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第十五話 国境街と、魅力的な誘い



街道の景色が、ゆっくりと鮮やかな緑に染まり始めた頃。

 畑の並びが途切れ、なだらかな低い丘が増えてきた。緩やかに草の色が濃くなり、空を渡る風が、海の匂いではなく、木々の青い匂いを運んでくる。


「風の国って、ホントに緑の人が多いんだね」

「ええ。髪も瞳も、そういう色合いの人が多いわ。土地が違えば、そこに満ちる魔力の色も違うのよ。ミクシリディアの人達は、風を操る魔法を得意とするのは覚えているわよね?」

「うん! 機会があれば見てみたいな」

「そうね。私も風魔法はあまり見たことがないから、見られるといいわね」


 街に寄っては水飴を仕込み、ロバと共に売り歩く。そして時々、食費と小遣い稼ぎのために魔獣を狩る。

 そんな旅の日々を過ごして、あっという間に半年が経っていた。

 クロノはずいぶんと子どもらしくふくよかになり、ちょっぴり背も伸びたようだ。そして、色の濃い栄養満点の草が美味しいのか、ハナは休憩のたびに道草を食んでいる。

 風の国への国境は、もうすぐそこだった。



◇  ◇  ◇



 いよいよ、街道の先に巨大な門が見えてきた。

 堅牢な石造りの関所。両脇には高い柵がそびえ、その上には風車のような飾りがカラカラと回っている。

 掲げられた緑色の旗は、風の国・ミクシリディアの紋章だ。

 門の向こうに広がるのは広大な国境の街。そして、街の反対側にある門を抜ければ、そこはもう正式な風の国領内である。

 だが、関所の門の前には長蛇の列ができていた。

 荷車を引く商人、旅人、武器を帯びた護衛らしき男たち。皆、国境を越えるための入国審査の順番待ちをしているのだ。アルル達もその列の最後尾に並ぶ。


「いっぱい人がいるね」

「そうねぇ。ミクシリディアは色んな資源があるから、人の行き来が多い国なのよ。でも、ここまで混雑しているのは予想外だったわ」

「山が多いから、鉱物とか畜産が盛んなんだよね?」

「そうよ。ちゃんと本で勉強したのね、偉いわ」

「うん!」


 周りを見ると、様々な国の人々が入り混じっているのがわかる。

 商売っ気の強い関所なのか、この長い列を見越して食べ物や飲み物を売り歩く商人たちもいた。お腹が空いたのかソワソワしているクロノに気付き、アルルは砂糖がまぶされた揚げパンを買い、それを二人で分け合いながら順番を待った。

 待つ間に観察してみると、国境の警備隊が塀沿いに、あまり間隔を空けずに立っている。どうやら風の国と水の国が協力体制で警備をしているようだった。

 風の国の隊員は緑がかった髪で、そこそこ丈夫そうな鎧を着込んだ男女混成の部隊。一方、水の国の警備隊も、薄水色の髪の男女が似たような鎧を着て、それぞれ交互に配置されている。

 槍や剣、手斧など様々な武器を手に、微動だにせず視線だけを隙なく動かしている。やはり国境だけあって、警備はかなり厳重だ。

 左右に一層頑丈な鎧を着た隊士が立つ大きな門が、少しずつ近くなってきた。

 門の横に入国受付の窓口があり、列はそこへ向かって吸い込まれていく。アルルとクロノも流されるまま、窓口へと進み出た。



◇  ◇  ◇



「んー。この子の石はまだ浸透しきれていないから、現時点での入国は難しいですね」

 クロノの『あかしいし』を見るなり、受付の男性はきっぱりと言った。

 年はアルルと同じくらいだろうか。頭にバンダナを巻き、きっちりとした軍服に眼鏡をかけた神経質そうな――少し圧を感じる見た目とは裏腹に、その口調はどこか親しみやすかった。

