第51話 消える精霊たち
時間は一日前に遡る――
魔王城の屋上で、セラスは背筋が凍り付くのを感じていた。
――何かに、怯える気配がする。
魔王城が建つのは、闇の精霊が守護する土地だ。地、水、火、風の精霊たちは活性化することなく、闇の精霊たちに包まれて静かに眠っている。
そのはずだった。
けれど今、彼らの気配は激しく揺らいでいる。
風の精霊は落ち着きを失い、地の精霊たちは地中深くに潜ろうとしていた。水や火の精霊も、どこかへ逃げようとするように動き回っている。
そして。
「……少ない」
セラスは思わず呟いた。
つい先ほどまで感じていた気配が、ひとつ、またひとつと消えていく。
それはまるで――
「死んでる、みたい……」
「セラス」
背後から声をかけられ、セラスは肩を跳ねさせた。おそるおそる振り返ると、 屋上の入り口にオニロが立っていた。
「何かあったのか?」
「……精霊が」
答えようとして、言葉に詰まる。オニロの顔を、うまく見ることができなかった。昨日、自分から言ったのだ。そばにいようとしないで、と。独りになりたい、と。
――今までと同じように話しかけてはいけない気がする。
「精霊が、どうした?」
「……別に」
「別にって、お前――」
「ラティオに話すから」
オニロの言葉を遮り、セラスは顔を逸らした。
「オニロには、関係ないよ」
「関係ないわけないだろ」
「だって、もう私のそばにいなくていいんだから」
「それはお前が勝手に――」
声が大きくなりかけて、止まる。
沈黙が落ちた。
いつもなら、どれだけ喧嘩をしても気まずくなることはなかった。セラスが怒鳴ればオニロも怒鳴り返して、言いたいことを全部ぶつけ合って、気づけばいつも通りに戻っていた。
けれど今は、それができない。オニロに怒鳴られたら、離れたくないと言われたら、きっとその言葉に縋ってしまう。
だからセラスは、俯いたまま両手を強く握った。
「……精霊が、怖がってるの」
それだけを、どうにか告げる。
「気配もどんどん弱くなってる。さっきまでいたはずなのに、急に消えた精霊もいる」
「消えた?」
「うん。何かから逃げようとしてるみたいで――」
「それは本当?」
別の声が割って入る。顔を上げると、いつの間にかラティオが屋上へ出てきていた。険しい表情で周囲を見回し、宙に向かって手を伸ばしている。風の精霊に、語りかけるように。
「……確かに、妙だな」
「ラティオにもわかる?」
「風の精霊が何かを伝えようとしてる。遠くで、仲間が次々に消えてるって」
「仲間が……」
セラスの胸がざわつく。
「自然にいなくなってるわけじゃないの?」
「そんなはずないよ。精霊は土地との相性が悪ければ移動することはあるけど、こんな風に急激に消えたりしない。つまり――」
ラティオは風の精霊へ意識を集中させるように目を閉じた。激しい風が巻き起こる。黒く淀んだ空気の中から、小さな鳥の形をした光が生まれた。風の魔力で作られた調査用の鳥だ。
ひとつ、ふたつ、みっつ――次々に生み出された鳥たちは、魔王城の上空を一度旋回すると、四方へ向かって飛んでいく。
「王都の周辺に向かわせた。精霊の気配が弱くなってる方向を辿らせる」
「私も行く」
「今から向かったところで、場所がわからないだろ。それに、何が起きてるのかもわからない。まずは調べる」
「でも、その間にも精霊が――」
「わかってるよ」
ラティオは静かに告げる。
「それでも、少し待つんだ」
セラスは唇を噛んだ。何もできないまま待つのは怖い。今も、どこかで精霊が消えている。それでも、場所さえわからないのでは動きようがない。
――自分はなんて、無力なんだろう。
「……わかった」
セラスは小さく頷いて、隣を見る。
オニロは何も言わず、ラティオの放った鳥が消えた空を見つめていた。
***
ラティオが応接間に全員を集めたのは、それからしばらくしてからのことだった。
エザフォスとトゥルマリナが並んで座り、その向かいにセラスとオニロが座っている。
「精霊が消えている原因がわかった」
ラティオは机の上に一枚の紙を広げた。
風の魔力によって、調査用の鳥が見た光景が描き出されている。森の中に立つ、二人の人間。そして、地面に置かれた見慣れない機械、それから、人間の足元に転がる精霊の結晶たち――
「王都騎士団が、機械を使って精霊を殺してる」
「……精霊を?」
トゥルマリナの表情が強張る。
「どうして人間が精霊の存在を知ってるのよ。あいつらには姿も見えないし、気配も感じられないはずでしょう?」
「それが、あいつら何人か魔族を捕まえているらしいんだ。いくら魔術が使えたって、不意打ちで気を失わされたらどうにもならないし、王都に連れて行かれたら精霊がいないから、普通の魔族なら魔術が使えない」
