第33話 魔王の石室 前編
「パパに、滅ぼされた、村……?」
その言葉の意味が理解出来ず、セラスは眉を寄せる。この男は、魔族だろうか。だとしたらエザフォスを知っていてもおかしくはないが、それにしたって、言っていることがおかしくはないだろうか。
「こ、ここは……パパの生まれ故郷、なんだよね……?」
「ああ、そうだ」
「じゃあおかしいじゃん! なんで自分が生まれた村を滅ぼさなきゃいけないの? そんな理由、どこにもないじゃん!」
「なぜそうだと言える?」
「な、なぜって……」
なぜ、と、改めて言われてしまうとそれに答えられるだけの答えをセラスは持っていなかった。直感、とか、なんとなく、とか。そんなことを言っても納得してくれる相手とは思えない。だが、セラスにとってはにわかには信じられないのだ。
――見知らぬ人を殺したときでさえ、頭が真っ白になったのに。
わざとではなかった。殺したくて殺したわけではなかった。だが、そんなことはきっと、殺された人たちにはなんの関係もなかった。……それが理解できる程度には、セラスは、子どもではなかった。
だからエザフォスが故郷を滅ぼしていたなどと言われても、飲み込めない。
困惑するセラスの肩にポンとオニロが手を置いた。ハッとする。急に息苦しさがなくなって、そこではじめて、セラスは自分が息を止めていたことに気づいた。
一歩前に出たオニロがその男を警戒するように見据える。
「こいつが魔王の娘だっていうのは、知ってたのか?」
「いや、俺はもう長いことここから出ていない。魔王に娘が生まれていたということも知らなかったよ。だが、気配でわかる」
男はフッと笑うと、強く、拳を握った。
「千五百年前、為すすべもなく俺たちの生活も、仲間の命も、奪っていった……その魔力の気配など、一生掛かっても忘れられるわけがないだろう?」
その深淵から這い出してきた怒りの塊に、セラスは慄いて一歩下がる。
「……あんた、ラティオのことは覚えているのか?」
「ああ、覚えている。魔王が唯一心を開いた男だからな」
「俺は、ラティオの息子だ。名前は、オニロ」
「オニロ……なるほど。ラティオは今も魔王とつるんでいるのか」
「そうだな。あんたにとっては仇でも、父さんにとっては大事な友人だから」
「……わかっている。あの頃も、魔王の唯一の友人はラティオだった」
今度は、男は笑った。まるで嘲っているように――自分のことを。
この人は、何もかも知っているのだ。この場所が廃墟になってしまった理由も、エザフォスがここを出て行った理由も。それなら――
「わ、私は……」
セラスは一歩前に出て、震える声で言葉を放つ。
「私は……セラス。ねえ、教えて。この村で、一体何があったのか……パパが、何をしたのか」
声が震える。指先も意図せずに動いてしまい、必死で握って固定する。膝も少し笑っていた。それでもセラスは、目の前にいる魔族のことを、じっと見据える。
その男もまた、静かにセラスを見据えていた。黙ったまま、まるで、試すように。
風が通り抜けていく。こちらを伺っているような風の精霊の気配もする。サアッと、草の揺れる音がした。
その長い沈黙の末に、男はフッと、口元を緩めた。
「俺の名はクリシス。……ついてこい。お前の父親が一体何をやらかしたのか、見せてやる」
そう告げて、クリシスは歩き出す。セラスやオニロがついてきているかも確認せず、真っ直ぐに前だけを見据えて。
彼の進む先に、一体何があるのか。
セラスは大きく息を吐き出してから、前だけを見据えて、追いかけた。
***
かつて村があったというその場所は、もはやただの遺跡だった。この付近も石造りの建物が多かったのだろう。だが、頑丈なはずの壁は全て破壊され、崩れ落ち、苔むして無言で横たわっている。
クリシスはエザフォスやラティオよりもずっと年をとっているように見えた。しかし、実際のところは十年程度しか生まれた年は変わらないのだと、彼は言った。
「魔王が生まれたとき、俺はまだ十五だった。ほんの子どもだ。まだ魔術も満足には使えない、自分の魔力を引き出すことも出来ない、未熟者だ。それでも、その異様な気配には気づいた」
崩れ落ち横たわる建物の下に、時折木の板のようなものが見える。それらはほとんど腐っていて、元が何だったのかは判別できない。だが、きっとテーブルや椅子やベッドやタンス――この村で生活するために使っていたものだろう。