 胸元の名札には『メイヤー』とある。

 念のため、受付テーブルに置かれている『認証石にんしょうせき』にクロノの石をかざしてみたが、認証石はぼんやりとした黒い光を少し放つ程度だった。


「やはり、そうなりますか」

「ええ。属性も適性もはっきりと証明できない状態ですからね。万が一、国内で魔力が暴走して事件でも起こされると、こちらとしても困りますし」


 石から伝わった情報を書類に書き写しながら、メイヤーは淡々と答える。


「あ、でもアルルさんは冒険者としても活動されているんですね……ふむ。そうなると、話は少し変わってきますね」

「どういうことですか?」

「実はですね、今、国境は一時的に封鎖されているんですよ。『スカルラプター』が出没していて危険なんです」

「スカルラプター?」


 戸惑うアルルに、メイヤーが身振り手振りで説明を始めた。

 スカルラプターとは、骸骨を思わせる不気味な頭部を持つ鳥獣で、羽と足に魔力を纏った、素早く巨大な魔獣らしい。

 本来は大地の国マウリアとの国境付近に生息しているのだが、先日の台風に巻き込まれて何頭かここまで飛ばされてきたらしく、珍しいことに、見知らぬ土地で群れをなして暴れているという。


「今、早急に討伐隊を編成中なんですよ」

「……まさか、そこに私も加われと?」


 メイヤーは、眼鏡の奥で少し意地の悪い笑みを浮かべ、頷いた。


「この国境から一番近い警備大隊は、ちょっと別の魔獣災害の支援に向かっていましてね。人手不足で中央に要請しても派遣に時間がかかりますから、手っ取り早く、国境にやって来た腕の立ちそうな冒険者を片っ端から勧誘しているんです」

「そう言われましても……私には、この子もいますから」


 アルルが視線を落とすと、隣でクロノが再びひどく落ち込んでいた。せっかく半年かけて立ち直ってきたのに、「自分がまたアルルの足を引っ張っている」と思い込んでいるのだろう。石をきつく握りしめ、俯いて小刻みに震えている。

 アルルはクロノの頭を優しく撫でた。


「どちらにせよ、その子は身元が確定するまで経過観察となります。国境を越える許可が下りるまでにはかなり時間がかかりますから、それならば、待っている間にこちらの討伐を手伝っていただけると、私たちも助かるのですが」

「まぁ、確かに……」


 入国審査の心証を良くするには、うってつけの提案かもしれない。それに、長期滞在になれば、ギルドやバザーで水飴の販売もできるだろう。

 アルルが前向きに考え始めたのをメイヤーは目敏く察知し、畳み掛けるように交渉を持ちかけてきた。


「国境街での一時滞在許可はすぐに出しますし、滞在先もこちらで用意しますよ。もちろん、ギルドの許可が下りれば商売をしてもらっても大丈夫です。討伐の方を優先していただければね」

「それは、かなりの好条件かも……」

「でしょう?」


 風の国に何のつてもないアルルにとっては、安全な住む場所と、おそらく支払われるであろう討伐報酬、そして商売場所を一気に確保できる、大変ありがたい申し出だった。


「ちょうど、水魔法の使い手を探していたところですので助かります」


 目の前のメイヤーは、もうアルルが引き受けるものとして話を進め始めた。

「水魔法と言っても、私は簡単な『水の浄化』しかできませんよ。魔法自体、とても苦手なんです」

「いえいえ、浄化が少し使えるだけでも大助かりです。怪我の洗浄や安全な飲み水の確保は、討伐部隊に欠かせませんから」

「うーん……そういう事でしたら」

「もちろん、討伐そのもののお手伝いもお願いしますね」


 では早速、とメイヤーは立ち上がり、後ろにいた部下と受付を代わった。

 バタバタと忙しない音がして、受付の横にあるスタッフ用のドアが開く。


「じゃあ、行きましょうか。ギルドと滞在先へ案内しますので」

「あの、まだ後ろに並んでいますけれど……」


 アルル達の後ろには、まだたくさんの人が長蛇の列を作っている。


「大丈夫です。元々そろそろ休憩の交代時間でしたから」

「……はあ……」

 メイヤーに促されるまま、アルル達は歩き始めた。

 メイヤーは悪い人間ではなさそうだが、相手は国境警備の要人だ。いざとなったら……と、いつでも剣を抜ける位置に手を置き、アルルは不安そうに見上げているクロノに微笑みかけた。