ラティオの言葉に、エザフォスは不快そうに眉を寄せた。
「……尋問したか」
「だろうね。ただ、どのあたりに、何人が捕らえられたのかまでは探れなかった。……王都には本当にもう、全く精霊の気配がないから」
精霊の結晶を動力にした機械が、街中のあちらこちらにあるという。そのせいで、今の王都からは精霊が姿を消してしまっている。そうなれば、エザフォスのように圧倒的な力を持っていたり、ラティオのように風の精霊を呼び寄せることが出来たりしない限りは、魔族であっても魔術を使うことが出来ない。
だから魔族が捕らえられているのだとしたら、彼らはただの人間と同じ。逃げることも出来ずに尋問されて――精霊の結晶がどのように作られるのか、口にしてしまったのかもしれない。
「……助けに行けないの?」
セラスは尋ねる。しかし、ラティオは首を横に振った。
「そうできればいいけど、たぶん、そこまでしている時間がないんだ。今は、騎士団が精霊を殺して何をしようとしてるのかを考えないと」
ラティオの言葉に、エザフォスが机の上の絵へ目を向ける。
「……結晶か」
トゥルマリナもまた、声を曇らせた。
「精霊を殺せば、結晶を手に入れられると知ったのね」
「うん。これまでは偶然見つかったものを使ってたけど、これからは違う。あいつらは結晶を手に入れる方法を知って、実際に精霊を殺す機械まで作ってしまったんだ。こいつら――」
ラティオが紙の上に指を置く。調査用の鳥が見た二人の男をその指が指し示す。
「騎士団の、恐らくそれなりに立場のある連中だ。ローカ村で見た甲冑にはなかった紋章や装飾がついてるから、騎士団長クラスだと思う。そういうやつらが動いて、結晶を手に入れている……セラスが感じたのも、この機械で精霊が殺された気配だよ」
「このままでは、王都の周辺から精霊が消えるわ」
トゥルマリナが呟く。
「それだけじゃない。王都が大量の結晶を手に入れたら、あの兵器をいくらでも作れるようになる」
「王都が、動くのか?」
エザフォスの問いかけに、ラティオは頷いた。
「既に動き始めてる。騎士団が大量の武器と食料を集めてるのを確認した。恐らく、次に狙われるのは――エザーレ村だ」
「エザーレ村!?」
セラスはハッとして身を乗り出す。
「どうして!? どうしてエザーレ村なの?」
「魔王信仰の総本山だからだよ。それに、ローカ村から逃げ出した人たちもいる。王都からすれば、魔王に味方する反逆者が集まっている場所、ってことになる。しかも魔王城から最も近い場所だからね。あいつらの目的が魔王なら、拠点にするのはあの村だ」
「そんな……」
セラスの頭に、村で出会った人々の顔が浮かぶ。
魔王祭で盛り上がっていた村。魔王を恐れるのではなく、守護者として信じてくれていた人たち。それから、ローカ村から避難してきている人達――ミリー。
「……私が行く」
低い声が響く。エザフォスが立ち上がっていた。
「今すぐ、エザーレ村へ向かう」
「待て、エザフォス。お前がいきなり村に姿を現したら、かえって人間たちを混乱させる」
「だが――」
「先に俺が事情を説明するよ。騎士団の侵攻が始まったら、お前の力が必要になる。それまでは城で待機してくれ」
エザフォスは決して納得してはいなかったが、
「……わかった」
そう呟き、俯く。本当ならば、エザフォスは今すぐにでも動きたいのだろう。それでも、迂闊に魔王が動くわけにいかないことは、セラスにだってわかる。
だからこそ、代わりにセラスが立ち上がった。
「私が行くよ。行って、ミリーたちに話す。私ならミリーたちと会ったことあるし、エザーレ村のおばさんたちも知ってるもん。たぶん、話しやすいと思う」
「そうだね。魔王の娘の話なら信憑性も高いだろうし」
「だったら俺も――」
「オニロは来ないで」
立ち上がろうとしたオニロを、セラスが制する。
「は?」
「……これは、いつか魔王になる私がやるべきことだから」
「だけど、俺だって村の人たちのことは知ってるし――」
「それでも、来ないで」
「セラス」
「……言ったでしょ。ちゃんと、自分のために生きてって」
オニロの顔が歪む。何かを言おうと口を開き、言葉を探し――けれど、結局口を閉ざしてしまった。
「……わかった」
それだけを告げ、オニロは席を立つ。応接間を出ていく背中を、セラスは見送った。
追いかけたくなった。今のは違うと、本当は一緒に来てほしいのだと伝えたくなった。
けれど、拳を握りしめて堪える。
扉が閉ざされる。
その音が、やけに大きく響いた。
***
自室に戻ったオニロは、机の上に地図を広げた。王都からエザーレ村へは、人間の足で移動すれば二十日はかかるだろう。恐らく彼らはそれなりの人数で進軍してくるはずだ。それに、兵器だって大量に抱え込んで、兵糧も積み込んでくるに違いない。その大軍が移動出来る道を、オニロは考える。
