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悪人

「危ない!」

 ブレイドが叫ぶ。けれど、アランの方が速かった。

 男が拳銃を抜くと、その手首を蹴り上げた。拳銃が宙を舞い、遠くの茂みに落ちる。

「ぐあっ!」

 男が悲鳴を上げた。アランはその胸ぐらをつかみ、引き寄せる。

「お前……何者だ?」

 男の顔から血の気が引いた。

 アランは答えず、男を殴りつけた。鈍い音がして、男が崩れ落ちる。

「……死んだの?」

 思わず声が震えた。

「気絶しただけだ」

 アランは倒れた男を見下ろした。

「スカーレット、ガーネット」

 ブレイドが声をかけてきた。振り向くと、彼は顔を横に向けたまま、こちらへ手を伸ばしていた。

 その手には、大きなタオルが二枚。

「これ、使って。僕たちは向こうを向いているから」

「あ……ありがとう」

 タオルを受け取ると、私はガーネットに一枚渡した。ブレイドは私たちに背を向けたまま、アランに声をかけた。

「アラン、こっちへ。二人が着替えるまで、あの男を見張っていよう」

「ああ」

 アランもこちらに背を向けた。

 私はガーネットと顔を見合わせた。

 まだ、手が震えている。

 タオルを体に巻きつけ、急いで岸へ上がった。着替えを済ませると、ブレイドたちに声をかけた。

「もう大丈夫よ」

 アランが振り返った。

「怪我はないか?」

「うん。大丈夫」

「そうか。良かった」

 いつものアランの声。そのことに、少しだけ安心した。

「誰かに見られる前にここを離れよう」

 ブレイドが言った。

 私はガーネットの手を握り、歩き始めた。

「ねえ、私たちって、まだ人間なのかな?」

 誰もすぐには答えなかった。

「俺さ、鹿を仕留めたとき、腹が減って我慢できなくて、血を飲んじゃったんだよね」

 アランが言った。

「腹は満たされた。でも、何か違うんだ。やっぱり、人間の血の代わりにはならない気がする」

「動物の血だけじゃ足りないのかもしれない」

 ブレイドが答える。

「たぶん……人間の血じゃないと」

 私は喉元を押さえた。考えないようにしていた渇きが、また強くなった気がした。

「見た目も変わりすぎた」

 ブレイドは私たちを見回した。

「今日みたいなことがまた起こるかもしれない。帝都の貴族や人さらいに目をつけられたら、何をされるか」

 ガーネットが肩をすくめた。私も同じことを考えていた。

 今の私たちは、どう見ても普通じゃない。

「俺が守ってやるよ」

 アランがあっさりと言った。

「見た目が変わってから、力も強くなったみたいなんだ。走るのも速くなったし」

「それは僕も気づいてた」

 ブレイドの目が輝いた。

「身体能力の変化だけじゃないかもしれない。ほかにも何か――」

「実は……」

 ガーネットが遠慮がちに手を上げた。

「私、傷を治せるようになったかもしれない」

 三人でガーネットを見た。

「転んで膝を擦りむいたとき、手をかざしたら温かい光が出たの。それで、気づいたら傷がなくなってた」

「本当に⁉」

 私はガーネットの手を取った。

「痛くなかった? 体は大丈夫?」

「うん。平気だよ」

「それって、まるでファンタジーの世界じゃないか!」

 ブレイドが興奮している。

「なるほど。それぞれ違う能力を得た可能性があるな。だとしたら、僕は何を――」

 ちょっと待って。

 どうしてそんなに嬉しそうなの?

 私たちは人間じゃなくなったかもしれないっていうのに。

「ブレイド、今は能力の話より、これからどうするか考えない?」

「それもそうだね」

 ブレイドは少しも悪びれなかった。

「一番の問題は、血をどうやって手に入れるかだ」

 アランが腕を組んだ。

「俺なら、相手に気づかれる前に襲って逃げることもできるかもしれないけど……」

「待ってよ!」

 思わず声が大きくなった。

「それじゃ、本当に人を襲うってこと?」

「ほかに方法があるなら聞きたい」

 アランの言葉に、私は口を閉じた。

 今も喉が渇いている。また理性を失ったら、どうなる?

