第53話 圧倒的な力
雷鳴が轟く。
スッ、とエザフォスが手を空に向けると、一筋の雷が騎士と村人たちの間に落ちた。
大地が抉れ、土煙が上がる。悲鳴を上げた騎士たちが後退する中、煙の向こうから、一人の男がゆっくりと歩いてくる。
黒い髪。闇を纏うような衣装。
そして、周囲の空気を押し潰すほどの、強大な魔力。
「ま……魔王……!」
騎士の一人が声を震わせる。
エザフォスは騎士たちの前で足を止めた。
「この村に、手を出すな」
低い声が響く。
「魔王め……自ら姿を現したか!」
先頭に立つ騎士が剣を構える。しかし、その手は震えていた。
「エザーレ村が王都に反逆した証拠は揃っている! 貴様の娘と魔族を匿い、魔王軍の拠点として――」
「私が命じた」
「……何?」
「ローカ村の人間を受け入れることも、娘をこの村へ向かわせることも、全て私が命じた」
「パパ……?」
セラスは父の背中を見つめる。
エザフォスは、ローカ村の人々をエザーレ村へ移住させるよう命じてはいない。セラスがここへ来たのも、自分で決めたことだ。
だが、エザフォスは騎士たちを真っ直ぐに見据え、もう一度告げる。
「この村の者たちは、私の命令に従った」
「そっ……そのような言葉を、王都が信じると思うか!」
「信じる必要はない」
エザフォスが再び片手を天に向ける。瞬間、雷が騎士たちの背後をえぐった。これ以上ここに留まれば次は自分たちに落ちると警告するように。
「今すぐ立ち去れ。そして、貴様らの主に伝えろ」
低く、冷たい声。
「この地は、私の土地だ」
「くっ……!」
「次に武器を向けたときは、命があると思うな」
騎士たちは顔を見合わせる。ざわざわと相談し合い――剣を収め、馬首を返したのは、先頭に立っていた男だった。
「撤退する! このことは、必ず王都へ報告する!」
その言葉を合図に、騎士たちは次々に村を出ていく。
――蹄の音が遠ざかる。
けれど、村人たちの表情から恐怖が消えることはなかった。騎士団を退けたエザフォスへ向けられる視線には、畏怖と困惑が入り交じっている。
そんな村人たちに、エザフォスはゆっくりと振り返った。
「聞け」
村人たちの身体が強張る。
「この村は今より、私の支配下に置く」
「エザフォス様……?」
女将が呆然と名を呼んだ。
「王都が反乱軍と呼ぶのなら、そうすればいい。この村を狙う者は、私が排除する」
「で、でも……」
「従いたくない者は、村を出ろ」
冷たいほど、はっきりとした言葉だった。
「王都へ向かう者も止めない。私に与する意志がないのなら、今のうちに好きな場所へ逃げればいい」
村人たちは互いに顔を見合わせる。
「残る者は、私の命令に従え」
エザフォスはそれだけを告げ、村人たちに背を向けた。まるで、彼らの意思などどうでもいいとでも言うように。圧倒的な力で村を支配し、従わない者を追い出す魔王。何も知らない者が見れば、そうとしか思わないだろう。けれど、セラスにはわかっていた。
エザフォスは、村人たちを逃がそうとしている。
魔王を信じられなくなった者も、 王都と戦うことを恐れる者も、誰にも責められることなく、自分と家族の命を守るために逃げられるように。そして、王都に向かった人々が責められたときには、自分が強制したのだと言えるように。
――また、パパが全部背負うんだ。
自分だけが憎まれる道を、当たり前のように選ぶ。きっと、これが魔王なのだ。
エザフォスが千年もの間、何度も繰り返してきたこと。そしていつかは、セラスもその背中を、受け継ぐ。
怖くないわけではない。 逃げ出したくないわけでもない。
それでもセラスは、父の背中から目を逸らさなかった。
***
エザーレ村の裏手には、深い森が広がっている。ラティオは村から森へ続く道を辿りながら、風の精霊を呼び寄せ、守護の魔術をかけ続けていた。
「この先を北西に進めば、騎士団が使う街道から外れられる。途中で道を二つに分ければ、一度に見つかる可能性も下がるか……」
村人たちが逃げることを選んだ場合、騎士団の進軍方向とは反対へ向かわなければならない。だが、女子どもや老人を連れて、道のない森を進むことは難しい。地面の凹凸や崩れやすい場所を確認し、避難に使える道を確保しておく必要があった。これは、そのための準備だ。と――
「ラティオ」
背後から呼ばれ、振り返る。
