第50話 精霊狩り
冷たい手枷が、ジョリーの両手首に食い込んでいる。
水の都シムラクルムで捕らえられてから、どれほどの時間が経ったのかはわからない。窓のない石造りの牢に陽の光は入らず、食事も不規則に運ばれてくる。今が朝なのか夜なのかすら、もうわからなくなっていた。
ただ、尋問が始まってから、かなりの時間が経ったことだけはわかる。
「もう一度聞く」
騎士団の制服を纏った男――ダスク・ノーヴァが、冷たい声で告げる。
「結晶とは何だ?」
「……知ら、ない」
声を絞り出す。喉が焼けるように痛んだ。
ダスクの隣には、よく似た顔をした長髪の男が立っている。弟のタルデだ。シムラクルムで捕縛されたときから、興味深そうにジョリーを観察していた男。
その手には、小さな結晶が握られている。
「おかしいですねえ。あなたは魔王の娘と接触したあと、結晶動力式の機械について独自に調べていた。何も知らない人間をうまく言いくるめて機械を手に入れ、結晶についても調べていたのでしょう? その程度、騎士団の手に掛かれば簡単に掴める情報なのですよ。とすれば――あなたは、この結晶の存在を知っている。違いますか?」
――言われて、思い出す。確かにそうだ。ジョリーはシムラクルムにいつの間にか広がっていた機械のことを調べていた。ちょうどセラスが結界を修復してくれて、蜃気楼が回復した後からだ。機械があっては精霊はまたいなくなってしまうかもしれない。だから調べて、わかったのだ。精霊が嫌ったのは、精霊の結晶が機械に使われていたことだった、と。
「……僕は、ただ……」
「ただ?」
「街を、護りたくて……」
リーリエの加護で守られてきて、セラスがそれを継いでくれた。そんな水の精霊の守護する地域をジョリーは失いたくなかった。たとえ村で暮らせなくても、自分にとっては大事な故郷なのだ。
だが。
「街を護りたくて、人間を排除するために機械について探っていたということか?」
「ち、違う!」
ダスクの言葉を咄嗟に否定する。それは本音だ。人間に害を加えるつもりなど全くない。
だがダスクもタルデも、ジョリーの言葉などまるで聞いていない。
「貴様が何を言おうが、結晶を手に街を脱出しようとしていた事実は変わらない」
「だって、これ以上機械の動力にされるのは困るから!」
「なぜ困る?」
「そ、れは……」
「結晶とは、何だ?」
再び同じ質問に戻る。この堂々巡りが一体何度続いたか。昼も夜もわからないまま、こんなことが繰り返されているのだ。
……もう、頭がおかしくなる。
「あなたが持ち出した結晶は、王都により大切に保管されてきた貴重なものなのですよ。それを盗み出すなど、重罪だと思いませんかねぇ?」
「な、なんでそうなるんだよ! だって、結晶は――」
「結晶は?」
「……」
「……また沈黙ですか」
やれやれと、タルデが肩をすくめた。それでも、口を割ってはいけない気がする――それは直感でしかなかった。しかし、こんなやり方で情報を聞き出そうとする王都の人間が何を企んでいるのかなど、考えるまでもなくわかる。
彼らは、魔族を絶滅させる気だ。きっと、そうだ。
「……困ったものですね。君が黙っているのなら、別の魔族に質問するしかありません」
「……え?」
「シムラクルムの付近に、魔族の村があるでしょう? 名は確か……そう、ジュピア村」
「……――ッ!」
ジョリーは息をのむ。なぜ人間がその名前を知っているのだろう。ジュピア村は魔族のみが住む村。人間が迷い込んだことなどなく、結界のおかげで外から感知することもできないはずなのに。
タルデはこれみよがしに結晶を手にし、気色の悪い動きで撫で回している。まさか、と、ジョリーは息をのんだ。結晶が――精霊の死の塊が、魔族の気配に惹かれ、人間に存在を示してしまったのだろうか。
「あまり、人間を舐めない方がいいですよ。あなた方が油断している間に、我々は進化しているのですから」
タルデが精霊の結晶を握りつぶそうとする。
「やめろ!」
思わず声を張り上げた瞬間、ダスクの手が伸びてくる。
手枷から伸びる鎖を強く引かれ、両腕が持ち上がった。傷ついた手首に金属が食い込み、全身に激痛が走る。
「――ッ!」
