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第十章 バカらしいくらい素晴らしい少年

「立て一騎。今の一発は、オマエに散々裏切られたあゆ美ちゃんの分だ」

 駿は、一騎に迫りながら拳を固める。

「たまたま防げたくらいで、図に乗るなよ低能がッ!」

 一騎は、立ち上がると同時に再び力を放つ。

 駿は、またタリズマンを盾にする。

「信じろ……信じるんだ……俺はできるッ!」

 タリズマンは、聖なる黄金の輝きを放ち、再び一騎の力をはね退けた。

「な、なんで……」

 一騎が、驚愕の表情を作って後退りする。

 その一騎の胸倉を掴み、駿は再び拳を振り上げた。

「こいつは、てめえらに利用されてきた織姫の分だーッ!」

 怒りのこもった駿の一撃が、また一騎の体を吹き飛ばす。

「どうして……どうして、この僕が……」

 一騎は、尻餅をついたまま駿を見上げる。その顔は、恐怖に満ちていた。殴られた痛み以上に、今一騎の頭の中は恐怖が駆け巡っていた。全てを消し去る事が出来ると思っていた自分の力がまったく通用しない、その恐怖は、一騎にとって未知のものであった。

「まだまだ行くぞコラ……テメエのひん曲がった根性、叩き直してやる!」

 ――これまでか……

 近くで一部始終を傍観していたバーノンは、ふとそう呟いた。スーツの懐に手を入れ、駿と一騎の方へと向かおうとする。

 が、そのとき怒声が上がった。

「バーノンッ!」

 突然、どこからか引っこ抜かれた道路標識がハンマーと化し、バーノン目掛けて飛んだ。しかし、バーノンは事も無げにそれを交わす。

 バーノンが目をやった先には、奈那と武志が立っていた。

「駿の邪魔はさせない! アンタはアタシがブン殴る!」

「大部、自分のサイコキネシスに体が慣れたようだな、大した才能だ。しかし、力任せでは私には指一本触れる事は出来ないぞ」

「うるさいッ! アンタは絶対、ヒメに土下座させてやる!」

 奈那は、校門のフェンスに手を掛ける。と、まるで木の枝でも折るかのように、いとも簡単にそのフェンスの一本をもぎ取った。それを剣道のように構え、バーノンに向かって行く。

 まずは頭を、剣道の面打ちのように振り下ろす。

 交わされる。

 だが、すかさず胴への連撃。

 またもや交わされるも、奈那はバーノンをじりじりと追い詰める。

 剣道は未経験の奈那であったが、見よう見まねにしてはその剣筋は有段者レベルであった。持ち前の運動能力の成せる業であろう。

「強いサイコキネシスに加え、この運動能力――素晴らしいな。どうだ、増岡奈那、私の仲間にならないか? 欲しいものは全て与えよう」

「ふざけるなッ!」

 奈那は、バーノンの喉元目掛けて突きを放つ。

 バーノンは、涼しい顔でそれを後ろに飛び退いて交わす。

 が、そこに待っていたのは武志であった。武志は瞬時にバーノンの手首を掴み、殺気を含ませて言った。

「力任せで駄目ならば、技ならどうです?」

「浅井武志、今、私が一番欲しいのは君のような人材だ。君は、裏側世界で生きるべき人間だよ」

「遠慮しておきます」

 武志は、バーノンが逃れようとする方向へ掴んだ手首を押しやる。同時に、その手首と肘を逆に返し、下方から大きく回して肩関節を極めに掛かった。自分の力をそのまま返される形となったバーノンは、もう逆らう事は出来ない。身をよじり、その瞬間、フワリと体が宙に浮く。

 ――はずであった。

 バーノンは、一瞬の内に身をひるがえし、逆に武志の手首を掴んでいた。

「なっ…!」

「確か、こうだったかな……」

 驚く武志にバーノンはニヤリと笑い、武志の手首の関節を極める。同時に肩関節を極めながら上方へと押しやった。浅井流の小手返し。体が浮いた瞬間、脳天は地面に叩き付けられる。

 だが、武志も瞬時に左手を地面に付け、それを防いだ。

 するとバーノンは、極めていた武志の手首を離し、逆さまの状態の武志に凄まじく早いミドルキックを放ったのだった。

 受身も取れない体勢で、武志の小柄な体は宙を舞った。

「武志ーッ!」

 奈那は、倒れこんだ武志に駆け寄ると、武志をかばうように剣に見立てたフェンスをバーノンに突き立てる。しかし、バーノンの予想外の強さに、二人は困惑を隠せなかった。

 そんな二人に、バーノンは冷笑を浮かべた。

「不思議だろ? 浅井武志。君のテレパス能力……君風に言わせてもらえば心眼と言ったか?それは、私の行動を全て教えてくれているはずなのに、判っているのに交わせない。なぜだと思う…?」

 ゆっくりと、バーノンは二人に迫り寄る。

 その時、バーノンの背後に向かって黒い影が走った。

「バーノンッ!」

 充分に練り上げられた気の塊がバーノンの背中を狙う。それは、大きくグラウンドの地面を抉り取ったが、バーノンはすでに飛び退いていた。

「さっきから鼠が一匹ウロチョロしているとは思っていたが、やはり君だったか。ミシェル=シラカワ。もう一匹の大きい方の鼠はどうした?」

 ミシェルは答えず、掛けてるメガネを直しながら武志に告げた。

「浅井武志、先読みに頼るな。あの男には通用しない」

「ほう、よく判ってるじゃないか」

 感心するような顔をするバーノンを、ミシェルは睨みつけた。

「以前、にわかには信じられない貴様の噂を耳にした事がある」

「興味深いな。どんな噂だ?」

「バーノン=カミングという男は、一切の能力も持ち合わせてはいない。持っているとすれば、常人離れした身体能力と、天才的な格闘センスのみ。それだけでバーノンという男は二十年以上この裏側世界を渡り歩いてきた、と……」

