第48話 境界線
魔力を内に宿すというのは、当然、肉体に負担をかける。魔族は人間と比較すると肉体が頑丈に出来ているが、それはシンプルに、魔力をその身に宿す分、肉体が強くなければ耐えきれないという物理的な問題だった。
それは魔族同士でも同じだ。ひとつの属性の魔力しか持たない者よりもふたつ以上の魔力を持つ者のほうが頑丈だ。たとえばセラスとオニロを比較すれば、セラスのほうが肉体的な能力値も圧倒的に強い。それは「そうでなければ生きられない」という、実にシンプルでわかりやすい事情によるものだった。
だから魔族は、子どもを産むときに命を落としやすいのだ。
まだ未熟とはいえ、体内に突然ひとり分の魔力が増えることになる。それが同じ属性を持つ赤ん坊ならば比較的生存はしやすい。しかし、自分とは違う属性の赤子が宿るとなれば、母親の負担は大きくなる。
ましてや、自分よりも魔力の強い赤ん坊を宿したとなれば――
「……別に、理解してたわけじゃないんだ。俺を妊娠したことで、母さんが死にかけてたんだ、っていうこと」
リーリエは死に、トゥルマリナは生き残った。その事実を口にした母に、オニロは少しだけ迷いながら、言葉を紡ぐ。
「確かに生まれたときからの記憶はあるけど、それは覚えてられたっていうだけで、中身は普通の子どもと一緒だから。まあ、いろんなこと覚えてられる分、成長は早いかも? くらい」
「……確かに、あんたは一度叱ったことは絶対に繰り返さないタイプだった」
「めっちゃ怒られたら、怒られたこと全部覚えてるからな」
「それは、嫌な想いしてたでしょ?」
「嫌っていうか、怖いとは思った。けど、父さんも母さんも、わけわかんないことで怒ったりはしなかっただろ。怒鳴られたら怒鳴られたなりの、引っぱたかれたら引っぱたかれたなりの理由はあったし」
「そういうとこは、本当にセラスと真反対よね」
「セラスは何度同じ目に遭っても同じ悪さを繰り返すからな。まあ、だから俺とセラスは違うんだって気付いたのはあったけど」
小さく肩を振るわせながら、不器用なエザフォスと反抗的なセラスのやりとりを思い出す。自分の力の強さを自覚しようともしないで、セラスは何度も強い魔術を使おうとしてはエザフォスに尻を叩かれていた。それだけ聞けば微笑ましい親子のやりとりなのだが――うっかり、村をひとつ滅ぼしたりしなければ。
――そういう意味でも、自分たちはやはり根本から違っている。
オニロはわずかに唇を噛んでから、顔を上げた。
「別に、最初から理解してたわけじゃない。だから、本能だったんだと思う……やっぱ、母親がいなくなるのって、嫌だから」
「だから、生まれてくるときに私に回復魔術を使っていたのね」
「気づいてたんだ、母さん。父さんは全然気づいてなかったっぽいけど」
「そりゃわかるわよ。死にかけてたのにあっという間に身体が治るんだもの。さすがに失った魔力はすぐには回復しなかったけど」
だから、オニロはしばらくリーリエの元にいたのだ。ラティオはあちこち飛び回らなければならなくて、トゥルマリナはすぐには起き上がれないほど魔力を消耗していて。赤ん坊の世話をする人がいなかったから、オニロはリーリエに抱かれている時間が長かった。
セラスはたった一度、生まれた瞬間にリーリエに抱かれただけで別れてしまったのに。
「あんたは、ラティオに似たのね。風属性が一番強くて、回復魔術が得意で」
「そうなのかも。母さんに似てほしかった?」
「まさか。なんだかんだ、私はラティオに惚れてるし」
「はは……なんか、自分の母親からそういう話聞くの、変な感じ」
「私は割と平気だけどね。まあ、ラティオは居心地悪そうにするから、定期的に弄ってるけど」
「だから俺たちに昔のこと知られて微妙な顔してたのか」
城に帰るから迎えに来て、と言った後、過去のことを知られたとわかったラティオの顔を思い出す。苦い顔をして、あまり触れてほしくはなさそうだった。だがトゥルマリナのほうはそんな昔の話でも楽しそうに語る。男と女の違いなのかもしれないが。
「……エザフォス様って、リーリエ様のこと、あんまり話さないよな」
オニロの問いに、トゥルマリナは眉間に深く皺を刻み、目をそらす。
「もし母さんが死んでたら……父さんも、そうなってたのかな」
仮定の話だ。
だって、トゥルマリナは目の前にいるのだから。ラティオは妻を――恋人を、失うことはなかった。オニロもここにいる。だから、実際にはどうなっていたかなど、さっぱりわからない。そんなもしもの話なんて、したところで何の意味もない。それはわかっている。
わかっているのに、考えずにはいられないのだ。もしも何かひとつでも違っていたら、と。
――エザフォスとラティオも、リーリエとトゥルマリナも……セラスとオニロも。同じ場所で暮らしながら、結局、互いの感情を理解しきることは出来ていないから。
