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第九章 最終決戦

 九月も終わりを迎えようとしている空は、近付きつつある秋雨前線の影響でどんよりと曇っていた。天気予報では、昼から雨。

 閑散たる町並みに、肌寒い風が吹き抜けた。

 紗月町からは、一切の人影が消えていた。

 賑わっていた駅前や商店街も、今はどこもシャッターが閉まっている。信号の明かりだけが、ただ無意味に光っていた。


 東間の屋敷での戦いの後、政府は、新宿区の消失により倒れた人々を『新型ウイルスの蔓延によるもの』と発表、東京都内に非常事態宣言を発令した。これにより首都機能の約五割がマヒ。新宿区の消失により、首都機能の三割以上がマヒしてしまったところに追い討ちをかける形になったが、大半の人々は、昨日までそこに何があったのか判らない。気付きもしない。記録にだけ残っている『新宿』という言葉に頭を抱えていた。

 そんな未曾有の混乱の中、合衆国から首相官邸に通達が届いたのはすぐの事だった。

『三日以内に解決の目処が立たなければ軍を介入させる』

 もちろん、ただの軍事力介入ではない。対裏側世界専門ESP特殊部隊を含めた介入である。たった一人で一個大隊ほどの力を持つと言われる彼らに首都で市街戦などされたら、首都機能はおろか日本そのものが目も当てられない状態になる。

 ヘタをすれば、日本は戦後からやり直すハメになるのだ。

 肝を冷やした日本政府は、警察から自衛隊まで総動員して事件の解決に望んだ。巌の携帯電話が鳴ったのも、その時であった。

 巌の話から、東間一騎、バーノン=カミングの二名の名前は、日本政府も関知する事となり、全力をあげて二人の行方を追った。

 だが、巌にあゆ美、篠田が首相官邸に出向いてすぐ、バーノンの方から日本政府に連絡が入った。どうやら、バーノンも米軍介入は避けたいようであった。

 バーノンは、東間あゆ美の引渡しを要求。その交換条件として、新宿を元に戻すと言ってきた。当然、巌と篠田は、信用できない、と言って反対した。

 しかし、あゆ美が承諾した。

 そしてあゆ美は、取引きの場所として『紗月町』を指定したのだった。

 日本政府は、デッチ上げた『新型ウイルス』を名目に、紗月町に避難勧告を出したのだった。


 紗月町住宅街。自然との共存をモットーに掲げた町並みも、人が居て初めて美しい。草木が生い茂るだけの町並みは、ゴーストタウンと言うに相応しい様相を呈していた。

 人影どころか、猫の子一匹いなくなったゆるやかな坂道を、カーディガンを着た一人の少女が、長いポニーテールを揺らしながら登っていた。

 その足は、曼珠堂の前で止まる。戸に手を掛ける。と、カギは掛かっていなかった。

「駿、まだ残ってるんでしょ? 上がるよ」

 奈那は、店内を抜けて居間に上がる。そこに駿の姿は無かった。奈那は、そのまま階段を上ると、駿の部屋の前で、

「入るよ」

 と、ドアを開けた。

 そこに駿は居た。

 ベッドに寄り掛かり、昨日と同じ制服姿で、虚ろな目をしていた。生きているのか、死んでいるのか、それすら判らないような表情で……

「駿……」

 奈那は呟くように呼びかけ、静かに駿の横に足を崩して座った。

「駿、逃げないの? 紗月町は戦場になるから、なるべく遠くに離れるようにって、おじいちゃんから連絡は受けてるでしょ」

「アイツをおじいちゃんなんて呼ぶんじゃねーよ…!」

 うつむいたまま駿は、憎しみすら感じる声で言った。

「ごめん……」

 奈那も、寂しそうにうつむいた。

「……でもさ、このまま残ってたら……」

「オマエこそどうする……って、あの力があれば関係ないか……」

「おじい……巌さんが教えてくれた。アタシの能力はサイコキネシスって言うんだって。そういうのって、手を触れずに物を宙に浮かしたりするもんだって思っていたけど、そういう方がマレらしいよ。本来のサイコキネシスは、わずかな力でありえない物を持ち上げたり、動かしたりするのが普通らしい。スプーン曲げの応用だって……」