「魔王の母は、この村で唯一、三属性の魔力を持った女だった。火、地、そして風……そもそもそんな魔力を持つ者は見たことも聞いたこともなかった。だからその女も、村では忌み嫌われていた」
「その女……も?」
「……強い力を持つ者は、恐れられる。少しでも相手を怒らせれば、命を取られるかもしれないんだからな」
「そんなこと――」
ない、と、セラスは言いたかった。実際、リーリエは違う。三属性の力を持ちながら、彼女は村を護り続けた。死してなお、彼女の結界はその地域を護り続けている。
けれど、トゥルマリナは。その力の強さのせいで、姉ともうまく関われず、孤独だった。それなら、クリシスの言うことが正しいというのだろうか。ただ強い力を持って生まれたという、それだけのことで、嫌われる。それが当たり前だとでも言うのだろうか。
納得はできない。けれど、セラスは口をつぐんだ。
「……生まれてすぐには、魔王がどれほどの力を持っているかはわからなかった。誰も知らないから、判断できなかった。それでも、魔王の母は生まれてすぐに命尽き、父親もいつの間にか死んでいた。それでも独りで勝手に育っていく――そんな子どもを、不気味に思わずにいられるか?」
反論することができなかった。自分が何を反論したいのかすらわからなかった。聞かされる言葉を反芻するだけで精一杯で、それ以上のことを考えることすらできない。
クリシスはまだ、廃墟の中を歩く。何軒の家があったのか、どれほどの魔族が暮らしていたのか、その様子を想像することもできない。積み上げられた瓦礫はとうてい一軒分とは思えない。別の場所から運ばれてきたのだ。恐らくは、圧倒的な力に吹き飛ばされて。
「村の大人たちは、その子どもを早いうちに殺すべきだと言った。実際に殺そうとした。だが、まだ生まれて一年も経たない赤ん坊に、誰一人勝てなかった。だからせめてと、大人たちは魔王を封じる器を作り、赤ん坊をそこに閉じ込めた」
「……え?」
村の外れとおぼしき場所で、クリシスは足を止めた。そこにあったのは、上半分が吹き飛んだ、正方形の石室だった。幅はせいぜい三メートル程度。上は吹き飛んでいるから予想でしかないが、高さも恐らく、それと対して変わらないのだろう。
「閉じ込めた、って……ここに……?」
「……構造から考えると、内部には家具も何もない状態だったよな? それに、窓も作られていない」
「どういうこと!? こんなとこに……こんなとこに、パパを閉じ込めたの!? まだ赤ちゃんのパパを!?」
「…………」
「ねえ、答えてよ!」
セラスは思わず掴みかかる。オニロもそれを止めなかった。クリシスは抵抗する様子もなく目を逸らし、ゆっくりと、セラスの手を下ろす。
「閉じ込めたんだよ。いつか、自然に命を落とすことを願って」
「……ふざけんなああああ!」
セラスは力の限りクリシスを突き飛ばした、頭の中がグチャグチャだ。吹き出す感情を、セラス自身もコントロールできない。マグマが煮えたぎるような感覚がドロドロと体内を行き来して、順番に炎を吹き上げていく。怒り、哀しみ、恐怖、憎悪、ありとあらゆる負の感情が全身を渦巻いて、目の前がチカチカする。
「こんな……こんな場所に! なんでそんなことが出来るの!? 赤ちゃんって……赤ちゃんって、何にもできないんでしょ!? なんにもわかってないんでしょ!? 私はそんな記憶ないもん、赤ちゃんのときのことなんて覚えてないもん! そんな、何もできない子を、こんな場所に閉じ込めるとか!」
渦巻くような魔力がセラスの身体から漏れ出す。それに呼応するように、風の精霊たちが集まってきた。
――こんなやつがなんで生き残ってるの?
フッと浮かんだ言葉に、セラスは一瞬、笑みが零れた。だが。
「落ち着け、セラス」
ギュッと、手を握られた。
「ッ……!」
強くて、痛い。だが、その痛みのおかげで、セラスは大きく息を吐けた。意識が一気に現実に戻ってきて、焦点が合う。
オニロが、セラスを正気に引き戻してくれた。
「クク……ハハハ! すごいな、血というのは」
「何がおかしいのよ!」
クリシスは肩を揺すりながら起き上がり、苔むした岩の上に腰掛ける。そうして、かつて魔王を閉じ込めていたという石室のほうへゆっくり、視線を向けた。
「魔王は石室に閉じ込められても死ななかった。何年も何年も、ずっとこの中に居続けて、太陽すらも知らなかった。だが」
泣きたいのか、怒りたいのか、判別できないような表情で、男は呟いた。
「魔王の翌年に生まれた子どもが――ラティオが、その石室の扉を開けたんだ」




