第35話 魔王とは
魔王とはなぜ生まれたのか――
世界をだいたい一周して、知らなかったことをたくさん知って……でも、だからこそセラスは痛感した。きっと自分が知ったのは、世界で起こっていることのほんの一部でしかないのだろう、と。
セラスにとって、世界の全てはあの魔王城の中だけだった。けれど何日も、何十日もかけてようやく地図の上ではぐるりと世界を巡ることができるのだ。それでも立ち寄ることができていない街や村もたくさんある。人間たちがどんな生活をしているのかも、ほんの一部しか見ていない。
それでも、知らないことを知ったから、自分がどれだけ知らないのかを自覚できた。
家出を企て、飛び出したあの日。魔王城からエザーレ村へと送り届けてくれたラティオは、突き放すような声音でセラスに言った。
「自分がどれだけ無知なのか、身をもって知ってくるといい。結局、俺たちじゃ――特に、エザフォスじゃ君を甘やかしてしまうから」
――彼の言った通りだった。きっと、エザフォスたちから聞いたとしてもセラスにはわからなかっただろう。自分で見て、感じたから、自分がどうするべきかということを悩めるようになったのだ。
それでもまだ、わからないことがある。むしろわからないことだらけになってしまった。これから自分がどうやって生きるべきか、何をするべきか、何を考え、これから何を知るべきか。考えれば考えるほど、自分がどうしたらいいのかわからない。
何よりも、自分の父親のことが一番わからない。
だから向き合うことを決めたけれど――その前に、オニロに頼んだのだ。
まずはラティオと話がしたい。
……何を思って、彼はエザフォスと共にいたのか。
それをきちんと聞いておかないと、エザフォスのことも理解できない――そんな気がした。
***
トルメンタから数時間歩いた森の中に、小さな小屋があった。石造りで、恐らくは元は人が住んでいたのだろう。狭い小屋だが、キッチンもベッドルームもリビングもある。恐らく、トルメンタが滅ぶ前にはこの辺りにも誰かが住んでいたのだろう。
オニロがラティオに連絡して、一時間も経たない頃だった。一瞬、空間が揺らぎ、風が吹く。それから間もなく、ラティオの姿が小屋の中に現れた。
「やあ、久しぶり。元気そうでなによりだよ」
「あ、情熱的に口説いてた人が来た」
「やっぱりその話になるかぁ……」
セラスの言葉にラティオは苦い顔になる。どうやら彼としても、トゥルマリナとのなれそめに関しては知られれば恥ずかしい話ではあるらしい。ラティオだけでなく、オニロもついでに照れくさそうに目を逸らしているが。
ラティオはちらりとオニロを確認し、苦笑いしながら椅子に腰掛ける。
「俺とトゥルマリナのことだけじゃなくて、エザフォスとリーリエのことも知ったんだろ?」
「うん、知った。それに、パパとラティオのことも」
「……うん」
頷いて微笑み、ラティオはわずかに身を乗り出した。少し意地の悪い顔で、頬杖を突く。
「それで? 過去のことを知った上で、君は俺に何を聞きたい?」
「聞きたいことは、いっぱいあるよ……けど、一番聞きたいのは」
と、セラスは一度言葉を止める。心臓が、バクバクと五月蠅く鳴っていた。このことを、聞くべきか、否か。けれど、今確認しておかなければいけないとも思っていた。
だからひとつ息を吐いて、真っ直ぐにラティオを見据えた。
「パパは、私に魔王を継いでほしいって思ってるの?」
その言葉に、ラティオだけでなく、オニロも驚いたように目を瞠る。
「……それは、俺じゃなくてエザフォスに聞くべきじゃないか?」
問われ、しかし、セラスは首を横に振った。
「ラティオに聞きたいの。パパはきっと、本当の気持ちは隠すだろうから」
「なんでそう思った?」
「……なんとなく。なんか、パパってホントは、力で強引に世界征服したいとか考えてないんじゃないかなって思ったから」
「なるほどねえ……」
どこか優しげに微笑んで、ラティオは天井を仰ぐ。
「やっぱり、送りだして正解だったな。トゥルマリナには怒られたけど」
