第30話 魔王の力
周囲に漂う精霊たちがざわめき始める。
セラスの全身を巡るように魔力の奔流が動き始める。地、水、火、風、四つの属性を持った魔力は、精霊の力を借りずにセラスの意志で膨れあがっていく。
ゆっくり、ゆっくりと。セラスは深く呼吸する。先ほどセラスが黙らせた火の精霊たちが静かにこちらに寄ってきた。周囲では暴走する精霊たちが好き放題飛び回っている。時々その怒りを暴発させて、爆音も轟いている。
だがその爆風がセラスに届くことはない。
セラスの背中をオニロが。
そしてセラスの前方ではルビアが。
周囲に取り巻く火の精霊たちも共に。
自らの内側に集中するセラスのことを、護ってくれている。
――だからセラスは、自分だけに意識を使える。
瞼を閉じて「それ」を探る。ルビアに襲い掛かろうとした悲劇を吹き飛ばした力。物理的な法則も、魔術の常識すらも無視して解き放ったあの力――魔王の力。
それが本当に存在するものなのか、セラスにはわからない。オニロにすら判断できない。けれど長く生きているルビアがその言葉を口にしたということは、きっと見たことがあるのだろう。本来ならば起こり得ないことがあらゆる理屈を吹き飛ばして発生した瞬間を。
それなら、見つけられる。
――私だって、魔王の娘なんだから!
身体の内側で廻り巡る四つの魔力。それらはセラスの身体を確かに満たしている。でも。
……でも。
その中央に、ぽっかりと、穴。
そこにだけある、漆黒。
深淵。
ただただ深い、見たこともない、感じたこともない、黒。
――冥界。
「……あった」
セラスは思わず呟く。一瞬だけ、ルビアがこちらに視線を向けた。
オニロの気配は変わらない。セラスを気にする様子もなく、火の精霊の暴走を防いでいる。ちょっとくらいこちらを見て褒めてくれてもいいのに、などと思ったりもしたが――そんなことよりも、まずは。
「――言うこと聞きなさいよ、私の力!」
セラスは大きく息を吐いた。体内を駆け巡る魔力たちが、その深淵に一気に流れ込む。地、水、火、風、全ての属性が混ざり合い、一つになって、巨大なエネルギーの塊へと変化していく。
それは、魔術ではない。
もっと原始的な力の発露だ。
「ひれ伏しなさい、全ての精霊よ!」
高らかに宣誓する。
その声に反応したのは、周囲の精霊だけではなかった。
街の中心で。街の外れで。火山の麓で。巨大な機械の周囲で。
あらゆる場所で暴走していた精霊たちが一気に大人しくなったのを、セラスははっきりと感じた。
放出したセラスの力に――魔王の力、と呼ばれたそれに、精霊たちが動きを止めて、正気に戻り、炎の勢いがフッと緩む。
「……良い子」
セラスは微笑む。だが、既に燃えてしまったものが元に戻るわけではない。轟々と放たれる火の勢いが消滅するわけでもないのだ。
「ルビア! この街に水場はある!?」
「あるわ。こっちよ!」
ルビアが走り出す。セラスとオニロもその後に続いた。見る限り、精霊の暴走は完全に落ち着いている。だが、被害が大きすぎた。この炎を消し止めない限りは、街は全滅してしまう。
――あの、セラスが燃やした街のように。
そんなことはさせられない。
「ここよ。水の精霊の住む土地と比べたら、全然足りないと思うけれど……」
ルビアが連れてきてくれたのは、小さな池だった。シムラクルムで見た大きな湖とは規模があまりにも違う。水の精霊の気配もしないから、水の魔術を使ったところでこの火事を収めることは難しいだろう。
もしもセラスに何の力もなかったら、の話だが。
「これだけあれば十分!」
自らの内側に巡る圧倒的な力。それを指先に集中させて、そっと池に手を浸した。
「この炎を全て、消し去ってみせる。だから――」
――脳裏にどこまでも広がる湖の風景が甦る。
「来たれ、水の精霊!」
指先から力を一気に注ぎ込む。その瞬間、水面がざわざわと波打ちはじめ――
「水の精霊が……!」