「フフ……」

「先日の東間の屋敷での戦いの折、その噂は確信に変わった。神崎織姫が召喚した悪魔が無差別攻撃を仕掛けた時、なぜか貴様だけは襲われなかった。いや、襲われなかったんじゃない。襲われていたが、貴様はそれを紙一重で交わし続けていた。目では、ほとんど捉えられないほどに、ほんのわずかに、素早く体を動かすことで」

「大正解だよ、ミシェル=シラカワ」

 バーノンは、再び冷笑をたたえた。

「しかし、それが判ったところでどうする? 力の差が歴然となっただけだ。サイコキネシスや気孔術のような力任せはもちろん、先読みも私には通用しない。私の攻撃するスピードは、それ以上なのだからな。能力で私を倒す事など出来んぞ」

 と、ミシェルは、奈那と武志に向かい、言った。

「増岡奈那、そして浅井武志は再び申し訳ないが、二人とも、私に力を貸してもらいたい」

「当然よ」

 奈那は、バーノンを睨みつつ答える。

「気にしないでください」

 武志も立ち上がり、バーノンに再び殺気を放つ。

「バーノン、貴様に手段を選ぶつもりはない。三人一編に掛からせてもらう」

「いいだろう。指一本くらいは触れてみたまえ」

 バーノンは不敵な笑みを浮かべた。


 一方、駿は一騎を完全に追い詰めていた。

「なんだよ……なんでだよ……なんで、この僕がお前なんかに……」

 一騎を支配している恐怖は、すでに能力を使う事すら忘れさせていた。

 駿は一騎に詰め寄り、また胸倉を掴んでは文字通りぶっ飛ばす。

 恐怖に震える一騎に、駿は怒りを込めて怒鳴った。

「今のは、オマエの母ちゃんの分だ!」

「な、なにを…!」

「ここに着くまでの間、このグレッグさんの御守りを通してここの様子は全部見させてもらったよ。オマエがどれだけ親の心を判ってねえかって事もな!」

「お……お前なんかに何が判る!」

「判るさ。俺だって、じーちゃんの事があったんだ……」

「そうだ! お前だって僕と一緒だ! お前だって、一番信用していた人間に裏切られていたんだ! 巌の事が憎いはずだ!」

「ああ、一度はじーちゃんを憎んださ……でも、憎み切れなかった。それでも、じーちゃんは俺を育ててくれたからだ!」

「なにを綺麗事を…!」

「綺麗事なんかじゃねえよ。じーちゃんは、子供の頃の俺に記憶の消去をやらなかった。なぜだと思う? 記憶を消すって言うのは、良かった思い出まで全部消しちまうからだよ。たとえ自分が憎まれる事になっても、じーちゃんは、俺の中に父ちゃんと母ちゃんの記憶を残してくれたんだ。とんだお人好しジジイなんだよ!」

 駿は、倒れこんでいる一騎の胸倉を両手で掴み、無理やり立たせる。そして、更に声を上げて一騎を怒鳴りつけたのだった。

「オマエもいい加減気付けよ! どうして自分の記憶が残されてんのか! オマエの母ちゃんなら、能力が封印されていた頃のオマエの記憶を消すくらい簡単に出来たはずだ! それでもやらなかったのは、オマエに憶えておいて欲しかったからだ! どんなに憎まれてもオマエの母ちゃんは、オマエの母親でいたかったんだよ!」

「く、くだらないね……」

「くだらねえか? だったら、オマエが判るまで俺はオマエを殴り続けてやる――たとえ拳が砕けたって、判るまで俺はテメェを殴り続けてやる!」

「くそっ! 離れろッ!」

 一騎は再び能力を駿にぶつける。

 しかし、駿も直ぐにタリズマンでそれを防ぐ。

「無駄だって言ってんだろッ!」

 だが、その時だった。タリズマンに、大きく亀裂が入った。

 と、次の瞬間、タリズマンは高い金属音を立てて砕け散った。一騎の強い力を受け続けていたタリズマンは、すでに限界を迎えていたのだった。

「マジかよッ…!」

 その光景は、一騎の嘲笑を誘った。

「クク……ククク……ハーッハハハハハハ! 形勢逆転だな、河本駿」

「駿ッ!」と、巌は駿を助けに向かおうとするが、巌にはすでに歩く力すら残されていなかった。

「くっ、こんな時まで…! 逃げろ、駿ッ!」

「遅いよ……」

 一騎は駿に右手をかざす。

 駿は、一騎を睨みながらも、悔しそうに奥歯を噛み締める。

 そのとき――

「アテー、マルクト、ヴェゲブラー、ヴェゲドゥラー、レ、オラーム、AMEN!」

 呪文が響き渡り、黄金の十字架が駿の身を守った。

 黄金の十字架は駿に振り返り、紳士然とした笑みを浮かべた。

「遅くなって申し訳ない、河本駿」

「グレッグさん!」

「よくやったな、君はもう立派なヒーローだ。後のことは、私に任せたまえ」

「魔術師風情が…! 今更ノコノコと何しにやってきた」

 一騎はグレッグに殺気を放つ。

 しかし、グレッグは紳士然とした笑みで、それをサラリと交わすのだった。

「その魔術師風情の細工は流々だよ、東間一騎。仕上げをご覧じろ!」

 グレッグは、『白銀の短剣』を地面に突き立てた。

「させるかッ…!」

 一騎が能力を放つ。だが、それはグレッグの目前で消え去ったのだった。

「な、なんでッ!」

「言っただろ? 細工は流々だと」

 グレッグは言い放ち、呪文の詠唱に入った。

「イクスアルペイ・イェホーワゥ・ベイエートゥーエム・エルオーヒーム・ヘイコーマァ――」

 グレッグが唱え続ける呪文が大気を震わせる。何かの強い力が一騎を中心に集まり始め、一騎の足が、体が震えだした。

「く、くそッ!」

「――エンアーエンター・アードーナァイ……ラファエル、ミカエル、ウリエル、ガブリエル、精霊と神の御名に於いて、汝ら、力を持ちて我らに仇なす邪悪を捕らえよ……AMEN!」

