第3話 見知らぬ地へ
「ちょっと、パパ!」
――と、セラスが広間に勢いよく飛び込んだのは、部屋に戻ってから三時間後のことだった。
広間にいた大人たちが同時にセラスのほうを見る。エザフォス、ラティオ、そしてラティオの妻でオニロの母であるトゥルマリナ。この城で暮らしているのは、この三人の大人とセラスとオニロだけだ。
「……なんだ?」
「なんだ、じゃないわよ!」
エザフォスの素っ気ない返事に、セラスの腹の底で暴れる猛獣たちは更に猛り狂い出した。ずかずかと、セラスは父のほうへを歩を進める。
「セラス、やめろって言ってるだろ、止まれって!」
後ろから追いかけるオニロは何度もそう言っていた。セラスが部屋から飛び出そうとするときからずっと。だが掴まれた腕をセラスは乱暴に振り払う。
「止まらない! だって、だって――」
オニロの手を振り払った勢いで、エザフォスの前の机をバンッと手で叩く。勢いがつきすぎて手のひらが痺れた。それでも構わず、セラスは怒鳴る。
「なんでパパは自分のせいにしたの!? 村をボロボロにしたのはパパじゃなくて私なのに!」
「…………」
エザフォスは静かにセラスを見つめたまま、何も言わない。そういうところが嫌いなのだ。この人は、肝心なことはいつだって何も話してくれない。硬く口を閉ざしたまま、ただじっと、セラスを見つめる。
「……やめなさい、セラス」
そしてだいたい、父の友人たち――ラティオかトゥルマリナが口を開くのだ。
静かな声音で名前を呼んだのはトゥルマリナだった。オニロと同じ銀色の長い髪を揺らして、首を横に振る。
「あなたがやったと正直に言ったところで、どうなるの?」
「どうなる、って……」
「憎しみの矛先があなた自身に向けられて、人間たちはあなたを恨み、討伐しようと動くことになる。そうなったらあなた、対応できるの?」
「だ……だからって! パパのせいにしたところで、同じことじゃないの……」
「同じじゃないよ」
今度はラティオだ。深々とわざとらしいため息を吐いてから、セラスに鋭い目を向けた。
「魔王が気まぐれに起こしたことなら、憎しみは抱いても、反撃はされない」
「どうして!?」
「勝てないからだよ。地、水、火、風、四大精霊を全て従え、更に冥界の王まで自らに取り込んでいる。そんなわかりやすい脅威を目の前にして、抵抗する気を起こすバカは早々いない」
「でもいるかもしれないじゃない! そいつが襲ってきたらどうするの!?」
「どうするもこうするもないよ。排除するだけだ」
事もなげにラティオが言う。トゥルマリナもエザフォスも否定しなかった。まるで日常の出来事のように、それを特別なことだと思っていない表情だった。
セラスは振り返る。追いかけてきてくれたオニロが少しだけ困ったような、戸惑ったような顔をしている。少なくとも、彼にとっては彼らの言うことは「当たり前」ではないのだろう。
じゃあ、自分はおかしくない――セラスは眉間に深く皺を刻んだまま、再び父を睨み付けた。
「なんでちゃんと言わないの」
「……何をだ」
「私が村を焼いたってこと! そのこと、なんで私に言わなかったの!?」
「言ってどうなる」
「……私だって、ちゃんとわかるわよ。あんなこと、しちゃだめだって」
「言ったらやめるのか?」
「あ、当たり前でしょ!?」
「だが禁術はやめなかった」
「そ――」
それは、話が違う。言いかけて、飲み込んだ。猛り狂っていたはずの腹の底の獣たちも、勢いを失っていく。混乱して、グルグルと回り始める。
村を焼いていいわけがない。どれだけ力を持っていようと、気まぐれや暇潰しで村を焼くような者は魔族ですらそう多くはないはずだ。だが禁術は? それだって気まぐれに使っていいものではないと、一応教えられてきている。
言葉に詰まり逡巡するセラスに、トゥルマリナは冷たい目を向けた。
「あなたはまだ、赤ん坊と同じなのよ」
「あっ……赤ん坊!?」
「そう。善悪の判断もつかない、やっていいことと悪い事の差もわからない」
「そ……こまで、ひどくないもん……」
「そう? じゃあ、ラティオが現実を見せなかったら、あなた、ここまで動揺した?」
「それは……」
セラスは再び言葉を失う。もしもあのとき、ラティオが自分を連れ出したりしなければ――きっと、ひりつくお尻を撫でながら「次こそは」と復讐に燃えていただろう。
「本当は、もっと早くに叩き込んでおくべきだったんだよ、エザフォス」
ラティオは呆れたように頬杖をついて、エザフォスに視線を向ける。
