第34話 魔王の石室 後編
その石室には、わずかに溝があった。だいたい、四十センチ程度だろうか。恐らくは、その場所に扉がついていたのだ。もっとも、セラスが手を広げても届かないほど分厚い石を積み上げられた石室だ。扉があったとしても、開くとは思えないのだが。
その扉を、ラティオが開いた――クリシスは不快そうに眉を寄せながら、そう言った。
「当時のラティオはまだ十歳だか十一歳だか、その程度だった。だが、小賢しいほどに賢い子どもで……幼いながらに強力な力を持った子どもが石室に封じられたことを知り、自らが二属性の魔力を持っていることを隠していた」
「隠す……? どうやって」
「知るか。俺にわかるのは、ラティオが小賢しい子どもだったということと、俺たち全員をうっすらと敵だと思っていたということだけだ」
「当然だろ。強いとわかれば殺されるか封じられるか……そんな村で、周りを味方だと思えるか?」
オニロが冷たく吐き捨てる。その言葉に、クリシスは言い返しはしなかった。自覚はしているのだろう。それでも、認めるつもりはないのだろうが。だからオニロの反応にわずかに眉を動かした程度で彼は立ち上がった。
ゆっくりと移動して、扉がついていたとおぼしき場所の前に立つ。セラスは少しだけ迷ったが、クリシスのいるあたりへと移動した。
草や藻に覆われていても、そこに何か重いものが置かれていたのだろうなとわかる程度に地面が沈んでいる。その溝のようなものを、クリシスは指差す。
「石室に入る扉は、ここにあった。……扉というよりも、蓋、と言うほうが正確だろうが」
「やっぱり。開くことなんて考えないで作った入口でしょ」
「……開いては困る。だから、厳重に蓋をして、誰にも近寄らせないようにした。できれば、そのまま死んでもらえれば、こちらとしても都合がいい」
その瞬間、血が沸騰するような怒りを覚える。思わず飛び出しかけて――しかし、オニロに止められる。
「それで? 二度と明けられない『扉』をつけて、誰も近づかないようにしていたのに、なんで父さんはこの石室を空けたんだ?」
「理由など知るか。そもそも、厳密にはいつこの扉を明けたのかもわからない。あいつは、人畜無害な顔をして、裏でずっとコソコソと魔王を解放することだけを考えていた」
「そんなの、理由なんて簡単でしょ。あんたたちみたいのがパパのこと閉じ込めてるって知ったからじゃない。ただ強いっていうだけで閉じ込められるなんて、絶対おかしいもん!」
「それは力を持つ者の言い分だ。為すすべもなく殺されるだけの俺たちに、他にできることがあるとでも言うのか?」
「だからって――」
「実際、この村は滅ぼされた!」
低く唸るような声に、セラスは言葉を失う。
風が草木を撫でていく。今は苔むした石造りの家と草木があるだけのこの場所も、かつては集落があったのだ。恐らく暮らしていたのは皆魔族。ジュピア村と同じような場所だったのだろう。
その場所に、圧倒的な力を持った『魔王』が生まれた。
――その力に、滅ぼされた。
その現実が襲い掛かり、セラスはたじろぐ。何から考えたらいいのかわからない。もともと、深く考えるということは得意ではないのだ。言葉を探しては空を切る。
だがオニロは怯まなかった。
「エザフォス様が、この石室に軟禁されていたことが理由で村を滅ぼしたということは絶対にない。何か別のきっかけがあっただろ」
「……なぜ言いきれる?」
「こんな石室、エザフォス様の力があれば簡単に吹き飛ばして脱出できる。たとえ封印していたとしても、お前ら程度の魔力じゃ叶うわけないしな」
「…………」
「だから父さんだって、この石室に近づいてエザフォス様を助け出すことができたんだろ。父さんが十歳くらいの頃のことだとか言ってるけど、実際はもっと前からここに来てたんじゃないか? お前らが知らないだけで」
「…………」
クリシスは不愉快そうに眉を寄せ、目をそらす。図星なのだろう。本当に腹の立つヤツだとは思う。けれど、ひとつだけ。セラスにも理解できたことがある。