 突き立てた『白銀の短剣』から光が迸った。それは光の鉄条網となり一騎の体に絡みつく。と、一騎は地面に叩き伏せられ、身動き一つ取れなくなった。

「な、なんだこれは…!」

「聖なる四大天使の力を用いて君の肉体と能力を封じた。この魔術は、君ような憎しみの権化と化した人間には良く利くんだよ――もっとも、君ほどの力の持ち主を封じるんだ。神崎織姫が、これほどの結界を張っといてくれなければ成功しなかっただろうがね」

「なに…? ど、どういう……」

「彼女は、実に素晴らしい魔術師だ。彼女がこの結界を張るのに四方に埋めた触媒――自分の爪を埋めた場所は、方角、地軸、磁場、風の流れ、星や月の位置、その全てが計算され尽された場所に埋められていたよ。髪の毛ではなく爪を使ったところも素晴らしい。爪の方が、その人間の生体エネルギーを色濃く反映しているからな。私は、その触媒の上から自分の血印を刻ませてもらった。言うなれば、結界の上書きだ。つまり、今ここは、私の土俵上という事だよ。先程、君の能力が打ち消されたのも、そのせいだ」

「くそッ、貴様ぁーッ!」と、一騎は憎しみに満ち満ちた目でグレッグを睨む。だが、次には「うぁぁぁッ!」と悲鳴を上げた。

「その光の鉄条網は、君が憎しみを抱けば抱くほど君を締め付ける。観念するんだな」

 そして、グレッグはバーノンに声を上げた。

「バーノン、貴様も観念しろ! いかに貴様が超人的な体術の持ち主であっても、この結界内では私の魔術から逃れる事は出来ん!」

 ミシェル、奈那、武志の三人の攻撃をものともせず、それどころか追い詰めていたバーノンであったが、その声にふと手を止める。と、ボロボロとなっている三人に背を向け、グレッグの方へと足を向けたのだった。

「いつも鮮やかなものだな、グレッグ。敵にしておくには惜しいくらいだ」

「バーノン、貴様には聞きたい事が山ほどある。特に、貴様のクライアントに関してな……」

「ほう、すでに判っているという顔だな」

「そうだ。貴様のクライアントは、枢密院だろう?」

「さてな……」

「調べはついているんだ…!」

 グレッグは、バーノンに鋭い眼光を放った。

「貴様も知っての通り『王は君臨すれど統治せず』というのは、古くからの我が国の慣習だ。その王家に代わって行政の最高権力を有しているのが枢密院だが、それも昔の話。今は民主主義に則り、行政は民衆の手に委ねられ、かつては法の番人とまで言われた彼らも現在は形だけを内閣に存在させるのみだ。しかし、それを良しとしない者達が枢密院の内部に存在し、かつての権力を取り戻そうと二十年も前から活動を開始ている――そんな噂が、何年か前から取り沙汰されていた。貴様が裏側世界を暗躍し始めた頃と合致している。言い逃れは出来んぞ!」

「フッ、王家の犬はよく吼える……」

「貴様は、すでに王家に異端者として認識された! 審問は女王陛下自らしてくださるそうだ、ありがたく思え!」

「それは身に余る光栄だ。しかし――」

 バーノンは、グレッグへと歩を進めながらスーツの懐に手を入れる。取り出した拳銃をグレッグに向けた。すると、グレッグは、その拳銃に何か気付いたように目を細めた。

「そんな銃を持っているところを見ると、やはり貴様、軍の人間だったか――枢密院の不穏分子と軍の一部が繋がっているという話も出ているからな……」

「君の想像に任せよう……」

「言い逃れは出来んと言ったはずだ。あの東間の屋敷に現れた黒いガスマスク達、あいつらが使っていた機関銃はMP5だった。装備していたアーミーナイフも、他では見ない黒塗りの刃。それに加え、無線内蔵ガスマスクを被った戦闘装備。あんな独特の装備をするのは、イギリス陸軍特殊空挺部隊『SAS』だけだ。ついでに言えば、貴様のその銃は『シグ・ザウエルP226』、SASの採用拳銃だ」

「素晴らしい観察力だ。君は、ホームズも舌を巻くほどの名探偵だな」

「随分な余裕を見せているが、まさか銃を抜いたくらいで形勢を逆転させたなどと思っていないだろうな? そんな物が、この『神の鎧』を持つグレッグ=クリスチャン=シーファスに通用しない事など百も承知のはずだぞ」

