第49話 手を汚す決意
――本当は、もっと早くに立ち去るべきだった。
ただ、オニロと話をしたかっただけなのだ。彼は、巻き込まれたことについてどう思っているのか。魔王の娘の右腕として生きることを、受け入れられているのか。本当は、嫌なんじゃないか。
ラティオが残した手記を読んでいたら、そんな予感が胸をよぎった。だいたい、エザフォスだって望んで魔王になったわけではないのだ。オニロだって、生まれたときからそう決められていたからというだけで、世界を背負うような役目を押しつけられて嬉しいわけがない。
だから、怖くなった。怖くなって、本当はどう思っているの、と、オニロに聞きたくなった。だからオニロの部屋に来て――聞いてしまったのだ。
「魔王の右腕って、背負わずに済むんなら、そんなもの、ならないほうがいいに決まってるよな」
トゥルマリナの声も聞こえたから、二人で話しているのはわかっていた。だから本当は立ち聞きするなんてよくない、と、引き返すつもりでいたのだ。
でも。
――聞こえてしまった。
どうしたらいいのかわからなくなって、そのまま立ち去るつもりだったのに、足がもつれてドアにぶつかった。その瞬間に扉が開いて。
「セラス、お前、いつから――」
奥歯を噛んで、吐き出してしまいそうな感情をぐっと飲み込んで、セラスは、笑った。
「やっぱり、そう、だよね」
笑えていたかはわからないけれど。
「世界なんて……背負いたくないって、思うんだよね」
「セラス、それは――」
オニロの手が伸びてくる。しかし、それをセラスはすり抜けて、走った。
今は、オニロとは話せない。
話すだけの余裕がない。
彼を気遣う余裕がない。
今、オニロと話したら、縋り付きたくなってしまう。離れて行かないで、私と一緒に世界を統べる魔王になって、と。
でも、ダメだ。
オニロにだって、選ぶ権利はあるのだから。
魔王の右腕なんて、面倒な役目じゃなくて、もっと、別の――
バタン、と激しく扉を閉める。同時に鍵をかけ、セラスは部屋に閉じこもった。
「おい、セラス!」
すぐにオニロは追いついてきたが、セラスは扉を固く閉ざしたまま、声を張る。
「入って来ないで!」
「お前、さっきの話どこから聞いてた?」
「別に、どこからでもいいでしょ!」
「魔王の右腕にならないほうがいいって言ったのを聞いてたなら、誤解だからな!」
縋り付くように、声が聞こえる。
「確かにならずに済むならそのほうがいいとは思ってるよ。けど、それはお前が魔王になるっていうのも同じことだから!」
「同じじゃない!」
「同じだ!」
「だって、オニロは選べなかったじゃない! 生まれる前から魔王の右腕って育てられて、逃げる場所もないでしょ!」
「それはお前だってそうだろ! たまたま魔王の娘に産まれたってだけで――」
「でもパパは私に無理矢理継がせようとはしてない!」
セラスは声を張り上げる。その瞬間、扉の向こうの声が止まった。その通りだ、と。気づいてしまったのだろう。
セラスはひとつ息を吐き、手に持ったままだったラティオの手帳を握り直す。
「パパは、私に選ばせてくれてるよ。そりゃ、結果的には私が継ぐっていう方法しかないんだろうって思うけど……それでも、ちゃんと選ばせてくれるもん。けど、オニロは違うでしょ」
ラティオもトゥルマリナも、オニロを大切にしていないわけではない。それはわざわざ確認するまでもなく、はっきりしていることだった。それでも、だ。二人ともオニロに生き方を選ばせてはいない。オニロだって、勝手に思い込んでいるのだ。自分には選択肢などないのだ、と。
でも、本当は、それではいけない。
「ちゃんと自分のために生きなきゃ、ダメだよ、オニロ」
「は? 俺は最初から、自分の意志で――」
「違うよ絶対! オニロ、覚えてるんでしょ? ラティオやトゥルマリナや……パパやママが、話し合ってたこと全部」
「それは……」
「もしもオニロが魔王の右腕なんて嫌だって投げ出したら、みんなが困るってわかってるんでしょ!? わかってるから、わがままを言わないんでしょ!?」
「それはわかってる! わかってるけど、別に俺はお前を支えるのを嫌だなんて思ってない!」
「そう思い込んでるだけでしょ!」
「はぁ!?」
ドンッ、と、扉が殴られる。ビクッと身体が震えたが、それでもセラスは怯まなかった。
「ちゃんと考えて! オニロは一体何がしたいの!?」
「俺は――」
「ラティオたちのためでも、私のためでもなくて!」
「それは、だから――」
「お願いだから!」
セラスはくるりと振り返る。扉は閉ざしたままだけれど、それでも確かに向こう側に感じるオニロの気配に、必死になって声を張り上げた。
「お願いだから、私のそばにいようとしないで!」
