第十九話 初めてのバザーと、招かれざる者
2026.4.13 ここまで改稿済み
流されるままに生きてきた。
幼い頃は両親の言う通りに、嫁いでからは伯爵家の指示通りに。
このまま流されるまま生きていくのはごめんだと、すべてを捨てて旅に出た。
幼い頃に実家で教えてもらった薬草の知識。
騎士になるための過酷な訓練。
一人で生きていくためのお金の使い方。
そして、自分の足で物を売るということ。
それが、今の私の『武器』だ。
◇ ◇ ◇
国境街の広場は、朝からひどく賑わっていた。
今日は、四日に一度だけ回ってくる貴重なバザーの出店日。
だが、あろうことかアルルの『討伐隊の合同訓練日』と見事に重なってしまっていた。
アルルは後ろ髪を引かれつつも出店を諦め、「ごめんなさいね。次はいっぱい売りましょう」とクロノを慰め、マリィに彼を預けてギルドの訓練場へと向かっていった。
残されたクロノは、マリィの家の縁側に座り、ひどく落ち込んでいた。
「はあ……」
「お前、さっきから何ため息ついてんだよ」
隣で木切れを削っていたオズが、不思議そうに尋ねる。
「だって、今日を逃したら、アルルさんの水飴を売るのは四日後になっちゃうんだ。アルルさん、昨日の夜遅くまで一生懸命作ってたのに……。僕がもっと大人だったら、アルルさんの代わりに一人でも売りに行けるのに」
クロノがしょんぼりと呟くと、オズの目がキラリと輝いた。
「なんだ、そういうことか! じゃあ、俺たちが代わりに売りに行こうぜ!」
「えっ!?」
「四日も待ってられないだろ? 俺も手伝うから、一緒に店を開こう!」
「で、でも、アルルさんにもマリィさんにも内緒で……?」
「大丈夫だって! 街の広場なんて俺の庭みたいなもんだ。いっぱい売って、大人たちをびっくりさせてやろうぜ!」
オズの無責任で魅力的な提案に、クロノの心が大きく揺れる。
(アルルさんのために、少しでも稼いでおきたい……)
その健気な思いが勝り、クロノはついにこくりと頷いてしまった。
マリィが台所の奥で家事をしている隙を突き、二人の小さな子どもは、荷車を引くハナをこっそりと連れ出して、喧騒渦巻く広場へと向かってしまったのだ。
◇ ◇ ◇
広場の一角。
簡素な木箱を台代わりにし、その上に琥珀色の水飴の瓶を並べる。
赤い紐、青い紐、黄色い紐。効能ごとに分けられたそれらは、日の光を受けてつやりと光っていた。
そして、その横には。
「ふすん!」
白黒のロバ、ハナが誇らしげに立っている。
マリィ手製の、レースが施されたピンクの首輪をつけていた。とてもよく似合っていたので、昨日みんなで「可愛い可愛い」と褒めちぎったせいか、ハナはすこぶるご機嫌なようだ。
荷車から外され、店の横に繋がれたハナは、道ゆく人々の視線をこれでもかと集めていた。
「白黒ブチのロバだ! 珍しいね!」
「ピンクの首輪、似合ってるわねぇ」
子どもたちが声を上げ、大人たちもつられて足を止める。
「い、いらっしゃいませ! 薬草入りの水飴です!」
クロノは店先に立ち、緊張した面持ちで周囲に声を張った。
オズも「美味しいぜ! 買ってってよ!」と客引きを手伝う。
「これ、水飴かい? 大人がいないみたいだけど」
一人の中年女性が立ち止まって尋ねた。
「はい! 今、大人は別の仕事で……でも、僕、ちゃんと説明できます!」
クロノは胸を張った。
「これは何に効くの?」
「青い紐は風邪気味の時や、頭が重い時に効きます。パンに塗っても食べやすいです!」
クロノがアルルに教わった通りに答えると、女性は感心したように笑った。
「まあ、坊や説明上手だね。お使いのご褒美に、一本買っていこうかね」
「ありがとうございます!」
女性は青い紐の瓶を買っていった。
「……売れたよ、オズ!」
「すげえ! 俺たちの店だ!」
子どもたちは歓声を上げた。
それからも、ハナの集客効果と子どもたちの一生懸命な姿に惹かれ、ぽつぽつと客が訪れ、順調に瓶が売れていった。
穏やかな時間だった。
少なくとも、その時までは。
◇ ◇ ◇
昼が近づき、広場の熱気が少しずつ増し始めた頃。
店の前に、三人の男が立った。
薄汚れた上着に、酒と汗の匂い。どれも柄が悪く、目つきも悪い。明らかに買い物客ではないと一目でわかる。
男たちの腰には短剣が差してあり、酒のせいか足取りは荒い。
男の一人が、赤い紐の瓶を乱暴に持ち上げた。
「へえ、これ水飴か。……おい坊主、大人はどうした?」
「あ、あの……今はいません」
「そうかそうか。大人がいないんじゃ、こんなちっこい瓶でこの値段はぼったくりだな。お兄さんたちが、適正価格で『全部』買い取ってやるよ。銀貨一枚でどうだ?」
それは、明らかな恫喝と買い叩きだった。
「だ、だめです! 値段はギルドで決まってて……」
「あ? ギルドがなんだってんだ」
そう言って、一番背の高い男がにやつきながら身を屈めた。
ぬるりとした手が、クロノの首元へ伸びる。
「や、やめて……っ!」
クロノは逃げるように一歩下がったが、背後には木箱しかなく避けきれない。オズも顔を青くして固まっている。
「ふしゅうっ!」
その時、ハナが荒い鼻息を吐き、クロノを庇うように男たちの前に立ち塞がった。前脚で石畳をガツン、ガツンと打ち鳴らし、激しく威嚇する。
「なんだこのクソ畜生が!」
男が苛立ち、持っていた瓶をぐいと振り上げた。
「やめ――」
ガシャンッ!