「確かに、めちゃくちゃ怒られてたよな、父さん」
「そりゃね。勝手に息子と余所様の娘の家出を手引きしたわけだし」
「でも、よかったと思う。だからパパが本当は魔王になりたくなかったんじゃないかって、思えたんだもん」
ほとんど確信を持って、セラスはそう言い切った。ラティオはじっと、その真意を探ろうとするようにこちらを見つめていたけれど、やがてフッと息を吐いて、そうだよ、と笑った。
「エザフォスは世界征服がしたいなんて、ただの一度も言わなかった。ただ世界征服をするだけの力を持っていたっていうだけだ」
「じゃあ、どうして世界征服なんて」
「俺がそうしろって言ったからだよ」
事もなげに、ラティオは言った。はぁ!? と、苛立った声を上げたのは、オニロのほうだ。
「じゃあ黒幕はあんただっていうことかよ!?」
「黒幕だなんて、人聞きが悪い。あいつに手を差し伸べたっていうだけだ。……泣きながら、争いなんてなくしたいとか言うから」
ラティオに掴みかかろうとしていたオニロがピタリと手を止める。争いをなくしたいから、世界を征服する。聞いただけでは矛盾するようなその言葉が同じ方向を向いているということは、今のセラスにはちゃんとわかる。
オゲーラで感じたあの感覚。混乱し、暴走する精霊すらも調伏できる、特殊な力。場を調伏したことで魔術が発動し、その圧倒的な力を見た人間たちも、鎮まったということ。
誰にも再現できない力を持つということは、それだけで場を治められる――支配者となれる。
オニロももちろんそれを見てきた。彼のほうが賢いから、きっとセラス以上にその意味を理解しているはずだ。それでも、オニロは反抗的な眼差しを消さないまま、ラティオのことを睨み付けている。
「エザフォス様が、本当は支配者になんてなりたくないタイプだっていうのは、もうわかってるんだよ」
「うん、だろうね」
「むしろ父さんのほうが相手の懐に潜り込んでその人の決断に関与してきただろ」
「それも否定はしない。実際、リーリエ以外は俺が引き込んだようなものだから。けど、それで彼らは不幸になったか?」
「不幸……に、って、言われると……」
オニロがたじろぐ。さすがラティオだなあ、と、セラスは若干呑気な気持ちで彼らのやりとりを聞いていた。不幸にはなっていない。むしろ居場所を得ることで、穏やかに生活できるようになったはずだ。だからラティオを責める理由はない。オニロの場合は、それが気に入らないと思っているのかもしれないけれど。
分が悪くなり、オニロは言葉を飲み込んでしまう。セラスはひとつ息を吐いて、でもさあ、とラティオを見据えた。
「本当は力で脅したりするの嫌なのに千年以上もずーっとそれをし続けるって、本当にパパが望んだことなの?」
尋ねると、ラティオはなぜか嬉しそうに目を細めた。
「珍しいな、セラスのほうが痛いところを突いてくるなんて」
「痛いって思うなら、からかわないで教えてよ」
「痛いって思うから、誤魔化してるんだよ。……本当は、エザフォスは支配者になることなんて望んでないから」
「ほらぁ!」
険しい顔で身を乗り出すと、ラティオはそれを制するように片手を突き出す。その勢いに、セラスはぐっと息を呑んだ。のろのろと座り直して、ラティオを睨む。
「セラスの判断は正しいよ。あいつは、絶対に本音は言わない。もう千年以上、黙り込んできたんだ。本音を話すのは俺か――じゃなかったら、リーリエだった」
ラティオは静かにそう告げると、少しだけ考え込むようにして目を閉じてから、顔を上げた。
「俺がこれから言うことは、エザフォスには絶対に言うな。……それが守れるなら、話してあげるよ。俺たちが『魔王』になることを選んだ理由を」
その目は真っ直ぐで、今までに一度も見たことがないほど、真剣だった。
だからセラスも、同じように真っ直ぐに真剣な眼差しを返したのだ。
「わかった。絶対に言わないから、教えて。パパとラティオのこと」
その眼差しに応えるように頷いたラティオは、ゆっくり、静かに、彼らのことを語り出した。