「ああ、判っているとも。ゾンビ相手に鉛の玉など通用しない事くらいな――私が撃つのは、こっちの方だ……」

 パンッ!――乾いた音が、こだました。

 全員は、何が起こったのかも判らない表情で立ち尽くす。

 最初に悲鳴を上げたのは、あゆ美であった。

「兄さん……兄さんッ! いやぁぁぁぁぁーッ!」

 あゆ美は、立たない足腰を引きずりながら、這って一騎へと向かう。

 背中から左胸を撃ち抜かれた一騎であったが、どこか悲しそうな目をバーノンに向けていた。

「バーノンさん……なんで……」

「君は、私怨に走り過ぎるんだよ」

 バーノンは無表情に答える。

「私が欲しているのは、強力無比かつ制御しえる兵器だ。どんなに強力でも、制御の出来ない兵器などナンセンスだからね」

「バーノン、貴様ッ…!」

 怒りを露にするグレッグに、バーノンは薄ら笑みを浮かべた。

「グレッグ、君には感謝するよ。全て作戦通りだ」

「なに…?」

「あゆ美嬢を見ていたまえ、ショータイムの始まりだ」

「なっ、そうか…! しまった!」

 何かに気付き、咄嗟にグレッグはあゆ美の元に駆け出したが、

「もう遅い……」

 と、バーノンは薄ら笑いを更に深めた。

「兄さんッ! しっかりして!」

 あゆ美は、その手を血に染めて兄の傷口を必死に押さえた。しかし、血は止め処も無く溢れ、地面をゆっくりと染め上げてゆく。

「一騎! 一騎ぃぃぃッ!」

 東間玲子も、あゆ美の横で母の悲痛な叫びを上げた。

 一騎は、ただ悲しい目で、あゆ美と母を見上げるのだった。

「あ……あゆ美……母さん……たす……け……て……」

 静かに、一騎は目を閉じた。

 身動き無く横たわる我が子を前に、言葉も無く茫然とする東間玲子。そんな母に代わるように、あゆ美は悲鳴を上げた。

 ただし、その悲鳴は尋常なものではなかった。

「いやぁ……いやぁ……いや、いや、いや、いやいやいやいやいやイヤイヤイヤイヤッ…!」

 うずくまったあゆ美は、血だらけの手で頭を抱え、その身をガタガタと震わせながら何度も同じ言葉を繰り返した。

 その様は、まさに半狂乱……

「あゆ美! ダメよ、落ち着いて!」

 東間玲子は、何かの危険を察知したかのような表情で声を上げ、必死にあゆ美を抱きしめた。

 あゆ美の様子に嫌な予感を覚えた駿も、あゆ美の手を握って声を上げる。

「あゆ美ちゃん! 気をしっかり持て! じゃないと自分が壊れるぞ!」

 だが、あゆ美は止まらない。

「イヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤ…………………………………………」

 ――と、不意に、その声が止んだ。

 東間玲子が叫ぶ。

「河本君、離れてッ!」

 だが、遅かった。

 突如として、あゆ美がその力を爆発させた。周りの空間を歪ませ、その力が駿を襲う。

「なっ、なんだよコレ…!」

 駿の手足が、徐々に消失し始めた。その駿を守るようにして、東間玲子はあゆ美の力の前に立ちはだかる。

「早く、友達を連れて逃げなさい。あゆ美は、もう止まらない……」

 なんとか防いでいるものの、爆発させるあゆ美の力を一身に受ける東間玲子は、苦悶の表情を浮かべていた。

「駿ッ! いいから逃げろ!」

 と、巌も叫びながら東間玲子の助けに回る。しかし、二人の表情を見る限り、崩れ落ちるのは時間の問題のように思えた。

「グレッグさん! 一体どうなってるんだよッ!」

 駿が混乱しきった声を上げる。

「私とした事が、迂闊だったよ……」

 グレッグは、血が出そうなくらいに奥歯を噛み締めた。

「元々、一騎は『神隠し』の力など持っていなかったんだ…!」

「グレッグ様、それはどういう事ですか?」

 奈那や武志と共に駆けつけたミシェルが、怪訝な顔を作った。

「東間の『神隠し』の力は、本来、あゆ美嬢の能力だったんだ。ただし、発現しなかった。それは、双子の繋がりし魂というラインを通して一騎に流れ込んでいた為だ。一騎は元よりバーノンもそれに気付いていた。だからあゆ美嬢に固執したのだ。双子の繋がりし魂は、近くにいればいるほど、その絆が強まるからな」

 そしてグレッグは、必死にあゆ美の力を抑える巌と東間玲子、その二人の背中に語気を強めて言った。

「貴方達は、この事を知っていたはずだ。なぜ言わなかったのです…!」

「もし、お前さんにその事を話したら、お前さんは何をやった?」

 小さく、巌が言った。

「神崎織姫が、この学校の人間を眠らせた魔術と同じような魔術を、何の迷いも無くあゆ美嬢にかけていただろう? 魂ごと眠らせてしまえば、一騎への力の流入は防げるからな。しかし、そんな事をすれば玲子さんが悲しむ。俺もテレパスで同じ事は出来るが、それはしなかった。無理に封印するより確実だったが、そんな方法は二人を殺すのと一緒だ」

 その通りだった。グレッグは、返す言葉も無く、やりきれない顔を見せた。

 と、そこに嘲笑うかのような声が上がった。

「なんと素晴らしい愛の形だ。敬服に値するよ」

「バーノンッ! 貴様、あゆ美嬢の力を暴走させてどうするつもりだ!」

「言ったはずだ、作戦通りだと」

 怒りに満ちたグレッグの眼光を、更に嘲笑うかのようにバーノンは言う。

「グレッグ、元より私は、その双子を利用しようと思っていたわけではない。東間あゆ美の拉致など、やろうと思えばいつでも出来た。それを、なぜしなかったと思う?」

「そうか…! 貴様の狙いは初めから、そういう事だったのか! 一騎と神崎織姫に学校を襲わせる事であゆ美嬢の封印を解き、我らが屋敷に集まるように騒ぎを起こして、そこを襲う。そうする事で、あゆ美嬢の能力を更に発現させる」

「そうだ。そして、東間あゆ美の能力が高まった所で、私が彼女の前で一騎を殺す。ただし、一騎の力は厄介だったからな、君の力を利用させてもらった」

「兄の死を目の前にショックを受けるあゆ美嬢は、本来の能力を発現させ、暴走を始める。思考も何もかも停止させて――我らは、まんまと貴様に踊らされていたわけか……」

「気が付くのが遅かったな、グレッグ――東間あゆ美は貰い受けるぞ」

 バーノンは、スーツのポケットに忍ばせていた無線機を取り出し、英語で口を開いた。

『最後の仕上げだ。一二○秒以内に東間あゆ美を捕獲しろ』

 最初に聞こえてきたのは、ヘリコプターの爆音だった。見た目は、一般の航空会社のカラーリングが施されていたが、その乗降口からは重機関銃が顔を覗かせていた。

 ヘリコプターは校門手前、低空で留まる。と、乗降口からはロープが垂らされ、そこから五名程の黒いガスマスク達が降下してきた。装備は、東間の屋敷に現れた者達と同じであったが、その手に握られていたのは、機関銃ではなく狙撃用ライフルであった。

