
それでも、ここで足を止めることは出来なかった。
ほんの少しまで、この街の人びとは魔王や魔族を信じることさえ出来ずにいた。ルビアを頼りながらも、心のどこかで恐れていたはずだ。魔族が本当に人間を助けようとしているのか。信じた結果、裏切られるのではないかと疑っていた。
けれど彼らは身をもって知ったのだ。本当は誰が自分たちを護ってくれているのか。エザフォスは人間から憎まれながら、千五百年ものあいだ世界を護り続けた――その実感はまだないだろうが、それも少しずつわかってくるはずだ。
だから彼らはここまで動いてくれた――ならば、ルビアもその期待に応えるべきだ。
その覚悟が伝わったのだろう。
「街の南側に、使われていない排水路がある」
男が低い声で言った。
「昔は外の川まで繋がってた。今は途中で崩れてるが、人が一人通れる隙間は残ってるはずだ」
「案内してくれる?」
「もちろんだ」
二人が路地を抜けようとした、そのときだった。
「そこで何をしている!」
鋭い声が飛ぶ。
振り返ると、二人の騎士がこちらへ向かっていた。ルビアの服の内側で、紙がひどく重くなったように感じられる。
「止まれ!」
ルビアは男と顔を見合わせ、同時に駆け出した。
細い路地へ入り、積まれた木箱の脇を抜ける。背後から鎧の鳴る音が追ってきた。曲がり角を幾つ越えても、足音は離れない。
「右へ!」
先を走る男が叫ぶ。
ルビアが角を曲がった直後、目の前へ荷車が滑り込んできた。積まれていた空の樽が地面へ落ち、路地いっぱいに転がっていく。
「何をしている! 退け!」
「すみませんねえ、車輪が急に外れちまって!」
荷車を押していた商人が、大声で謝りながら道の中央に居座る。追ってきた騎士が樽に足を取られ、怒鳴り声を上げた。
ルビアたちは、その隙に次の路地へ走り込む。
「ルビアさん、こっちだ!」
窓から顔を出した女性が、裏口を指し示している。家の中へ入り、厨房を抜け、反対側の扉から外へ出る。
路地の先では、別の男が騎士を引き止めていた。
「女なら東へ走っていったぞ!」
「違う、北の広場だ!」
「どちらだ!」
人々の声が、夜の街のあちこちで上がる。
ルビアは足を止めかけた。
彼らは騎士団に逆らっている。自分を逃がしたと知られれば、罰を受けるかもしれない。それなのに、誰も躊躇わなかった。
「行って!」
あのときラティオを呼びに来た女性が、路地の奥から叫ぶ。
「ここは私たちが何とかする! エザーレ村の人たちを頼んだよ!」
ルビアは唇を引き結び、再び走り出した。
立ち止まって礼を言うことは出来ない。今は、逃げ切ることだけが彼らの覚悟に報いる方法だった。
街の南端に辿り着くと、崩れかけた石壁の下に狭い穴があった。身を屈め、土と泥にまみれながら奥へ進む。途中で何度も肩が壁にぶつかり、爪の間へ湿った土が入り込んだ。
やがて、冷たい風が頬を撫でる。
暗い排水路を抜けた先には、月明かりを映す細い川が流れていた。
「ここから先は、森に沿って進めば街道へ出られる」
案内してくれた男が、荒い息を整えながら言う。
「あなたは戻って。いなくなったと気づかれれば、疑われるわ」
「一人で行くつもりか?」
「大丈夫。ラティオの使い魔を探すだけよ」
本当に見つけられる保証はなかった。それでも、ラティオほど用心深い男が、敵の動きを探る目をすべてオゲーラから引き上げるとは思えない。
男はなおも何か言いたそうにしていたが、やがて諦めたように頷いた。
「絶対に届けてくれ」
「ええ。必ず」
ルビアは川沿いを走った。
背後では、警鐘が鳴り始めている。街を抜け出した者がいると知られたのだろう。やがて、馬の蹄が地面を打つ音まで聞こえてきた。
