月夜の秘密
孤児院に戻ると、廊下でブレイドと鉢合わせた。
「アラン?」
ブレイドは俺の腕の中で眠るスカーレットを見て、わずかに眉を上げた。
「どうしたの? スカーレット、具合でも悪い?」
「ああ……ちょっとな。血が足りなかったみたいで庭で倒れていた」
「庭で……?」
ブレイドはスカーレットの寝顔を確かめると、俺に視線を移した。
「今日は……ずいぶんハードな訓練をしてきたんだね」
「……は?」
「顔が赤いし、息もいつもより乱れてる」
「そ、それは……走ってきたからだ!」
「ふうん。君が走ったくらいで息を切らすなんて、珍しいね」
「……」
ブレイドはじっと俺を見つめた。
「……ねえ、アラン」
「何だよ」
「スカーレットに、変なことしてないよね?」
「はあっ⁉」
思わず声が裏返った。
「な、何言ってんだよ!」
「だって、君の様子がおかしいから」
「何もしてない!」
「……本当に?」
ブレイドの目が、すっと細くなった。本気で疑ってる。
「俺がそんなことするわけないだろ!」
俺が何かしたんじゃない。された方なんだよ!
そう言い返せたら、どれだけ楽だっただろう。
「それならいいけど」
そう言いながらも、ブレイドは俺から視線を外さなかった。
「……スカーレットは大丈夫なの?」
「……何でそんなこと聞くんだよ」
「唇に血がついてるから。何があったのか気になっただけ」
唇……。鼓動がまた速くなる。
「血を飲んだだけだ」
「そう」
短い返事だった。だが、納得したようには見えなかった。
「とにかく、寝かせてくる」
俺が歩き出そうとすると、ブレイドが静かに口を開いた。
「アラン」
「……まだ何かあるのか?」
「君のことは信用してるよ」
そこで一度、言葉を切った。
「でも、スカーレットを泣かせるようなことをしたら、許さないからね」
その声は、いつもの穏やかなものだった。だからこそ、妙に迫力があった。
「……わかってるよ」
俺はそれだけ答えて、廊下を進んだ。
「……ん」
腕の中で、スカーレットが小さく身じろぎした。彼女がゆっくりと目を開ける。
「……アラン?」
「……あ、ああ」
寝ぼけたように俺を見上げていたスカーレットが、突然、目を見開いた。
「えっ⁉ な、なんで⁉」
「……何が?」
「どうして、アランが私を抱っこしてるの⁉」
スカーレットの頬が、みるみる赤くなっていく。
「それは……」
言葉に詰まった。
まずい。ブレイドが見ている。
「庭で倒れてたんだよ。ねえ、アラン?」
ブレイドが助け舟を出した。
「あ、ああ! そうだ!」
「私が……?」
スカーレットは不思議そうに瞬きをした。
「……覚えてない」
そう呟くと、もう一度俺を見上げた。目が合った。途端に、彼女が恥ずかしそうに視線を逸らす。
そんな顔をされると俺も困る。
だけどこれが本来のスカーレットだよな。さっきとはまるで別人だ。
「……ねえ、アラン」
「な、何だ?」
「……もう、下ろしてくれてもいいよ?」
「わかった」
慌てて腕を緩めると、ブレイドが口を挟んだ。
「ちょっと待って。スカーレット、裸足だよ」
「え?」
スカーレットは自分の足元を見た。
「……本当だ。どうして?」
「僕にもわからないけど、足が汚れてるね」
「……じゃあ、浴室までお願いしてもいい?」
スカーレットが遠慮がちに俺を見上げる。
「……わかった」
俺は彼女を抱え直した。
……近い。顔が近すぎる。スカーレットは俺の胸元に顔を伏せていた。
「でも……変なの」
「何が?」
「喉が渇いてないの」
俺の心臓が、どきりと跳ねた。
「さっきまで、あんなに苦しかったのに。今は全然平気」
「……そうなんだ」
ブレイドは不思議そうに彼女を見つめた。
俺は黙っていた。当然だ。あれだけ飲んだんだから。