「この子の暴走がいつかこういうことを起こすって、お前、わかってたんだろう?」
「……仕置きはした」
「それじゃ効果がなかったから、こんなことになったんだろ?」
「オニロは賢く育っている」
「うちの子を褒めてくれるのはありがたいけどね、これは外れ値。フツーはこんなに聞き分けの良い賢い子どもじゃないんだよ」
「あなたはヤンチャだったものね、ラティオ」
「うるさいよトゥルマリナ。君だって大差なかっただろ」
「そうね。でも、私たちには世界を破壊するような力なんてなかった」
トゥルマリナの小言に、エザフォスは苦い顔で目をそらす。そんなエザフォスを、ラティオもじっと見つめている。
「あのさ、エザフォス」
そのラティオがわずかに張り詰めた声を出す。
「セラスはただの子どもじゃない、魔王の娘なんだ。それをちゃんと理解した上で教育しないとダメだって、俺たちは何度も忠告したよな?」
「いずれこの世界を束ねるのはセラスになるの。エザフォス、あなたの跡を継いで。その自覚は幼い頃から持たせないと取り返しの付かないことになるって――」
「ちょっと待ってよ」
セラスは鋭く言い放った。腹の底の獣たちも、再び唸り声を上げている。ふつふつと込み上げる感情は、セラスの体温を上昇させた。
「さっきから、なんで私抜きで、私の話をしてるの?」
声が震える。感情が爆発しないように抑え込むのに必死だった。そうしなければ、言ってはいけないことまで勢いで口にしてしまいそうだった。
「私をどうするとか、しないとか、そういう話を知らないところでいつもしてたっていうことなの!?」
だが大人たちは何を言っているんだとばかりにきょとんとして、首をかしげる。
「何を当たり前のことを言ってるんだ?」
ラティオは困ったように笑いながらセラスのほうへ身を乗り出す。
「子育ての方針の話なんて、子どもに聞かせることじゃないだろ?」
「だからって! 魔王の自覚とか……そういうの、私が嫌だって言ったらどうするつもりだったの!?」
「嫌なの?」
「そ、れは……」
「禁術に手を出したのは、俺たちを見返したかったからなんだろ? それって、魔王になるつもりがあるからなんじゃないの?」
「…………」
その言葉を否定できなかった。セラスは「魔王の娘」なのだ。だからいつか大人になれば、自然と魔王になるのだと思っていた。
それがどういう意味なのか、考えたこともなかったのに。
「私は――」
「構わない」
セラスの言葉をエザフォスが遮る。
「……何が?」
「魔王にならずとも、構わない。お前が望まないのであれば」
「パパ――」
ちゃんと話を聞いて――と、告げようとした。だが。
「それは無理よ」
冷徹な声が遮った。トゥルマリナだ。
「この世界は魔王を必要としている。だからその子を産んだんじゃない」
「ストップ、トゥルマリナ。さすがにそれは本当に子どもに聞かせる話じゃ――」
「ラティオは黙って。あのね、あなたもエザフォスも、甘すぎるのよ。この子は普通の子じゃない。それはみんなわかってるんでしょう?」
「そうだけど……」
「それを十五年も甘やかして育てて。だからこんな世間知らずな子どもに育つのよ! それじゃあリーリエが浮かばれない――」
「母さん!」
叫んだ。ずっと黙っていたオニロが、セラスの腕を掴んで、彼のほうへと引き寄せながら。
「さすがに言い過ぎだろ」
「……あなたもまだ子どもだからわからないのよ。今、この世界がどういう状況に陥っているか」
「そうかもしれない。けど、だからってセラスに八つ当たりしてどうするんだよ」
ゆっくりと、静かに、オニロは言葉をトゥルマリナにかける。彼女は静かに口を閉ざした。
沈黙が部屋を包む。その重さに、セラスは思わずうつむいた。背中に添えられたオニロの手の温もりだけが、自分の存在を肯定してくれている気がする。
自分は、一体何のために産まれたのか。――そんなこと、一度も考えたことがなかった。
「……セラス」
エザフォスが名前を呼ぶ。だがセラスはくるりと背中を向けてその場から離れた。
「セラス!」
オニロだけがすぐに追いかけてきてくれる。だが大人は誰一人動かなかった。ただその視線が、扉が閉まるその瞬間まで注がれていることだけ、感じられた。
***
自室に戻ったセラスは膝を抱えて床に座り、再びぐちゃぐちゃになった頭の中を必死で整えようとする。だが、できない。怒りなのか、哀しみなのか。その感情の形すら、今のセラスには掴めない。