「……悪人の血なら、いいんじゃない?」

 ガーネットの言葉に三人の視線が集まる。

「さっきの警官みたいな。帝都の人たちは私たちを差別してる。罪も平気で犯す」

 ガーネットは唇を噛んだ。

「死んだ人を弔う仕事をしているだけなのに、穢れてるって。市場で買い物したときだって、品物を地面に置かれ、暴言を吐かれた」

 あのときのことは、私も覚えている。

 ガーネットが差し出した手を、店の男は見ようともしなかった。

「だからって、血を飲んでいいわけじゃないよ」

 私が言うと、ガーネットは俯いた。

「……わかってる。でも」

「そもそも、悪人って誰が決めるの?」

 ブレイドが静かに問いかけた。

「犯罪者とか……」

「じゃあ、飢えて死にそうになったら? 相手が善人か悪人か、見分けている余裕があると思う?」

 ガーネットは答えられなかった。

 私にも、答えはない。

「だったら、俺が決める。お前らを飢えさせない。誰にも指一本触れさせない」

 アランは迷いなく言い切った。

「だから、そんな顔すんなって」

 私は無意識に自分の頬に触れた。どんな顔をしていたんだろう。

「……じゃあ、約束して」

「何を?」

「一人で危ないことをしないで。私たちを守るって言うなら、アランもちゃんと無事でいて」

 アランは一瞬、目を丸くした。それから、いつもの調子で笑った。

「わかったよ」

 その返事を聞いて、ようやく少しだけ息ができた気がした。

 それでも、背後の森が気になって仕方なかった。

 あの男は、まだあそこにいる。

 嫌な予感がした。

 *

 湖での出来事から、三日後。

 その日は朝から蒸し暑かった。

 礼拝を終え、朝食の片づけを手伝っていると、外から馬のいななきが聞こえた。

 こんな朝早くに、お客さん?