浴室の前で彼女を下ろすと、スカーレットは自分の足を見て顔をしかめた。
「シャワー浴びるね。ガーネット、起きてないといいけど」
「ああ。早く休めよ」
「うん。おやすみ、アラン。ブレイドも」
「おやすみ、スカーレット」
ブレイドはいつもの穏やかな笑顔で答えた。
スカーレットがドアを閉めた。
俺はようやく息を吐いた。
「もう一回、外に出てくる」
「こんな時間に?」
「ああ。悪いけど、手伝ってくれないか」
ブレイドは俺の顔を見つめた。
「……何があったの?」
「行けばわかる」
それ以上は聞かず、ブレイドは俺についてきた。
広場に戻ると、焚き火はまだ燃えていた。干からびた兵士の遺体が二体、転がっている。
「……血を吸い尽くされてる」
ブレイドが俺を見上げた。
「スカーレットがやったんだね」
「……そうだ」
「でも、本人は何も覚えてなかった。無意識にやったってこと?」
「……たぶんな」
ブレイドは少し考え込んだあと、立ち上がった。
「……とにかく、運ぼうか」
俺たちは遺体を森へ運んだ。
土を掘り、二体を埋め終えた頃には、空がわずかに白み始めていた。
「……他に兵士はいたの?」
「あと三人いた。だが、戻ったときには消えていた」
「……大丈夫なの?」
「……たぶん、大丈夫だ」
ブレイドが怪訝そうに眉をひそめた。
「アランらしくないね。君なら、顔を見られたら殺すと思ったんだけど」
俺は否定しなかった。
だが、あの三人は意思を奪われた操り人形のようだった。自分たちに何が起きているのかさえ、理解できていなかっただろう。
そう思うと、背筋に冷たいものが走った。
「……アラン?」
ブレイドの声に、我に返る。
「……何でもない。帰ろう」
俺は暗い村の方角を振り返った。
血を拒み続けたスカーレットは、心も身体も限界だった。その苦しさから逃れるために、別の人格を生み出したのだろうか。
……ルナ。
あの女は、そう名乗った。だが、それだけでは説明のつかない何かが、彼女にはあった。
♢
あの夜、孤児院の庭で倒れていたという日から、アランの様子がおかしい。
話しかけても、どこか上の空。目が合うと、すぐに逸らされる。
以前は、そんなことなかったのに。
……もしかして、嫌われた?
そう考えると、胸が苦しくなった。
何か怒らせるようなことをしたのだろうか。けれど、あの夜のことは何も覚えていない。
考えていても仕方がない。私は意を決して、アランに声をかけた。
「ねえ、アラン。最近、私のこと避けてない?」
「え? いや、そんなことは……」
「じゃあ、なんでこっちを見てくれないの? 今だって、目を合わせないじゃない」
アランはようやくこちらを向いた。
けれど、目が合った途端、また逸らしてしまった。
……やっぱり。
そのとき、ふと思い当たることがあった。
「……まさか、あの日。私、アランのこと襲ったの?」
「……っ!」
アランの肩がびくりと跳ねた。
「だから目覚めた時、喉の渇きが消えてたんだ。そうなんでしょ?」
アランの目が泳いだ。
「あ、ああ。実はあの日、スカーレットに襲われた」
胸がぎゅっと締めつけられた。
「……本当に、ごめんなさい」
私は俯いた。
「また、アランの血を飲んでしまったのね……」
「いや、まあ……」
「私、もう我慢しない。今度からはちゃんと血を飲むから」
アランは心底、安心したように息を吐いた。
「……そうしてもらえると助かるよ」
「……怒ってない?」
「もちろん」
ようやく、アランが私の目を見てくれた。私はほっとして微笑んだ。
「よかった……」
すると、なぜかアランはまた顔を背けた。
……あれ?
耳が赤い。やっぱり、まだ何か隠しているのかな。でも、これ以上聞くのはやめておこう。
私のせいで、アランには何度も迷惑をかけているのだから。