 そこまで語ると、奈那はうつむけていた顔を上げ、強い瞳を駿に向けたのだった。

「アタシは残るよ…! 一騎もそうだけど、あのバーノンって男は絶対に許せない」

「でも、織姫は無事だったんだろ……」

「うん……命に別状は無いし、二、三日すれば意識も回復するだろうって。でもね、巌さん言ってた。多分、ヒメは二度と肉親に会う事は出来ないだろうって。これだけ裏側世界に関わって、罪も犯したのなら、ヒメは今とは全く違う土地に移されて、政府の監視の下で生活させられるだろうって……あの子さ、まだ十三歳の中学生だったんだって……」

「…………………………」

「ありえないよね。十三の女の子が、この先、永久に誰との接触も禁じられるなんて……だから許せないの! 一騎とバーノンには、あの子をこんな目に合わせた償いをさせてやる!」

「能力のある奴は、強くていいな……」

「能力のあるなしなんて関係ないじゃん! 守りたいものを守る、それが駿だったでしょ! おじいさんの話は武志から全部聞いたよ! 確かにアタシだって今でも信じられないけど、アンタ、ヒメに言ってたじゃん! 一緒に笑い合えば……」

「オマエに……オマエに何がわかるんだよッ!」

 駿は、奈那の肩に掴みかかり、押し倒した。

「父ちゃんと母ちゃんが死んだのはアイツのせいだった! しかもアイツは祖父ですらなかった! 赤の他人だったんぞ!」


 十年前――巌が、あゆ美と一騎の能力封印の依頼を請け負った頃の話である。その計画を推し進める為、東間の屋敷に通っていた頃、巌はその帰りに必ず曼珠堂に立ち寄っていた。当時、古本など大して興味も無かった巌が曼珠堂に立ち寄るようになったのは、駿が切っ掛けだった。

「おじさん、古本安いよ! 寄っていきなよ!」

 当時六歳だった駿は、いつも通り掛かる巌の手を掴み、そう呼びかけたのだった。

 曼珠堂は、元々駿の父が親から受け継いだ家を改築して始めた、言わば趣味の店であった。商売っ気も無く始めた住宅街の小さな古本屋の客入りなど、今も昔も大して変わりはなく、駿が巌に取った行動は、幼心ながらそんな店を心配しての事だった。

 駿の両親は慌てて店から飛び出し、巌に頭を下げた。だが、若い頃から裏側世界で血にまみれ生き抜いてきた巌にとって、それは忘れていた温もりだった。

「また、ずいぶんと可愛らしい客引きだな」

 巌は、駿の頭を撫で、その無邪気な行動に何十年も作っていなかった笑顔というものを作ったのだった。それから巌は、東間の屋敷からの帰りには必ず曼珠堂に寄るようになっていった。駿との遊びに付き合い、父親の古本談義に付き合い、時には母親の作る食事を一緒にしてゆく事もあった。曼珠堂は、その能力と『村雨』という姓から『妖刀』と異名を取り恐れられていた当時の巌にしてみれば、唯一のオアシスであったのだ。

 しかし、悲劇は突然訪れた。

 いつものように曼珠堂に寄った矢先、巌は能力者に命を狙われた。戦いには勝利したものの、結果、駿の両親を巻き込み、死なせる事となった。両親共に兄弟姉妹は無く、早くから親も亡くしていた為、身寄りの無い駿の施設行きは早急に決められた。それを聞きつけた巌は、駿を引き取る事を決める。だが、養子として引き取ったところで駿の幼心に付いた傷が癒える事は無い。そこで巌は、紗月町にフィールドを広げ、駿とそれに関わる人々の記憶を改変、自らも『村雨』の名を捨て『河本』と名乗り、駿に残された最後の家族として溶け込んだのだった。


