第19話 母の面影、親友の秘密
水の精霊が守護する地域にある森は、これまでに見てきたどの森よりも深いような気がする。セラスがそのことを口にすると、オニロは「そうかもな」とあっさり肯定した。
「基本的に、植物は土壌と水源がしっかりしているところでよく育つ。水の精霊が守護している土地は水源の質が良いところが多いから、森も元気になるんだろ」
「ちなみに地の精霊は?」
「ちゃんとそこにいて守護してたら、ある程度は元気な土壌になる。ただ、地の精霊の場合は土地そのものが変化してくから、石炭だとか鉱石だとかが豊かになるっていう感じだな」
「へえ……精霊って、魔術を使わせてくれるだけじゃないんだね」
「魔王城に住んでると魔術でしか恩恵受けないからな」
かろうじて道らしきものが存在するだけの森の中を歩きながら、セラスはその意味を身をもって感じる。気を抜けば足を取られそうなほどに生い茂る植物からは、わずかに精霊の気配がする。それはつまり、水の精霊がこの土地に影響を与えている証拠でもあるのだ。
この森には人間は入ってくることが出来ない。それもまた、結界が張られているからなのだとジョリーは言っていた。
この森を抜けた先に、村がある。かつてセラスの母・リーリエが暮らしていた場所だ。
セラスは数時間前にジョリーと会話を思い出す――
***
「リーリエ様は、今から千四百年前に生まれて、それから三百年間ジュピア村で暮らしたって聞いてる」
リーリエについて尋ねたセラスに、ジョリーは昔話を語るように教えてくれた。
「水の精霊はそもそも攻撃的じゃないし、水属性を持つ魔族も基本的には戦いは好きじゃない。だから争いにならないように森の奥に暮らしてて……人間や他の魔族が入って来ないようにって、ジュピア村では結界を張っていた。その結界を護ってたのがリーリエ様だったんだ」
……何も、知らなかった。セラスが知っているのは、リーリエはセラスを産んですぐに死んだということだけ。自分の母親のことなのに、彼女がどこで何をして生きてきた人なのか、今初めて知識を得た。
思わず目が泳ぐ。聞きたいことはたくさんあるのに、一体何を尋ねたらいいのかわからない。心臓は早鐘のように打っている。それが思考の邪魔をする。セラスは困り果てたまま、隣に座るオニロを見た。彼に助けを求めたところで、何を聞きたいかわかるわけでもないというのに。
案の定、困ったように肩をすくめたオニロは、ジョリーのほうに視線を向ける。
「リーリエ様は水と風と土、三つの属性の力を持ってただろ? ジュピア村はそういう魔力の強い魔族が産まれやすいところだったのか?」
「いや、むしろ逆かな。僕もそうなんだけど、みんな魔力は弱いよ。だから争いになったらすぐに負ける……だからリーリエ様は村にとっては守り神みたいな人だった」
「あ……会ったことは、あるの?」
緊張しながらセラスは尋ねる。セラスがなぜこんなに緊張しているのか、恐らく彼は知らないからだろう。「あるよ」と平然とした顔で頷く。
「村を出て行ってからも、何年かに一度は戻ってきて結界を張り直してくれてたんだ。村を出たのは千百年前なのに、本当にありがたいよ」
「そ……う、なんだ……」
「あ、もちろん僕は話したことはないよ! そんなこと、恐れ多くてできるわけないし……あんまり村になじめなくて、百年以上前に村を出ちゃったし」
「なじめない、なんてことあるの?」
「……僕はこんな見た目だから。魔族でもあんまりいないんだよ、こんなに成長が遅いのは」
「そうなんだ……」
セラスはなんとも言えず口を閉ざす。そういえば、魔族とはなにか、ということもセラスはよく知らない。そもそも他の魔族に出会ったのもこれが初めてのことなのだ。何が普通で、何が普通でないのかもわからない。