「つまり、パパはずーっと閉じ込められてたわけじゃない……?」
「本人に確認しないとわからないけど、たぶん。父さんのことだから、エザフォス様が閉じ込められてるってわかった時点で助けにきてると思うよ」
「……確かにラティオならそうしそう」
「だとしたら! なぜここにずっと留まっていたと言うんだ!?」
「知らないよ、そんなの。本人に聞けよ」
「この、クソガキが……」
「わざと逃げなかった、っていうことだよね……?」
「そう。なんでそんなことしようと思うのかは……まあ、俺にはわかんないけど」
「それなら、ちょっとだけ、わかる気がする」
オニロが目を瞠る。セラスはそっと自分の手のひらに視線を落として、息を吐いた。
「……私、怖いもん。また、うっかり、村を焼いたりしちゃうんじゃないか、って……」
「だったらいつまでもこんな村にいる必要はなかっただろう!?」
「でも、パパはここしか知らなかったんでしょ?」
「……は?」
「私も、城しか知らなかったもん。だから、どこかに行こうなんて、思ったこともなかった。オニロが誘ってくれなかったら、家出だってしなかったよ」
クリシスは心底理解できないとばかりに首を振る。しかし、オニロは優しく笑ってくれた。セラスの頭をそっと撫でてくれた。
「……教えて、クリシス。パパが村を滅ぼした日、何があったの?」
「それは……」
「理由があったんでしょう? じゃなかったら、パパは村を襲ったりしない」
「…………」
「私みたいにバカだったらわかんないよ。でも、突然暴れるなんてパパはしない。パパが怒るときはいつも理由があるもん」
冷静に、冷静に。セラスは自分に言い聞かせながらクリシスを問い詰める。まるで逃げようとするように目をそらすことも、もごもごと口を動かすだけで何も語らないことも、どちらも腹が立っている。それでも、冷静に。セラスは真っ直ぐ、クリシスを見据える。
やがて耐えきれなくなったのか、こちらには視線を向けないまま、クリシスは言った。
「……ラティオが隠していたことを、村長が知った」
「それって……パパのところに通ってたこと? それとも、二属性の魔力を持ってたこと?」
「どちらもだ! あいつが、俺たちを欺いて、魔王を味方につけていた。そのことを知った村長が怒り、ラティオを……攻撃した」
「はぁ?」
声を上げたのはオニロのほうだった。今度はセラスがオニロの手を握る。ハッとして、彼は息を吐いた。澄んだ酸素を取り入れるように。
クリシスは声を震わせながら、続ける。
「ラティオは、瀕死の状態でどこかに消えた。俺たちはそう時間もかからずに死ぬだろうと、ヤツを追わなかった」
「追えなかったんじゃないの。やり返されたら怖いから」
セラスが指摘しても、クリシスは背中を向けるばかりで、まともな返事は寄越さない。だが恐らく、その通り、ということだ。
「それでラティオは、パパのところに行ったんだ?」
「エザフォス様は、父さんを攻撃されたことに怒った……それで、魔力を暴走させたんだろ。怒りと哀しみで、自分でも自分を制御できなくなって」
クリシスは口をつぐんだまま俯く。その後のことは、もう想像するまでもない。この地でどんな地獄絵図が繰り広げられたか。どれだけの人が、死んだのか。
――死んで当然じゃない、そんなの。
ふと浮かんでしまった言葉に、セラスは唇を噛みしめた。こんなこと、考える人になりたくなかった。
だからセラスはオニロの手を引く。
「行こう、オニロ。もうこんなとこ、いなくていい」
「……ああ」
オニロのほうも、感情を抑え込むようにして歩き出した。クリシスは追ってはこない。ただ黙ってその場にうずくまった。
森の中を清かな風が吹いていく。その中に、風の精霊の気配があることにセラスは気づいた。皆、優しく、寄り添ってくれる。セラスに、というよりも恐らく、セラスの身体を流れる魔力に。
「ねえ、オニロ」
「ん?」
「パパは、なんで魔王になったんだと思う?」
「……俺の想像でいい?」
「それがいい。私の考えてることと違うのかどうか、知りたい」
