第2話 突きつけられた現実
パチパチと爆ぜる音がする。
崩れ落ちた家屋が轟々と燃え、その下には黒焦げになった「何か」がある。
かろうじて生きている人間たちは泣きわめきながら瓦礫を避け、下敷きになった者を引きずり出している。
煤まみれで。血まみれで。
武装した騎士たちは、剣を抜いてその切っ先を一カ所に向けている。
魔王エザフォスの喉元へ、真っ直ぐに。
「突然の攻撃とは、何を考えている、魔王!」
騎士団長が声を張る。
「貴様、人間との約定を忘れたか!? 千年に渡り護られてきた均衡を破り攻撃を仕掛けてきたのはなぜだ!?」
だが、エザフォスは口を開かない。ただ無言でそこに佇むだけだ。だというのに、騎士たちは一定の距離を保ったまま、一歩も前に出なかった。
張り詰めた沈黙と、悲哀に暮れる人々の声と。
ラティオに抱えられたままそれらを呆然と見下ろし、セラスは思わず呟いた。
「……なに、これ」
悲鳴。怒号。号泣。
崩れ、焼け落ち、めちゃくちゃになった村を見下ろして呟いた言葉に、しかし、ラティオは答えない。代わりに語り出したのは、昔の話だ。
「――千年前、世界は争い混沌としていたが、それを圧倒的な力で統べたのがエザフォスだ」
彼の目は真っ直ぐにエザフォスに注がれている。
「それから今日まで、あいつは一度だって世界を破壊しようとしたことはなかったよ。約束通りにね」
普段通りのラティオの口調になったけれど、どこかヒリついた空気は漂ったままだった。その言葉を聞きながら、セラスもまた全身を緊張させていた。
破壊された村に残された魔力が、誰のものなのかわかったからだ。
「わ、たし……私、これ――」
炎が激しく上がり、建物がひとつ、完全に崩れた。その下から悲鳴が上がり――数秒後、途絶えて消えた。
セラスはラティオの胸元に顔を埋め、目を逸らした。だが、すぐに抱え直されて、村のほうへと顔を向けられる。
「ちゃんと見なさい、セラス」
その声は、柔らかいのに、冷たく響く。
「これが、お前の失敗の結果だ」
「わ、たしの……」
「何が見える? 何が聞こえる? 何を感じる? ――よく考えろ」
炎、怒号、悲鳴、焦げる匂い――その全てがセラスに押し寄せてくる。
「で、でも……こんな……こんなこと、するつもりじゃ……」
「知ってるよ、お前が子どもだっていうことは。で、その結果がこれだ」
セラスは目をそらすことも出来ず、息を呑む。
ただ見返してやりたかっただけなのに。だから禁術が使えると、見せつけてやろうとしただけなのに。
「私……この、村を……」
身体が震える。
全身からあらゆる温度が消え去って、呼吸も浅くなる。
冥界の王に襲われて死にかけたときよりもずっと、恐怖で叫び出したくなる。だが。
「魔王よ! これは貴様からの宣戦布告とみなす!」
騎士たちが武器を構える。騎士団長は、声を張り上げた。
「全員、かかれぇ!」
「うおおおおお!」
雄叫びと共に、大地を蹴った騎士たちが一斉にエザフォスに斬りかかっていく。何十という刃が明確な殺意をもって父に浴びせられようとしている。
「パパ――」
「雷鳴よ!」
セラスが声を上げるよりも早く、エザフォスは右手を天に向けた。直後、天が二つに割れ雷が降り注ぎ、大地に叩きつけられる。
雄叫びは悲鳴へと変化した。大地はえぐり取られ、騎士たちの行く手を阻む。恐怖に怯える人々の瞳が、魔王の姿を捕らえていた。
「……我が名は、エザフォス」
低い声が、人間たちに告げる。
「その命を失いたくなくば、武器を捨てろ」
それでも騎士たちはすぐには剣を収めようとはしなかった。
しかしエザフォスが天に向けていた手のひらをゆっくりと人間に向けると、一転して全員がその場から逃げ出していく。
「や、やめろぉ!」
「殺される!」
一人残らず、あっという間に。
村が焼ける音だけがその場に残る。その光景をしばらく静かに見つめてから、どこか悲しげに目を伏せて、エザフォスはその場から姿を消した。
「……ねえ、ラティオ」
震える声で、セラスは尋ねる。
「今の……まるで、パパが村を、壊したみたいに……」
「……みたい、じゃなくて、そういうことにしたんだよ」
「ど、どうして!? だって、この炎に残る魔力、私のなのに!」
「そんなの人間にはわからないよ。ただ強大な力に襲われたっていうだけ。で、エザフォスはその憎しみを自分に向けろって言いにきた」
「そ……それじゃあパパが無駄に恨まれるじゃん!」
「そう、それが魔王だ」
まるで当たり前のことのように、ラティオは言った。唖然としたまま、セラスは村をもう一度見下ろす。
焼き尽くされたその村に、まともに動ける人間はもう、残っていない。
ただパチパチと爆ぜる音だけが、虚しく響き渡っていた。
***
城の自室に戻されてからも、頭の中はぐちゃぐちゃで、まともに考えることもできない。
ベッドに横たわるセラスの隣にはオニロがずっといてくれたが、彼もまた何も言わなかった。ただ黙ってセラスのベッドに腰掛けて、窓の外を眺めている。
いつものように曇天で、太陽はほんのわずかも見えない。普段となにも変わらない光景。だが、鼻の奥には焦げ付く匂いが残っている。
「……ねえ、オニロ」
セラスが声をかけると、彼はくるりと振り返った。
「魔王、ってどういうものなのか、知ってた?」
「そりゃ、知ってるよ。俺が何冊本を読んでると思ってるんだよ」
「本じゃなくて! そうじゃなくて、だから……」
うまく言葉にならなくて、セラスは言葉に詰まる。炎の音も、匂いも、騎士たちの声も。あの光景を、一体どう訴えたらいいのか。
「……私は、知らなかった」
潰れる声で、そうこぼす。知らなかった。何も知らなかった。そう言うことしかセラスにはできない。ポロポロと零れる涙を止めることもできなかった。泣く資格など、持っているはずもないというのに。
そんなセラスをしばらくじっと見つめたオニロは、小さく温かいため息を吐くと、そっと頭を撫でてくれた。
「俺は……知ってる。少しだけど」
大きな手のひらが、ゆっくりとセラスの髪をなぞる。
「魔王が世界でどういう風に見られてるのかとか、それがどんな意味を持ってるのかとか」
「……私は、わかんないもん」
「うん……そうだよなぁ」
オニロはそれだけ言うと口を閉ざしてしまった。あとはただ、頭をなで続けているだけ。まるで子ども扱いだ。たかだか二歳しか違わないのに。
ぐちゃぐちゃとしたものが頭で渦巻いている。こびりついた匂いも、耳の奥で響く怒号も炎の音も。それが「魔王」の直面する世界だったなんて。エザフォスも、ラティオも、オニロだって、誰も教えてくれなかった。
知らないのは自分だけ――
瞼の裏に、人間に殺意を向けられる父の姿がこびりついて離れない。
――なんでパパは、あんなに嫌なものを向けられて、平然としていられるの。
その胸にふつふつと沸き上がるのは、よくわからない苛立ちだった。




