第十三話 少しの噂と、繋げた者
老婆の宿を出て、数日が経った。
塩の道は相変わらず人の往来が多く、朝と夕方は特に賑やかだった。
白黒のロバが荷車を引き、その脇を空色の髪の女と黒髪の少年が歩く――それだけで、道行く人の視線を集める。
「ねえ見た?あのロバ。すごく珍しいわね」
「ああ、水飴売りだろ。薬草入りのやつ」
「疲れが抜けるって話だよ」
「頭痛にも効くとか」
「ポーションみたいな効果はないけど、じんわり効いてくるのがいいらしい。何より安いのがありがたいねぇ」
「ポーション高いもんな」
そんな声が、すれ違いざまに聞こえてくることが増えた。
アルルは、胸の内で小さく息をつく。
ハナのおかげもあって、少しずつ水飴の噂が流れ始めているようだ。
「ハナ、貴方のおかげね」
アルルはハナの立髪を撫でる。
ハナはフスンと鼻を鳴らす。
「え?なにが?」
「水飴よ。なんだか噂になっているみたい。白黒のロバを連れた水飴売りがいるって」
「ハナ有名なんだ、すごいね」
「そうね。次の街に着いたら果物を買ってあげなくてはね」
アルルは笑った。
ハナは、相変わらずのんびりとした足取りでポクポクと進んでいる。
大人しく歩くと、後にりんごを貰えると学習しているのか、道端の子どもが近づいても逃げない。
その日の昼過ぎ、一行はそこそこ栄えた町に辿り着いた。
石造りの建物が増え、屋台の数も多い。
町の中央には小さな広場があり、商人と旅人が入り混じっている。
「ここで、少し滞在できそうね」
宿を確保し、荷車を落ち着かせた後、アルルは露店を一つひとつ見て回った。
鍋、瓶、金物、香辛料――そして。
「このシーツ厚手で良さそうね」
「何に使うの?」
アルルは沢山の布を山積みしている露店を覗き込んだ。
手にとって一つ一つ見ていく。
「ハナの馬着を作ろうと思ってるの。夜は寒いでしょう?」
「ハナが風邪引いたら大変だ」
アルルは白黒の格子柄のシーツを買った。
「それじゃ次は本屋に行きましょう」
「本屋?」
アルルは隣の露店を指差した。
そこには本が沢山並べてある。
「この街に来るまでにたくさんお手伝いしてくれたから、ご褒美よ」
「やったぁ!」
クロノは飛び跳ね、すぐに本の露店に移動した。
小さな屋台に、簡素な棚が立てられている。
羊皮紙を綴じた本が、数冊ずつ並べられていた。
クロノが、ぴたりと足を止めた。
「……見てもいい?」
「ええ」
許可を出すより早く、クロノは棚の前に立っていた。
目は真剣で、まるで宝物を前にしたようだ。
「字、ちゃんと読めるの?」
「うん。婆ちゃんが教えてくれた。全部じゃないけど」
指先で背表紙をなぞる姿を見て、アルルは少し迷い、そして決めた。
「どれにする?何か知りたい事はあるの?」
「うーん、いっぱいあるよ」
「そっか、慎重に選ばないとね」
クロノは本を一冊一冊丁寧に手に取り、表紙や中を数ページめくる。
「何がいいかな、僕何も知らないから」
「そんなことないわよ。今は薬草の種類とか水飴の作り方をちゃんと覚えているでしょう?クロノは賢いから、これから沢山のことを吸収出来るわよ」
「そうかなぁ?」
「そうよ」
クロノはしばらく棚を見つめ、やがて一冊を選んだ。
『大陸の成り立ちと魔力の系譜』
「これがいい。知らない世界を見てみたい」
「いい選択ね」
「うん」
本を包んでもらう間、クロノは落ち着かない様子で何度も袋を覗いていた。
夜。
宿の部屋は、ランプの柔らかな光に包まれていた。
クロノはベッドの上で、本を膝に乗せて読んでいる。
ハナは外の厩で、干し草を食べている音がする。
「アルルさん」
「なあに?」
「アルルさんの魔力は強いんだね」
ページを開いたまま、クロノは聞いた。
