第56話 隣に立つ覚悟
――千五百年前。
争いが終わった村には、ひどく静かな時間が流れていた。
つい先ほどまで怒号と剣戟が響き渡っていたとは思えないほど、誰も声を上げようとしない。立ち尽くしている者も、地面に座り込んでいる者も、呆然と同じ場所を見つめていた。
村の中央にある広場は、見る影もなく壊れている。
地面には大きな亀裂が走り、家々の壁は崩れ、折れた剣や槍が至るところに転がっていた。
エザフォスが力を振るった痕跡だ。
二つの勢力が武器を取り、互いを滅ぼそうとしていた。その間にエザフォスが立ち、争いをやめるよう命じた。
だが、誰も素直には従わなかった。
エザフォスを敵と見なし、剣を向けてくる者もいた。混乱に乗じて相手を殺そうとした者もいた。だからエザフォスは武器を砕き、地を割り、二度と戦う気を起こせないほどの力を見せつけた。おかげで両者より強い恐怖に支配され、争いだけは収まった。
それでも、すべてを無傷で終わらせることは出来なかった。
「……この人は?」
エザフォスが、倒れている男のそばに膝をつく。
胸元は血に濡れ、その目は既に閉じられていた。エザフォスは男の肩に触れたが、返事はない。
「死んでる」
答えたのはラティオだった。
エザフォスの手が止まる。
「私が殺したのか」
「違う。そいつを刺したのは、向こうに転がってる男だよ。お前が来る前から致命傷を負ってた」
事実を告げても、エザフォスの表情は変わらなかった。
少し離れた場所には、倒壊した家屋の下敷きになった者がいる。その隣では、腕を負傷した男が仲間の手当てを受けていた。
誰が誰を傷つけたのか。どこまでがエザフォスの力によって起きたことなのか。
もう、はっきりと区別することは出来ない。
「争いは止まった」
エザフォスが呟く。
「ああ」
「しかし、人が死んだ」
「そうだな」
「私に、もっと上手く力を扱うことが出来ていれば」
「無理だよ」
ラティオはきっぱりと遮った。
「お前がどれだけ気をつけても、死ぬまで戦おうとしてる奴らを全員無傷で止めることなんて出来ない。こいつらは、お前が来なければもっと大勢死ぬまで殺し合ってた」
「それでも、私が力を使ったことで傷ついた者がいる」
エザフォスは立ち上がらなかった。
死んだ男の傍らに座り込み、その顔を見つめている。
戦いを終わらせた者の姿には見えなかった。自分が敗れたかのように項垂れていた。
ラティオは小さく息を吐く。
「エザフォス。ここは俺に任せて、少し休んできな」
「だが、まだ――」
「いいから」
ラティオが手を差し出すと、エザフォスはしばらく迷ったあと、その手を取った。
立ち上がらせ、広場から離れた場所まで連れていく。壊れていない家の壁際に座らせると、ラティオは村人たちのもとへ戻った。
まず、息のある者を一か所に集めた。
怪我人の中には、敵味方の区別にこだわり、治療を拒もうとする者もいた。ラティオはそんな者たちを無理やり隣り合わせに寝かせた。
「まだ殺し合いたいなら、傷が治ってからにしろ。まあ、そのときには魔王がお前たちの国ごと消しに来るだろうけどね」
村人たちの顔が強張る。
実際のエザフォスがそんなことをするはずもない。だが、それを知られるわけにはいかなかった。エザフォスが争いを止めるためには、恐れられなければならない。逆らえば何をされるかわからない。魔王ならば、国を滅ぼすことも、人間を皆殺しにすることも躊躇わない。そう思わせる必要があった。
ラティオは生き残った者たちに死体を運ばせ、名を確かめさせた。身元のわからない者は自ら抱え上げ、一人ずつ広場の外へ運んだ。
土を掘り、死体を埋める。
遺された武器を集め、再び争いに使えないよう溶かす。
村人たちを集め、今後また武器を取れば、魔王が戻ってくると脅す。
すべてを一人で引き受けた。
エザフォスを魔王にしようと決めたのは、ラティオだ。争いをなくしたいというエザフォスの願いを、圧倒的な力によって叶えられるのではないかと考えたからだ。
ならば、その力によって生まれた死も、その力を恐れさせるための嘘も、自分が背負わなければならない。
それが、魔王の右腕である自分の義務だと思っていた。
***
それからも、同じようなことが繰り返された。
争いが起きた村へ行き、エザフォスが力で戦いを止める。大勢の命を救った。同時に、救えない命もあった。そのたびにエザフォスは傷ついた。だからラティオは、エザフォスの目に入れたくないものをすべて隠した。死体を片づけ、血を洗い流し、生き残った者たちを脅した。
自分たちが何をしているのか、考える暇もないほど動き続けた。それで世界が平和になるのなら、構わないと思っていた。だが、身体を休めても、疲れが取れなくなっていく。