「結晶の正体を答えろ」
「知ら、ない……」
「精霊の結晶とは何だ?」
「知らない!」
「どのように作られる?」
「だから――!」
再び鎖が引かれる。鎖が腕に食い込み、ジョリーは痛みに悲鳴を上げた。
魔力があれば、こんなものは簡単に壊せるのに。
水の精霊がいれば、助けてもらえるのに。
けれど、ここにはいない。呼びかけても、何も返ってこない。
「……」
まるで射殺すようなダスクの視線に、心臓が、痛む。
ジョリーは奥歯を強く噛みしめた。痛みと恐怖で、頭の中がぐちゃぐちゃになって、視界が滲んで、呼吸も浅くなって、意識が遠ざかって――
「あれは……作るものじゃ、ない……」
気づけば、声が漏れていた。
「ほう」
タルデの目が、爛々と輝く。
「では、自然に発生するものなのですか?」
「違う……そうじゃなくて……」
「何が違う?」
「あれは……精霊が……」
言ってはいけない。
そう思ったのに、止まらなかった。
――もう、ここから、逃げ出したかった。
「――精霊が、死んだときに残るものだから……」
静寂が満ちる。
タルデは目を見開いたまま、手の中の結晶を見つめている。
「死んだときに、残る……」
確かめるように呟いてから、その口元がゆっくりと持ち上がった。
「つまり、精霊を殺せば、結晶を作ることができるかもしれない」
「ッ!」
ジョリーは咄嗟に顔を上げる。
「やめろ! 精霊は、ただそこにいるだけだ! 自然を護ってくれてる! 精霊がいなくなれば魔術も使えないし、自然も破壊されて暮らせなくなる! だから――」
「質問は終わりです」
ダスクはジョリーを放り投げるように手放した。
タルデは興味を失ったように背を向ける。
「有益な情報をありがとうございました」
「待って! 頼むから……!」
叫んでも、二人は振り返らなかった。
重い扉が閉ざされる。
その音を聞きながら、ジョリーは力なく俯いた。
「……ごめんなさい」
その声に応える精霊は、どこにもいなかった。
***
「精霊、か」
騎士団長室で報告を聞き終えたルーナは、机の上に置かれた結晶を見つめた。
「はい。魔族に魔力を与え、魔術を行使させている存在です」
タルデは淀みなく答える。
「正確には、魔族の中に宿る力そのものではなく、魔族が持つ魔力に応じて力を貸す存在、と定義するのが適切でしょう。人間には姿も見えず、声も聞こえない。しかし、自然界の至るところに存在している。そして命を失った際、結晶を残すもの……これまでに何人かの魔族に尋問した結果、この定義で間違いないようですね」
「実際、王都は自然がほとんどなく、魔族の生息も確認されていません。時々侵入はしているようですが、魔術が使えないためすぐに脱出するのかと」
「捉えた魔族たちも、一人も魔術を使いませんでしたからね。王都には精霊がおらず、精霊がいないと魔術が使えない魔族たちは無力化する、ということでしょう」
「なるほど」
ルーナは顔を上げる。
「精霊の居場所を探し出す方法を確立しろ。目に見えないというのなら、機械で探知できるようにすればいい」
「そうおっしゃると思いまして」
タルデは持っていた鞄を机の上に置いた。
中から取り出したのは、両手で抱えられるほどの大きさの箱だった。側面には小さな結晶が埋め込まれ、その上を細い針が動く目盛りが取りつけられている。
「試作版は、既に完成しております」
「……仕事が早いな」
「兄と違って、先回りするのが得意なもので」
タルデが横目を向けると、ダスクはわずかに眉間へ皺を寄せた。
「それで、どこを探すつもりだ?」
「精霊は、自然のある場所に多く存在する……ならばまずは王都近郊の森で実験するのがよいかと」
「では、すぐに向かえ」
ルーナは立ち上がり、二人を真っ直ぐに見据えた。
「精霊の結晶を安定して手に入れることができれば、我々は魔族に対抗する力を得られる。魔王を討ち、世界をその支配から解放するために必要な力だ」
「承知いたしました」
ダスクが深く頭を下げる。
その隣で、タルデは嬉しそうに探知機を抱え直した。
***
王都の北側に広がる森は、騎士団の狩猟場として管理されている。
人の手はそれほど入っておらず、木々は高く伸び、足元には草花が生い茂っていた。