森へ入り、枝を掻き分けて進む。暗闇の中で木の根に足を取られ、膝から地面へ倒れ込んだ。鈍い痛みが走ったが、確かめている暇はない。
立ち上がろうとしたとき、頭上で葉が揺れた。
小さな鳥が枝に留まっている。
月明かりを透かす身体は羽毛ではなく、風そのものによって形作られていた。
「ラティオの使い魔ね?」
鳥が首を傾げる。
ルビアは急いで紙を取り出した。
「騎士団は、先頭に装着式兵器の部隊を置く。魔術無効化装置はその後ろ。遠距離結晶砲は最後尾から村を狙うつもりよ。街の人たちが荷車を遅らせているけれど、長くは保たない」
風の鳥が翼を広げる。
「お願い。エザーレ村へ伝えて」
一陣の風がルビアの髪を巻き上げた。
鳥は夜空へ飛び立ち、星の間を縫うように遠ざかっていく。
それを見届けた直後、背後で馬の嘶きが聞こえた。
ルビアは紙を細かく破り、川へ投げ入れる。黒い水面に落ちた紙片は、瞬く間に流れへ呑み込まれていった。
もう、自分が捕まっても奪われる情報はない。
ルビアは再び森の奥へ駆け込んだ。
***
エザーレ村の宿屋には、セラスとエザフォス、ラティオとトゥルマリナ、そしてエザーレ村の村長たちまとめ役が何人か集められていた。
机の上には、村と周辺の地形を記した地図が広げられている。ラティオは王都騎士団が進むと予想される街道へ、幾つもの石を置いていた。
「ここまでに集めてきた情報を総合すると、王都の騎士団は既にエザーレ村を包囲しているみたいだ。今のところ、機械を使った兵器はそんなに多くは確認されていないけど――」
と、言いかけたところで窓の外で不自然な風が吹き荒れる。開かれた窓から風が吹き込み、蝋燭の炎が大きく揺らいだ。
直後、風の鳥が部屋へ飛び込んでくる。
「……ルビアからの報告だ」
その名前を聞いて、トゥルマリナは一瞬表情を堅くしたが、すぐに口を閉ざす。そんな彼女に一瞬視線を向けてから、ラティオは鳥に手を差し出した。
ラティオの腕に触れた鳥は彼の身体に溶け込むように輪郭を崩した。風が囁きへ変わり、ルビアの声が聞こえてくる。
装着式兵器部隊。
魔術無効化装置。
遠距離結晶砲。
途切れ途切れの言葉を聞き終えると、鳥は元の風へ戻り、室内に溶けて消えた。
「ねえ、今の声って……」
セラスが尋ねると、ラティオは穏やかに目を細めた。
「昼間、ルビアに会いに行ってきたんだ。そのときに、オゲーラで準備が進んでいるという兵器の量や数を調べてもらうことになってた。その報告だね」
「いつの間に行ったの!?」
「俺は暗躍が趣味だから」
「あなたはまたそういうことを……」
トゥルマリナに睨まれて、ラティオはおかしそうに笑った。ルビアと連絡をとっていることを、トゥルマリナは最初は知らなかったと行っていたはずだ。だから今も知らないうちに情報交換をしていたことに、彼女は色々な感情を抱いてはいるのだろう。それはセラスにも想像できる。ラティオだってわかった上で、こんな言い方をするのだから、意地が悪い。
それは置いておいて、と、ラティオは地図に向き直る。
「オゲーラの動きから想定すると、騎士団は装着式兵器を先頭に進軍するつもりだろうね。重装備の兵士でこちらの前衛を押さえ、後方の装置で魔術を封じるつもりだ」
「魔術を封じる装置、なんて、あるの……?」
「だと思うよ。だから魔族が何人も捕らえられた、と考えたら違和感がない……最悪な想像だけどね」
ラティオの返事に、セラスは言葉を失う。人間はどこまで進化していくのだろう。その進化が、人間の生活を豊かにするだけだったらよかったのに――セラスはなんとも言えないまま、唇を噛む。
先頭に置いた石の後ろへ、もう一つ石を並べる。
「結晶砲は最後尾だ。村の外から撃ち込める場所に設置される。おそらく、この丘か……こっちの高台だな」
