第21話 千年前、神殿の記憶 前編
――かつて、この世界に「魔王」はいなかった。
魔王とは、この世界を統べる魔族。彼の者の圧倒的な力をもって争いを終息させ、今後一切の暴走を赦さぬと宣言し、その言葉の通り、その後各地で発生した争いをその魔術で押し込めてきた。争う者には容赦せず、争わぬ者には手出しをしない。それが明確となってからは、よほどのことがなければ世界で悲劇的な争いが起こることはなかった。
しかし、その日が訪れる前。すなわち、魔王が「魔王」という座に座るより以前。
まだ彼が「エザフォス」という名のひとりの青年でしかなかった頃。
無二の友人ラティオと共に旅をする中、結界で護られていたはずのジュピア村に、外の世界からやってきた。
***
「嘘だろう!? だって、この村は結界で護られているんだ! リーリエの結界はその辺にいる魔族に破れるようなものじゃないぞ!?」
「そうよ! 私たちが争いに巻き込まれないようにって、リーリエが結界を張ってくれたというのに……」
「うーん……」
混乱する村人を前にして、リーリエは首をかしげ考える。その長い髪は重力に引かれて背中を滑り、その眉間には浅い皺が刻まれる。無垢なその表情を見ていたらほとんどの者は気づいただろう。彼女は恐らく、深いことは考えていない。
それでも力の強い者に縋ってしまうのは、魔力の弱い魔族の性分でもある。どうか、何か、自分たちを導くようなことを言ってくれ。縋るようなその眼差しに、気づいているのかいないのか。リーリエはポンと手を叩くと、あっさりと言った。
「結界が破られたということは、私よりも強い魔族が侵入したということだわ。だから、きっと攻撃を仕掛けられたら全滅ね」
「……ええええ!?」
その場にいた全員の声がピッタリと重なる。それは驚愕であり、恐怖であり、絶望でもあった。リーリエの言うことがなにひとつ間違っていなかったからだ。
あちらこちらで生存をかけて相争っているこの時代、強い者が生き残り、弱い者が命を落とすという実にシンプルな構造は、魔力がさほど強くない者が多いこのジュピア村ではほとんど死を意味する世界だった。
森の奥深くに身を隠すための要塞を作り、万が一襲われた際には全員で立てこもって防御の魔術を全力で使い、攻撃者の体力が尽きるのを祈るように待つ――そんな風にどうにかして生き延びることに集中した。それでも何人もの村人が命を落とし、やがて本当に村が滅びてしまうのではという段階まできてしまった。
そんな頃に生まれたのが、この村で初めて水、風、地の三つの属性に愛された娘・リーリエだ。
そもそも魔族でも複数の属性の魔力を有し、扱うことができる者は少ない。にもかかわらず、突然変異のようにリーリエは産まれた。圧倒的な魔力を誇り、特に水の精霊に愛され、守護の魔術に秀でていた。
彼女は長く村を守り抜いてきた要塞を触媒とし、強い守護の結界を張った。その結界の内側には、リーリエより弱い魔族は侵入することが出来ず、武器を持った人間もその殺意を感知すれば排除される。結界の中では水の精霊の力も増幅され、居心地が良いのだろう。日に日に水の精霊は増え、その結果ジュピア村は更に平和を手に入れることができた。
だがそれが全て崩れたというのだ。リーリエよりも強い魔族の存在によって。
「ど、どうするんだよ……リーリエは最強の魔族じゃなかったのか!?」
「うーん、どうかしら。私はジュピア村から出たことがないから、この中では最強でも、外の世界のどこかには私より強い魔族がいてもおかしくないもの」
「だが、三つの属性を操る魔族なんて、他に聞いたことがないぞ!」
「でも私だってたまたま産まれたんでしょう? だとしたら、三つとか、もしかしたら四つとか! 私よりもすごい魔族がたまたま産まれることも、十分にあり得ることよ」
「リーリエ! なぜ君はそんなに呑気にしていられるんだ! 村が滅ぼされるかもしれないんだぞ!?」
恐怖に惑う村人たちとは対照的に、リーリエはずっと笑っている。大丈夫よ、などと。根拠のないことを言いながら。
