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閑話 ペインズ伯爵家②



 最初に気づいたのは、たぶん、偶然だった。


 いつだったかアマリリア母様の周囲の空気が、ふっと揺れた気がしたのだ。

 それは灯りが揺れたとか、風が吹いたとか、そういう分かりやすいものではなくて。

 ほんの一瞬、微かな魔力が流れ出ていた。

 僕の魔力は中々に強い方だ。

 今は病に伏せている母上からのものだそう。

 強い魔力を見ることも、流れを感じることも出来る。


 でも、アマリリア母様から漏れ出ている魔力は、あまりにも微かだった。


 食堂で父上と向かい合って話していたアマリリア母様。

 父上が何かを口にした瞬間、アマリリア母様の指先から、糸のような淡い光が、するりと父上の方へ流れた。


 とても細く、あまりにも弱い。

 見間違いかと思った。


 けれど、父上の表情が、その直後、わずかに柔らいだ。


 それまで険しかった眉間の皺が、ほんの少しだけ消えたのだ。


 ……偶然かな。


 その日は何も言わなかった。

 だが数日後、同じ光をまた見た。


 今度は廊下だった。

 父上とアマリリア母様が並んで歩いている時、またあの微かな魔力の流れがあった。

 僕はどうしても気になって、その夜ユリシス兄上の部屋を訪ねた。


「兄上、少し聞きたいことがあります」


 兄上は読書をしていたようで、書物から顔を上げる。

 僕は本を読むよりも体を動かす方が得意だから、ユリシス兄上は凄いと思う。


「どうしたの?」

「……アマリリア母様の魔力、見たことありますか?」

「あるよ」

「やっぱり、兄上にも見えますか」

「ほとんど気づかない程度だからね、ほんの僅かだから」


 兄上は本を閉じ、立ち上がった。


「僕も不思議に思って観察していたけど、アマリリア母様は、父上と一緒にいる時だけに魔力を放っているようだよ」


 僕は顔を上げる。


「そうなんだ……それは気づかなかったな」


 兄上は窓辺に立ち、腕を組んだ。


「……僕もクロードも、母上からの魔力を受け継いでいるのはわかっているよね?」

「はい」

「調べてみたけど、自分よりも遥かに微量の魔力を解析するのはとても魔力を消耗する行為なんだよ。だから、アマリリア母様が放つ魔力がどんな効力なのかはわからない」


 兄上は首を横に振る。


「まあ、微力だから危険なものではないと思うよ。不気味ではあるけどね」


 僕は頷いた。


「父上は気づいていると思いますか」

「おそらく気づいていないよ」


 兄上の声は、いつもより低かった。


「悪く言うつもりはないのだけど、父上もアマリリア母上も僕たちより魔力が遥かに弱いから、お互いの魔力の流れすら感じることも出来ないんじゃないかな」

「そっか……」


 それ以上は、口にしなかったけど。

 もし、無意識に微力な魔力を放ったとして。

 それが父上に何らかの影響を与えるものなら。


 ……難しいことを考えすぎて、頭が痛くなりそうだ。

 こういうことは兄上に任せるに限る。

 兄上もわかっていたようで、頷いてくれた。


「クロードは剣の稽古を頑張っていればいいよ。その件は僕が調べてみるからね」




◇ ◇ ◇



 僕たちには妹が一人いる。

 父上とアマリリア母様との間に生まれた四歳の可愛い女の子だ。

 薄水色のふわふわした髪の毛で、とても整った顔をしている。アマリリア母様によく似ている。

 病に伏せている母上のたっての願いで、アマリリア母様が産んだ妹。

 ヴィヴィアナは近頃寝込みがちになっていた。


 残念な事に、僕の誕生日の席にも体調が悪く、現れなかった。

 理由は風邪を拗らせたと聞いた。

 最近はほとんどベッドの上で過ごしているヴィヴィアナを見舞うため、兄上と一緒にヴィヴィアナを訪ねた。

 

 部屋の中は静かで、少し薬の匂いがした。


「兄さまたち、お見舞いに来てくださったの?」


 ベッドから起き上がれないヴィヴィアナは、背に枕を当てて少し上半身を起こしていた。

 青白い顔で笑っている。

 でも、すぐに咳き込んだ。


「大丈夫かい?」


 兄上が椅子を引く。


「平気よ。おくすりのおかげでだいぶ楽になったわ」


 しかし言葉のわりに顔色は良くなかった。

 しばらく話をしていると、ヴィヴィアナがぽつりと言った。


「ユリシスお兄さま……わたし、飴湯が飲みたいの」


 僕は瞬きをする。


「飴湯?」

「前はよく飲んでいた飴湯。少しハーブの香りがする甘いお湯」

「ああ、あれか。そういえば僕も最近飲んでないかな。後で聞いておくよ」

「うれしい。ありがとう。あの飴湯を飲んでいた時は体が軽かったの」


 ヴィヴィアナはまた咳き込んだ。

 兄上と僕は顔を見合わせ、頷いた。

 

