第4話 魔王城の外で
宿の窓を、コンコンと小鳥が叩いている。魔力を帯びたそれを、オニロが窓を開けて招き入れ、セラスの元へと連れてきてくれた。
小鳥は「ピィ」と鳴いてから、ふわりと浮き上がり光を放つ。直後、ふわっとその光は拡散し、キラキラとした残滓となってセラスとオニロに降り注ぎ、脳内に映像が流れ出す――それはラティオとトゥルマリナ、そしてエザフォスが数時間前に交わしたらしい会話の記録だった。
***
「あり得ないわ」
――と、トゥルマリナが言いだしたとき、ラティオは静かに目を逸らした。
「オニロもセラスも、朝起きたらいなくなっていたの、私にもエザフォスにも気づかれずにこの城を出た、ということになるわ」
一歩一歩、語りながら歩み寄ってくる。その声の奥に秘められたピリピリとした感情に、ラティオは「そうだね」としか言えない。
助けを求めるようにエザフォスのほうに視線を向けたが、彼も彼で、何も見なかったと言わんばかりに目をそらす。万事休す。逃げ場を失ったラティオは、ちらりと妻の方へ視線を向ける。
その瞬間、怒気を孕んだ魔王よりも恐ろしい視線にラティオは再び目をそらす。だが、彼女は構わず続けた。
「魔力だけで言えば確かにあの子たちは強い……けど、まだ私たちの目を欺けるほどの実力はないわよね?」
「あー……うん。そうだね……」
「つまり、誰かが私たちの目を欺くのを手伝った、ということになるわよね?」
「……いや、君、最初からわかってるだろ? 俺があの子たちに手を貸したって」
逆に質問を返せば、トゥルマリナはふわりと柔らかく笑みを浮かべる。ああ、これは、終わった。内心そう呟きながら、ラティオは一歩後ろに下がる。さて、どう怒りを収めようか――思案しながら口を開く。
「言っておくけど、最初から家出するように仕向けてたっていうわけじゃないよ? 俺が見つけたときには二人は窓から脱出しようとしているところだった」
「それをあなたは黙って見逃したっていうわけ?」
「いや……一応、何をしてるんだ、とは聞いたよ」
「それで?」
「世界のことを知りたいって言うけど、二人だけじゃ闇の精霊の支配域を抜けるのは難しいって伝えて……」
「伝えて?」
「……安全に配慮して、支配域の外まで送り届けさせていただきました」
眼前に迫る凶悪なまでの圧力に屈して、思わず敬語になってしまう。
一瞬の、沈黙。
直後、トゥルマリナは大きく息を吸った。
「何を考えているのあなたは!」
「いや、ごめん! わかってる、君がそう言うことはわかってた!」
「だからコソコソと逃がしたっていうの!? 何のために!?」
「それは――」
「世界を識る必要がある」
と、エザフォスが割って入る。短く、低く、しかしどこか柔らかく。
その声に、怒りを露わにしていたトゥルマリナもその矛をわずかに収める。助かった。ラティオはそっと息を吐きながら、そっとエザフォスの方へと移動する。親友を盾にするラティオにエザフォスはわずかに呆れた視線を向けたが、そのことには言及せずに、トゥルマリナに視線を移した。
「私の後を継ぐ継がぬに関わらず、世界を識ることは意味がある」
「そうかもしれないけれど……」
「……オニロがついている。私は、心配はしていない」
そう告げるエザフォスの表情は、まるで覚悟でも決めたかのようだった。それもそうか、とラティオは息を吐く。世界を識るということは、つまり、「魔王」というものを識るということ。
――その結果、セラスがどんな結論を出すのか。それは自分たちには想像もつかないけれど。
***
――その記憶を見たオニロは、ニヤニヤと目を細める。
「……父さん、結構詰められてたな」
「ラティオがトゥルマリナの尻に敷かれてるのは知ってたけど……想像以上だったかも」
「はは……母さんは強いからなあ」
そんなオニロを、セラスは不思議な気持ちで見つめる。彼の抱くトゥルマリナへの印象と、セラスの抱く印象は、恐らく少し違っているのだ。セラスにとってトゥルマリナは母ではない。父の古くからの友人で、魔王と共に世界を統べた人というだけの存在だ。そういう意味では、ラティオもあまり変わらない。産まれてから今日までずっと一緒に暮らしている人達ではあるから、身近にも親しくも感じてはいるけれど、どういう感情を抱けばいいのか、実を言うと今だによくわかっていない。
「……あのさ」
だからだ。セラスは、ふと疑問を口にする。
「ラティオとトゥルマリナって、オニロにとってはどういう人なの?」
「どういう……?」
「お父さんとお母さんなのはわかるよ。けど……なんか、なんかさ……」
必死で言葉を探しながらセラスは唸る。自分が考えていることを話すのは苦手だ。
それでもなんとか言葉を見つけて、ぽつりぽつりとセラスは話す。
「私とパパは、オニロたちみたいな感じじゃないから」
