第36話 あの人は、本当は
「元はと言えば、俺もエザフォスも争いは嫌いなんだよ。……俺たちの力じゃ、うっかり相手を殺してしまうから」
さらりとラティオにそう言われて、セラスは驚いて目を見開いた。
「……そんなに簡単に、殺せるの?」
「相手が本気で襲ってきたら、こっちも手加減する余裕なんてないからな。こっちは殴られたくないっていうだけなのに、思いきりはじき返さないといけなくなる。そうすると相手の放った力の二倍も三倍も膨れあがった力が向こうに飛んで行って、そのまま耐えられずに死んじゃうんだよ」
説明されてもあまりピンとこなかった。でも、それが事実なのだろう。ラティオは多少趣味の悪いことを言う癖があるが、決して嘘をつくようなことはない。だから大げさでもなんでもなく――もしかしたら、実際に起こったことなのかもしれない。それでも、戸惑いは隠せない。
セラスもオニロも困惑していることに気づいたのか、ラティオは笑った。
「今はわからないかもしれないけど、いつかわかるよ。力があるっていうのはそういうことなんだ。……エザフォスが軟禁されていたのも、そういうことだよ」
言われて、ハッとした。トルメンタで、確かにそう聞かされた。強すぎる力を恐れて赤ん坊のうちに殺そうとしたけれど、反撃されて殺せなかったから石室に軟禁した――何もわからない赤ん坊でさえその状態なのだ。魔術がある程度使えるようになった魔族なら、どういうことになるのかはじっくりと考えれば、想像できる。
でも、と、オニロが眉間に皺を寄せる。
「それで世界征服って、なんでそういう結論になったんだよ。結果を見れば正解だったのはわかるけど、父さんがそれを企んだ頃はまだ世界中で戦争してたんだろ?」
「別に、最初から世界征服を狙ってたんじゃないよ。ただ、争ってる連中を見て嫌だなって思って、介入している間に恐れられるようになって、で、そういう地域が増えていった結果、世界を半分支配している状態になっちゃった。だから、じゃあ残る半分も同じ要領でいくか、って動いたというだけだ」
「全然『だけ』じゃない。それでエザフォス様にめちゃくちゃ負担かけてたんじゃ、むしろ結果は最悪だろ」
「それに関しては、言い訳の余地もないんだよなあ……」
オニロの指摘にラティオは苦笑いする。過去のことを懐かしむように――あるいは後悔するように――どこか遠くを見つめていた。
「本当は、エザフォスはどこかの山の中とかで静かに暮らした方がいいような性格だよ。虫一匹殺したくない。でも、力があれば争いが止められる。争いを止めたら憎しみは力を持つ者に向く。それでも自分一人が憎しみを受け止めれば、何十万、何百万という人たちが幸せになれる――それを天秤に掛けて、一人で憎まれることを選ぶのがエザフォスなんだ」
「……顔も見たことない人を?」
「そう」
「自分に敵意を向ける人さえも?」
「そう。まあ、多分まだ後悔してるんだと思う。怒りにまかせて故郷を滅ぼしたことを。俺も後悔してる。エザフォスにあんな惨劇を起こさせてしまったことを」
滅びた村。石造りの建物がほとんど全て破壊されて、生活の痕跡を残したまま、廃墟となってしまった場所。穏やかな風が吹き、草木に包まれ、たくさんの人の血に染まった大地だとは想像も付かない姿になった、トルメンタ。
それを思い出しながら、セラスは言葉を失っていた。
――私だって、同じことをしたじゃない。
指先から、力が抜ける。青ざめるセラスをラティオはそっと息を吐いてから、続ける。
「それで、本題だ。セラスの質問の答えだけど」
「……え?」
「もう忘れてた? エザフォスが君に魔王を継いでほしいと思っているかっていう話」
「……あ」
すっかり忘れていた。その質問に戻ってくるまでに、あまりにも多くのことがありすぎた。そもそもそれが聞きたくて、魔王城に戻る前にラティオと話がしたかったのだ。
ラティオはクックと笑うと、柔らかく目を細めた。まるで――全てを諦めたように。
「本当は、あいつは子どもなんて望んでいなかった」
「……え?」
望まれていなかった――不意に明かされた現実に、セラスは思わず息を呑む。
「あー、違う。誤解しないで。セラスが欲しくなかったという意味じゃない。魔王を継がせるために子どもを作ることを望んでいなかったっていうこと」
「あ……そ、っか。そうなんだ……」
力が抜ける。安堵して、視線が自然と下がってしまった。唇を噛みしめるセラスに、ごめんごめん、とラティオが顔を覗き込んでくる。
「変な言い方をして悪かったよ。あいつは君を心から大切に思ってる。だからこそ、本当は魔王を継がせる相手なんて作りたくないんだ。それでも、魔王がいないと世界は安定しない。……今は特に、その危険が現実のものになりつつある」
「もしかして、機械のせい……?」
「…………そう。本当は、俺たちの代で終わらせようと思ってたんだよ、何もかも。だから千年以上も一緒にいるのに、子どもを産もうなんて思わなかった。……俺たちじゃ、産まれてくる子どもが魔力の強い魔族になることは間違いなかったから」
「……パパは、私になんて言うと思う?」
「世界を統べる役目を継いでほしい、って」
「本音では、私に継いでほしくないって思ってるのに?」
「それでも世界を壊したくないって、あいつが思っているからだよ。娘に継がせることだって、同じくらい苦しいのに」
「……そんなんじゃパパ、苦しいばっかじゃん」
それがセラスの素直な気持ちだった。どうして産まれたばかりの頃から苦しんで、辛い思いをしてきた父が、この先もまだ苦しまなければならないのか。考えれば考えるほど、理不尽で、信じられない。
それでもラティオは静かに口の端を上げた。
「だから俺は決めたんだ。何があっても、エザフォスの味方で居続けるって。セラスやオニロに嫌われたとしても」
そう告げた言葉の静けさに、セラスはそれ以上、何も言うことが出来なかった。
***
魔王城に戻ったのは、それから一時間後のことだった。その間に、特別に何か、深い話をしたりすることは結局、なかった。旅の最中に起こったことはオニロが既に報告していたし――セラスが聞きたかったことも、もう聞けた。
そうして魔王城に戻ったセラスとオニロに、真っ先に駆け寄ってきたのはトゥルマリナだった。
「オニロ! セラス! あなたたちは本当に、ラティオの口車に乗って……」
「え、俺のせいになるの?」
「実際あなたのせいでしょう? まだお説教が足りなかった?」
「いやいや……まあ、とりあえず今はそういう話は置いておいて」
勢いでラティオへの説教を始めそうだったトゥルマリナに、オニロは苦笑いしながら歩み寄る。彼は彼で、きっとトゥルマリナに対して話したいことがたくさんあるはずだ。
だからセラスは、ひとりでゆっくりとエザフォスのほうに歩み寄る。不器用で、説明も下手で、勝手に独りでため込んで、我慢して、苦しんで――それでも感情を表に出そうとしない、優しい父親の元に。
「……ねえ、パパ」
声をかけると、エザフォスは静かに口の端を緩める。笑ったのか、安心してくれたのか。それは定かではないけれど、それでもセラスはどちらでもよかった。
エザフォスの手をそっと握り、真っ直ぐに、目を見つめる。
「ただいま」
父は一瞬、言葉を止めた。数度呼吸して、ゆっくりと瞼を閉ざし――そうして、セラスを抱き締めた。
「……おかえり」
その腕に抱かれて、セラスは鼻の奥がツンとするのを感じながら、エザフォスの背中に手を回した。




