第23話 あの人と同じ力を
神殿の内部を明るく照らすと、その堅牢な作りが煌々と照らし出される。元々は神殿ではなく要塞として、立てこもるために作られた建物なのだから当然だ。窓がないのも、ガラスはどうしたって石材よりも強度が落ちるから万全を期すためだったのだろう。
しかし今は、母の魔力の気配で満ちている。ここは周囲の村々を護るための場所なのだ。
「セラス、中央に魔方陣があるのがわかるか?」
「うん。この複雑な模様のやつだよね?」
「ああ。一般的な防御魔法でも同じような紋様のシールドを張るんだけど、それを魔方陣として媒介に刻むことで長期的に効力が発揮されるようになる」
「へえ……もしかしてさ、その媒介が大きくなれば効果が長く続くとかもある?」
「ある。結構単純な話だろ? もっとも、その分必要な魔力量も多くなるけど」
「そっか……だからママが生まれるまで結界は張れなかったんだ」
世界中を見渡しても、複数の属性を同時に操れる魔族は数えるほどしかいない。四つの属性を操れるのは、セラスが産まれるまではエザフォスひとり。三つの属性を操れるのも、オニロが産まれるまではリーリエのみだったと聞いている。魔族といえど、強い者はほんの一握りでしかなく、その力はほとんどが横並びで――だからこそ、突出した力は守るための盾となり、攻撃するための矛となる。
リーリエは自ら強固な盾となることを選んだのだ。床に描かれた魔方陣を指先で触れて、その魔力の気配に息を吐く。
「……前からさ、パパの魔力は私と似てるなって、思ってたの」
セラスの言葉に、オニロは静かに聴き入っている。
「でも、こうやってママの魔力に触れると、ちゃんと私、ママにも似てるなって思う」
「ああ……似てるよ。どっちかって言ったらエザフォス様似なのは間違いないけどな」
「もー、こういうときは『ママに似てるよ』だけ言ってくれればいいの!」
拗ねるセラスの肩をポンポンと叩いて、オニロは魔方陣の上部に光源を移動させる。刻まれた魔方陣がよりはっきりと目についた。うっすらと輝いて、しかし、古くなっているからなのか、わずかに掠れている部分がある。
「この魔方陣に上書きするの?」
「そういうことになるな。できるだけ同じようになぞって、水属性の結界魔術を重ねがけする。けど、そんなに堅苦しく考えなくても大丈夫だ」
フッと目を細めたオニロに促され、セラスは手のひらを魔方陣に向けて息を吐く。
「リーリエ様の魔力は感じてるんだろ? だとしたら、それをなぞるような意識で魔力を放出すればいい。そうしたら勝手に引き合って、お前の魔力がリーリエ様の魔方陣の上に自然と重なる」
「ママの、魔力を……」
「そう、感じればいい。集中して――目を閉じて」
セラスはゆっくりと息を吐きながら瞼を閉ざす。視界は再び闇に閉ざされて、オニロの声とリーリエの気配だけを感じられるようになる。
「心を落ち着けて、ゆっくり呼吸して」
――吸って。吐いて。ゆっくり、ゆっくりと。柔らかく、穏やかに。呼吸を整えれば整えるほど、水の気配が強くなる。
精霊と、母の魔力。
目で見えているわけではないのにその気配を手に取るように感じられて、セラスは自然と微笑んでいた。
「いいぞ、セラス。そうしたら、リーリエ様の魔力だけを感じ取れ。そうしたら、自然と魔方陣が浮かび上がって見えるはずだ」
「ママの魔力を――」
空間に漂う水の精霊の気配の中から、リーリエの魔力だけを切り分けて探っていく。だが、それはさほど難しい話ではなかった。
まるでそっと手を伸ばしてくれているように、リーリエの気配だけが瞼の裏に浮かび上がっている。
力の強い魔族として産まれて、その力を小さな村を護るために使った人。
けれど自分よりも強い魔族を目の当たりにして、その人の側に居たいと願った人。
セラスの母は、ずっと誰かに寄り添い続けて生ききったのだ。
――でも。
と、セラスは思う。
――でも、ママ。どうしてママは、私を産んですぐに死んじゃったの。