「なにが、俺の心の傷を少しでも癒す為だ! そんなの偽善じゃねえか! アイツが罪の意識から逃げたいだけの、ただの偽善じゃねえかッ!」

 駿は、奈那の胸の上に止め処も無く涙を落とし続けた。

 しかし奈那は、そんな駿に強く言い返すのだった。

「そんなの、おじいちゃん自身が一番よく判っている事なんじゃないの? それでも駿が真実を知りたいって言ったから、おじいちゃんは話した。口に出すのも辛かったはずなのに、おじいちゃんは駿から逃げなかった! 自分の罪と向き合ったんだよ!」

「そんなの判ってる! じーちゃんの考えてる事なんて、嫌でも良く判る! でも……でも、俺はじーちゃんを家族だと思ってた……じーちゃんを信じてた……俺は……俺は……どうすればいいんだよ……」

 駿は、そのまま奈那の胸の中に泣き崩れた。泣いて、泣いて、自分でもバカじゃないかと思うくらい、小さな子供のように声を上げて泣いた。

 そんな様子の駿を、奈那は悲しげに見詰めた。

 本当は、抱き締めたかった。

 駿の痛みは、奈那にも自分の事のように伝わってきた。駿は、親を亡くした悲しみと同じような悲しみを再びあじわっているのだ。

 本当だったら、力いっぱい抱き締め、なぐさめてやりたかった。

 しかし、奈那は駿を引き離したのだった。

「そうやって泣いてれば、誰か助けてくれるの? 駿、おじいさんが自分の罪と向き合ったように、駿も自分の真実と向き合って。それに打ち勝ってこそ、アンタの言うヒーローなんじゃないの?」

