第32話 魔王の生まれた地へ
結局、セラスが回復するまでに一週間もかかってしまった。これまでにも魔術は使ってきたというのに、魔力が尽きるまで使い果たしてしまった後の回復がこれほど大変なことだとは思わなかった。
「もう二度と魔力を使い切るなんてしない……」
荷物を背負い直しながらそう告げたセラスに、オニロは肩を揺すりながら笑う。
「そのためには、魔術の制御を覚えないとな」
「……覚える。ホントに、真面目に」
「珍しくがっつりヘコんでるな」
「そりゃねえ……」
深々とため息を吐くセラスにオニロはそれ以上何も言わなかった。ポン、と頭を撫でて、そのままルビアのほうに視線を向ける。
「本当に、いろいろ助かった」
「いいえ。私も甥っ子の役に立ててよかったわ」
そう言って微笑んだルビアは、オニロの目を真っ直ぐに見据える。
「トゥルマリナのこと、よろしくね」
「……ああ」
別れの会話はそれだけだった。それでも、二人にとってはそれだけで十分だったのだろう。オニロは小さく頷いただけで背を向けて歩き出した。
「またね、ルビア!」
「ええ、気をつけて」
セラスも大きく手を振ってから、オニロの後を追いかける。これから街中に戻って、馬車で移動する予定だった。
目的地は、魔王の生まれた地・トルメンタ。
自分の根底に触れるような気がして、セラスの心臓はバクバクと高鳴っていた。
***
オゲーラから馬車で五日かけて、風の精霊が守護する地域へと移動する。風の精霊は癒しを司ることが多い。回復魔術が得意なラティオは、まさにこの土地で生まれた者の力を色濃く継いでいる。風の精霊の性格も、比較的穏やかなことが多い。もっとも、怒らせた時は怖いのだが。
「水の精霊も穏やかなほうではあるんだけど、風はもっと優しい感じなんだよな」
「へえ……四大精霊の中で一番ってこと?」
「そういうこと」
「ふうん……」
「なんだよ?」
「うーん……」
セラスは少し唸ってから、ちらりと周囲の人を見る。同じ馬車に乗っているのは決して人数も多くなくて、小声でなら話しても聞かれないくらい離れていた。
だからセラスは、自分の疑問をそっと口にする。
「なんかさ、そんな穏やかな精霊が守護してる土地で魔王が生まれたなんて不思議だなって思ったの」
「……ああ」
確かに、とオニロは頷く。
「あんまり深く考えたことなかったけど……言われてみれば、魔王って言葉の印象から一番遠いのが風の精霊かもしれないな」
「だよね。まあ、パパも魔力が強いだけで別に乱暴な人じゃないけどさ」
「それもそうか。性格だけで言ったら、父さんよりエザフォス様のほうがおだやかなくらいだもんな」
「ラティオはかなり情熱的だったもんね~」
「本当に……いや、正直、自分の父親があんな風なのは、想像しなかったというか……」
「憧れる?」
「あんまり」
「オニロは保守的だよね」
「うるさい」
ラティオに軽く小突かれた瞬間、ガタンと馬車が大きく揺れる。慌てて座席に捕まってバランスをとり、セラスはふうと息を吐いた。
「なんか、だんだん道がガタガタになってきたね」
「シムラクルムやオゲーラと違って、この辺は人口が少ないからな」
「人がいないと道も整ってないの?」
「平たく言えばそんな感じかな」
「そっか。ローカ村みたい」
あの付近も人口が減って、道は比較的荒れていた。だが、それは地の精霊が土地を見限って姿を消したことも原因にはなっていた。
この街道からは風の精霊の気配がする。さやさやと吹き付ける風の隙間から、精霊の優しい歓迎の空気が感じ取れる。この付近には初めてきたのに、そんなことは気にしないとばかりに風の精霊はおだやかな空気を崩さない。
「こんなに優しい土地なんだから、人間だって住みやすそうなものなのにね」
「そうなんだよな。地図で見た限りは人間が住みやすそうな土地は多いのに」
「魔族のほうが多いとか?」
「うーん、それも聞いたことはないな。そもそも魔族は数が少ないし、ルビアみたいに他人と関わらないように生きたいってタイプも多い。だから集落を作ってまとまって生活する方が少なくはある」
「シムラクルムにいたジョリーもひとりだったもんね」
「ああ。魔術さえ使わなければ、人間と魔族の見分けは付かないしな」
再びガタンと馬車が揺れる。大きく跳ねるたびに腰やら膝やらがぶつかって、痛くてたまらない。
「いくら田舎だからって、荒れすぎでしょ……」
