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【完結済み長編】魔王の娘、世界を統べる  作者: 木原梨花
第八章 暴走の果てに

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第55話 善意に護られた世界

 ルビアが差し出した腕へ、空を旋回していた鳥がゆっくりと降りてくる。

 羽を休めるように翼を畳んでいるが、重さはほとんど感じなかった。温度も鼓動もない。風と魔力によって形作られた、ラティオの鳥だ。

「私がわかる?」

 問いかけると、鳥は小さく首を傾けた。

「本人に伝えられるかしら。ルビアが呼んでいる、と」

 尋ねると、鳥は返事をするように一度だけ羽ばたいた。

 街の中では、今も騎士たちが目を光らせている。ルビアのことも監視すると言っていた。ここで鳥を連れて歩いているところを見られれば、またなんだかんだと絡まれてしまうかもしれない。

 ルビアは鳥を両腕で包むように隠し、騎士たちを避けて細い路地へ入った。

 大通りから細道には入り、街の外れへ向かって歩く。途中、遠くに騎士の姿が見えるたびに道を変えた。普段ならば何の苦労もなく振り切れる相手だが、今は騒ぎを起こしたくない。

 追跡されていないことを確かめてから、街外れにある自宅へ入る。扉と窓を閉ざし、ようやく鳥を腕から解放した。

「窮屈だったでしょう。ごめんなさいね」

 鳥は気にした様子もなく、机の上へ飛び移った。羽を震わせると、柔らかな風が室内を駆け抜ける。

 懐かしい気配が漂い、振り返る。その瞬間、何もなかった空間が歪み、その中心から一人の男が姿を現した。

「久しぶり、ルビア」

「……相変わらず唐突ね」

「驚かせた?」

「少しだけ」

 ラティオは悪びれた様子もなく笑う。彼が手を差し出すと、机の上にいた鳥が飛び立ち、その掌に触れた。次の瞬間には形を失い、一筋の風となって消えていく。

「この辺りの様子を探っていたら、君の声が聞こえたから。何かあったんだろう?」

 ルビアは頷き、ラティオを椅子へ促した。

 王都騎士団がオゲーラを物資輸送の中継地にしていること。街の職人や商人たちに命じて、結晶兵器の部品や食料を集めていること。既に大量の兵器がエザーレ村へ向けて運び出され、明日の夜には村を包囲する予定であること。

 そして、その先にある目的が魔王城への侵攻だということも。

 ルビアが話している間、ラティオは口を挟まなかった。時折、確認するように問いかけながら、輸送されている兵器の種類と数を聞き取っていく。

 話を終える頃には、その表情から笑みが消えていた。

「結晶を使った大砲が三門。小型砲を合わせれば七門か。随分と用意したね」

「精霊の結晶がはめ込まれた甲冑や小型武器もあるわ。街に届いている記録だけでその数だから、別の場所を通っているものもあるかもしれない」

「だろうね。恐らく、オゲーラだけを中継地にしているわけじゃない」

「魔王城の近くでは、何が起きているの?」

 ラティオは小さく息を吐き、椅子の背へ身体を預けた。

「王都騎士団が、エザーレ村を反乱軍に仕立て上げた。三日以内に魔王を討つか、魔王に協力する者を差し出せと要求してきたんだ」

「エザーレ村が反乱軍? あそこは魔王を信仰しているけれど、王都に攻め込んだわけでもないでしょう」

「そんなことは関係ないんだろうね。魔王に従っている。それだけで、王都に逆らう反乱者だ」

 ルビアは眉を寄せた。

「三日の猶予を与えたと言いながら、明日の夜には包囲するつもりなのね」

「騎士団の本隊は、もう村の近くまで来ている。最初から三日も待つ気はなかったんだよ。準備が整い次第、逃げ道を塞いで攻め込むつもりだ」

「どこまでも本気なのね……」

「ああ。あいつらは兵器だけじゃなくて、精霊を殺して結晶を手に入れる方法まで作り出した。これで無限に結晶を生み出せるようになって――精霊は、殺され続けることになる」

 オゲーラで精霊の結晶を使った機械が暴走したときの光景が、ルビアの脳裏に蘇る。

 苦しみ続ける火の精霊。制御を失った炎に呑み込まれていく街。あの惨事を引き起こした兵器を、王都の騎士団は更に大量に作ろうとしている。

 それほどの犠牲を払ってまで、魔王を討とうとしているのだ。

「本格的に、戦争を始めるつもりなのね」

「いや」

 ラティオは静かに首を横へ振った。

「もう始まってるよ」

 その言葉が、重く室内に落ちる。

 まだオゲーラでは戦いが起きていない。人々は普段と変わらないように働き、店を開き、家族と暮らしている。だが、その日常の裏側では物資が奪われ、兵器が作られ、運ばれている。人々が気づかないうちに戦いのための仕組みへ組み込まれ、魔王城へ進む軍を支えさせられていた。