 それでも駿は、頭をうなだれ、泣き続けていた。

「アタシ、もう行くね。武志が待ってるから……」

 奈那は立ち上がる。

「あゆ美ちゃんが、取引きの場所にこの町を選んだって事は、行く所は一つしかない。きっと紗月高校だよ。あの子、学校に行けた事を一番喜んでいたから……」

 駿は、泣き顔のままハッとしたように奈那を見上げた。

 奈那は、重い声で駿に言った。

「駿の思ってる通りだよ。きっとあの子、一騎と刺し違えるつもりだよ……」

「………………………ッ!」

「駿とおじいさんの事は、アタシはもうこれ以上何も言えない。駿が自分で解決するしかない。でも、自分が好きになった女の子くらい、最後まで守り通しなさいよ」

「でも、俺は……」

「きっとあの子、心のどこかで駿のこと待ってると思うから……」

 駆け出すように、奈那は駿の部屋を後にした。

 曼珠堂から出ると、店の前には武志が待っていた。

「駿の様子、どうだった…?」

「駿なんていない……ただの、いくじなしがいただけよ……」

 答え、奈那は顔を伏せて涙を流した。

「奈那……」

 呼びかけるも、言葉を詰まらせる武志。

 しかし、奈那はすぐに涙を拭い、顔を上げて武志に言うのだった。

「行こう、武志」



 一人部屋に残された駿は、泣く事にも疲れると、茫然と立ち上がり、居間へと向かった。

 居間に入り、駿が向き合ったのは、仏壇の中に飾られた両親の遺影であった。

「なあ、父ちゃん、母ちゃん、俺、どうすりゃいいのかな……」

 駿は、声も小さく、悲痛な面持ちで語りかける。

 遺影は笑顔のまま、何も答えてはくれない……

「気が付いたら、俺の周りから誰もいなくなっちまったよ……自分が、何をしていいかさっぱり判らねえ……ミジメだよな……」

 枯れたと思っていた涙が、握った拳の上に落ちた。

 と、そんな時だった。

「邪魔するよ」

 店先から、そんな声が聞こえ、駿は振り返った。

「グレッグさん…?」

「今日はまた、君らしくない顔をしているな」

 グレッグは、薄い微笑みでそう言う。駿は慌てるように涙を拭った。

「俺は、てっきりグレッグさんも紗月高校に向かってるもんかと……」

「うむ、その事なら心配ない。すでに我が愛するミシェルが、私の指示通り動いてくれている。細工は流々仕上げをご覧じろ、と言ったところだ」

「アンタ、本当に外人か…?」

 駿は呆れた顔を作る。

 グレッグは、紳士然とした笑みだけを浮かべ、居間に腰を掛けた。

 と、傍に積み上げられた漫画が目に入った。駿が店番の時、いつも暇つぶしに読んでいる漫画であった。グレッグはそれを手に取り、パラパラとページをめくりながら言った。

「日本のコミックはいいな。特にこういったヒーロー物は夢があっていい。これは、君の趣味かい?」

「ああ……でも、元々は父ちゃんの趣味だったんだ」

「なるほど、親から子へか……君の父上も、さぞかしヒーローというもの憧れていたのだろうな……」

「ガキの頃だったし、よくは憶えてねえけど、駿もこんなヒーローみたいにカッコよくなれよ、って言われていたのは、よく憶えてるよ――でも、俺は……」

「そんなもの、誰だって一緒だよ。私だって、こんな漫画のようなヒーローのようでありたいと願うが、私の生きる世界はそれを許してはくれない――特に、ミスター巌が送ってきた人生など、その最たるものだろうな」

「アンタ、知ってたのか……」

「全てを知っているわけではないよ。ただ、初めから妙だとは思っていたがね。あれほどの能力者と血を分けた人間に、その能力が一欠けらも受け継がれていないなど、この世界では余程の事がない限り、ありえない事だからね」

「そうだったのか……」

「大方、ミスターに記憶を改変させられ、家族と思い込まされていたのだろう、君は?」

 頷くことすら、今の駿には辛かった。

 するとグレッグは、呆れるように溜め息交じりに駿に言うのだった。

「まったく、テレパス能力者特有の『記憶の改変、消去』という能力は本当に厄介なものだよ。河本駿、君もそう思わないか?」

「…………………………」

「神崎織姫が行ったように、魔術でも同じ事は出来るが、それには大掛かりな仕掛けが必要になるし、効力も一週間が限度だ。しかし、テレパス能力者は、それを思念一つでいとも簡単に成し遂げ、自分が生きている限りは騙し続ける事が出来る。本当に、始末におけない」

 そこまで言い終わると、グレッグは立ち上がって駿を前にする。そして、一変して駿に厳しい目を向けたのだった。

「君とミスター巌の間に何があったのか私は知らないし、知ろうとも思わないが、いかなる理由があろうと、ミスターが君に行なった事は悪だ。記憶の改変など行なうべきではない。彼を恨みたければ恨むがいいだろう。ただし、その前に一つだけ考えてみてほしい。なぜ彼が、記憶の『消去』ではなく、『改変』を選んだのかという事を」

 ――そうだ……俺の心の傷がうんぬん言うなら、その記憶ごと消しちまえば簡単だったはずだ……

「東間一騎の事でもそうだ。封印が利いている間に記憶を消すチャンスは、いくらでもあったはずだ。だが、彼はやらなかった。私の知りうる限りでは、彼が現役時代、誰かの記憶を消去したという事実は、ただの一度も無いんだ」

「えっ…!」

「ミスター巌の人となりを誰よりも知る君なら、理解出来るはずたよ」

 ――あの、お人好しジジィ……

 駿は、拳を握ってうつむいた。

「少々、お節介が過ぎたかな?」

「いや、そんなことねえよ。教えてくれてありがとう……」

 駿は、薄い笑みを作って顔を上げた。そんな駿に、グレッグも笑顔を返す。

 と、更に口を開いたのだった。

「それじゃ、お節介ついでにもう一つ――君は、『Ursula=Bloom』という作家が書いた『THE.LITTLE.FIR.TREE』という絵本を知っているね?」

「それ、あゆ美ちゃんが探してた本…!」

「ちょっと小耳に挟んでね……私の友人に、絵本が好きな友人がいてね。連絡を取ってみたところ手元にあると言うんだ。そこであゆ美嬢があの絵本を欲しがっている理由を話すと、そういう事であれば譲ってもいいと言ってくれた」