エザーレ村を挟む二つの高所へ、指を置いた。
「今のところ、まだ設置は終わっていないようだけど――先手を打たないと、厳しいだろうね」
「なら、今すぐ行くべきだろ!」
エザーレ村の若者が身を乗り出す。
「先手を打って移動して、奴らが近づけないようにすればいい! 結晶砲が設置される高台に罠とかを仕掛ければ――」
「いや」
低い声が、その言葉を遮った。
部屋の奥に立っていたエザフォスが、地図へ歩み寄る。
「ここで防衛戦は行わない」
村の者たちが息を呑む。
「し、しかし、魔王様! この村は魔王様を信仰する者たちの総本山です。王都側へ渡せば、何をされるか――」
「村を守ろうとすれば、村人が戦いに巻き込まれる」
「我々が前へ出ます。人間たちには指一本触れさせません」
「その人数では護れない」
エザフォスの指が、地図に描かれた村へ触れる。
「お前たちは、皆殺しにされる」
街の人々が身を固くする。その言葉に補足するようにラティオが口を開いた。
「敵の目的は、私を信じる人間を全て殺し、魔族に味方すればどうなるかを世界へ示すことだよ。ここへ留まる限り、村人たちは騎士団の標的になる。連中が手心を加えることも、ないだろうしね」
セラスはふと窓の外に視線を向けた。そこには、エザーレ村の家々が見える。
この地で生まれ育った者もいる。ローカ村を失い、ようやく新しい暮らしを始めた者もいる。彼らにとって、ここはただの土地ではない。
それでも、家屋も畑も、失えば二度と戻らないものではなかった。
「村は、再興できる」
エザフォスは静かに顔を上げる。
「だが死ねばそれで終わりだ」
迷いのない声だった。
「で、ですが、魔王様……皆、素直に避難してくれるでしょうか……」
問いかけに、エザフォスの目が僅かに伏せられる。
セラスもそれは理解していた。ローカ村でもそうだったのだ。あんなに痩せ細った土地でも、王都の人たちにボロボロにされるまで村を離れようとしなかった人達がいたのだ。エザーレ村の人たちだって、簡単に故郷を捨てるとは思えない。魔王を信じるからこそ、ここへ残り、共に戦うと言い出す者もいるだろう。
だからって――と、セラスが口を開こうとした瞬間だった。
「私が話す」
エザフォスが静かに告げる。
「お前が?」
「それが、私の役目だ」
ラティオはエザフォスの横顔を見つめた。そのエザフォスは、ただ真っ直ぐに前を見据えている。
それで十分だったのだろう。ラティオはフッと笑みを浮かべ、集まった者たちを見渡した。
「ここは二手に分かれよう。一方は森を抜ける避難路の安全を確かめる。もう一方は、歩けない者を運ぶ荷車を集める。騎士団が予定を早めた以上、一刻も無駄には出来ない」
ラティオは地図の上に置かれた石を見下ろす。
オゲーラの人々が稼いでくれている時間が、あとどれほど残されているかはわからない。
それでも、まだ間に合う。
「どうにかして、全員で生き残ろう」
村人たちは迷いを捨てたような目で、しっかりと頷いた。
***
オゲーラの西門が、重い音を立てて開かれた。
すべての荷車を待つことを、騎士団は諦めていた。車軸の壊れた馬車と積み直しの終わらない兵糧を街へ残し、準備の整った部隊だけで先行することを決めたのだ。
装着式兵器を身に纏った兵士たちが、地面を揺らしながら門を通り抜ける。
その後ろには、魔術無効化装置を積んだ荷車が続く。分厚い布に覆われた装置の中心で、精霊の結晶が脈打つように明滅していた。
さらに後方には、長い砲身を持つ結晶砲が連なっている。
人々が窓を閉ざした街を背に、騎士団は進む。
向かう先は、エザーレ村。
夜明け前の街道を、兵器の車輪がゆっくりと踏み潰していった。