「もちろん、東間あゆ美を殺しなどしない。弾奏に込められているのは麻酔弾だ。まだ完全に暴走しきっていない今の東間あゆ美には、充分通用する。そして、目覚めた時には、兄の死のショックと、突然能力を爆発させてしまった反動により廃人同然だ。洗脳をする余地など、いくらでもある。強力無比かつ制御可能な兵器の出来上がりというわけだ。これで、我らの大英帝国は再びヨーロッパの頂点に君臨する事が出来る」

「なるほど、貴様らの正体は、狂信的愛国主義者だったと言うわけか……」

「グレッグ、おかしな考えは起こすなよ。いくら君でも、結界の外から撃ってくる十三ミリ重機関銃の鉛玉の弾道までは変えられまい? 君は無事でも、他の者が死ぬことになるぞ」

 バーノンの勝ち誇る言葉に、グレッグはもちろん、ミシェルも動く事が出来なかった。

 ガスマスク達の狙撃ライフルが、一斉にあゆ美を狙う。

 成す術もなく全員が顔を歪める。

 だが、そこに一人だけ動いた人物がいた。

「止めろッ! あゆ美ちゃんを傷つけるな!」

 そう叫び、駿はガスマスク達の前に両手を広げ、立ちはだかった。

「河本駿、と言ったか? 悪いが、君と遊んでるヒマは無いんだ。そこを退いてくれないか?」

 だが、駿はバーノンを睨みつけたまま……

「麻酔弾でも、当たる場所によっては致命傷になる、それでも構わんと言うことだな?」

「河本駿、馬鹿なマネはよすんだ!」

 グレッグが叫ぶ。それでも駿は、頑としてその場を動こうとはしなかった。

 バーノンが、短く、英語でガスマスク達に指示を出した。

『排除しろ……』

 およそ人のものとは思えぬ程の冷たい声色。

 ガスマスク達が、何の感情も見受けられない動きで、駿に銃口を向ける。と――

「ちっきしょォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!」

 駿は、凄まじい怒号を上げ、ガスマスク達に向かって行った。

 何の策がある訳でもない。

 ヤケクソなのは、自分でも判っていた。

 しかし、それでも守りたかった。

 ――俺は、何があってもあゆ美ちゃんを守る!

 そう約束した。

 駿を突き動かした思いは、ただそれだけだった。

 駿は、ガスマスクの一人に拳を振り上げる。

 ガスマスク達の構えるライフルの銃口から、無情な火花が散る。

「くっそォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!」

 ただ、悔しくて、それでも何とかしたい、諦めたくない、そんな想いが目一杯に詰まった駿の張り裂けんばかりの叫び声――


 ――その時だった。


「な、なんだこれは…!」

 バーノンが、茫然として呟いた。

 駿に向かって放たれた弾丸は、当たる寸前でピタリと停止し、そのまま地面に転がったのである。武志や奈那の能力の発現を目の当たりにしても眉一つ動かさなかった男が、目をむいて茫然と立ち尽くしていた。

 気付いていないのか、駿は構わずガスマスクの一人に右ストレートを放った。

 なんと、鍛え抜かれているはずの特殊部隊の兵士が、わずか十六歳の少年のパンチ一発で宙に舞う。

「くそっ! バカなッ!」

 バーノンは叫び、続けて三発の弾丸を駿に向かって撃つ。

 しかし、その弾丸も全て駿の目の前で停止し、地面に転がった。

ミシェル、奈那、武志はもちろん、必死にあゆ美の力を抑え込んでいる巌や東間玲子まで驚きを隠せない顔を作る中、グレッグは一人、合点のいったような笑みを浮かべていた。

 ――そうか、浅井武志と奈那嬢の偶然とは言えない力の発現は、この力だったか…!

「まさか、河本駿の中に、あれほど強力なサイコキネシスが眠っていたとは……」

 ミシェルは、駿が使う力の前に茫然と呟いた。だが、そんなミシェルにグレッグは、笑みのまま首を横に振り、言うのだった。

「違うよ、ミシェル。あの力は、そんな上等なものじゃない。まあ、見ていたまえ……」

 怒気を漲らせ、バーノンへと迫り寄る駿。

 バーノンは再び銃を撃つ。やはり、弾は駿まで届かず、地面に転がる。と、バーノンはガスマスク達に英語で叱責した。

『何をやってる! 早くこのガキを殺せ!』

 ガスマスク達は、漆黒のコンバットナイフを抜き放ち、駿の背中に襲い掛かった。

 ――が、ガスマスク達が向けた切っ先は、駿には届かなかった。寸前で、その全てが折れ飛んだのだった。

「物理障壁のフィールド! なんて力…!」

「まだだよ、ミシェル……」

 驚き、声を上げたミシェルに、グレッグはどこか嬉しそうに答えた。

 駿の力の前に、冷酷無比の男の顔は恐怖に歪み、後退りを始める。それに迫り寄る駿は、更に怒気を漲らせて言葉を放った。

「……そうだったのかよ。テメエは、そこまで薄汚い男だったのか!」

「く、来るな…!」

「一騎が能力を封印されていた頃からオマエは近付いていたんだな。そして、アイツに血ヘドを吐くような思いをさせて、オマエはアイツに封印を無理やり解かせた。アイツの憎しみを煽り立てて、自分が一番の理解者だという顔をして、完全に自分を信用させた。その思惑をアイツに読み取らせない為に……オマエは、初めから一騎を人間としてなんて見ていなかった!」

