第七十三話 薬ならざる 2
私は心底不思議だった。
どうしてこの人は、自分の娘をここまでこき下ろせるのだろう。
確かに、謙遜でうちのコはそんなにすごくないからー。なんて言って、他所のお宅の子供を持ち上げる。そういうコミュニケーションがあるらしいことは私も知っている。
だけど彼女のこれは、謙遜の域を超えている。
ただ、星羅ちゃんを貶めるためだけに言葉を選んで、わざわざ悪意を吐き出している。
彼女にとって自然体で。
私はそれが、酷く不可解だった。
だって。
私にとってお母さんは、何より子どもを一番大切にする存在だから。
自分のことを後回しにしても、私を。陸を、海を、よく褒めてくれた。
悪いことをしたら叱るけど。それでもちゃんと、愛情たっぷりにケアもしてくれた。
記憶に残っているだけでも、うんと、うんと愛してくれた。
だから、私は教育ママが言おうとしていることが、まったく理解できなかった。
「あの子は昔から頭も要領も悪くて。よく迷惑をかけられたものだわ」
思い出話を装った悪口。
懐かしそうな郷愁の雰囲気。それに乗る無意識の悪意。
心底。心底気持ち悪い。
「性格も根暗で。何を言いたいのか分からないことも多くって。友達の一人もできないくらいに社会に適していないのよ、あの子」
わたしがいないと、何にもできないダメな娘。
手がかかる子供を、仕方がないと包み込む親の顔をしながら、彼女は吐き捨て突き放す。
私は理解した。
嫌でも理解してしまった。
世の中には、こういう親が、たしかにいるってこと。
私のお母さんとは随分違う親が、この世の中にいるってことを、理解が追い付かないまま理解した。
「……福岡さんは、確かに控えめな性格かもしれないですね」
「ああ、やっぱり馴染めていないのね」
教育ママが鼻で笑う。
勝ち誇ったような笑みに、優越感を浮かべている。
「でも、彼女には、他に類を見ないほどに素晴らしい才能がありますよ」
教育ママの眉がぴくっと動く。
「へぇ……?」
呟くその声に、僅かな不快が滲んでいた。
「本当ですよ。私、彼女にはいつも助けられてます」
気付かないふりをして、あくまで世間話の延長と、私は素知らぬ顔で星羅ちゃんを褒める。
実際、星羅ちゃんの天気を読む才能が無ければ、私はあの傘を預かったあの日、ずぶ濡れで帰ることになっていた。
他の人には真似できない、唯一無二の才能。
それに、控えめな性格とは言っても、胆力はそこらの人間の比ではないとも思っている。
本当にただの引っ込み思案の根暗なら、退学になる可能性さえあった金庫破りの協力なんて、きっとしなかった。
そもそも、教育ママが言っているような人物像なら、冬休みを目前にしたこの時期まで、この学校で生き残っていない。
彼女は、才能あふれる立派な士官学校生だ。
ポーカーフェイスに隠した私の得意げな顔。
対する教育ママは、隠しもしない苦い顔。
笑顔を取り繕おうとして、唇が歪な形を描いている。
彼女のくすんだワインレッドは、コーヒーに溶けて色褪せる。
素の唇の色が見え隠れして、それが教育ママの素を曝け出しているようにも感じる。
苦い顔をする教育ママは、腹が立っているのだろう。
さっきまで貶めていた娘を、褒めそやす人間が出てきたのだから。
彼女はきっと怒れないに違いない。
私はただ、自分の娘が学校に馴染めていないと心配する母親に、そんなことないですよ、娘さんはうまくやれていますよって、教えたに過ぎないのだから。
意趣返しができたと、自己満足。
星羅ちゃんをここまで貶めるその言動は、彼女が嫌いだからなのかどうなのか。
どういう意図があっての行動か、それだけはまったく理解できないけど。
「……そう。星羅は意外とうまくやってるのね」
苦く嚙み締められた唇から、悔しそうに絞り出す声。
私はにっこり笑って肯定。
「はい! かけがえのないチームメイトです!」
この言葉。
どうやらトドメになったらしい。
「お邪魔したわね。そろそろ帰るわ」
「あ、パンケーキがまだ……」
「結構よ!」
机に叩きつけられる小銭。
珈琲の分ちょうど。
荒々しく立ち上がった勢いのまま、ヒールをガツガツ鳴らして出て行く彼女。
スライドドアは、肩が跳ねるくらいに大きな音を立てて閉められた。
教室の中は何事かと、不審な視線があちこち行き交う。
その視線は、やがて渦中の私の元に。
私は彼らににっこり笑う。
「お騒がせいたしまして、申し訳ありません。どうぞごゆっくりお過ごしください」
当たり障りのない退場文句を吐き出して、私はそっと裏方に体を滑り込ませる。
「天嶺」
「黒澤先輩」
「……よく、収めたな」
黒澤先輩の労いの言葉に、私はふ、と鼻で笑う。
「そんな心配そうな顔しないでください。黒澤先輩、もっとふてぶてしい顔してるんですから」
「オレの心配を返せ」
ブラックコーヒーを一気飲みしたような苦い表情で、黒澤先輩は文句を言う。
ほんの少し、いつもの黒澤先輩が戻ってきた。
「すみません、少しだけ、調理室行ってきていいですか?」
「行ってこい。福岡もそっちにいる」
「ありがとうございます。瑪瑙先輩」
同じく心配そうな顔をした瑪瑙先輩に、問題ないとにっこり笑ったままで。
「十分くらいで戻ります!」
行ってきますと告げる言葉はきっと空元気。
心配そうな視線をそのままに、私の背中に「行ってらっしゃい」の声がかかった。




