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空は、まだ咲いていた  作者: 宇波
第一章 自衛軍士官学校 〘4〙第三期 救助試験
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第八十一話 放課後、嵐の前で 3

「も、だめだぁー」


 寮の自室へ入るやいなや、私は玄関先にも関わらず、全身を投げ出し倒れ伏す。


「夏ちゃん、夕飯の時間は終わっとるぞ?」


 慌てた様子の瑪瑙先輩が、奥の方からやって来た。


 そう。あまね先輩の言う『事前特訓』は、あれからさらに数時間続いた。

気付けば門限ギリギリ。空を見れば、とっぷり更けた夜。


(外、もー暗い)


 ここまでやってくる道中の空の色を思い出す。

床にくっついた頬が全く動かせない。

体の力も入らなくて、なんならここで寝てしまいたい。


「先輩……」

「どうした、どうした?」

「今日はも、いいです……。明日食べます……」

「夏ちゃんがご飯の話をしない……だと?!」


 瑪瑙先輩はショックを受けたように後退る。

そんなことも気にならないくらい、私は疲れ切っていた。

肉体的にじゃなくて、多分、精神的に。


 数時間、されど短時間。

災害が起こった際の救助方法。

実際に被害者が多数出た事例の写真や詳細な情報。

短時間に頭がパンクしそうなほどに詰め込まれたそれらは、私の時間間隔を狂わせるほどに濃縮された、例えるなら濃縮還元ジュース。


(いや、例えの意味が分からないって)


 きっと、海や陸に話しても、なんでその例えが出てきたって言われて、首を傾げられるような。

我ながら不思議な例えを頭の中に浮かべて、苦笑する元気もなく、作ろうとした苦笑いは「ぷふぅー」なんて、気の抜けた空気になって頬をへこませた。


「浜辺に打ち上げられたクラゲ……?」


 瑪瑙先輩がツンツン頬をつついてくる。

つつかれる度に、ぷふ、ぷふ、って残った空気が抜けていく。


「めの……せんぱ……」

「どうした夏ちゃん?!」

「今日は、明日ですか……?」

「今日は今日だよ?! だめだ、夏ちゃん重症!」


 起きろ、起きろって揺らされる肩の振動。

まるでうんと眠たいときの車の揺れ。子守唄のように心地いい揺れに感じて……。


「夏ちゃん?! ここで寝たら体痛くなるぞぅ?!」

「ぐぅ」

「だめだこの子寝つきがいい!!」


 起きてえぇぇぇ!

瑪瑙先輩の声を遠くに聞きながら、私の意識は深く沈んでいった。



***


「おはよう」

「おはよ……ござ……ます……」

「……」

「……」

「ボロボロね?」


 あまね先輩の珍しいジト目。

休日の始まりに私は、苦笑いで誤魔化した。


 昨日、結局床で寝てしまった私は、朝になって、とんでもない筋肉痛に襲われることとなった。


「私の若さで勝てない……だと……」

「そりゃ、一晩柔らかくもないフローリングで寝てたらそうなるよねぇ……」


 呆れ顔の瑪瑙先輩は、どうやら私を放置したらしい。一晩。


 なぜ放置したのか。問い詰めると、曰く。


「だって夏ちゃん、重かったし」

「がーん」


 朝からショックを受けたことが、今日一番のハイライト。


(でも昨日の事前特訓とかなら、多分ずっと椅子に座ってられるだろうし……)


 頭の中で算段をつける。

今日の予定なんて何も聞いていないのに、あまーく、頭の軽い、お花畑な算段を。


 つまり、舐めてた。

私は思いっ切り、舐め腐った思考をして、安心感を得ようとしていた。


 次の試験に、生命さえ賭けてるような迫力で啖呵を切った人が、そんなぬるい考え方でいるわけがないのに。


「……ま、着いてこれるならいいわ。行くわよ」


 呆れ半分。あまね先輩は歩き出す。

……昨日いた、図書館とは逆方向に。


「……あれ? あまね先輩、どこに行くんですか?」


 図書館逆ですけど。

その問いは、言葉にならずに掻き消える。


 あまね先輩の目が、また、電気のようにバチバチ光って見えたから。


「外泊許可をもらっているわ」

「外泊?」

「行くわよ。時間がないの」

「行くって、どこに」


 あまね先輩に腕を掴まれ引きずられる。

転んでしまいそうなほどに乱暴。転ばないように足並みを揃えることが、私にできる精一杯。


「空港まで」


 きっと先輩が呼んで待たせていたのだろう。

校門付近にタクシー一台。

否を言う暇もなく、私は後部座席に押し込められた。


 間もなく、と言うには長い時間をタクシーに揺られ、私たちは空港に到着する。

 支払いはすべてあまね先輩が。

出そうにも、手持ちはすべて部屋に置いてきてしまった私は、行き場のない手を右往左往させることしかできない。


「気にしなくていいわよ。この休日の支払いは、全部あたしがするから」


 なんて、男前な発言を繰り出した先輩に、お願いしますと頭を下げることしかできない。


(久しぶりの旅客機だ)


 高校時代のあの日から、一切乗ることがなくなった旅客飛行機。

旅を楽しむための余裕もなく、移動するための手段としても一切選ばれることのなかったそれは、ある種の象徴として印象に残っている。


 発作のようなものが起きるのではないか。

そんな杞憂は、疾うの昔に払拭している。


(学校で散々、飛行機に乗ってるどころか運転してるしね)


 シミュレーションでも、訓練でも。

私は、こと飛行機の操縦においては、学校の中では群を抜いている自覚がある。

成績がそれを物語っている。


 その時も、発作なんて無かったし、きっと私の傷は、そこには無いのだと思っている。


 ……ただ。飛行機の思い出が、私にとってはその程度だったのかって、少し落ち込むことがあるくらいで。


「……今から、どこに向かうんですか?」


 離陸。そして雲の真下。

私は眼下の景色を見ながら、あまね先輩に問いかける。

窓に映る彼女は、こちらをチラとも見ることなく、瞳を閉じて寝る体勢。


 答えが返ってこない雰囲気。

肩を竦め、再び景色に集中しようとしたところ。


「……関西」


 ポツンと落ちた言葉に、私は思わず彼女に振り返る。

そうして彼女が吐き出した言葉は、ある場所を示す住所。


「……それって」


 昨日の事前特訓でも見たし、もっと身近なところだと、鬼沢教官の娘さんが通っていた学校があるところ。


 つまり、今から向かうのは。


「二十年前、地震が起きて、多数の被害を出した場所」


 光が睡眠の邪魔になるのか、眉をしかめてアイマスクを装着したあまね先輩が、もごもご面倒くさそうに答える。


「被災地よ」


 彼女の発したたったひと言は、鉛の重りの如く、非情な重量感があった。


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