「本当か!」

「ああ、本当だ。まあ、この混乱の中で、いつ本が届くかは判らないが、いずれ君宛にその本は届く。そうしたら、あゆ美嬢に渡してあげたまえ」

 だが、駿は再びうつむいてしまった。

「悪いけど、それはグレッグさんが渡してくれ。俺には……」

「おいおい、勘違いしないでほしいな。私は探偵だ、古本屋じゃない」

「でも……」

「あゆ美嬢から依頼を受けたのは君だろう? だったら古本屋としての職務を果たしたまえ。当然、彼女が死んでしまったら、それは果たせなくなるぞ」

 駿は思わず顔を上げる。しかし、その顔はこの上もなく情けなく、どうしていいかわからない、と言った表情だった。

 するとグレッグは、紳士然とした笑みで言うのだった。

「男が、そんな顔をするものじゃない。君には、私が渡したタリズマンがあるだろう。シーファス家門外不出のタリズマンの力を、甘く見ないでほしいな」

 駿は、胸ポケットに入れていたタリズマンを出し、じっと見詰めた。

「たとえば、そのタリズマンを自分の額に当て、紗月高校を思い浮かべてみるといい」

「こうか……」と、駿は言われた通りにやる。その途端、駿の眼前には、現在の紗月高校の様子が広がった。

 校庭の中央には、あゆ美、巌、それに篠田の三人が厳しい顔で校舎を背にして立ち、校門からは、一騎とバーノンが姿を現していた。

「これは…!」

「何も驚くことはない。私は言ったはずだよ、力の無い君に力を与える、とね」

 駿は、タリズマンをぐっと握り締め、グレッグを見詰めた。

 グレッグは、力を込めて告げた。

「タリズマンを信じろ。そして何よりも、自分自身を信じろ。そうすれば、そのタリズマンに宿りし神は、惜しげもなく君に力を貸してくれるだろう」

「俺、行くよ…!」

 駿は、力のこもった顔で立ち上がり、居間から飛び降りると同時に運動靴をつっかける。

 と、店を飛び出そうとした駿を、グレッグはなぜだか、

「あっ、ちょっと待ちたまえ」

 と、呼び止めたのだった。そして、振り返った駿にグレッグは言った。

「一つ言い忘れていたが、あの本の仲介料はのちほど請求させてもらうから、そのつもりでな」

 思わず呆れ顔を作る駿。

「なんだよ、意外にちゃっかりしてんなぁ……」

 しかし、グレッグは涼しい顔で言い返すのだった。

「同然だよ、私のギャランティは高いんだ」

「いくら…?」

「まあ、とは言っても、高校生の君が払えるような額ではないからな。そうだな――」

 グレッグは少し考えて、思いついたように言った。

「私の国を代表する料理で、フィッシュアンドチップスという料理がある。私は、この料理ほど完成された料理は無いと思っているのだが、シェリルはそんな私を味オンチだと言う……」

 グレッグはうつむき、残念な顔で首を振る。

「そこでだ、私は味オンチなどではないという事をミシェルに証明したい。私だってフィッシュアンドチップス以外の料理を美味しいと思う事だってあるのだ。だから君には、私とミシェルをうならせるような料理を紹介してもらいたい。これでどうかね?」

 すると駿は、なんだか嬉しそうに答えるのだった。

「だったら、ここで俺達と一緒にメシを食えばいいよ。奈那の作る豚肉のしょうが焼きはウマイんだ。フィッシュアンドチップスって料理は知らねえけど、魚より肉の方がウマイに決まってるからな」