コンコン、とノックの音が響いてすぐに扉が開いた。返事をしなくても勝手に入ってくるのは城にはひとりしかいない。
「……オニロ」
顔を上げると、困ったように笑いながら、オニロが部屋に入ってくる。慎重に扉を閉ざして鍵をかけてから、セラスの隣に腰を下ろした。
「ちょっと酷いよな、あれは。大人の事情を勝手に押しつけてきて」
「…………」
「言いたいことはわからないでもないけどさ。でも、そんなの俺たちの知ったこっちゃないって話でさ」
「……たち?」
「あー……」
オニロはまるで自嘲するように肩を揺する。
「俺は、セラスのために産まれたから」
「……え?」
「いや、この言い方なんか違うか……でも、そういうことなんだよ。うちの父さんと母さんがエザフォス様をずっと支えてきたのと同じ感じにするために、俺を産んだんだってさ」
「な……に、それ……」
「ホント、何それだよな。まあ、俺としては全然それでも構わないんだけど」
「なんで? 命令だから?」
「いや、俺の友達ってお前しかいないから」
思いがけない返事に、セラスは口を半分開けたままオニロをじっと見据えてしまった。その表情に、オニロは吹き出す。
「そりゃそうだろ? この城にはうちの家族とお前の家族しかいないんだから」
「そう、だけど……そもそも、どうしてここには他の人がいないの?」
「んー……セラスはピンとこないかもしれないけど、ここって精霊の力が強いんだよ。特に闇の精霊の力が。だから人間はもちろん、弱い魔族じゃ近づくこともできない」
「じゃあ『排除』っていうのは、したことはない……?」
「いや……何百年かに一回くらいで来ることはあるらしい。俺は見たことないけど、勇者、とか言われる人間が時々生まれるらしいんだよな。まあ、結果は言うまでもないけど」
「……知らなかった」
「そりゃそうだろ。十五歳でこんな広い世界のこと、誰がわかるんだよ?」
「でもオニロは知ってるじゃない」
「それは本を読んだから。けど、俺だって実際見たわけじゃないから、本当の意味でわかってるとは言えないだろうなあ」
そのまま天井に視線を向けて、オニロはぽつりと呟いた。
「お前が父さんに見せられたものは、見たことない」
セラスは俯いて唇を噛む。読んだこともない。見たこともない。世界がどんな形をしているのかさえよくわかっていない。セラスは何も知らないのだ。
「……私、このままでいいのかな」
呟いた言葉への返事はなかった。静まり返った部屋の中で、オニロの呼吸の音だけが聞こえる。
「……見に行くか」
彼がそう呟いたのは、窓の外で強い風が吹いたときだった。
「え……?」
「知らないから、父さんたちにもエザフォス様にもなんだかんだ言われるんだろ? だったら、世界を見に行こう。そうしたらきっと、何かわかる」
「何か、って……何?」
「いや、それはわかんないけど。けど、ここにいるよりは意味がある気がする」
「……行かせてくれるのかな」
「いやー、それは無理だろ」
「無理なのに提案したの!?」
「だって、あんな無茶苦茶な魔術の失敗の仕方して、村ひとつ燃やしてるんだぞ? 人間の世界じゃ俺たち魔族がどういう目で見られてるかとか……わかるだろ?」
セラスはうっと小さく唸る。脳裏をよぎるのは村人の悲鳴と騎士たちの雄叫び。あれが世界中にあるのだとしたら、うっかり外を歩けばどうなるか想像するまでもない。
でも、と、オニロは笑った。
「エザフォス様やうちの父さんたちは有名でも、その子どもを見たことがある人間はどこにもいないからな」
「……バレない?」
「そう。俺たちだけで出かけていけば」
「私たちだけで行かせてくれる……?」
「お前、まだ気づかないのか? いや、遠回しに言いすぎてるか……」
やれやれと大げさに首を振りながら、オニロは立ち上がる。そうしてセラスの部屋のクローゼットを勝手に開けると、大きな鞄をひとつポンと投げて寄越した。
そこでさすがに、セラスは気づく。
「勝手に行くの!?」
「そ。まあ、バレたらめっちゃ怒られるだろうけど……あんな大人の理屈で話進められたら、お願い旅に出させてください! なんて頭下げる気にならないよな」
予想もしなかった提案に、すぐには頭がついてこない。大人たちには黙ったまま、この城を抜け出して世界を見に行ってくる。色々と反抗はしたセラスも、そんなことは考えようとしたこともなかった。
だが――笑いが込み上げてくる。そんなこと、面白いに決まっている。
オニロも笑う。
「行くだろ?」
セラスは鞄をぎゅっと抱き締めて、頷いた。
「もちろん!」