ある村で争いを抑えた日の夜。ラティオは村外れにある木の根元に座り込み、幹に背を預けていた。目を閉じると、これまでに見た死体の顔が浮かぶ。
誰かに恨まれることにも、恐れられることにも慣れていなかった。魔王の右腕として人々の前に立つたび、二度と逆らえないように脅し、憎しみを向けられる。それが必要なことだとわかっていても、何も感じずにいられるわけではない。
――いつの間にか、眠っていたらしい。
ラティオが目を覚ましたときには、空が白み始めていた。
「……エザフォス?」
傍らにいるはずの気配がない。
立ち上がり、周囲を見回す。
だか、エザフォスの姿はどこにも見当たらなかった。
「まったく……」
目的地は、すぐにわかった。ラティオはエザフォスの魔力を辿り、空間を移動する。
森を抜け、小高い丘を越えた先。人の住む場所から遠ざかるように歩いているエザフォスの背中を見つけた。
「エザフォス!」
呼びかけても、足を止めない。聞こえていないはずはないのに。
ラティオはもう一度空間を越え、エザフォスの前へ回り込む。その腕を掴むと、ようやく彼は立ち止まった。
「俺から逃げられると思うなよ」
「逃げているわけではない」
「じゃあ、俺が寝てる間にどこへ行こうとしてたんだ?」
「……どこかへ」
「それを逃げてるって言うんだよ」
腕を離しても、エザフォスはラティオを見ようとしなかった。
「私といる必要はない」
低い声が落ちる。
「私が、争いをなくしたいと言ったから。お前は私を魔王にし、私の代わりに人々から憎まれることになった」
「今更だな。最初からわかってたことだろ」
「わかっていたつもりだった」
エザフォスが、ようやくラティオを見る。
「しかし、お前があれほど疲れているとは思わなかった」
引き裂かれそうな声音に、ラティオはぐっと息を呑む。
エザフォスの前で気を抜いた自覚はなかった。いつもと同じように笑い、何も負担には感じていないように振る舞っていた。
けれど、それで誤魔化せるほど短い付き合いではない。
「私が望まなければ、お前が死者を埋めることもなかった。人々を脅し、恨まれることもなかった。私の願いが、お前を苦しめている」
否定すれば、エザフォスは安心したかもしれない。ラティオは何も苦しんでいない。魔王の右腕でいることを楽しんでいるのだと笑えば、少なくともこの場に留めることは出来る。だが、それではエザフォスに嘘をつくことになる。
ラティオは少し迷い、口を開いた。
「そうだよ」
エザフォスの顔が強張る。
「悪役を演じるのは苦しい。人から恨まれるのも、死体を片づけるのも、平気じゃない。世界を背負うなんて、正直、辛いよ」
「ならば――」
「でも、無駄だとは思ってない」
離れようとするエザフォスの腕を、もう一度強く掴む。
「何の痛みもなく、何の犠牲も払わず、世界を変えられるとは思ってないんだ。辛いことも、苦しいことも、今は必要なんだよ」
「お前が引き受ける必要はない」
「俺が引き受けたいんだ」
「何故だ」
「お前がいなければ、俺には何も出来ないから」
争いを止めたいと願っても、ラティオ一人の力では世界中の人間を従わせることは出来ない。
だがエザフォスには、それが出来る。
「むしろ、俺がお前を利用してるんだよ。お前の力があれば、俺が考えたやり方で世界を変えられる。お前を魔王にしたのだって、そのためだ」
半分は、本音だった。
ラティオは自分の意志でエザフォスを魔王にした。世界を変えるために、その力を利用しているという自覚もある。
だが、残りの半分は、違う。
エザフォス一人の願いに付き合わされているのではない。自分も同じものを望み、自分のために隣にいるのだと伝えたかった。
そうでなければ、エザフォスはまたラティオを守ろうとして、一人でどこかへ消えてしまう。
「だから、勝手にいなくなるな」
エザフォスは何も答えない。
「俺に悪いと思ってるなら、最後まで付き合えよ。途中で置いていかれるほうが、よっぽど迷惑だ」
「……お前は、後悔しないのか」
「するかもしれない」
ラティオは正直に答えた。
「これからもっと辛いことが起きて、全部投げ出したくなるかもしれない。それでも、今はお前と一緒にいるって決めてる」
エザフォスが、その言葉をどこまで信じたのかはわからない。利用しているという言葉が真実だと考えたのか。ラティオが自分を繋ぎ止めるために、あえてそう言っていると気づいたのか。何も言わないまま、エザフォスはラティオの手を見下ろした。腕を掴んでいる指を、一つずつ確かめるように見つめる。
「離すつもりはないのか」
「ないね」
「私が何を言っても?」
「無駄だよ。諦めろ」
しばらくして、エザフォスは小さく息を吐いた。
それから村へ向かって歩き始める。
「戻るのか?」
「お前は、まだあの村でやることがあるのだろう」