わかった、と、オニロは頷く。そうして少しだけ考えてから、俺は、と口を開く。
「探したかったんじゃないか? 自分の力が、怖がられない方法を。だから世界を統一したんだ」
「過去形?」
「……結果的には、怖がらせることでしか世界の統一はできなかったからな。それでも、争いはなくなって、平和になった」
「それは……あるかもしれない」
「お前は? なんでエザフォス様が魔王になったんだと思う?」
「私は……本当は、パパは世界平和なんてどうでもいいのかなって、思ってる」
「……それは?」
「自分の大事な人を守りたいっていうだけなんだよ。ラティオと、トゥルマリナと……あと、ママのことも」
そう告げると、オニロは「ああ」と笑った。そうかもな、と。
エザフォスの世界には、ラティオしかいなかった。そのラティオが穏やかに生活できる場所を作るには、世界を黙らせるしかなかった。そういうエザフォスの気持ちが伝わったから、リーリエはきっと、故郷よりもエザフォスを選んだ。エザフォスのそばにリーリエがいてくれるようになったから、ラティオはトゥルマリナと出会い、彼女の孤独も救おうと思えた。
だからきっと、全ては我欲だったのだ。魔王になったのはそのついでにほかならない。それでも千年以上の間、エザフォスは世界を統べて、平和をもたらした。
「……オニロ、帰ろう。私、パパと話さなきゃ」
「そうだな。俺も、父さんや母さんと話したくなった」
セラスとオニロは顔を見合わせて笑う。家出から戻ったら、大人たちから何を言われるだろうか。トゥルマリナには叱られそうだし、ラティオには何を考えたかを聞かれそうな気がする。エザフォスは――
……父には、聞かなければいけないことも、話さなければいけないことも、たくさんある。
――なぜ、リーリエが死んでしまったのかも、含めて。
それでも今の自分なら、ちゃんとエザフォスの目を見て話ができるような気がする。だから、帰ろう。セラスは天を仰いで笑った。
***
――首都では、自然など枯れ果てた。
石炭を燃料とした機械が開発されて百年以上の年月が流れている。その最中、石炭というものが自然を徐々に蝕むものだということはわかってきたが、魔力を持たない人間が良き生活を送るためには必要なものだった。故に、容認した。ならば自然がなくとも生きられるようにするべきだ、と。何代も前から将軍職を賜っているカムエル家ではそれが使命となっていたのだ。
この世界は、魔族によって支配されている。逆らえば村も焼かれる。先日も、唐突にひとつ村が焼かれた。恐らくは見せしめだろう。定期的にこのようにして人間に見せつけねば、かつてのような戦乱が巻き起こるとでも思っているのだろう。
実際、何度も戦争は起きかけた。
その度に魔王が現れて、圧倒的な力を示し、争うことを許さなかった。
黙るしかなかった。どれだけ周辺の地域の情勢に不満を抱こうとも、兵器を手にしてその情勢を糺そうとすれば、魔王がやってきて何もかも皆殺しにしてしまう。
周辺と争う暇などない。まずは、魔王を倒さねばこの世界に本当の平穏は訪れない。
だからカムエル家では代々研究を続けてきたのだ。人間たちが良き生活を送るための機械と――魔王に対抗し得る兵器の開発を。
「……ようやく、実現しそうです。私たち人間が、長年願い続けてきたことが」
ルーナ・カムエルは、その兵器を見上げる。城ほどの大きさのある大砲が、巨大な工場の中に収められ、威風堂々たる姿を見せつけている。まだ完成はしていない。だが、先日首都に魔王の右腕とみられる男がうろついていたのに、この工場を見つけることが出来なかったという報告は受けている。つまり、この工場の周辺に張り巡らせた機械を使った結界は、魔族の力をもってしても見破ることができなかったということだ。
ならばもはや、魔族をも超える力を人間が手にしたのだと、言うことができる。女将軍のたわごとと笑われながらもこの人生を研究に費やしてきた甲斐があった。
「さあ……世界に、本当の平和を」
ルーナはそう呟いて、微笑んだ。
【第一部・完】