思わず唇を尖らせたセラスに、隣のオニロがプッと笑った。
***
ガタガタと揺れる道をどうにか抜けきって、セラスたちは小さな村に辿り着いた。人の気配はローカ村より少し多い程度で、しかしあの村よりもどこかのんびりとしていておだやかだった。
この村には機械もなさそうだ。精霊の結晶の気配もなければ、風の精霊が怒るのも悲しむのも感じない。首都から離れているというのもあるかもしれないが――全く機械がないことに、セラスは若干の違和感を覚える。
もっとも、目的地はここではない。
「トルメンタはここから森を抜けて、谷のあたりまで行ったところにあるはずだ」
「遠いの?」
「若干。でも、三時間も歩けば付くよ。どうする? 今から行っても日が高いうちに着けると思うけど」
オニロに問われ、セラスは天を仰いだ。太陽はまだ天頂にも登っていない。この村を見て回っても特別なものが見つかるとも思えない。
それなら、答えはひとつだった。
「行こう。休むなら、トルメンタに行ってからでもいいだろうし」
「そうだな……なら、そうするか。トルメンタで休めるかはわからないけど」
「どういうこと?」
「風の谷にあるトルメンタは、滅びてるんだよ。千五百年前に」
「……え?」
***
森は緑が豊かで、日差しも柔らかく、風が心地良い。
獣道がかろうじてある程度の森ではあったが、歩き辛いということはない。荒れてはいても、風の精霊が拒絶していないからこそだろう。
しかしこの先にある集落がとっくに滅びているなんて、セラスは想像してもみなかった。
「ママの故郷も、トゥルマリナの故郷も、ちゃんとあったから……パパとラティオの故郷だって、残ってるものだと思ってた」
「俺も言わなかったしな。けど、世界には滅びた村って結構あるよ。千年以上も経って残ってることが不思議なんだよ」
「へえ……」
珍しいことではない、と聞くと、少しだけホッとする。本当は安堵していてはいけないのだろうが、世界で村を滅ぼしたのが自分一人だとしたら、それは少し、キツすぎる。
「なんで滅んだのかとか、オニロは知ってるの?」
「さあ……それに関しては、教えてもらってないな。父さんが残してる記録も、面倒臭いのかなんなのか知らないけど、めちゃくちゃ細かいところとあんまり書いてないところとでまちまちだし」
「っていうか、世界のこと全部ラティオが記録してるの? 一人じゃ無理じゃない?」
「母さんも手伝ってるとは聞いてる。けど、まあ基本的には父さんが一人でやってるっぽいな」
「パパはやらないんだ。なんで?」
「なんでって……そんな細々したことやってる魔王なんて嫌だろ?」
「えー、そんな理由?」
「そんなもんだと思うけどな、俺は」
さほど興味もないかのようにオニロは言う。適当に誤魔化されたような気がして少しだけ腹は立ったが、そういうものなのかもしれない、とも思う。だいたい、エザフォスが机に向かってチマチマと記録をとっている場面なんて、娘のセラスでも想像はできない。
滅びた集落への道は、徐々に狭くなっていく。風の精霊の歓迎はあるけれど、それでももはやここには人が入ってこないのだろう。
最後には草を掻き分けるようにして進んで行って、やがてとりわけ大きな草を避け、蔦をくぐるようにして歩を進めて――
「……ここ、が」
谷の底に、ぽっかりとえぐられたような痕がある。まるで巨大な竜の爪が削り取ったような谷の壁と、蔦が絡みついた石造りの建物。天からキラキラと光が降り注ぐその谷底に、セラスは思わず見惚れてしまう。
「パパが、産まれた土地……」
「すごいな……ものすごく、静かだ」
物音ひとつ聞こえない。滅びて人影もないからそうなのかもしれないが、それにしても、静謐な空気が漂っている。
セラスはゆっくりと息を吸って、吐いて、その気配を身体の奥へと取り込んだ。
――これが、パパのいた場所の気配。
目を閉じてその空気を感じようとした、その瞬間のことだった。
「……まさか、ここに来ることがあるとはな」
低い声が聞こえて、セラスは驚いて振り返る。セラスを背に護るようにして、オニロもそちらに視線を向けた。
足音も立てずに近づいてくる、男の影。
「その気配……魔王の娘か」
「……あなたは?」
肯定はしない。しかし、否定もせずに、そう尋ねる。すると男は感情の読めない顔で告げた。
「トルメンタの――魔王エザフォスに滅ぼされた村の生き残りだ」