「な、なんなのだ貴様はッ!」

 バーノンが恐怖に慄く声を上げると同時に、またミシェルも驚きの声を上げた。

「バーノンの過去を読み取った…! グレッグ様、河本駿はサイコキネシスに続いてテレパスまで…!」

 しかし、グレッグは、更に嬉しそうに小さな笑いを零して答えるのだった。

「フフッ、言っただろミシェル、あれはそんな上等なものじゃないと」

 ミシェルは、ただ解からない顔を作る。

 駿は、バーノンに声を張り上げた怒鳴った。

「一騎は、ただ泣いていただけなんだぞ! どうして自分ばっかりって、ガキみてえに泣き喚いて駄々こねてただけなんだ! そこにテメエは憎しみって飴を与えてそそのかした! テメエみてえなのをゲス野郎って言うんだよッ!」

 駿の顔が、更に怒気に満ちる。バーノンは、ヒッ!、と小さな悲鳴を上げた。

 その光景を見ながら、グレッグはシェリルに語るのだった。

「彼が今見せている力は、テレパスやサイコキネシスと言った力でもなければ、ましてやイレギュラーサイズなどでもない。我々能力者……いや、人が本来持っている根源的な力なんだよ」

「根源的な力? つまり思念ということですか?」

「そうだ。言い換えれば『思う力を形に変える力』と言ってもいい」

 駿は、右の拳を硬く握る。

「人は意思によって生きる生き物だ。我々は、その意思を利用して様々な能力を使う。だが、彼にはそういった才能は一切無い。ただし、その折れない心は人一倍だ。たとえ折れ掛かっても、すぐに立ち直れるタフさも持っている。だからこそ、一騎の能力を弾き返す程に、あのタリズマンの力を引き出す事も出来たのだ。あれには、さすがの私も驚いたがね……」

 駿は、硬く握った右拳を振りかぶった。

「単純で直情的で不器用、だが、思う力だけは誰にも負けない。その力が、浅井武志や増岡奈那の能力の発現を促したんだ。彼らはあの時、たとえ能力の発現など無くても相手に向かっていっただろう。しかし、その行動は死を意味する。その時、河本駿は無意識の内に思ったのだろう。彼らにヒーローのような力があれば、と。その強い想いが彼らの力を発現させたんだ。今もきっと彼の心の中は、自分が死んだらあゆ美嬢を守れなくなる、という思いでいっぱいのはずだ。きっと、今自分がやっている事にすら気が付いてはいないだろうな」

 駿は、全身を捻り、右拳に全ての力を込める。

「きっと彼は、優しすぎるのだろう。なんとも青い考えだが、しかし、それが今、この奇跡を生んでいるんだ。そして、その純粋な心は、鋼よりも強い」

「テメエはブッ飛ばすッ!」

 バーノンに向かって駿は、渾身の右ストレートを放った。

 当然、バーノンはその超人的な体術で、駿の右ストレートを交わそうとする。

 ――が、バーノンは動けなかった。駿の拳が、恐ろしく巨大なハンマーのように見えたのだ。

 交わし切れるようなものではなかった。

 バーノンの体は空気人形のように宙を舞い、ミジメな姿で地面に這いつくばる事となった。

「素晴らしいよ、彼は。バカらしいくらいにな」

 グレッグは、そう言って微笑んだ。

「貴様ら……まさか、これで全てが終わったと思ってはいないだろうな……」

 バーノンが、足腰をふらつかせながらも立ち上がり、そう言い放った。だが、その言葉が、ただの苦し紛れではないという事は、全員が一瞬で気が付いた。

 紗月高校の敷地内にある物体という物体が歪み始めていたのだ。

 時計台、校舎、体育館、校門、桜の木々などのあらゆる植物からグラウンドに転がる小石一つにいたるまで、まるで映りの悪いブラウン管テレビのように歪んで見えた。

 頭上では、紗月高校を覆うように雨雲が渦を巻いていた。更に雨は、横殴りその雨足を強めた。その中心に居るのが、あゆ美であった。あゆ美の能力が、天候すら激変させているのだ。

「グレッグ……すまん……そろそろ、限界だ……」

巌が苦悶の表情で言った。

 同時に、巌と東間玲子の手足がうっすらと消え始めた。

「いかんッ!」

 叫ぶなり、グレッグは再び『白銀の短剣』を地面に突き立てる。すると、グラウンド全体に巨大な五芒星の魔法陣が黄金の光と共に姿を現した。

「大天使ウリエルよ、我に力を……エム・オオル・ヘーケーテーガァー、AMEN!」

 グレッグ渾身の能力封じの魔術であった。それは、更に爆発しようとするあゆ美の能力を止めた。その隙に、巌は東間玲子を抱え、その場を飛び退いた。だが、止められたのは、その一瞬だけであった。再び、あゆ美の周りの空間は歪み始めるのだった。

「無駄だ、グレッグ! 相手の感情にその力を左右される魔術では、今の無意識状態の東間あゆ美を抑え込む事など出来ん!」

 バーノンを睨みながらも、グレッグは返す言葉も無く、ギリッ、と歯軋りをした。そんなグレッグを嘲笑う顔でバーノンは声を上げた。

「貴様ら全員、東間あゆ美の暴走に飲み込まれるといい!」

 そしてバーノンは、すぐに無線機を取り出し英語で怒鳴った。

『何をやっている! 退却するぞ!』

 同時に、校門手前、上空に留まっていたヘリコプターは、乗降口から縄梯子を下ろし、その高度を下げ始める。それに向かってバーノンは駆け出した。

 だが、それを駿が黙って見ているはずがなかった。

「テメエは逃がさねぇぇぇーッ!」

 駿が叫ぶ。

 途端、バーノンは、その足を大地に縫い付けられたような感覚を覚えた。

「くっ…! 足が!」

 そこにミシェルが飛び出す。その速さは、まさに雷鳴。一瞬にしてバーノンの前に立つと、同時に右足を踏み込む。その瞬間、肉眼で捉えられる程の何本もの氣の奔流が地を走る。その様はまさに地を駆ける龍。それはミシェルの右足から体へと流れ込む。凄まじい速さで氣を練るミシェルは、その体を一本の氣の柱と化した。