 ルビアは騎士たちを欺いてくれた、街の人々の顔を思い浮かべる。

「オゲーラは、騎士団には味方しないわ」

「そうなの?」

「ええ。騎士団の命令には従うふりをする。でもそれは、何を集めているのか探るためよ。わかったことは、こちらへ伝えてくれる」

 意外だったのか、ラティオはわずかに目を見開いた。

「この街の人たちは、騎士団ではなく魔族を信じると決めたそうよ」

「……へえ」

「この街を救ったのは魔族だから。私だけではないわ。セラスとオニロが火の精霊の暴走を抑えてくれた。精霊も人間も、この街にいる者たちを皆、助けようとしてくれた」

 ルビアは窓の外へ目を向ける。

「騎士団は今まで、何もしてくれなかった。それなのに突然やってきて、魔王から守ってやると言いながら、食料も物資も取り上げようとしている。だったら、どちらを信じればいいのか。彼らなりに考えたのでしょうね」

 ラティオの口元に、かすかな笑みが浮かんだ。

「エザフォスが、ずっと誠実に生きてきたからだよ」

「エザフォスが?」

「人間に恐れられても、憎まれても、彼は魔王として世界を護ってきた。何をしたところで理解されないとわかっているのに、それでも投げ出さなかった。その生き方を見て育ったから、セラスも同じように世界を見ようとしてる。自分を拒絶した相手でも、苦しんでいるなら助けようとするんだ」

 ルビアも、火の精霊に呑み込まれそうになりながら戦うセラスの姿を覚えていた。

 セラスからすれば、この街は何の関係もない通りがかっただけの場所だ。助けを求められたわけでもなければ、感謝される保証もない。それでも、自分に出来ることがあるからと炎の中へ飛び込んだ。

 その姿を見た者たちは、もう魔族というだけで拒むことが出来なくなったのだろう。

 ラティオは喜んでいるように見えた。だが、その表情にはどこか、割り切れないものが滲んでいた。

「よいことなのでしょう?」

「そうだね。エザフォスやセラスがやってきたことが、ようやく人間にも伝わった。嬉しいと思うよ」

「思う?」

 曖昧な言葉をルビアが繰り返すと、ラティオは少し困ったように目を伏せた。

「この世界は、魔王の圧倒的な善意に護られてる」

 魔王が争いを抑え、人間の王たちが勝手に国を滅ぼすことを許さない。力を持つ者が、それを自分の欲のためではなく、世界を維持するために使い続けている。

 それは確かに、善意だった。

「でも、それはエザフォスが世界を護ろうと思っているから成り立っているんだ。もしも彼が考えを変えたら。人間を護る価値なんてないと判断したら。その力は、そのまま世界にとっての恐怖に変わる」

「エザフォスは、そんなことをしないわ」

「うん、俺たちはそうだって知ってる。けど、人間にはわからない」

 ラティオは自分の手を見つめた。何かを掴むように指を曲げ、それからゆっくりと開く。

「魔王は対話で人間たちを従わせたわけじゃない。逆らえないほどの力を見せて、争いをやめさせた。結果として世界は護られたけど、力による支配であることに変わりはないんだよ。だから、いつかあの力が自分たちに向けられるんじゃないかと恐れる者が現れる。そうなる前に、魔王を討たなければならないと考える者もね」

「騎士団の気持ちもわかる、と言いたいの?」

「まったく理解出来ないとは言えない。自分たちではどうすることも出来ないほど大きな力が、たった一人の善意に委ねられているんだから。怖くなるのは当然だ」

 それでも、と。

 ラティオは言葉を続けようとして、やめた。

 目を細め、どこか遠くを見つめる。その先にいるのは、進軍を始めた騎士団なのか。世界を護り続けてきたエザフォスなのか。ルビアにはわからなかった。

 ラティオは騎士団の恐れを理解している。だが、だからといって精霊を殺し、人々を巻き込み、エザフォスを討とうとする行いを受け入れられるわけではないのだろう。

 長い付き合いなのだ。簡単な言葉で片づけられるはずがない。

「そういえば」

 ルビアは、重くなった空気を変えるように口を開いた。

「セラスとオニロは元気?」

「うん。二人とも元気だよ」

「今も仲良くやっているのでしょう?」

 その問いに、ラティオはすぐには答えなかった。不自然な沈黙に、ルビアは彼の顔を覗き込む。

「何かあったの?」

「今、ちょっとうまくいってないんだよね」

「どうして? あんなに仲が良かったのに」

「仲が良いからだよ」

 ラティオは苦笑し、頬杖をついた。

「セラスはオニロを大事にしたい。だから、自分の戦いに巻き込むまいとして遠ざけてる。オニロは一緒にいたいのに、その気持ちをセラスに受け入れてもらえない。どっちも相手のことを考えてるのに、向いてる方向が違うんだ」

「放っておいて大丈夫なの?」

「大丈夫だと思うよ。自分たちで乗り越えなきゃいけないことだからね」

 そう答えながらも、その声には心配が滲んでいた。

「俺とエザフォスにも、昔、同じようなことがあった」

「あなたたちにも?」

「二人で世界征服を始めたばかりの頃だよ」

 今よりずっと若く、世界のことも、自分たちの力が何をもたらすのかも、まだ十分にはわかっていなかった頃。

 初めて、二人の力でひとつの争いを抑え込んだ。

 すべては、その直後に起きた。

 ラティオは遠い記憶を辿るように目を細めた。

「俺はあのとき初めて、エザフォスと一緒にはいられないかもしれないと思ったんだ」

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