 アルルとクロノ、そしてロバのハナは、ポクポクと蹄の音を鳴らしながら、メイヤーの背中について行った。



◇  ◇  ◇



 門を抜けると、そこは思っていた以上に巨大な街だった。

 国境の城壁に沿うように石造りの建物が並び、中央の通りは驚くほど広く取られている。大きな荷車同士がすれ違っても十分な余裕がありそうだ。風の通り道になっているのか、あちこちに掲げられた旗や看板が絶えずバタバタと揺れていた。

 遠くからは、鍛冶場の金属を打つ重い音が聞こえる。

 その反対側からは、夥しい数の家畜の鳴き声。

 国境街というより、一つの立派な都市に近い。


「思ったよりもずっと大きいのね」


 アルルが感嘆して呟くと、前を歩くメイヤーが肩越しに振り返った。


「ここは物流のかなめですからね。完全封鎖なんて滅多にしませんよ。今は足止めされている一時滞在者が多いので、普段よりさらに賑やかになっています。そちらの対応に追われているせいで、人手不足になっているんですよねぇ」


 やれやれと首を振るメイヤー。

 確かに、人の数は多いものの、街にはどこか落ち着かない空気が漂っている。討伐隊の編成や警備の強化で、街全体が少しだけ張り詰めているのだろう。

 ハナが、ふすん、と鼻を鳴らした。

 道端に生えている、風の国の青々とした草を見つけたらしい。


「こら、ご飯はあとでね」


 アルルが手綱を軽く引くと、ハナは名残惜しそうに首を伸ばしたまま歩き続けた。

 その様子を見て、メイヤーが小さく笑う。


「そのロバ、ずいぶんと肝が据わってますね」

「ええ。大抵のことでは動じませんから」

「それなら、旅の荷物持ちにはうってつけですね。万が一はぐれても、その白黒模様なら目立つからすぐに見つかりますし」


 歩きながら街の事情などを話しているうちに、一行は警備隊の大きな詰所の前で足を止めた。

 詰所の裏手には、こぢんまりとした住宅が整然と並んでいる。どうやら、兵士の家族が住んでいる居住区画らしい。

 メイヤーはその一角にある、ある家の前で立ち止まった。


「ここです」


 木製の扉を二度叩く。

 中からすぐにパタパタと足音が近づき、勢いよく扉が開いた。

 現れたのは、ふくよかでパッと明るい雰囲気の女性だった。風の国特有の淡い緑色の髪を後ろでひとつにまとめ、家事の途中なのか腕まくりをしている。


「あら、おかえりなさい。今日は早かったのね――って、あら?」


 アルル達を見ると、女性はぱっと表情を華やがせた。


「お客さん?」

「しばらく街に滞在する冒険者だ。討伐を手伝ってくれることになった」


 女性は目を丸くしたあと、花が咲いたようににっこりと笑った。


「まあ! それは助かるわ。私はマリィ。この堅物の妻よ。よろしくね」

「アルルです。こちらは同行者のクロノと、ロバのハナよ」

「まあ、賢そうな子! ……あら、こっちの子はずいぶん派手で立派ねぇ」


 マリィは嬉しそうにハナの首筋をぽんぽんと叩いた。

 ハナは一瞬だけ警戒して耳を伏せたが、すぐにフンフンと鼻先を寄せる。


「ふふ、気に入られちゃったみたい」


 マリィはエプロンのポケットから、どこからともなく人参を取り出して差し出した。

 ハナは迷いなく、シャクシャクとそれを平らげた。

 ――ほんの一瞬で懐いたようだ。

 メイヤーが呆れたように長いため息をつく。


「お前な……だから家畜に異常に好かれるんだ」

「いいじゃない。可愛いんだもの」


 その時、家の奥から小さな足音が聞こえた。

 ひょこりと顔を出したのは、クロノと同じくらいの年頃の少年だった。マリィと同じ淡い緑色の髪をしており、その瞳は好奇心でキラキラと輝いている。