「終わりよ、バーノン=カミング」

 ミシェルは、両手でバーノンの腹部に掌底を放つ。大周天によって練り上げられた気の塊は、小周天の比ではない。衝撃波はバーノンの体を撃ち抜き、地を割った。

 為す術も無いバーノンは、白目を剥いて仰向けに倒れ込むしかなかった。

「ミシェル、無線機を!」

 グレッグに言われ、ミシェルはすぐにバーノンの無線機を投げ渡す。

 無線機を受け取ったグレッグは、すぐさま英語で口を開いた。

『私の名はグレッグ=クリスチャン=シーファス、王国の騎士だ。君達の司令官はこちらで拘束した。バーノンに何を吹き込まれたかは知らないが、君達の行動は女王陛下の意思に反するものである。次いで、この場は危機的状況にある。命が惜しければ、ここにいる兵達を回収後、速やかに退避する事を強く勧める』

『了解した』と、短い返答はすぐに返ってきた。しかし、その返答よりも早く、ガスマスク達は手にしていたライフルを投げ出し、ヘリコプターへと逃げ出していた。

 乗降口から垂らしていた縄梯子からガスマスク達を回収すると、ヘリコプターも一目散に遠くへと離れて行った。

「さあ、ミシェル、君も他の者達を連れて早く退避するんだ」

「グレッグ様…!」

「安心しろ。私はこんな所で死ぬつもりはない……」

 グレッグは、いつもの紳士然とした笑みを浮かべてそう言う。しかし、その笑みをすぐに消して、小さく言葉を続けたのだった。

「……ただ、私はこれから不本意な行動を取る。それを、彼らに見せたくないだけだ」

 言いながらグレッグは、駿、武志、奈那の三人に目を向けた。

 三人は、ただひたすら能力を暴走させ続けるあゆ美に必死に声を上げていた。駿と武志は、何度もその名を呼び、

「お願いッ! 正気に戻って!」

 と、奈那は今にも泣き出しそうな顔で声を張り上げている。

 しかし、あゆ美は振り向こうとしない。その目は、どこも見ていなかった。

「じーちゃんッ! どうすりゃいいんだよ! あゆ美ちゃんは、どうなっちまうんだよ!」

 駿は祖父に助けを求めるように叫ぶ。だが、巌は悲痛な面持ちで答えるのだった。

「このまま嬢ちゃんは、力が尽きるまで能力を暴走させ続けるだろう。周りの物を全て消し去り、力が尽きると同時に、命も尽きる。その頃には、どれほどの被害が出ているか……いづれにしろ、もうどうにもならん……」

「なんだよそれ! そんな理不尽な事があるかよ!」

 やり場の無い怒りを祖父にぶつける駿。奈那と武志も、声も無く立ち尽くす。

 そこに、ミシェルが近寄ってきた。

「ミスター巌、ここはグレッグ様に任せ、我々はひとまず退避しましょう」

 その言葉に巌は、グレッグに目を向けた。

 グレッグは、ミシェルの後ろから黙って巌と目を合わせる。巌は、何かを悟ったように辛そうな顔を作ると、「そうか……」とだけミシェルに答えた。

「そうか、って……やっぱり、魂ごと眠らせなきゃいけないって事か……」

 祖父の様子に、駿も辛そうに顔を伏せた。

 しかし、そこに武志が駿に告げた。

「違うよ、駿。グレッグさんは、あゆ美ちゃんを殺す気だ」

 思わず言葉を失う駿。

 駿に代わるように「なんでッ!」と、奈那が叫ぶ。

「もう、何をしたってあゆ美ちゃんは止まらない。今みたいに天候を変えてしまうほど力を暴走させているんだ。銃を使ったって、弾道が全て読まれて避けられる。だったら、直接近付いて、一瞬で息の根を止めるしか無い……」

「本当に厄介だな、テレパス能力者というのは……」

 困ったような顔を見せるグレッグであったが、武志は首を横に振った。

「心眼なんて使わなくても、状況を把握すれば判る事です」

「その冷静さは賞賛に値するな。だったら君は、その冷静な判断力で大事な人達を守りたまえ」

「ええ、そのつもりです……」

 武志の顔から、童顔が消える。

「……あゆ美ちゃんは、僕が殺します」

 その言葉と覚悟に、誰もが言葉を失った。

 踵を返し、あゆ美へと向かおうとする武志。

 グレッグが、慌てるように声を上げ、武志を止める。

「待ちたまえ、浅井武志…! 手を汚すのは我々大人の役目だ!」

「嫌なんですよ、友達が誰かに殺されるなんて……」

 武志は、振り返らずに答えた。

「あゆ美ちゃんは、僕にとって大事な友達だ。でも、駿と奈那だって僕の大事な友達なんだ。守らなきゃならない友達なんだ。だけど、それでも誰かを失わなければならないと言うのなら、僕は自分の手でやる」