「君らしいな」

 グレッグは、小さくほくそ笑む。

 駿は笑顔を返し、曼珠堂を飛び出して行った。

「まったく、世話の掛かる坊やだ……」

 グレックは、ポケットに手を突っ込んで苦笑交じりに呟く。


「グレッグ様は、ずいぶんとあの河本駿に肩入れするのですね…?」


 曼珠堂に立ち寄る前、ミシェルに言われた言葉だった。

 ――似ているんだよ、昔の自分に……

 グレッグは、オールバックに決めた髪をポリポリとかきながら、また呟いた。

「そんなこと、口が裂けても言えるものか……」



 雨は、天気予報より早く、昼前から降り出していた。

 秋雨らしい冷たい雨が、紗月高校のグラウンドを濡らしてゆく。

 中央で、あゆ美、巌、篠田の三人が、一騎とバーノンの二人と対峙していた。

「ほう……SPやら自衛隊の気配が無いな」

 バーノンは、意外そうに口を開いた。

「私が、来ないでほしいと頼みました」

 あゆ美が、厳しい顔で答えた。

「これ以上、犠牲者を出したくありません」

「賢明な判断だ」

 バーノンは、薄い笑みをあゆ美に向けた。

「あゆ美嬢、実を言うと私もあゆ美嬢と同じ考えだ。これ以上、無駄な戦いは避けたい。君が、おとなしくこちらに来てくれる事を切に願うのだが…?」

「新宿を元に戻す、という約束はどうしますか…?」

「もちろん約束は守ろう。君がこちらに来てくれたら、すぐにでも新宿に向かおうじゃないか。それは一騎も承諾済みだ。なあ、一騎」

「ええ――さあ、あゆ美。こっちにおいで……」

 一騎は、あゆ美そっくりの笑顔を浮かべ、両手を広げた。

「……わかりました」

 あゆ美は、ゆっくりと二人に歩を進めた。

「お嬢さま……」

 背中に呼びかけられ、ふと立ち止まり、あゆ美は、篠田に笑顔を振り返らせた。

「婆や、世話になりました」

「必ず助け出すから、嬢ちゃん、妙な気は起こすなよ……」

 だが、あゆ美は、巌に小さく微笑むだけであった。

「ようやく、僕の所に来てくれたね」

 一騎は嬉しそうに、自分の目の前まで来た妹の手を取った。

 すると、あゆ美は自分そっくりの兄を見詰め、静かに口を開いた。

「お兄様、一つだけ質問があります……」

「なんだい? あらたまって……」

「お兄様は、東間の力を使って、何をなさろうとしているのですか…?」

「…………………………」

「復讐と言うのであれば、もう充分のはずです。東間家も、巌さまも、お兄様が望んでいた通り、もう終わりです。あの屋敷と庭園を愛しているお父様があれを見れば、きっと悲しむ事でしょう。巌さまだって、駿さまに秘密の全てを明かし、全てを失いました。お兄様の復讐は、成し遂げられたはずです」

「……そうだね。こうして、あゆ美も僕のところに来てくれた。僕の望むものは、もう何も無いよ」

 笑顔でそう答える一騎。だが……

 ――嘘だ……約束通り、新宿は元に戻しても、兄は、また同じ事を繰り返す……

 自分とそっくりの顔が目の前にある。

 自分とそっくりの笑顔も浮かべる。

 しかし、唯一つ、自分と似ていない部分がある。

 瞳の奥に宿した黒い塊……

 あゆ美の透き通った瞳から、一筋の涙が流れ、頬を伝った。

「あゆ美……」

「貴方の憎しみは終わらない。貴方の復讐も終わらない。貴方は、人を憎みすぎている……」

 あゆ美は、一騎に抱きついた。

 ――やはりな…!

 バーノンが、何かを察知したように瞬時に飛びのいた。その瞬間、あゆ美はその能力を全開で開放したのだった。言わば、ゼロ距離からの能力放射。一騎は、逃げも隠れも出来ない。