「僕が今から料理長に聞いてくるから、クロードはヴィヴィアナを見ていてね」

「うん」


 兄上はやや急ぎ目で部屋を出ていった。

 あまりに顔色が悪いヴィヴィアナを思い、少しでも早めに手を打っておきたい兄上と僕の思いが一致したのだ。

 変わって僕がヴィヴィアナのベッドの傍に座った。


「クロードお兄さま、おたんじょうびのお祝い、できなくてごめんなさい」

「いいんだよ。また来年お祝いしてくれればね」

「もちろんです」

「じゃあ早く風邪を治して、散歩にでも行こう」

「わたし、あのコテージの近くに行きたい!コテージの周りにいっぱいハーブが生えてるの」


 そういえば使用人棟の近くにコテージがあった。

 僕も兄上と共に時折探検に行っていたのだ。

 その事をアマリリア母様に注意されたことがある。使用人の邪魔をしてはいけない、馴れ馴れしくするものではないと。

 それ以降いかないようになったが、確かにコテージには人がいた。

 コテージ周りを掃除したり、庭の手入れをしたり時に本邸の窓拭きをしていたのを覚えている。

 一度風が吹いた時、頭に巻いていたスカーフが吹き飛ばされ、溢れ出したのは……


「……空色……」

「どうしたの?クロードおにいさま」


 突然黙り込んだ僕を、ヴィヴィアナは不思議そうに覗き込んだ。

 

「……いや、なんでもないよ。元気になったらハーブ摘みでもしようか。摘みたてのハーブティーはすごく美味しいんだ」

「わぁ、楽しみ」


 ヴィヴィアナの声がどこか遠く聞こえた。

 僕は、胸の奥がざわつくのを感じた。



◇ ◇ ◇



 僕は駆け足で厨房へ向かった。

 ちょうどそこにいた料理長に尋ねる。

 

「ああ、あの飴湯ですか。今すぐにお出しするのは難しいです」

「どうして?」

「あれはですね、長く勤めるメイドが時折どこかから買ってきていた品なんです」

「そうなのか」


 料理長は申し訳なさそうに頭を下げる。


「飴湯に使う麦芽水飴ならすぐにでも用意できるんですが、お出ししていた飴湯の水飴には薬草が調合してありまして……」

「じゃあまた買ってきて貰おう」

「それが……あの水飴の作り手は半年以上前に他の街へ旅立ったらしく、同じものを作るには少し時間がかかりそうでして」


 ほんの少しだけ瓶に残った水飴から、どのような薬草が使われているのか現在解析中との事だった。

 特別な薬草が使われていたわけではなさそうなので、配合に気をつければ同じようなものは作成可能だそう。


「わかった。無理言ってすまないけど、できるだけ早くお願いするよ。ヴィヴィアナが欲しがっているんだ」

「もちろんでございます。急ぎ完成に漕ぎ着けます」

 



◇ ◇ ◇



 兄上を待ちながらヴィヴィアナと他愛もない話をしていた。

 少ししてから扉が開いた。

 現れたのはアマリリア母様だった。


 「クロード様、ヴィヴィアナのお見舞いに来てくれていたのね。ありがとう」

 

 アマリリアはベッドの傍らに座り、優しくヴィヴィアナの額に手を当てている。


「具合はどう?」

「だいぶ楽になりました」


 ヴィヴィアナは微笑む。

 その顔は、先ほどより穏やかだった。

 アマリリア母様は家政を取り仕切っているので何かと忙しい。

 いつもせわしなくしているので、こうして会いに来たアマリリア母様と会えてよほど嬉しいのだろう。

 ヴィヴィアナはアマリリアへ擦り寄り、アマリリアもヴィヴィアナを抱きしめた時。


 まただ。

 

 今度はアマリリア母様から、ヴィヴィアナへと微量な魔力が流れ込んでいる。

 消えそうなくらいの淡い薄水色の魔力。

 細い糸が絡みつくかのようにヴィヴィアナへと流れ込んでいくのがはっきりと見えた。


「……アマリリア母様、あの……」


 そこへノックと共に扉が開き、兄上が姿を見せた。


「アマリリア母様もいらしてたのですか」

「ええ、ユリシス様も来てくれたのね」

「はい、ヴィヴィアナの願いで飴湯を頼んできました」

「飴湯?」


 ヴィヴィアナが首を傾げる。


「……ユリシスおにいさま、なんのお話?」


 僕は、思考が止まった。


「ヴィヴィアナがさっき飲みたいと言っていたよ」


 兄上は戸惑ったように答えた。


「そんなこと言っていないわ。ね、クロードお兄さま?」


 ヴィヴィアナは目をきょとんと見開き、首を傾げている。

 答えも自然な声だった。

 本当に、心当たりがないような顔。

 兄上も黙った。

 アマリリア母様が、困ったように兄上を見る。


「まあ、ヴィヴィアナったら熱があるのではなくて?さっき何を言ったのか覚えていないのかもしれないわ。ごめんなさいね、ユリシス様」


 アマリリア母様は微笑んでいる。

 いつも通りの、穏やかな微笑み。

 僕は先程のやりとりが、最初から存在しなかったことにされたような、そんな感覚だった。


 兄上の視線が、僕に向く。

 僕は何も言わない。 

 兄上も何も言わなかった。

 けれど、同じことを感じていると分かった。

 

 怖かった。


 今までは気にもしなかった何かが、家の中で動いているようで。


 それを、知ってしまうのが。




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