クロノの視線はアルルの髪の毛をじっと見つめている。
アルルは少しだけ考え、椅子に腰を下ろす。
「どんなふうに書いてあったの?」
「アルルさんはミグラスの民で、魔力の強い王族は瑠璃紺色、次に瑠璃色、空色、水色、薄水…って書いてある」
「そうよ。他には?」
「強い魔力をもつ高位の貴族は多いけれど、稀にそうでもない家系や平民に突然現れる事もあるって」
他の国も色が違うだけで同じだって書いてある、とクロノは言う。
「私はね、ミグラスの子爵家の長女に生まれたの。騎士の家系で、私も騎士団に入るつもりで修行しながら生きていたわ」
「アルルさんは貴族なんだ」
「一応ね。私は子爵家にしては強い魔力を持っていたから、魔力が弱まっていた伯爵家の役に立つためにそこへ嫁いだの」
「役に立つ?」
生々しい表現を避けつつ、なるべくわかりやすく説明してみた。
クロノは何となく理解したようで、アルルは頷いた。
「魔力の弱い貴族は良いお仕事に就けないの。だから私の力を分ける感じかしらね?」
「ふーん、なんか凄いね。分けたら何か貰えるの?」
アルルはクロノの無邪気な質問に思わず吹き出した。
「ふふっ…」
「?」
「ごめんなさいね、想定外の質問だったから…そうねぇ、何ももらってないわね」
「タダ働きは良くないよ!」
働いてお金を得る事の大切さを理解しているクロノは、なぜかアルルの分まで憤慨している。
その様子が可愛く思え、頭をポンっと撫でた。
「ありがとう。クロノは良い子ね…そうねぇ、何も貰ってはいないけど、血を繋げる事が出来たのは、とても嬉しかったから、いいのよ」
「どういう事?」
「クロノがもう少し大人になったら分かるわよ」
クロノは少しぶすくれたが、やがて気になっていたらしいもう一つの質問をぶつけてきた。
「…アルルさんは何をしに黒の国に行くの?」
クロノは大きな黒い瞳でアルルをじっと見つめている。
「黒の国はね、基本的に他国の人間を国民とは認めない国なんだけど…例外があるの」
「例外?」
「リュシアの街で行商人の登録をしたのは覚えてる?」
「うん、一緒に冒険者の登録もしてたね」
クロノは何かを思い出すかのように首を傾げて上を向いた。
「黒の国はね、二年間の商売の記録があれば、永住権の申請ができるのよ」
「申請?アルルさん黒の国に住むの?」
「そうよ。私は商人として申請をするの。審査はとても厳しいけど、頑張ってみようと思って」
「それで水飴売りしてるんだね。アルルさん強いのにどうして冒険者じゃないのかと思ってた」
「私はそんなに強くないわよ。そこそこくらいかしらね。生きる為に身につけた力よ」
「生きる為の力」
クロノは雷に打たれたように目を見開いた。
「ぼ、僕も何か力をつけたい」
「あら、沢山のことを知りたいって言ってたでしょう?知識も力よ」
「なら僕いっぱい勉強していろんなことを知ってる人になる!」
「そう、頑張りなさい」
「うん」
「じゃあその為にはもう寝ないとね。よく寝ないと勉強が捗らないわ」
クロノは弾かれたようにベッドに向かい潜り込んだ。よほど嬉しいのか本をギュッと抱えたまま、目を閉じる。
アルルはランプを少し暗くし、静かに立ち上がり、ベッドに横になる。
目を閉じると、外から白黒のロバが寝返りを打つ音がする。
ふと、先程クロノに言った言葉を思い出す。
私は確かに血を繋げた。
私の色を持つ、殆ど会った事のない私の子供達を。
ペインズ伯爵家はそれ以外を私に求めなかった。
ならばもう、ただのアルルになって自由に生きていきたい。
だから私は旅に出て、行商人として水飴を売る。
目的はまだ遥か遠いが、私はもう何も奪われる事なく生きていくのだ。
そう決意しながら眠りについた。