オニロが目を見開く。つい先ほどまでこの場に存在しなかったはずの水の精霊たちが、セラスの魔力を媒介に、水面から次々溢れ出してくる。
「オニロ! 街中に雨を降らせたいの! でも私、まだちゃんとコントロールできないから――」
「わかった。お前の魔術が安定するように支えればいいんだろ?」
「さすが! いくよ……!!」
セラスは池に浸けていた手のひらを天へと向けた。そのセラスの背にオニロが手を添える。彼の温度を確かに感じながら、セラスは天を睨め付ける。
赤々とした炎と灰で赤黒くなったその空に、セラスは勢いよく魔術を放つ。
「水よ! 街中の火を消して!」
水の精霊たちは池の水を何倍にも、何十倍にも膨らませ、一気に空へと駆け上がっていく。まるで龍が天に昇るように、巨大な水の塊が上空を舞い踊る。
「な、なんだあれ……!」
「今度は何!? 魔物!?」
「こわいよお……!」
人間たちが惑う声が聞こえてくる。だが、セラスはその水の塊を落下させてしまわないように抑え込むので精一杯だった。
「やば……このままじゃ、水で街を潰しちゃう!」
「わかってる。セラス、絶対に集中を切らすなよ」
オニロの手のひらから、柔らかな水の精霊の気配が注ぎ込まれる。まるでセラスを包み込むように、安心させるように。
強ばっていたセラスの身体から余計な力が抜けていく。その瞬間、視界がパッとクリアになった。
――何をしたらいいのかが、わかる。
「これなら、できる……」
「そうだ。いいか、そのままその塊を街中全部に広げて伸ばすようにイメージしろ」
セラスは頷いて街の範囲を思い出す。観光地だというオゲーラは、かなりの広さのある街だ。ついさっきまで暴れていた火の精霊たちもその全てに分布している。だから、彼らのいる場所を探り当てて、その広さいっぱいに、薄く水の塊を伸ばして、絨毯のように均等にして――
「いいぞ、今だ! 雨を降らせろ!」
「うん! いっけええええ!」
セラスが軽く魔力を注ぐと、水の絨毯は一瞬だけ霧状になって、直後、ちょうどいい大きさの雨となり降り注ぐ。
人間を傷つけることはなく。
しかし炎は押さえ込んでいく。
「火が、消える……」
「た、助かったのか……?」
逃げ惑っていた人間たちも、力が抜けたのか崩れ落ちる。雨粒はそんな人々も濡らし、柔らかく癒していった。
「水の魔術に、癒しの力が込められている……?」
ルビアは驚いたように呟いた。だが、オニロは平然と頷く。
「基本的に回復魔術は風の精霊の得意技だけど、火傷に関しては水の精霊も強いんだよ」
「……知らなかったわ。私、ラティオと同じくらい生きているのに」
「その辺の理論って、父さんが纏めたから。の、割に魔族間では共有されてなかったりもするし、知らなくて当然だと思う」
「なるほどね。本当に、オニロはラティオに似てるわ。それに――」
ルビアがセラスの方に視線を向ける。
「あなたも、エザフォス様にそっくりよ」
「……うん」
セラスは自分の手のひらを見る。
この身体の中に、確かに何か、特別な力があった。だからこそ、セラスは察する。四属性を扱えるから魔王なのではない。四属性を扱える上で、何か誰も知らない力が本能的に備わっているから魔王なのだ。だからエザフォスの血を引くセラスだけが魔王となることが出来るのだろう。
出来るのだろう、が――
「とにかく、街を護れてよかった……けど……」
急激に力が抜ける。安心したからなのか、魔力を使い果たしたからなのか――魔王の力を使ってしまったからなのか。
理由は定かではない。しかし、もう立っていることも出来なくて、
「セラス!」
オニロが慌てて抱き留めてくれた。と、いうことは、自分はもう立っていられずに倒れたのだ。そう気づくのも遅れるほど、セラスは感覚を失っていた。
――ああ、もうダメ。瞼を明けてられない。でも……
セラスは遠ざかる意識の向こうで、満たされたように微笑んだ。
――私の力は、何かを護ることもできるんだ――