無残にも瓶が地面に叩きつけられた。琥珀色の水飴が石畳に飛び散り、ガラスの破片がきらきらと散る。
クロノは息を呑んだ。アルルが夜中までかかって一生懸命に作った、大事な商品だったのに。
「ほら、次はどれを壊されたくねぇ?」
男が下劣な笑みを浮かべ、今度はクロノのすぐ脇にある瓶の束へ手を伸ばす。
その手が、庇おうとしたクロノの肩に触れかけた瞬間――。
ダンッ!!
目にも留まらぬ速さで駆け込んできた人影が、男の腹部を強烈な前蹴りで吹き飛ばした。
「ぐはぁッ!?」
男が数メートル先の屋台まで派手に吹っ飛ぶ。
砂埃が舞う中、静かに立ち上がったのは――怒りで空色の瞳を氷のように冷たくした、アルルだった。
「その子に、汚い手で触らないで」
声は低く、ひどく冷たいものだった。
訓練を早めに終えて宿に戻ったアルルは、マリィと共に血相を変えて子どもたちを探し回り、今まさにこの広場へ辿り着いたのだ。
「アルルさん……!」
「お前ら、よくもやりやがったな! 女だからって――」
残る二人の男が短剣を抜いて襲いかかってくる。
だが、アルルの中で何かが完全に『切れて』いた。
――ああ、もういいわね。
アルルは一歩踏み込んだ。
男の腕を内側から弾き、そのまま手首を掴んで外側へ無慈悲にひねり上げる。体勢が崩れたところへ、膝裏を正確に蹴り抜いた。
「いッ!?」
男はたまらず片膝をつく。
アルルはもう一人の男の顔面に剣の柄の峰を叩き込み、あっという間に三人を地面に這いつくばらせた。
「次、子どもたちに触れたら」
アルルは氷の視線で見下ろしたまま言った。
「手首を折るくらいでは済まさないわよ」
その時だった。
「――何をしている」
低く、よく通る声が広場に響いた。
騒ぎを聞きつけた国境警備隊が、数人駆けつけてきたのだ。
その中央には、見慣れたバンダナ姿のメイヤーの姿があった。
「メイヤーさん……」
「営業妨害、器物損壊、そして子どもへの恫喝。広場の秩序を乱した罪で連行する」
「ち、違う! こっちはただ話を――」
「言い訳は詰所で聞く」
男たちはあっという間に部下に取り押さえられ、喚きながら連行されていった。
それを見送ってから、メイヤーはようやくアルルたちの方を向いた。
「……大丈夫でしたか?」
「ええ。今のところは」
アルルは剣から手を離した。
クロノとオズは、まだガタガタと震えている。
メイヤーはその様子に気づき、大きなため息をついてから目線を合わせた。
「クロノ、オズ。怖かったな」
「……うん」
「だがな、大人に内緒でこんな危ない真似をした罰だ。……母さんたちが、どれだけ心配したと思ってる」
メイヤーの視線の先には、息を切らして走ってきたマリィの姿があった。
「オズ! クロノ君!」
マリィは泣きそうな顔で二人を抱きしめた。
「あんたたち、勝手にいなくなって……! 何かあったらどうするつもりだったの!」
「ご、ごめんなさい、母ちゃん……」
「アルルさん、ごめんなさい……僕、役に立ちたくて……」
ボロボロと泣き出す二人に、アルルは静かにしゃがみ込み、クロノの頭を撫でた。
「無事でよかったわ。……でもね、クロノ。商品よりも、お金よりも、クロノの命の方がずっとずっと大切なのよ。二度と、あんな真似はしないで」
「うわぁぁぁん……っ!」
アルルの真剣な眼差しに、クロノはついに堪えきれずにアルルの胸に飛び込んで大泣きした。
ハナも心配そうに、フス、フスとクロノの背中に鼻を擦り付けている。
その様子を静かに見守っていたメイヤーが、ふとアルルに声をかけた。
「アルルさん。明日の昼過ぎに、ギルドで討伐の最終会議をします。……今の動きを見て確信しましたよ。あなたには『中衛』を任せます」
「……わかりました」
アルルは割れた瓶の破片を見下ろし、静かに息を吐いた。
明日は、スカルラプター討伐の最終打ち合わせ。
守るべき『家族』ができたアルルの、国境街での本当の戦いが、いよいよ始まろうとしていた。