森の中を歩いてきたのは、トゥルマリナだった。
「君まで来たの?」
「城で大人しく待っていろとでも言うつもり?」
「まさか。来ると思ってたよ」
ラティオが苦笑すると、トゥルマリナはその隣まで歩いてくる。
「避難路を探しているのね」
「うん。戦いたくない人まで巻き込むわけにはいかないからね」
「防衛線は?」
「これから確認するつもりだった」
「なら、私が見るわ。騎士団が大軍で来るなら、正面の街道だけを警戒しても意味がないでしょう。森を回り込んで村の横や後ろから入ってくる可能性もある」
トゥルマリナは地面へ片手を触れた。淡い光が土の中へと広がっていく。地の精霊たちが、彼女の呼びかけに応じて動き始める。木々の根や岩の位置、地面の傾斜が、魔力を通して伝えられているのだろう。
しばらく瞳を閉ざして意識を集中させていた彼女は、やがてふと、目を開けた。
「この先に、少し開けた場所があるわ」
「避難路に使えそう?」
「使えそうよ。ただし、その更に先は崖になっている。子どもや老人を通すなら、地面を固めておいたほうがいいわね」
「助かるよ」
「あなたは道を確保して。私は騎士団が入り込めそうな場所を塞ぐ」
「火は使うなよ。避難する人がいる森を焼いたら意味がないからね」
「わかってるわよ」
トゥルマリナは呆れたようにラティオを睨む。だがすぐに、その表情を険しくした。
「本当に、猶予は三日あると思う?」
「……ないだろうね」
ラティオは風の流れる方向へ顔を向ける。
「先発隊の到着が早すぎた。布告を届けるためだけに王都から来たのなら、俺たちより先に着けるはずがない」
「既に近くまで来ていたということ?」
「恐らくね」
「なら、急がないと」
「うん」
ラティオは再び、森の奥へ視線を向ける。
「三日以内に、じゃない。騎士団はもう、戦争を始めてる」
***
街道を進む騎士団を、オニロは遠く離れた丘の上から見下ろしていた。
数え切れないほどの人間の姿が確認できる。甲冑を纏った騎士たちだけではない。食料や武器を運ぶ荷馬車が、街道を埋め尽くすように連なっている。その中には、巨大な布を被せられた荷台もあった。形までは確認できない。けれど、そこから漂う不快な気配には覚えがある。
精霊の結晶だ。
「……やっぱり、もうここまで来てたのか」
オニロは地図を開く。
王都からエザーレ村までは、人間の足なら二十日はかかる。大軍で進むとなれば、更に時間が必要になるはずだ。だが、騎士団の先発隊は既にエザーレ村へ到着している。そして本隊も、村まで数日とかからない場所まで迫っていた。
その理由は、ラティオが見せた絵の中にあった。
精霊を殺す機械。その実験が行われていた森。
絵に映っていた地形と、わずかに見えていた街道。その位置を地図と照らし合わせると、実験場所は王都の近郊ではなく、王都の支配領域の北西――エザーレ村に近い森だった。
騎士団は、初めからこの近くにいたのだ。
精霊を殺す実験を終え、そのままエザーレ村への侵攻準備を始めた。先ほど村に現れた騎士たちは、彼らと共に森まで来ていた者たちなのだろう。
「三日待つ、とか言ってたっぽいけど……」
風の精霊に力を借りて使った魔術は、エザーレ村での話をオニロにも届けていた。ラティオのようにその様子を絵に描くまでは出来ないけれど、声を聞く魔術だったら、恐らくラティオよりもオニロのほうが得意だった。そうやって、情報を集める。集めた情報を、どのように使うか考える。それがオニロが見つけ出した、自分の戦い方だ。
オニロは街道を進む軍勢へ目を凝らす。風の精霊に頼み、騎士たちの話し声を運んでもらう。
『――明日の夜までには、予定地点へ到着する』
『先遣隊から報告が届き次第、包囲を開始するそうだ』
『反逆者が逃げ出す前に、全ての道を塞げと――』
風に乗って届いた声に、オニロは息を呑む。やはり三日という期限は口ばかりだ。準備が整えばすぐにでも進軍するつもりでいるのだろう。
「……急がないと」
オニロは地図を畳んだ。明日の夜には、騎士団がエザーレ村を囲む。それまでに、この情報を伝えなければならない。
風の精霊へ呼びかけ、全身に魔力を纏う。空間転移はできない。それでも、移動速度を上げることくらいは、今の自分にも出来るのだ。
「よし……いくぞ!」
次の瞬間、オニロは激しい風と共に丘を駆け下りた。