 二人の上に落ちる雨が歪んで見えた。それはまさに、テレパスという能力の暴風雨であった。

「あ……あゆ美……やめろ…!」

 なんとかあゆ美を引き離そうとする一騎であったが、意表を突かれ、その肉体も能力も、完全にあゆ美に封じ込められていた。

「貴方は、私と一緒にここで死ぬんです。私達が死ねば、新宿も、倒れた人達も元に戻ります」

「やめろ……やめてくれ……」

「出来る事なら、私は兄さんと一緒に学校に行きたかった……昔のように、二人で暮らしたかった……でも、もう……」

「やめるんだ嬢ちゃん!――くそっ、これ程とは! 近付けねえ…!」

 巌も能力を全開にして、何とかあゆ美に近付こうとするが、足がそこから動いてくれない。自分の力が押し返されてしまい、巌は、ついに膝を折った。

 あゆ美が更に力を込める。

 雨どころか、空間そのものが歪んで見え始める。

 意識朦朧とした表情で、一騎のまぶたは段々と閉じられてゆく。

 その時だった。

「また……なのか……」

 もう薄っすらとしか開けられない一騎の目が見詰めていたのは、篠田であった。

「また、貴方は……僕達を……助けては、くれないのか……」

 篠田が、耐えられないように両手で顔を覆った。

「たすけてよ……かあさん……」

「お母様…?」

「一騎ィーッ!」

 泣き濡れた顔を上げて篠田が叫んだ。

 思わぬ篠田の言葉にあゆ美の気が逸れる。

 その瞬間、今まで押さえ込んでいた一騎の力が一気に解放された。それは爆風のように広がり、あゆ美は弾き飛ばされた。

「あゆ美ーッ!」

 篠田は、叫ぶより早く倒れこんだあゆ美に駆け寄った。

「婆や……まさか…!」

 信じられない顔をするあゆ美。

 だが、篠田は何も答えず、悲しげな顔で、黙ってあゆ美を抱き起こす。

「意外だな……まだ気付いていなかったのか、あゆ美……」

 息を荒げ、片膝を付いたまま一騎が言った。

「君が婆やと呼ぶその人間は、僕達の母親だ…!」

「そんな……だって……」

「そいつは、僕達の能力を封印するのに力を使いすぎたんだ。その反動に肉体は耐え切れず、そんな醜い姿になったんだよ。そのあと、自分は死んだ事にして、篠田ふくと名前を変え、君の乳母として東間家に雇われたんだ」

「うそ……嘘よ…!」

「嘘だと思うなら、本人に聞いてみるといい。この事は、そこにいる巌や、父さんも知っている事実だ」

 あゆ美は、今にも泣き出しそうな顔で篠田を見た。

 篠田は、重たく、その口を開いたのだった。

「黙っていてごめんなさい、あゆ美。すべて、一騎の言う通りよ……」

「お母……さま……」

「母は、貴方達にあわせる顔がなかった……貴方達の能力を恐れるあまり、あんな酷い目にあわせてしまった……」

「篠……玲子さん、それは俺の…!」

「言い訳はしません。全てはわたくしの責任です……」

 巌の上げた言葉に篠田ふく――東間玲子は、静かに首を横に振った。

「あゆ美、だから母は、死んだのです――辛かった……わが子を目の前にして母と名乗れない日々は……でも、それが自分に課した罰だったから……」

「いい……もう、いいんです……お母様…!」

 あゆ美は、すがりつくように母の胸に泣きついた。

 東間玲子は、十年振りに抱いたわが子を、その成長を確かめるようにしっかりと抱きとめた。

 しかし、憎しみのこもった声は上がるのだった。

「死ねばよかったんだ……」

「兄さん……」

「アンタなんか、本当に死ねばよかったんだッ!」

「ごめんなさい、一騎。でも、これだけは信じて。母は、幾度となくロンドンへと足を運び、貴方の様子を陰から見守っていました。封印に苦しむ姿を、幾度となく見てきました。本当は、抱き締めてあげたかった……しかし、母が目の前に現れれば、きっと貴方の憎しみは暴走したでしょう。それは封印を解き、貴方に修羅の道を歩ませる……」

