第40話 分断される世界
テーブルの上に広げられた絵の描かれた紙に、巨大な甲冑が佇んでいる。上からの角度では紋章までは確認できないが、色も形もエレギア村で見たものと全く同じだ。
絵で見ても不気味な、おどろおどろしい気配が漂ってくる。ここには精霊の結晶が装着され、操作ひとつで閃光を放ち、村を焼き払うことができる。
そんな不気味な甲冑の前に、少女がひとり。それはセラスがローカ村で出会った少女――ミリーだった。
「ねえ、オニロ! ミリーが……!」
「ああ。父さん、これっていつの絵なんだ!?」
「調査に行った中だと、ローカ村は魔王城から一番近い。だから最後に巡るようにしたから……恐らく、数十分だ」
「じゃあまだ間に合うかも! ラティオ、ローカ村に連れてって! この子、友達なの! 助けなきゃ!」
「友達……?」
エザフォスが驚いたように目を瞠る。トゥルマリナも、信じられないとばかりに首を振った。
「この子、人間でしょう?」
「でも友達になったの! また会おうって約束したの!」
トゥルマリナとラティオがオニロの方に視線を向ける。彼は嘘ではないと証明するように深く頷いた。それを見て、ラティオが苦い顔になる。
「連れて行ってやりたいところだけど、偵察を出すのにほとんど魔力を使い果たしてて、今は空間転移は――」
「私が連れて行こう」
一歩踏み出したのはエザフォスだった。
「パパ!」
「エザフォス! お前が出て行っていいわけないだろ!?」
「なぜ?」
「なぜって……」
「セラスに友人が出来たのなら、それ以上の幸いはない」
「……だからって、人間の前に魔王が姿を現すことの意味がわかっているのか?」
いつになく真剣な表情の二人に、セラスは息を呑む。エザフォスが険しい顔をしているのはいつものことだ。しかし、たいてい笑っていたり困っていたりするラティオがこんなに険しい顔をするのは滅多に見ない。魔王が直接動くというのは、それだけ安易には許されないことなのだ。
だがエザフォスが引く様子はなかった。ゆっくりとセラスのほうに歩み寄って来ると、手元にあったミリーの描かれた絵を見下ろす。
「この娘のところに行けばいいのだな?」
「そう! だけど、パパ……本当にいいの?」
「ダメだ」
「構わない」
「エザフォス!」
「構わない。いずれにしても、調査が必要だ」
「それはそうだけど……」
「今こそ、私が行くべきだ。……人間同士が争っている」
静かなエザフォスの言葉に、ラティオはついに口を閉ざした。人間同士が争うのを止めるために、エザフォスは魔王となった。ならば、甲冑を着た人間が丸腰の人間を襲っている様子を、放置しておいていいわけがない。これまでに聞いた話の通りなら、エザフォスの言い分は正しいはずだった。
ラティオは目を閉じて眉間に皺を刻み、じっと何かを考える。だが、最終的にはエザフォスの言い分が正しいと判断したのだろう。
「わかった。けど、俺も行く。状況を把握したい」
「父さん、俺も――」
「いや、オニロは待っててくれ。……何かあったときのために、魔王城を手薄にはしたくない」
制され、オニロは複雑そうな顔をしていた。置いて行かれる悔しさと、任された嬉しさと、どちらもあるのだろう。何か言いたげではあったが、トゥルマリナが肩に手を置くと、わかった、と頷いた。
「行くぞ、セラス。ラティオも」
父の言葉に、セラスは頷く。そうしてギュッと、祈るように両手を握った。
――お願い、ミリー、無事でいて……!