――縋りたくなってしまうから。オニロが考えることを押さえ込んでしまうから。
「私は――独りになりたいの」
それは半分本音で、半分は嘘だった。ただ、オニロを巻き込みたくない。それだけの気持ちだった。
魔王になることは決めた。でも、それがどれだけ過酷なのかも、支える人がどれだけ余計な苦労をするのかも、全部知ってしまったのだ。
手の中にある手帳を改めて握り直す。
「……あっち行って」
静かにそう告げる。どうか、私から離れて。そんな願いを胸に秘めて、セラスは扉に額をつける。
しばらくは、何の物音も聞こえなかった。
けれどやがて、気配と足音が去って行く。
――やっぱりオニロは、セラスのわがままをちゃんと聞いてくれるのだ。
力が抜けて、セラスはその場にへたり込む。ラティオが自分の気持ちを綴った手帳を胸にかき抱き、セラスは大きく息を吸った。深く、深く――全ての感情を、飲み込むように。
完全に足音が消え去って、何も聞こえなくなったとき。セラスは勢いよく天井を見上げた。
心に決めた想いが、零れ落ちてしまわないように。独りで魔王になるのだと、堅く、誓って。
***
完全に住民がいなくなったローカ村は、王都騎士団が開発する兵器の実験の場として最適だった。
人が住む建物を破壊するにはどの程度の出力が必要になるのか、地形を変えるほどの出力はどの程度になるのか――どこまで出力を強くすれば、使用者に反動があるのか。
「た……タルデ、さま……これ、以上、は……――」
甲冑型の装着型結晶兵器を身に付けていた部下がひとり、地面に伏す。ガシャン、と派手な音を立てて倒れた男に、技術者たちが駆け寄って、身に付けていた機械を外す。
「機械は全て回収してください。特に動力となる結晶は取り逃さないように」
「はっ!」
タルデが命じた通りに、結晶を最優先で回収し、残る甲冑も移動用のワゴンに積み込んで、待機所へと下がっていく。資源は有限だ。特に動力となっている結晶はまだ精製方法が明確ではなく、各地でたまたま発見できるものを丁寧に収集して加工するしか方法がない。どうやら魔族はこの結晶が何なのかを既に掴んでいるようだが、生憎王都では魔族を排している。何しろ魔族は魔王の仲間だ。その息が掛かった者など、王都に呼び込むわけにはいかない。
とはいえ、情報が全くないというのもこちらに不利になりすぎる。故に、タルデは既に手を打っていた。
結晶を回収した技術者が、タルデに結晶を手渡す。
「先日命じた、シムラクルムに潜伏していた魔族の捕縛は完了しましたか?」
「はっ。ちょうど昨日、捕縛に成功したとの報告を受けました」
「つまり、魔術を無効化する機械は能力を発揮できた、ということですね?」
「はい。魔族は魔術を用いて抵抗を試みました。しかし、タルデ様の開発した結晶動力式の手枷を活用したところ、設計通り魔族の無力化を確認。捕縛に際しての犠牲は軽微なものとなりました」
「なるほど……読み通りですか。いい調子ですね。魔族への尋問は?」
「本日よりダスク様が執り行っております」
「なるほど、兄が直接行うことにしましたか……まあ、魔王の娘と接触した魔族、との情報ですから、当然ではありますね。確か、名は――ジョリー」
手の中で、結晶の状態を確認する。元々のサイズと比較すると、家屋を三軒破壊、森の一部を切り開いただけで、結晶は半分ほどの大きさに摩耗していた。操縦者であった部下もまた、意識を失って倒れている。ちょうど担架で運ばれて行くところだった。
甲冑型の装着式結晶兵器に関しては、様々に手を加えたがこれが出力のバランスとしてはちょうどいい範囲だろう。元々耐久性も出力も、人間が装着するという時点で限度があるのはわかっていた。それでも、魔族の――特に魔王一味の規格外な威力の魔術にほんのわずかでも対抗できるなら問題ない。時間さえ稼げれば十分なのだ。
非装着型の遠距離攻撃兵器が既に完成に向けた最終段階に入っている。早晩使用可能となるだろう。
――そうすれば、騎士団の悲願は果たされる。
「ようやく、平穏が手に入る――」
タルデはうっとりと目を細める。圧倒的な力を排し、真なる平和を手に入れる。魔族を排除しさえすれば、この世界は人間による安定した統治が可能になるのだ。
そのためならば、どれだけ血が流れようが構わない。その責めは私が負う――騎士団長ルーナ・カムエルは繰り返しそう告げる。
ならば長年忠誠を誓うノーヴァ家は、彼女の決意を支えるのみ。
「王都に戻りましょう。いつでも侵攻可能だと、騎士団長への報告を」
「はっ!」
部下たちが撤収に向けた準備を始める。その様子に視線を向けながら、タルデは静かに頷いた。
「さあ、始めましょう――魔王の討伐を」
――それは、平和な時間の終わりの始まりを告げる狼煙だった。