「……あいつが何を考えてたって、俺が黙ってる理由にはならないだろ」
誰に言うでもなく呟く。
セラスが自分を遠ざけようとする理由はわかっている。セラスはラティオが書いた手記を読んで、余計なことを考えているのだ。だからこそ、彼女が魔王になるということについて、きちんと話をしたいというのに――どうやらその時間は、この混乱の中で作ることはできなそうだ。
だからといって、言われた通りに城で待っているつもりはなかった。
セラスのそばにいられないのなら、違う場所で彼女のために動けばいい。いつか、本音をぶつけ合える日がきたら、そのときに全部話せばいい。
そのときまでは、勝手にやらせてもらうつもりだ。今更もう、遠慮するつもりはないのだから。
「……待てよ、ここは――」
地図をなぞっていたオニロは、ふととある街で指を止める。そういえばさっき、父が見せてくれた絵の中に――
もしかしたら、と予測を立てて、オニロは地図を畳む。そうして必要な荷物を手に取った。
***
――そうしてラティオと共にエザーレ村にやってきたセラスは告げたのだ。王都の騎士団たちがこの村に向かってきている、と。そして、その理由は――
「この村が、魔王を信じているからだよ」
セラスの言葉に、宿屋の中は静まり返った。
ミリーも、女将も、食堂に集まった村人たちも、何も言わない。そこにはエザーレ村で暮らしてきた者だけではなく、ローカ村から避難してきた人々もいた。ローカ村を失い、ようやく新しい暮らしを始めたばかりの人たちだ。その全ての人たちが、簡単にはその事実を飲み込めなかったのだろう。
「それ……」
沈黙の中、一人の男が口を開いた。
「何かの間違いじゃないのか?」
「間違い?」
「だって、王都の騎士団だぞ。人間を守るためにいる騎士団が、何もしていない村を攻撃するわけがないだろう」
「そうだよ」
別の女性も同意する。
「ローカ村のことだって、きっと事故だったんだ。機械の使い方を間違えたとか、何か事情があったんじゃないの?」
「でも、私たちは殺されかけたんだよ!」
ミリーが声を張る。
「あの機械は、村の人がいるってわかってるのに攻撃してきた! セラスたちが助けてくれなかったら、みんな死んでた!」
「それでも、王都がそんな命令を出したとは限らないだろう。兵士が勝手にやったことかもしれない」
「だったら、どうして騎士団がこの村を攻める準備をしてるの!?」
「だから、それが間違いかもしれないって言ってるんだ!」
ひとりが否定すると、雪崩のように言葉が降り注いでくる。違う、そんなはずがない、同じ人間なのに――
それはセラスだって思ったことだった。どうして人間同士で争う必要があるのだろう。けれど、ずっと昔――エザフォスが魔王になる前には、争いあっていたのだ。人間も魔族も関係なく、自分が生きる場所を手に入れようとして。
そして今は、魔王を倒そうとして――そのために、魔王の味方を潰そうとしている。
「みんな、落ち着いて」
混乱する場を抑えてくれたのは、ラティオだった。
「今すぐ信じろとは言わないよ。ただ、何かあったときに逃げられるように準備だけはしてほしい。食料と水を持って、すぐ動けるように――」
そのときだった。宿屋の外から、馬の蹄が地面を叩く音が聞こえてくる。
「王都騎士団より、エザーレ村の住民へ布告する!」
男の声が響き渡る。
村人たちは顔を見合わせ、一斉に宿屋の外へ向かった。
セラスとラティオも、その後を追う。
村の中央に、騎士団の紋章を掲げた兵士たちが並んでいた。人数は決して多くはない。二十人程度だろうか。全員が立派な馬に乗り、甲冑を身につけている。
「嘘だろう、早すぎる」
ラティオが愕然としたように呟いた。
騎士団の先頭に立つ男が、手にした文書を広げる。
「エザーレ村は魔王を崇拝し、王都に反逆したローカ村の住民を不当に匿い、魔王軍の拠点として騎士団への攻撃を準備していることが確認された!」
「そんな……!」
ミリーが声を上げる。だが兵士は構わず、布告を読み続けた。
「よって王都は、エザーレ村を反乱軍の居留地と認定する! 住民は三日以内に魔王への信仰を捨て、ローカ村から逃亡した反逆者を騎士団へ引き渡せ!」
「待ってくれ! 俺たちは反逆者なんかじゃない!」
「反乱軍だなんて、そんなことは――」
村人たちが叫ぶ。だが兵士は顔色ひとつ変えずに続ける。
「期限までに命令に従わなかった場合――」
ガシャン、と、騎士たちが剣を抜き、村人たちに突きつけた。
「王都への反逆の意志ありとみなし、騎士団は武力をもってエザーレ村を制圧する!」