「私より強いからって、乱暴な人とは限らないでしょう? 私、ちょっと会ってくるわ」
そう言うと同時に、彼女は強い気配のする方へと駆け出していた。村人たちは必死で彼女を止めようとする。しかし、追いかけてきて引き留めようとする者はいなかった。
***
そうして村の入口までやってきたところで、その男と出会ったのだ。
漆黒の髪、紅い瞳、非常に背が高いが、恰幅がいいというわけではない。すらりとした、涼やかな美丈夫――だが、外見からは想像が付かないほど莫大な魔力を有している。それがリーリエにははっきりと感じられた。
「あなたは……」
恐ろしいほどの魔力を浴びて、リーリエはそれ以上の言葉を発することができなくなった。だが、恐怖は覚えない。ただ、美しい、と。その男を見上げながら、はっきりと思った。
男はゆっくりとリーリエを見ると、短く告げる。
「……エザフォス」
それが彼の名だと知った瞬間、リーリエは微かに笑みを浮かべていた。静かに彼と見つめ合う。その瞬間、心音が高鳴るのを感じた。
「えーっと……ごめん、見つめ合ってるところ悪いけど、ちょっと話を聞いてもらってもいい?」
第三者の声が聞こえてきて、リーリエはハッとして視線を向ける。そこにはもう一人、別の男が立っていた。
澄んだ緑色の瞳と黒の長髪の男性――その姿を確認して、リーリエは驚いたように目を見開いた。
「ごめんなさい、エザフォスの魔力が強すぎて、あなたがいることに気づかなかったわ」
「うん、そうなんだろうね。そうなんだろうけど、もうちょっと別の言い方できなかった? 俺がエザフォスの影で肩身狭い思いしてるの知ってて言ってる?」
「……そうだったのか?」
「そうだよ。俺だって風と水で二属性持ってるのに、ちょっと前に四属性全部持ったエザフォスが産まれてるんだから、ちょっともすごいって言って貰えなくてさあ」
「そうだったのか……」
エザフォスはしょんぼりと俯き、隣にいた男性は困ったように笑う。だからってお前を嫌ったりしないよ、などと背中を叩く長髪の男に、圧倒的な魔力を持ったエザフォスは見捨てられたくないとばかりに視線を向けている。
その様子を見た瞬間、リーリエは吹き出した。村人たちの心配は全て杞憂でしか無かったのだとわかったからだ。
「あなたたち、面白い人たちなのね。それに、いい人そう」
リーリエが言えば、エザフォスたちは驚いたように目を見開いてこちらを見る。
「……初めて言われた」
「そうなの? でも、悪い人なら自分より弱いってわかっている友達に、そんな目ですがりつけないと思うけど」
「そう……なのか」
「そうだよ。そうなんだけど、君、俺のこと弱い弱いって繰り返すのやめてくれない? これでも魔族の中では割と強いほうなんだから」
「コンプレックスなんだ?」
「多少はね。でもまあ、それよりもエザフォスがこういうヤツだから、ほっとけないっていう気持ちのほうが強いかな」
「ふふ、わかる。私、自分よりも強い人って初めて見たのに、なんだか可愛いって思っちゃったもの」
「可愛い……」
リーリエの言葉にエザフォスは首をかしげ、もう一人の男は吹き出した。
「か、可愛いって……! エザフォスが、可愛いって。君、本当に面白い感覚してるね」
「リーリエよ。こう見えても三つの属性の魔力を持ってて、村では一番強いの。だからちょっと感覚が違うのはそうかもしれない」
「俺はラティオ。なるほどね、あの結界は君が張ったものだったのか。強力すぎて、俺には存在が見えなかった」
「やっぱりラティオは私より弱いんだ?」
「だから弱い弱いって言うのはやめてくれって。君たちが規格外に強いだけなんだから」
――それはリーリエがエザフォスとラティオに出会って初めての日のことだった。だというのに、まるで何十年も一緒に過ごしていたかのように会話は弾んだ。
とはいえ怯える村人が集まる村の中心に彼らを連れて行けば錯乱する者も出てくるかもしれない。だからリーリエは彼らを村はずれの神殿へ連れて行ったのだ。