……ずっと疑問だった。病気だったとは聞いたが、そういう話ではないのだ。ただ、会ってみたかった。会って、話をしてみたかった。水の精霊が見せてくれた幻影ではなく、オニロが語ってくれる思い出でもなく、その人自身の言葉で、声で――温もりで。側に居てほしかった。
エザフォスにも、それを言えたことはないけれど。暴走しかけたことなど知らなかったけれど、なんとなく想像はついてはいたのだ。うっかり話せば、きっとエザフォスを傷つける。口うるさくて、強い魔術も教えてくれない、窮屈な父親だとは思っていた。けれど傷ついてほしいなどと思っていない。
だから言えなかった。
言えなかったから――
『……ごめんね』
声が、聞こえた。セラスはハッとして顔を上げる。
そこに、人影が見えた――気がした。薄い水色の長髪の女性が、エメラルド色の瞳を見開き、こちらをじっと見つめている。
「ママ……」
『うん。ごめんね、あなたのそばに居てあげられなくて』
リーリエは少しだけ寂しそうに微笑んでいる。
『本当は、育っていくまでずっと見守ってあげたかったんだけど……でも、できなかった。それでも、いつかきっと、あなたはここに来てくれる。オニロにも、連れてきてねって頼んだから。だから、いつかこの言葉を聞いてくれるって、信じてる』
これは恐らく、最期にここに来たときにリーリエが残したメッセージなのだろう。
『あなたは将来、エザフォスの跡を継ぐことになるわ。それは孤独で、苦しくて、泣きたくなるようなことだと思う。あの人もずっと、そうだった。もちろん涙を流したりはしなかったけど、きっと、ずっと、苦しかったと思うの』
紡がれる言葉は、セラスの身体の内側に、するりするりと沁み入ってくる。
『あの人はずっと苦しくて、だから隣にラティオが居てくれてホッとしていたのだと思う。だけど、一人じゃ足りない。あの人が背負わなきゃいけないものを考えたら、もっとたくさん、あの人を支えてくれる人が必要だって、思ったの』
「……だからママは、村を出たんだ」
リーリエの幻影は柔らかく微笑む。
『エザフォスには、ラティオがいた。トゥルマリナも一緒に来てくれた。……私もいた。決して穏やかな時間じゃなかったけれど、それでも独りじゃなかったから、今日まで生きてこられたの』
彼女はそっと歩み寄ってきて、セラスにそっと手を伸ばした。もちろん届きはしないけれど、それでも温もりを感じた――気がした。
『あなたにも、オニロがいる。でも、もっと広い世界を知ってね。あなたのことをわかってくれる人をたくさん手に入れて。そうしてその人たちを護れるような魔王になってね』
リーリエの姿が薄らいでいく。待って、ママ――必死で手を伸ばした。けれど、その指先は空を切る。
その代わり、リーリエの魔力がしっかりとセラスの身体を包み込んだ。
『生きて。難しいかもしれないけれど、心安らかに。そして、強く――私はずっと、あなたのそばにいるからね……セラス』
優しい声が、セラスの耳元で響いて、消える。
セラスはしっかりと瞼を閉ざした。その先に、母が遺した魔方陣が見える。はっきりと感じる温もりと、優しい魔力。その全てを自分のものとして受け止めて、セラスは声を張った。
「水の精霊よ! この地を護る結界となれ!」
――ザァッ、と。
水流が一気に押し寄せてくる。
それはセラスたちを押し流すためのものではなく。
セラスを、オニロを、この土地を、護るためのものだった。
その魔力は勢いよく魔方陣に降り注ぎ、まるで筆を動かすように薄らいでいた陣を上書きし、光り輝き、その光がまるで壁となって勢いよく広がって――
『……頑張ってね、セラス』
リーリエの最後の言葉と共に収束すると、元の静寂を取り戻した。
「……成功、した?」
尋ねるセラスに、オニロはしっかりと頷いた。
「成功したよ。……お疲れ様」
きっと彼だって、リーリエの幻影は見ていたはずだ。けれどそのことには触れず、オニロはただ、セラスの頭を撫でてくれる。
――きっと彼だって、言いたいことはたくさんあったはずなのに。
それでもオニロは、ポロポロと涙を流すセラスをただじっと、見守ってくれていた。
まるでエザフォスの隣に立つラティオのように――




