第十四話 色づき始めた石と、素朴な疑問
翌朝、中規模の栄えた街は、早くから活発に動き出していた。
荷馬車の車輪が石畳を軋ませる音、露店の呼び込みの声、どこかの工房から響く鉄を打つ軽い音。朝の冷たい空気の中に、人々の活気が満ちている。
アルルは宿で簡単な朝食を済ませると、荷車の中身を点検した。
赤、青、黄色の目印の紐を結んだ水飴の瓶。瓶のひび割れはないか、蓋は緩んでいないか、一つひとつ細かく見ていく。
道中でたくさん作ったはずの薬効水飴は、予想以上に数が減っていた。商人としては嬉しい限りだ。
「クロノ、今日はギルドに行くわよ」
「商人ギルド?」
「ええ。これまでの行商の記録を付けてもらうの」
クロノは「はい」と少しだけ背筋を伸ばした。
彼にとって『ギルド』という公的な場所は、まだ少し緊張を強いられる場所のようだ。
ハナを宿の厩に預け、二人は街の中央へと向かった。
◇ ◇ ◇
商人ギルドは、立派な石造りの二階建てだった。
外壁には天秤を模したギルドの紋章が掲げられている。重厚な扉を開けると、中からは乾いた紙とインクの匂いが漂ってきた。
受付にはすでに数人の行商人が並んでおり、帳簿を抱えた職員たちが忙しそうに立ち働いている。
「行商の記録更新をお願いしたいのだけれど」
アルルが窓口で告げると、受付の女性職員が顔を上げた。
「はい、それでは『証の石』をお願いします」
アルルは首元のペンダントを引き出し、カウンターに備え付けられた透明な認証石に乗せた。
コトリと音がした瞬間、アルルの強大な魔力に反応して、眩い『空色』の光が石の内部に静かに、そして力強く広がる。
「……ミグラス出身、水飴の行商人。冒険者登録も……あら、結構な数の魔獣討伐もこなしていらっしゃるんですね。前回の登録更新は、港町リュシアですね」
「ええ、そうよ」
女性は帳簿をめくり、これまでの売上額や滞在日数などを手際よく確認していく。
「はい、問題ありません。確かに記録を更新いたしました」
「ありがとう」
アルルの横で、クロノがカウンターの上の文字を興味深そうにじっと見ていた。
「同伴されている補助登録の少年は……こちらですね」
女性は次に、クロノを見た。
「証の石を乗せてください」
クロノは少しだけ躊躇い、それから胸元のペンダントをそろりと取り出して認証石に乗せた。
彼の石は、まだ完全な黒ではない。
透明な石の中心から、まるで水に落ちた一滴のインクがゆっくりと滲むように、ほんの少しだけ黒く染まり始めている状態だった。
受付の女性は、それを見てほんの一瞬だけ眉をひそめた。
「証の石は、まだ浸透中なんですね」
「はい」
「順調に魔力は浸透しているみたいですけれど……んん……」
女性は指先で帳簿を軽く叩き、少し言いにくそうに口を開いた。
「この不完全な状態の石だと、国境を越える時や、もっと大きな街のギルドでは、身元不明者として足止めされる可能性があります」
「……やはり、そうですか」
アルルは静かに答えた。
「素性の完全にわからない者をすんなりと受け入れる国は、今の時代ありませんからね。いくら子どもでも、とんでもない魔法を使う者もごく稀にいますから。早く完全に浸透するといいですね」
「そうですね」
アルルは隣を見下ろした。クロノは不安そうに自分のペンダントを握りしめ、アルルを見上げている。
女性職員は少し気の毒に思ったのか、声を潜めて助言をくれた。
「でも……アルルさんは冒険者としての討伐実績も高いですから、各街のギルドで討伐の手伝いをして信用を稼げば、職員が融通を利かせてくれるかもしれませんよ」
「そうなんですか?」
「ええ。保護者にある程度の実力と信用があれば、仮に石の浸透が終わっていない同行者がいたとしても、ギルドが『身元引受人』として対処できると判断するんです」
「なるほど。旅の費用も稼げて、一石二鳥ね」
(魔獣を狩れば、ついでに新鮮な食料にも困らないしね)
アルルは心の中でそう付け加え、納得して頷いた。
その後、受付の女性に新しいガラス瓶を売っている工房の場所を教えてもらい、二人はギルドを後にした。
◇ ◇ ◇
ギルドを出ると、クロノはしばらく俯いたまま黙って歩いていた。
「……僕の石、いつになったら全部黒くなるのかな?」
「そうねぇ。完全に浸透するまでには、たぶん一年くらいは時間が必要かしらね」
「一年かぁ……」
「大きな教会の高位の司祭様なら、クロノが持っている魔力を直接取り出して石に一気に移す儀式も出来るらしいのだけれど……それができる人はごく僅かなのよ」
「そうなんだ……」