自分が生きてきた世界がどれだけ小さいものだったのか。セラスは眉間に皺を寄せた。
「少しずつ精霊が減ってることには気づいてたし、その原因が機械かもしれないっていうのもわかってた。でも、じゃあどうしたら防げるかは僕ひとりの力じゃ探りきれなくて、どうしようか頭を抱えていたら、リーリエ様に似た魔力の気配を感じたんだ」
ジョリーは真っ直ぐにセラスを見据える。
「だから無理を承知で頼みに来た! リーリエ様の結界のおかげで水の精霊がいなくならずにいてくれたなら、結界が消滅しなければあの蜃気楼はなくならないはずなんだ! どうか、蜃気楼がなくならないように、結界を張り直してほしい!」
「そ、そんなこと言われても……」
「……あの蜃気楼は、村の思い出を感じられる、唯一のものなんだ。だから……消えてほしくない……」
そう言ったきり、ジョリーは俯いて黙り込んでしまった。もちろん、その願いを叶えられるなら手伝いたいとは思う。けれど。
――セラスには、母の記憶がない。
それなのに、同じ属性の魔力を持っているだけの理由で、同じ結界を張ることができるのか。
……だから何の約束もしないまま、ひとまず結界のある場所に行ってくるとしか言えなかったのだ。
***
森の中を歩きながら、オニロは時々植物に触れては何かを確かめている。
「何やってるの?」
「植物にどの程度精霊の力が含まれてるか、調べてる」
「……それを知って、どうにかなる?」
「傾向がわかるってだけだけど、情報は集まるな。街の近くより森の奥のほうが魔力の量が多い。ということは、水の精霊が街を離れて森の奥に移動してるのは間違いないっていうことだ」
「へー……」
「やっぱり、機械が関係してるんだろうな……結界があれば精霊がいなくならないのかってのはわからないけど」
「え、そうなの?」
「確証はないからな。リーリエ様の結界が今どれくらいの効果を持ってるのかも、それと精霊との間でどんな関係があるのかも、ジョリーは知らなかったから」
そういえばそんなことを言っていたなと思い出す。なにしろジョリーがジュピア村に住んでいたのは百年くらいで、その間にもあまり村になじめないままで、村の中で共有されている情報もほとんど知らないのだという。ただ村の奥にある神殿でリーリエが結界を張っていたということだけが、彼の持つ知識の全てだった。リーリエについてだって、どんな性格なのかもまったく知らなかった。魔力の気配は感じることが出来たとしても、その声さえも知らないというのだ。
それでも、セラスが初めて知った母のことだった。
「……ねえ、オニロ」
「ん?」
「お母さんって、どんな感じ?」
「ん? んー……」
オニロは一度、曖昧に笑った。少しだけ気まずそうに、そして、セラスを気遣うように。
それでも彼は誤魔化さなかった。
「うちは、セラスが知ってる通りだよ。母さんはめちゃくちゃ気が強くて、父さんが尻に敷かれてる。俺も父さんと一緒で、母さんには頭が上がらない。でも――」
一度、息を呑む。オニロは少し緊張したように目を泳がせて、口を何度か開いたり閉じたりして――それから、小さく笑った。
「リーリエ様は、優しかった。気が強い母さんのことを妹みたいに可愛がってて、父さんが色々苦労してるなってときには好物を作ってくれたりして……エザフォス様とは、よく黙って隣合って座ってた。たぶん、それが一番ちょうどいい距離だったんだと思う」
「……え?」
セラスは思わず足を止めた。オニロもまた足を止め、振り返る。
「ずっと黙っててごめんな」
「な……に、を?」
オニロは今にも泣きそうな顔で微笑んで、言った。
「覚えてるんだ、リーリエ様のこと。俺は……産まれてすぐから、記憶があるから」
その言葉の意味をすぐにはかみ砕くことが出来ず、セラスはその場に立ち尽くした。