「あるよ。山ほどね」
「ならば、私も手伝う」
並んで歩きながら、ラティオは笑った。
その日から、エザフォスはラティオが傍にいることを拒まなくなった。自分の願いがラティオを苦しめることも、その苦しみごと引き受けようとしていることも、すべて受け入れたのかはわからない。
ただ、黙って姿を消すことは二度となかった。
***
「――だから、セラスも同じことを考えたんだろうね」
話し終えたラティオは、懐かしむように目を細めた。
「自分の願いに付き合わせることで、オニロを苦しめてるんじゃないか。自分から離れれば、オニロはもっと自由に生きられるんじゃないかって」
「似ているのね、あの親子」
「本当にね。セラスはリーリエ似かと思ってたけど、根っこの部分はエザフォスだった」
少し前まで心配そうにしていたラティオの顔に、柔らかな笑みが浮かぶ。
それから、困ったように頬を掻いた。
「あとは、俺の息子に覚悟を見せてもらわなきゃいけないんだけど」
「大丈夫よ」
ルビアは迷いなく言った。
「あの子だったら、ちゃんと活路を見出すと思うわ」
「ずいぶん信じてくれるんだね」
「話をしたからこそ、そう思えるのよ。オニロは、ちゃんと自分で考えて、隣にいることを選んでいる。それに、簡単に諦めるような子ではないでしょう?」
「……そうだね」
ラティオが静かに頷いた、そのときだった。
扉を叩く音が響く。
「ルビアさん! いるかい!」
切羽詰まった声に、二人は同時に顔を上げた。
ルビアが扉を開くと、街の女性が肩で息をしながら立っていた。
「騎士団に動きがあったよ。兵器を積んだ荷車を、今夜のうちに出すつもりらしい。街の入り口にも騎士が集まり始めてる」
「明日の夜ではなかったの?」
「予定を早めたみたいだ。荷物が揃ったら、すぐにでも出発するって」
ラティオが椅子から立ち上がる。
「ゆっくりしていられるのは、ここまでだな」
「ええ」
女性は、見知らぬ男がいることに気づき、警戒するようにラティオを見た。
「ルビアさん、その人は……?」
「敵ではないわ」
ルビアが答えるより先に、ラティオが女性の前へ進み出る。
「俺はラティオ。魔王エザフォスの右腕だ」
「魔王の、右腕……?」
女性が息を呑む。
その目が大きく見開かれ、ラティオの全身を確かめるように動いた。
恐怖を向けられることには慣れている。魔王の右腕と名乗れば、人間は怯え、あるいは憎しみを露わにする。それが当然だと思い、そうさせることも自分の役目だと受け入れてきた。
しかし、女性の瞳に浮かんだのは警戒だけではなかった。
「じゃあ、エザーレ村の人たちを助けてくれるのかい!?」
その反応に虚を突かれ、一瞬ラティオは息を呑んだ。
「あ、ああ……そのために戻る」
答えると、女性は安堵したように肩の力を抜いた。
「よかった……それなら、私たちにも手伝わせてくれ」
家の外には、知らせを聞いた街の者たちが集まり始めていた。
商人も、職人もいる。彼らは魔王の右腕だと知って驚きながらも、ラティオから離れようとはしなかった。
「何をすればいい?」
「兵器の数でも、騎士の動きでも、必要なら全部調べる」
「荷車を止めればいいのか? 壊すのは難しいが、出発を遅らせるくらいなら出来るぞ」
誰の目にも、不安はある。それでも、魔族だからという理由だけで背を向ける者はいなかった。
ラティオは集まった人々の顔を見つめる。
千五百年前、人間たちに恐怖を植えつけることから始まった魔王の支配。エザフォスは恐れられ、憎まれながらも、世界を護ることをやめなかった。
その思いが、ようやく伝わり始めているのかもしれない。
「……ありがとう。俺はこれからエザーレ村へ戻って、騎士団が予定を早めたことを伝える」
「こちらは、どうにかして時間を稼ぐわ」
ルビアの言葉に、街の者たちが頷く。
「任せてくれ。あんたたちが俺たちの街を助けてくれたんだ。今度は俺たちが助ける番だ」
人間と魔族。長いあいだ争い、互いを理解しようともせず、恐れと憎しみを重ねてきた。その関係が、今すぐすべて変わるわけではない。
それでも、長い時間をかけて紡いできた平和が、ようやく芽吹こうとしている。
「また会おう、ルビア」
「ええ。気をつけて」
空間が歪み、ラティオの姿が消える。あとには、柔らかな風だけが残った。
ルビアは街の者たちを振り返る。
「私たちも行きましょう。正面から戦う必要はないわ。荷車の車輪が壊れても、荷物の確認に時間がかかっても、出発は遅れる」
「なるほど。街中で一斉に問題が起きたら、騎士団も困るだろうな」
「ええ。出来ることは、いくらでもあるわ」
ニヤリと笑い、ルビアは家を出る。街の者たちも、そのあとに続いた。
エザーレ村へ向かう騎士団を、少しでも長くオゲーラへ留めるために。