 あゆ美に向かって歩を進める武志。

 グレッグは、力ずくでも武志を止めようと飛び出そうとした。

 だが、それより早く、駿が武志の前に立ちはだかった。

「待てよ、武志ッ! どうしてオマエは、そうなんだよ! おーちゃんの時だってそうだ! なんでもかんでも自分一人でやろうとしやがって! 極端過ぎるんだよ!」

 駿は、力いっぱい武志を怒鳴りつけた。が、次の瞬間には、その口から肺の空気を全て出したような音を漏らし、膝をついた。武志が、駿のみぞおちに当て身を打ったのだった。

「駿ッ!」と、奈那が声を上げて駆け寄る中、武志は一言、やりきれない表情で告げた。

「ごめん、駿……」

「ま、待てよ……」

 駿は、声を絞り出す。

「俺は、許さねえぞ……みんな笑ってハッピーエンド……ってんのが、ヒーロー物の、お約束なんだ……」

「前にも言っただろ、僕はヒーローなんかじゃない。人殺しの技を使う、人殺しの息子だ」

 最後の言葉を吐き捨てるように言って、武志は更にあゆ美へと近付て行った。

 その武志に、あゆ美の力が襲い掛かった。歪んだ空間が広がり、武志を包む。

 ゆらり、と、武志は体を揺らした。

 消えなかった。

 あゆ美の力は、織姫が召喚した悪魔と違い、直線的な攻撃ではない。それでも武志は、そのあゆ美の力を交わしたのだ。

「まさか…!」

 東間玲子が、驚きの声を上げた。

「武志君のテレパスが、増大している……」

 巌は驚愕した。

「あゆ美嬢ちゃん程じゃないにしろ、武志君の能力は明らかに増大している。襲い掛かってきた力に対し、自分の力をうまくぶつけて受け流しているんだ。あんな事、俺達じゃ到底マネ出来ない」

 浅井流という体術が体に染み付いた武志だからこそ出来る技であった。

 あゆ美の力を受け流しながら、武志はあゆ美に近付いて行く。と、ついにあゆ美の手首を掴んだ。しかし、その瞬間、あゆ美は更にその力を爆発させた。横殴りの雨が更にその勢いを増すと同時に、武志の体がねじれて見えた。

 だが、武志はその力さえも受け流したのだった。

 あゆ美は、更に大きな力を爆発させ続けた。それに対し、武志も能力を最大まで高めて対抗する。ぶつかってきては受け流し、またぶつかってきては受け流す。剛力と柔力の力のせめぎ合いであった。

 グレッグですらその場から動けず、その戦いを皆が見守る中、一人の声が上がった。

「武志ィィィッ! テメェェェッ!」

 咆哮にも似た叫びを上げて、駿が二人の間に突っ込んで行った。しかし、ぶつかり合う双方の力の前に、駿は近付く事が出来ずに膝を折り、仰向けに倒れこんだ。

 そんな駿に、奈那が泣きながら駆け寄った。

「駿、もう無理だよ……どうにも、なんないよ……」

 そこにグレッグも来て、駿に言う。

「奈那嬢の言う通りだ。いくら君の意思の力が強いとは言え、あの二人の力には、もう誰も手が出せん」

「そうだよ…! 二人に近付いたら駿が死んじゃうよッ!」

 泣き叫んで、奈那は駿に抱きついた。

 すると、駿はそんな奈那の頭にポンと手を置き、辛そうな声ながらも笑顔で言うのだった。

「あきらめんな、奈那……まだ、終わってねえ……」

「駄目だよ、駿ッ!」

 奈那は、駿を抱き締める腕に力を込める。駿は、そんな奈那の腕をそっと振りほどくと、その言葉を口にしながら立ち上がるのだった。

「たとえ、この身が、朽ち果てようとも……倒れる時は、前のめりッ!」

 駿は再び、あゆ美と奈那の力がぶつかり合う間に突っ込んで行った。

「このぉォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォーッ!」

 雄叫びを上げて突っ込む駿。

 その駿に武志が叫ぶ。

「来ちゃ駄目だ、駿! 君まで力に巻き込まれる!」

「うるせぇェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェーッ!」

 駿は、双方の力の間に無理やり体をねじ込む。

 頭が破裂しそうな頭痛が襲う。

 体も消えかかっている。

 それでも駿は、両の拳を握り締め、高々と振り上げた。

「駿ーッ!」

 奈那が叫ぶ。

 駿は、振り上げた拳を前に突き出す。

 ――と、あゆ美と武志の首に腕を絡ませ、二人を力強く自分の胸に抱き寄せたのだった。

 その瞬間、あゆ美の体から一条の光が放たれた。それは雲を割り、空を貫く。二人のぶつかり合っていた力は、まるで風船が割れたかのように弾け飛んだ。

 太陽の光がグラウンドに差し掛かると、全ての力は消えていた。

「駿……さま……?」

 あゆ美が、ようやくその眼差しを駿に向けた。

「駿、君は……」

 武志が、驚いた顔を見せる。

 駿は、そんな二人にニコリと笑い、言った。

「ケンカは、もう、終わりだ……また、俺ん家で、メシでも食おう……奈那が、ウマイもん、作ってくれる……俺は……肉が……いい……な……」

 その笑顔のまま、駿は、二人に寄りかかるように崩れ落ちた。

「駿さま……駿さま……」

 あゆ美は、その綺麗な顔をくしゃくしゃにして泣きじゃくり、駿の胸に顔を埋めた。

「あの少年、本当に意志の力だけでやってのけた。本当に、バカらしいくらい素晴らしい……」

 グレッグは、驚嘆しながらも、その顔には笑みが浮かんでいた。

 シェリルは、掛けた縁無しのメガネを直しながら、嬉しそうな笑顔を作っていた。

 東間玲子は、笑顔の中に一筋の涙を流していた。

 巌は、孫のその姿に、呆れたような笑顔を浮かべていた。

 武志も、親友の姿に呆れた笑みを作っていた。

 奈那が、駿の頭にポンと手を置き、満面の笑みで呆れた声を出した。

「このバカ……カッコつけるだけつけて、寝ちゃうなんて……」

 駿は、ただただ嬉しそうな笑顔を浮かべて、のん気な寝息を立てているのだった。

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