「修羅の道など、とうに六歳の頃より踏み込んでいる!」

「一騎……」

「詭弁は、もう沢山だ。責任と言うなら、今すぐ死んでみせろ。死んで詫びろッ!」

 終始悲しみに満ちた目をしていた東間玲子は、不意に立ち上がった。

「巌さん、あゆ美をお願いします……」

 ゆっくりと、一騎に歩を進め始める東間玲子。

「待つんだ玲子さん!」

 だが、東間玲子は振り返らない。

「お母様!」

 母を止めようとするあゆ美であったが、能力を使いすぎた為、立つ事すら出来なかった。

 東間玲子は、覚悟した表情で一騎に言うのだった。

「貴方の言う通り、死んで詫びましょう――一騎、この命を賭して、貴方の能力を今一度、今度は記憶と共に封印します…!」

「そんな老体で何が出来る…!」

 一騎は立ち上がる。その目は、すでに母を見る目ではなかった。

「出来るものならやってみろッ!」

 一騎の声に弾かれるように、東間玲子は持てる力の全てを一騎にぶつけた。空間が歪む。先程、あゆ美が一騎の力を押さえ込んだとき以上の歪み方だった。まさに、命を賭した攻撃。

 頭が砕け散るのではないかと思うほどの頭痛が一騎を襲う。

 苦痛に顔を歪める。

 だが……

「そんなものか…? そんな程度で、僕を封印出来ると思うなッ!」

 一騎が東間玲子の力を一気に押し返した。歪んでいた空間が瞬く間に消失してゆく。寸前で一騎の力を受け止めた東間玲子であったが、すでに膝をついていた。

「僕の憎しみは止まらない。この世の全てを消し去るまで……」

 東間玲子へと詰め寄ってゆく一騎。自分の周りから、小石一つ残らず消失させてゆくその姿は、人の形をした憎悪そのものであった。

「こんなにも、力が増大してゆくなんて……」

 逃れられない憎しみに捕らわれた息子の姿に、母は涙した。

「終わりだ……」

 一騎が東間玲子に右手をかざした。

 しかし、そこに巌が、東間玲子をかばうように一騎の前に立ちはだかった。

「玲子さん、アンタを死なせやしない……」

「巌さん……」

「やっと母だと名乗り出る事が出来たんだ、みすみす見殺しになどしない。俺は今一度『妖刀』に戻り、アンタ達親子を守ってみせる…!」

 ――フッ、まるで誰かさんみたいな事を言っているな、俺は……

 巌は、心で小さく笑う。

「そんな、立つのもやっとの状態で何が出来る?」

「オマエと、刺し違えるくらいは出来るさ」

「出来るものか――二人そろって消えてしまえ…!」

 一騎の力が、更に増大する。

 巌は両手を目の前に構え、一騎を迎え撃つ。

 その時であった。

「イツキィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィイーッ!」

 一騎の背後から、凄まじいまでの怒声が上がった。

 校門の所には、奈那に武志、そして、怒りに満ちた駿がいた。

「駿さまッ!」

「オオオォォォォォオーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!」

 駿は気勢を上げ、拳を振り上げながら一騎に突進してゆく。

「来てはだめぇーッ!」

 あゆ美が叫ぶ。だが、駿は止まらない。

「低能が、みすみす死にに来たか……」

 全てを消し去りながら一騎の力が駿を襲う。

 その時、駿は左手に握り締めていたグレッグのタリズマンを前にかざした。と、タリズマンは、まるで英雄だけが持ちえる無敵の盾のように、見事その力を跳ね返したのだった。

 信じられないものを見る目で立ち尽くす一騎。そこに、駿の右ストレートが一騎の顔面を捉えた。走り込んで来た勢いも乗り、十二分に体重の乗った駿の拳は、一騎を体ごと吹っ飛ばしたのだった。

「バ、バカな……」

 倒れこみ、未だ信じられない顔をしている一騎。

「へ……へへ……やっと、殴れたぜ……」

 駿は、肩で息をしながらも、勝ち誇った笑みで一騎を見下ろす。そして、大きく息を吐いて呼吸を整えると、一騎に拳を突き立てて言い放った。

「立てよ一騎! テメエはまだまだ殴り足らねぇんだッ!」

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