「この辺りで試しましょう」
タルデは探知機を地面に置き、側面に埋め込まれた結晶へと手を伸ばす。
「この結晶は、周囲にある同質の力に反応します。精霊と結晶が元は同じものだという仮説が正しければ――」
装置のスイッチを入れる。
低い音を立てて、針が動き始めた。
「反応は?」
「ありますね。それも、かなり強い」
タルデは目盛りを確認しながら、出力を上げていく。
甲高い音が森の中に響いた。
木々が揺れる。風は吹いていない。だというのに葉が擦れ合い、森全体がざわめき始める。
だが、二人には何も見えない。
助けを求めて飛び交う精霊の姿も、探知機から放たれる力に捕らえられ、逃げようともがく姿も。
「もう少し出力を上げます」
タルデが目盛りを最大まで回す。その瞬間、激しい光が森の中に広がった。
ダスクは咄嗟に腕で目元を覆う。数秒後、光が収まったのを確認して、ゆっくりと腕を下ろした。
「今のは……」
「成功、ですかねえ」
タルデの足元に、小さな結晶が落ちていた。透き通った緑色の結晶だ。拾い上げると、内側で淡い光が明滅している。
「何もない空間から、結晶が現れた……」
「ええ。どうやらあの魔族の証言は正しかったようです」
タルデは結晶を光に透かし、満足そうに笑う。
「これなら、森をぐるりと回るだけでも相当な量を確保できるでしょう。探知機の出力と範囲を拡大すれば、より効率よく収集できるはずです」
「そうか」
ダスクは深く息を吐く。
「これで、魔族の力に怯える必要がなくなる」
「魔王討伐にも、大きく近づきましたねえ」
「ああ」
二人が言葉を交わす間にも、森から音が消えていく。けれど二人は、その静けさを気に留めなかった。
ダスクは森の外――北西の方角へと目を向ける。
「次は、エザーレ村だ」
「魔王信仰の総本山、でしたか」
「あの村には、ローカ村から逃げ出した反逆者たちもいる。だが、それだけでは騎士団を大規模に動かす理由として弱い」
ダスクはタルデに向き直る。
「エザーレ村を攻める口実を作れ」
タルデは一瞬目を丸くしてから、ゆっくりと口角を上げた。
「承知しました、兄さん」
***
「セラス!」
エザーレ村の宿屋に入った途端、ミリーが駆け寄ってきた。手には料理を運んでいたらしい盆を持っている。その上でいくつかの空になった皿がカタカタと揺れていた。
「本当にセラスだ! 久しぶり!」
「ミリー……」
「どうしたの? 急に来るなんて。オニロは一緒じゃないの?」
名前を聞いた瞬間、胸の奥がズキリと痛む。
「……今日は、ちょっとね」
「そうなんだ?」
「うん」
それ以上は、うまく話せなかった。
ミリーは不思議そうに首をかしげたが、すぐにセラスの後ろへ目を向ける。
「ラティオさんも、久しぶりです」
「久しぶり。突然押しかけて悪いね」
「いえ。ちょうどお客さんも少なくなってきたところなので。二人とも、何か食べますか?」
「いや、その前に、村の人たちを集めてもらえるかな」
ラティオはいつもと変わらない穏やかな口調だった。けれど、声に滲む硬さに気づいたのだろう。ミリーの表情から笑みが消える。
「何か、あったんですか?」
セラスは手を強く握った。
これから伝えなければならない現実を、信じて貰えるかどうか――その恐怖に、身体が震える。
それでも。
セラスはひとつ息をついて、口を開く。
「王都の騎士団が、動いてるの」
「騎士団が?」
「武器とか食料とか、たくさん用意してる。ラティオが調べて……それが、この村を攻めるための準備だってわかった」
「……この村を?」
ミリーが呆然と呟いた。話を聞いていた女将や、食堂に残っていた村人たちも、動きを止めている。
「どうして……?」
震える声で、ミリーは尋ねる。
「私たち、何もしてないよ。王都に攻め込んだこともないし、騎士団に何かしたわけでもない。それなのに、どうしてこの村が攻撃されるの?」
「それは――」
喉の奥に、何かが引っかかる。それでも伝えなければならない。セラスはミリーの目を真っ直ぐに見つめた。
「この村が、魔王を信じているからだよ」
それは、セラス自身の存在が危険なのだと、告げるような言葉だった。