クロノは、足手まといになるのではないかと明らかに落ち込んでいる。
アルルは立ち止まり、クロノの目線に合わせてしゃがみ込んだ。
「そんなに落ち込まないの。私たちの旅はまだまだ長いんだから、一年なんてあっという間よ。それに、黒の国の永住権を得るためには、私自身も商人としての実績を二年間積まないといけないでしょう? まだまだクロノには、私の相棒としてたくさん手伝ってもらわないと困るわ」
「……うん。僕、頑張る」
「ふふ、その意気よ」
アルルは立ち上がり、歩き出しながら明るい声で続ける。
「焦らなくても大丈夫。クロノも私も、新しい人生はまだまだ始まったばかりなんだから。一緒に頑張りましょうね」
「うん!」
クロノは胸元のペンダントをもう一度見下ろし、今度は力強く頷いた。
「僕、もっといっぱい手伝って、お勉強も頑張る!」
「ええ、それでいいのよ」
クロノはすっかり元気を取り戻したようだ。足取りも軽く、アルルの横を歩き始める。
ギルドで紹介されたガラス工房へ行き、形が揃った新しい瓶を五十本注文した。仕上がりまでに三日かかるらしいので、その間は作りかけだったハナの馬着を縫い上げたり、周辺で薬草採取をして過ごすことにした。
宿の厩に戻ると、ハナはのんびりと干し草を食んでいた。
「ハナも、一緒だね」
クロノは背伸びをして、ハナのたてがみを撫でた。ハナは意味がわからないながらも、心地よさそうにフスンと鼻を鳴らした。
「じゃあ、今日は穀物屋で雑穀の買い付けをして、新しい麦芽の仕込みをしましょう。途中の屋台で何か美味しそうなものがあったら、今日の晩ごはんにしましょうね」
「わーい!」
◇ ◇ ◇
穀物屋で大麦と雑穀を買い付け、部屋へ戻って大麦を水に浸す。
その後は、手持ちの薬草の仕分け作業だ。雑穀に混ぜる薬草は、水飴にした時の効果を少しでも強めるために、しっかりと乾燥させたものを使用する。
アルルがすり鉢を使い、乾燥した葉や根をゴリゴリと細かくすり潰していると、傍で本を読んでいたクロノが顔を上げた。
「ねえ、アルルさんはどうして水飴を作り始めたの?」
「気になるの?」
「うん。だって、アルルさんは元々貴族でしょう? 強い理由は騎士の修行をしてたからだってわかったけど、どうして水飴を作り始めたのかが、よくわからないから」
クロノの漆黒の瞳が、純粋な知的好奇心でキラキラと輝いている。
「……そうねぇ。一言で言えば、『生きていく為』かしらね」
「生きていく為?」
「そうよ。お金がないと、食べるものも着るものもお買い物できないでしょう?」
「うん。盗んだら捕まっちゃうもんね」
「だからよ。貴族だからって、みんながみんな、自由に使えるお金をたくさん持っているわけじゃないのよ」
ふふふ、とアルルは微笑む。
「だから、何か一人でも作って売れるものはないかと思って、屋敷の図書館で本を読んでいたら、日持ちのする水飴の作り方を見つけたの」
ゴリゴリとすりこぎを回す手は止めず、アルルは平然と続けた。
「アルルさんも、お金無かったの?」
「ええ、そうよ。だからこれから一生懸命稼がないとね。今はクロノもハナも家族に増えたんだから、もっと頑張って稼ぐわよ」
「僕も、いっぱいいっぱい売る手伝いするよ!」
「ありがとう、クロノ。でも、たくさん勉強するのも子どもの大事なお仕事よ」
「お勉強も頑張る! お手伝いも頑張る!」
「あら、頼もしいわね」
話をうまく逸らしたことに、クロノは気付いただろうか。
アルルがチラリとクロノを見ると、彼はもう納得したのか、再び真剣な顔で本に齧りつくように読みふけっていた。
アルルは心の中で、ホッと安堵の息をつく。
幼い子どもに、貴族の家のドロドロとした愛憎劇や、離れに幽閉されて生きるために足掻いていた事実などを聞かせるべきではない。これからのびのびと平民として生きていくなら、いっそそんな世界の闇は知らない方が良いのだ。
アルルはすり鉢の粉末になった薬草を器に移し、また次の乾燥薬草を入れて、ゴリゴリとすりこぎを動かし続けた。
ペラペラと本をめくる音と、ゴリゴリというすり鉢の音が止まったのは、外の陽がすっかり暮れた夕方のことだった。
水飴の仕込みが終わった頃、二人は外の屋台で買ってきた夕食を広げた。
元々、ただ焼くか煮るかしかできない大雑把なアルルにとって、美味しくて手間のかからない屋台飯はひどくありがたい存在だ。
アルルはジューシーな肉がたっぷり挟まれた黒パンを、クロノはカリッと揚がった白身魚が挟んあるパンをそれぞれ夢中で頬張り、お腹を満たした二人は、その夜も深く穏やかな眠りについた。