トゥルマリナは迷ったように口を開きかけて、それでも結局何も言わずに首を振る。オニロは「ごめん」と呟いて、笑った。
「俺とセラスの違いって大きすぎるって、思ったんだ」
指先から力が抜けていくような感覚を覚えながら、オニロは呟く。
「魔力の強さはセラスには絶対に敵わないし、それはもう仕方がないもんだと思ってた。そもそも俺に求められてるのは魔王の右腕になることだし、それは俺の性格的にも合ってると思ってたし。でも」
ギュッと、拳を握る。
――拳に、力が入らない。
「俺は、セラスが何に苦しんでるのか、ちゃんとわかってやることはできないんだ」
胸の奥がチクリと痛む。その痛みが、ジワジワと、身体を蝕む。余計なことを、考えさせる。
「ごめん、母さん。せっかくパン持ってきてくれたのに、腹満たされても結局頭ン中、余計なことばっかだ」
「それは、あんたがラティオに似てるからでしょうね。……あの人が書き残してきたもの、読んだんでしょ?」
「うん、読んだよ。今はセラスに貸してる」
「じゃあ、もう知ってるんじゃない。魔王の隣にいたら、ずーっとぐちゃぐちゃ考えるもんなのよ。あの人の性格のせいっていうのもあるかもしれないけど」
肩を振るわせて笑いながら、トゥルマリナは肩をすくめた。
「私たちじゃ、魔王になんてなれない。だから、エザフォスやセラスが背負ってるものなんて本当の意味ではわからないのよ。わかってやれる、なんて思わないほうがいいわ」
コーヒーの入ったカップを口に運び、少しだけ唇を潤してから、彼女は続ける。
「力を持つ人の苦しみも葛藤も、わかってあげられるのは同じ力がある人だけ。だから私たちは見ていることしかできないけれど――それでも、見守り続ける。それが私たちの役目なんだから」
だから、と、続けたトゥルマリナの声は、少しだけ弱々しく震えていた。
「リーリエと一緒に死ぬつもりだったのに、私だけ生き残っちゃったのは、なんの皮肉なんだろうって思ったけど」
「……ごめん」
「あんたのせいじゃないわよ。そういう宿命だったっていうだけ。私も、リーリエも。そもそもあんたには生まれる前から厄介な役目を押しつけちゃってるんだし」
「まあ、それもそうなんだけど」
「なんて言っても、人ひとりの命奪ってるんだから、そう簡単には割り切れないわよね」
「……うん」
オニロは素直に頷いた。オニロ自身は母の命を救った。けれど、あんなに世話をしてもらったのに、リーリエの命は救えなかった。そんな力はなかったのだし、仕方がなかったと言うことはできるかもしれない。でも、それで割り切れるなら、きっとこんなにぐちゃぐちゃに考え込んだりしない。
もうここまで暴露してしまったのだから、今更か――と、オニロは握っていた拳を開く。
「母さんには内緒で出かけたけど、俺、父さんに言われてたんだ。セラスに世界を見せてこい、って」
「そうね。それで、あの家出だったんでしょう?」
「そう。だから色々調べたりとか、次はどこに行くかを考えたりとか、全部俺がやることになって……まあでも、出来ると思ってたんだよ。そのために勉強してきたんだし。なのにさ、いざそのときが来てみたら……めっちゃ、怖かった」
「怖い?」
不思議そうにトゥルマリナが首をかしげた。この感覚は、もしかしたら、ラティオのほうが理解してくれるのかもしれない。そう思いながら、オニロは続ける。
「俺が判断を間違えたら、セラスを危険な目に遭わせるんだ、って。で……それがいつか、世界を壊すことに繋がるんだ、って」
「……そうね」
「だから、すっごい正直なことを言えば、キツいなって思ったよ。魔王の右腕って、背負わずに済むんなら、そんなもの、ならないほうがいいに決まってるよな」
ガタン、と。
部屋の外から音が聞こえた瞬間、オニロとトゥルマリナは同時に顔を上げた。くるりと音のした方に振り返る。オニロは弾かれたように立ち上がり、部屋の扉を開いた。
――泣きそうな顔をして、セラスがそこに、立っていた。
「セラス、お前、いつから――」
「やっぱり、そう、だよね」
曖昧に笑って、セラスは後ずさりする。
「世界なんて……背負いたくないって、思うんだよね」
「セラス、それは――」
オニロが手を伸ばそうとするよりも早く、セラスはくるりと背中を向ける。そのまま逃げるように、セラスはその場から立ち去っていく。
「おいセラス!」
呼びかけたところで、彼女が立ち止まる気配はない。ああ、もう。頭を掻きむしりながら唸り、オニロは振り返る。
「母さん、俺、行ってくる!」
そう告げて部屋を飛び出すオニロに、トゥルマリナがひらりと手を振っているのが見えた。
今のオニロが、セラスに何を言ってやれるのかはわからない。けれどそんなことをいちいち考えている暇はなかった。
ここで何かを間違えれば、きっと、全てが終わってしまう。
――あの手を取れなくなることだけは、考えたくなかった。