 窓から覗こうとしたところで、シスター長のエレノアに腕をつかまれた。

「スカーレット。四人で床下に隠れていなさい」

「え?」

「急いで。絶対に出てきては駄目よ」

 いつも穏やかなシスター長が、怖い顔をしている。

 窓の外へ目を向けると、見覚えのある制服の男が馬車から降りてくるところだった。

 あの中年警官だった。

 まずい。今、会うわけにはいかない。シスター長の手がわずかに震えているのに気づいたけれど、理由を聞く暇はない。

「アラン、ブレイド、ガーネット。こっちに来て!」

 キッチンでは、シスター・ジュリアが流し台の下のマットをめくり、床板を持ち上げていた。

 床下へ続く階段が現れる。

「ガーネット、先に降りて」

「お姉ちゃん、何があったの?」

 私は小声で囁く。

「あの中年警官が来たの!」

 息を飲んだガーネットの背中を押し、ブレイド、アランの順に降りてもらう。

 最後に私が階段へ足をかけたとき、シスター・ジュリアと目が合った。

「何があっても、出てこないでね」

「……シスター」

 返事の代わりに、彼女は小さく頷いた。

 扉が閉まり、辺りが暗くなる。

 床下は半地下の物置になっていて、外からは見つかりにくい造りだった。私たちは身を寄せ合い、物音を立てないように息を潜めた。

 やがて、玄関の扉が開く音がした。

「私は帝都の本庁から来た。この近くに隕石が落ちたという報告が入っている」

 聞き慣れない男の声だった。

「それに私は、オレンジ色の髪の少年に襲われたんですよ。見逃すわけにはいかない」

 中年警官の声がした。

「確かに、あの日は大きな音がしました。しかし、私どもは何も存じません。少年の件についても、何かの間違いではございませんか」

 シスター・エレノアの声がする。

「何も知らない? 森に入った者もいないのか?」

「子どもたちは毎日、教会の仕事を手伝っております。夜中に森へ出かけるような子はおりません」

「嘘だ。赤い髪の少女もいるはずだ」

 中年警官の言葉に、私は思わず口を押さえた。

 隣でアランが私を見る。ブレイドも何かを察したらしく、眉を寄せていた。

「調べろ」

 役人が命じると、複数の足音が散っていった。

 礼拝堂の方で何かが倒れる音がする。

 続いて、子どもの泣き声。

 お願い。みんなを怖がらせないで。

 私はガーネットの手を握った。小さな手は冷たくなっていた。

「何もありません!」

 しばらくして、兵士らしい男の声が聞こえた。

「そうか」

 役人は面白くなさそうに答えた。

「ならば、シスター長。お前に直接話を聞く必要があるな」

「私に、でございますか?」

「今夜、私の泊まる宿へ来い。お前の態度次第では、穏便に済ませてやってもいい」

 何、それ。

「……承知いたしました」

 シスター・エレノアの声は落ち着いていた。けれど、その返事を聞いた途端、胸が苦しくなった。

「それから、そこの若いシスターも連れてこい」

 中年警官が続けた。

「金髪に金色の瞳。前から気になっていた」

 シスター・ジュリアのことだ。

「お待ちください。ジュリアはまだ十八歳です。どうか、あの子だけは……」

「十八? 十分だろう」

「どうかご慈悲を。私なら、何をされてもかまいませんから」

 乾いた音が響いた。

 続いて、何かが床に倒れる。

「穢れのくせに、口答えするな! ここはそういう村なんだよ。帝国からも見放されてる」

 シスター長!

 立ち上がりかけた私の肩を、アランが押さえた。

 顔を上げると、彼も唇を強く噛んでいた。

 頭上から苦しげな呻き声が聞こえる。

「おやめください!」

 シスター・ジュリアの声だった。

「私も参ります。ですから、もうお帰りください。子どもたちが怖がっています!」

 遠くで、幼い子どもが泣いている。

 どうして。

 どうして、こんなことをされなきゃいけないの?

 シスターたちは毎日、村の人たちのために働いている。亡くなった人を弔い、身寄りのない子どもを育てている。

 それなのに、帝都の人間は私たちを穢れと呼ぶ。

 死んだ人に祈りを捧げることの、何がいけないの?

「今夜、忘れるなよ」

 役人の声が遠ざかり、玄関の扉が閉まりかけたその時。

「スカーレット!」

 私の名前を呼ぶ中年警官の声がした。

「お前が来るなら、シスターたちを見逃してやってもいい。ただし、一人で来い!」

 背筋が凍りついた。

 馬車が走り去る音が聞こえるまで、誰も動かない。

 最初に口を開いたのはアランだった。

「あいつらは悪人だよな」

 驚くほど低い声だった。いつものアランじゃないみたいだ。

「……ええ」

 私は青ざめながら頷いた。

 ガーネットが涙を拭った。

「絶対に許せない。お姉ちゃんまで狙ってる」

 ブレイドはしばらく黙っていた。やがて、静かに口を開いた。

「このまま見過ごしたら、スカーレットも危ない」

 アランが顔を上げた。

「あいつらを、この村の外に出すつもりはない」

 その言葉の意味がわかるまで、少し時間がかかった。

「……アラン?」

「俺はやるよ」

 胸が締めつけられた。

 何をするつもりなのか、聞かなくてもわかった。

 あの人たちが憎い。シスターたちを守りたい。

 でも、人を殺すなんて。

「私も許せない。でも……少し怖いよ」

 正直に言うと、アランは私の頭に手を置いた。

「スカーレットとガーネットは、教会で待ってていい」

「アランは?」

「行く」

 迷いのない返事だった。

「ブレイドは?」

「僕も行くよ」

 ブレイドは自分の喉元に触れた。

「もう限界なんだ。血を飲まなければ、いずれ村の誰かを襲ってしまうかもしれない」

 誰も反論できなかった。

「……私も行く」

 アランがこちらを向いた。

「無理するなよ」

「だって、私が行かないとシスターたちがどうなるか分からない」

 本当は、怖くて仕方がなかった。

「あいつらはスカーレットが行ったとしても、約束を守るとは思えない」

 ブレイドが言う。

「それでも、行くわ」

「お姉ちゃんが行くなら、私も行く」

 ガーネットが私の手を握り直した。

 アランは私の顔を見て、頷いた。

「絶対に守る」

 

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