エザフォスの魔力が集約した、次の瞬間――
***
――鼻先をかすめたのは焦げた木の香り。そして、パチパチと爆ぜる音。炎に包まれた村……
エレギア村で見たのと同じ光景に、セラスは呼吸を忘れる。しかも、燃えているのは見覚えのある建物だったのだ。
それは、ミリーの父親が経営する宿だった。
「嘘でしょ……?」
エザフォスはセラスを腕に抱いたまま、周囲をゆっくりと見回す。ラティオは地面に散っている鉄片を手に取り、眉を寄せた。
「機械の破片だ」
「これが? めちゃくちゃ平べったいのに……」
「たぶん、甲冑の一部だ。形状からすると腕の一部か……?」
「壊れたってこと? 誰かと戦ったの?」
「いや、恐らく攻撃の出力が大きすぎて甲冑の強度が足りないんだ。この壊れ方を見るに、自分の攻撃の反動で剥がれ落ちたものと考えたほうがいいだろうね」
「反動で? 薄っぺらいけど、すごく硬いよ?」
「それだけの威力がある、っていうことだよ」
ラティオが機械の破片をセラスの手のひらに乗せてくれる。指で弾くと反動で爪の先が痛いくらいには強度がある。そして、うっすらと精霊の気配が漂っていた。地も、水も、火も、風も、グチャグチャに混ざり合って、ドロドロに溶け合って、沈殿しているような気がする。
「……なんか、やなかんじ」
不機嫌に吐き捨ててから、セラスはハッとして顔を上げる。
「それより、ミリーは!?」
「……セラス?」
声が聞こえ、セラスは振り返る。黒焦げになった建物の裏から声が聞こえた。セラスはエザフォスの腕を抜け出し、地面を蹴って声の方へ向かう。
瓦礫の影に、怯え、震えて小さくなっているミリーの姿があった。
「ミリー!」
「セラス……! セラス、セラスだよね!?」
「うん! 怪我は? 大丈夫!? お父さんは!? 村の人は!?」
「わ、私は大丈夫。ちょっと擦りむいたけど、それだけ……お父さんも、無事だよ。村の人は――」
セラスが振り返る。と、その視線の先に何人かの大人の姿がある。石造りの建物の中で、怯えた顔でこちらを伺っている。
「……全員?」
「うん、誰も、死んでない。……元々ローカ村には、八人しか住んでないから」
「そっか……よかった……」
村が焼かれてしまったのでは、決して「よかった」とは言えないのだろうが。それでも、生きていてくれてよかった、とセラスは力が抜ける。
しかし「でも」とミリーは表情を硬くした。
「まだ、いなくなってないの」
「え?」
「いなくなってないの、村を攻撃した人。だから、セラス、急いで逃げて!」
「いや、大丈夫だよ」
落ち着いた声音で言ったのはラティオだ。ゆっくりとセラスたちのほうへ歩み寄ってくる。離れた場所にはエザフォスの姿も見えた。あちらは近づいてこようとはしないけれど。
「もう甲冑の人はいなくなったの?」
「いや、残念ながら、気配はある。甲冑が壊れたから修復しているか別のものに変えているか、どちらかだろう」
「じゃあ、やっぱり逃げなきゃじゃん!」
「それじゃあこの人たちは為すすべもなく故郷を奪われることになる。そういうの、俺たちはあんまり好きじゃないんだ。だから――あいつは、ここに来ることを選んだ」
ラティオの視線の先にはエザフォスの姿。そのエザフォスは、遠い一点を見据え、佇んでいた。
「セラス、この人たちは……」
わずかに身を固くしたミリーがセラスの腕を掴む。大丈夫、と。安心させるようにセラスは彼女の手を握った。
ラティオもまた、穏やかに目を細める。あくまでも自分は味方だ、と。彼女にそう伝えようとするように。
「初めまして。俺はラティオ。オニロの父親だよ」
「オニロの……」
「うん、息子が世話になったね。と、丁寧に挨拶をしたいところだけど……ちょっと、その余裕はないみたいだ」
――唐突に押し寄せてきた黒々とした気配。指先から頭の先まで、ゾクゾクと震えて、血の気が引くような感覚。
「……ミリー、だっけ」
ラティオはミリーに微笑みかける。
「今から、少し恐ろしいことが起こると思う。でも、君や村の人たちは絶対に傷つけない。俺と、セラスが護る。だから何が起きてもここから動かないでほしい……お願いできるかな?」
ミリーの瞳は揺れていた。恐怖と不安が浅い呼吸からも感じられる。既に村は焼かれてしまっているのだ。その状態で「少し恐ろしいこと」などと言われて、怖くないわけがない。
だからセラスはミリーの手を強く握った。その手のひらに、オニロが作ったペンデュラムが握られていることに気づく。うっすらと精霊の気配がするそれを、セラスも一緒に強く握った。
「大丈夫。この地にいる地の精霊が、ミリーのことを護るから」
ミリーの瞳にわずかに光が灯る。彼女はしっかりと強くセラスの手を握ると、しっかりと頷いた。
「……うん!」
もう一度、セラスはミリーの手を握る。そうしてスッと立ち上がり、ラティオの隣に立った。
「地の精霊の力を借りて、防御の魔術を使えばいいんだよね?」
「そうだ。……感じるだろ? ぐちゃぐちゃの不気味な魔力が膨れあがっているのを」
「うん」
まるでお腹の底を握り潰されそうな、嫌な感覚。喉がカラカラに渇いて、吐きそうになって、目の前がクラクラして――それでも、セラスは両手を真っ直ぐ突き出して、地の精霊たちに語りかける。
――お願い、力を貸して。ミリーたちを護るために!
周囲を囲む精霊の気配が強くなる。その気配から、強い想いを――絶対に護るという願いを――確かに、感じる。
ドロドロとした気配がまとわりつく中、その気配の先を見据えていたエザフォスが告げる。
「……来る」
その、次の瞬間。
――まばゆい閃光が、辺りを包んだ。