思ったよりも、弱々しい声になった。胸の奥で、チクリと何かが爆ぜるのを感じる。その刺激が心の底をツキツキと刺した。また、言葉に出来ない何かが湧いてくる。それを押し込めるために、セラスは眉間に皺を寄せて唇を噛んだ。
オニロはしばらく黙ったままセラスを見つめていたけれど、やがて静かに口を開く。
「たぶん、って、めちゃくちゃ仮定の話するけど、それでもいいか?」
「いいよ。なに?」
「結局さ、俺もお前も、お互いのことは最終的にはわかんないんだと思う。だって俺、お前より弱いし」
「それって、魔力のこと言ってる?」
「そう。世界には地水火風と光と闇、六つの属性があるだろ? そのうち地水火風の四大元素は生まれつきどれが使えるかってのが決まってる。光と闇は、その精霊を召喚できるかどうかで決まるけど」
セラスは深く頷いた。それを確認してからオニロは続ける。
「エザフォス様が魔王になったのは、それだけの力を持ってたからっていうことになる。それは娘のお前も同じだ。けど、俺は火水風の三つの属性が使えるけど、四つ目はないし、闇の力も自分で召喚するのは無理だ。だから最初から魔王になれないって決まってる」
「そうだけど……だからなに?」
「お前はそれが羨ましい? それとも、ざまあみろって思う?」
「……え?」
突然の問いに、セラスは言葉を失ってしまう。羨ましいか、否か。
「そんなの、考えたことなかったんだけど……」
「じゃあ、今から考えて」
「ええ……うーん。んー……どっちでもない……」
「曖昧だな」
「だって、生まれつきなんだったらもうどうしようもないじゃん。っていうか、オニロは考えたことあるの? 力がどうのとか、比べてどうかとか」
「あるよ」
彼は思いのほかさらりとそう言った。セラスは思わず目を見開く。なぜだか妙に胸の奥がざわついて、すぐには言葉が出てこない。
思わず目を泳がせるセラスに、オニロはクックと肩を震わせた。
「なにビビってんだよ」
「だって、オニロがそういうこと考えてるとか、知らなかったし……」
「言わなかったしな。けど、弱いやつってそういうこと考えるもんなんだよ」
「……オニロが弱いって言ったら、世界中みんなよわよわじゃん」
「いや、お前と俺を比べたときの話。俺はお前より弱いし、魔王には絶対になれない。だから……よかった、って思ってるんだよ」
「……それ、羨ましいでもざまあみろでもないじゃん」
「あー、確かに。前提条件が違っちゃったか」
ケラケラと笑いながらオニロは立ち上がる。自分の荷物のほうへと移動し、鞄をゴソゴソ漁ったかと思うと、手帳を一冊取り出してセラスに投げて寄越した。
「……なにこれ?」
「日誌。世界征服したときに父さんがつけてたやつだって。どうやって世界を征服したのかっていうのを全部記録してたらしいんだけど……最後のページ、読んでみろよ」
言われるがまま、手帳の最後のページを開く。手のひらに収まる程度の小さな手帳には、几帳面な文字でこう綴られていた。
「最強の力を持つということは、誰ともその感情を共有できないということでもある。俺やトゥルマリナやリーリエが隣にいても、あいつはきっと、一生孤独だ。そんな生き方には、たぶん、俺は耐えられない……」
そこまで読み上げて、セラスは言葉を止めた。それ以上、言葉が出てこなかった。
――あいつはきっと、一生孤独だ。
その一文が、棘となる。
「……ラティオ、パパとすごく仲いいじゃん」
「だな。よく二人で飲んでるのも見かけるし、そもそもエザフォス様のことを大事にしてなかったら、あんな孤立した城に一緒に住もうなんて思わないだろ」
「なのに、パパのこと、孤独とか言うの……?」
「別に意地悪で言ってるわけじゃないよ。けど、まあ……説明してわかることじゃないと思う。だから、父さんは俺たちが世界を見に行くって言ったときに止めなかったんだよ。魔王っていうのがなんで孤独なのか、きっとわかるから」
「……説明してくれないんだ」
「それじゃわかんないだろうからな。少なくとも俺は、魔王を継ぐのがどういうことかなんてのは想像できても理解できない。お前は逆だけど、同じだよ」
「なんか、冷たい」
「はは、ごめんな。けど、俺だってわかりたいとは思ってるよ。だからお前を連れ出したんだ」
オニロはそっと窓の外に視線を向ける。その先にあるのは村の広場だ。昨日から櫓が組まれはじめて、明日には完成するという。この村に伝わる祭りのためのものだと宿の女将が言っていた。
そしてその櫓こそが、この村に最初にやってきた理由でもあった。
「明日からの『魔王祭』……それを見たら、俺たちが知らない魔王のことも、わかるような気がするんだ」
「……うん」
セラスは大人しく頷いた。だが、本当は言いたいことがたくさんある。腑に落ちないし、モヤモヤもする。けれどそれを言葉にするのは難しい。
本当に『魔王祭』を見れば、何か掴めるのだろうか。
窓の外から村人たちの声が聞こえてくる。それは明るくて楽しそうで――セラスが燃やしたあの村で魔王を前にした人たちの悲鳴や怒声と、全く違った。