「父ちゃん、その人たち誰?」

「裏の空き家に滞在してもらう冒険者だ。イタズラをして迷惑をかけるんじゃないぞ、オズ」


 しかし、オズと呼ばれた少年は父親の忠告など聞いていないのか、クロノの前までずかずかと歩いてきた。

 じっと見る。

 さらに一歩、距離を詰める。 


「お前、旅人?」

「う、うん……」

「すげえ! いいなあ!」


 いきなり距離を詰められたクロノは少し戸惑いながらも、オズの屈託のなさに小さく笑った。

 マリィがパン、と手を打つ。


「立ち話もなんだから、さあお入りなさい。ちょうどお昼のスープが温まってるのよ」

「いや、俺は先に彼女たちを滞在先の案内に――」

「いいじゃない、食事が先でも。温かいうちに食べなきゃ美味しくないわよ。それにあなたも、お昼ご飯を食べに帰ってきたんでしょう?」

「……それは、まあ確かに」


 案内された食卓には、湯気の立つ野菜たっぷりのスープと、焼きたてのパンが並べられた。

 素朴な家庭料理だが、その豊かな香りだけで、さっき砂糖がけの揚げパンしか食べていないアルルのお腹を刺激する。

 きゅるる、とクロノの腹が小さく鳴った。

 オズがにやりと笑う。


「今、鳴っただろ!」

「な、鳴ってないよ!」


 マリィがふふっと吹き出した。


「遠慮しないで、たくさん食べなさい。その様子だと、ここに着いたばかりでしょう? 困ったことがあったら、いつでも言ってちょうだいね」


 その言葉には、裏表のない純粋な親切心が溢れていた。

 アルルは静かに頭を下げる。


「ありがとうございます。とても助かります」


 スープを一口飲むと、野菜の甘みがじんわりと体に染み渡り、冷えた体を温めてくれた。

 気づけば、張り詰めていた肩の力がすっと抜けていた。


 ――不思議ね。


 ほんの少し前まで、入国審査で足止めを食らったことにあんなに警戒していたのに。

 そんなアルルの様子を観察していたメイヤーが、パンをちぎりながら口を開いた。


「滞在許可は、後ですぐに出しておきますから。滞在先は食後に案内しますが、元々は隊員用の家なので設備は整っていますよ」

「ここまでしていただいて、本当によろしいのですか?」


 メイヤーは少しだけ考え、それから淡々と言った。


「その分、しっかり働いてもらう予定ですので。変に遠慮される方が、こちらとしては困ります」


 メイヤーは相変わらず強かに笑っている。

 アルルも、ふっと小さく笑みをこぼした。


「では、遠慮なく」


 窓の外では、風車がゆっくりと回っている。

 クロノとオズは、いつの間にかすっかり打ち解け、何やら楽しそうに話し込んでいた。

 ハナはマリィに誘導され、家の裏庭で新鮮な野菜をもらい、夢中で齧っている。


 ――しばらく、ここで過ごすことになるのね。


 思ったよりも、随分と居心地の良さそうな場所かもしれない。

 そう思いながら、アルルはもう一口スープを飲んだ。

 ふと顔を上げると、メイヤーとマリィの夫婦が笑い合い、クロノとオズがふざけ合っている。

 何気ない日常の、普通の、温かい家族の食卓。

 不意に、アルルの胸の奥に、名前のつけられない感情が込み上げてきた。

 何故だかわからないけれど、無性に涙が出そうになる。

 アルルは慌てて、その込み上げてきたものをスープと共に飲み込んだ。

 温かいはずのスープの味が、なぜか少しだけ、苦く感じた。



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