第8話 出会い②
広場で出会った黒髪の少女――もとい、迷子仲間にご飯を奢ってもらうことになった。
精神的には八十五歳のはずなのだが、どうにも身体の年齢に引っ張られている気がする。
前世の俺なら、五歳くらいの女の子に飯を奢ってもらうなんて全力で遠慮していただろう。
なのに今は――
「何食べようかな……」
普通に楽しみで仕方がない。
食欲もそうだ。
感情もそうだ。
前世の記憶を取り戻してからというもの、どうも五歳の身体に精神まで影響されているような気がする。
「……なんとも言えない気持ちだ」
「何か言った?」
「いや、なんでもない」
そんなことを考えながら、少女と一緒に屋台へ向かう。
「サンドイッチ二つください」
「あいよ! サンドイッチ二つね!」
屋台の親父が威勢よく返事をする。
そして俺と少女を交互に見ると、ニヤリと笑った。
「なんだ、お嬢ちゃんたち。デートかい?」
「違うわ!」
少女が即座に否定した。
「そうかそうか! そりゃ悪かったな!」
親父は豪快に笑う。
「サンドイッチ二つで銅貨六枚だ!」
「分かったわ。銀貨一枚でいいかしら?」
「あいよ!」
少女が小さな袋から銀色の硬貨を一枚取り出し、親父へ渡した。
…………。
うん。
五歳くらいの女の子に飯を奢られている俺、めちゃくちゃダサいな。
前世では孫に小遣いをやる側だったというのに。
まさか二周目の人生で、同年代の女の子にサンドイッチを奢ってもらうことになるとは。
「ほら、お釣りだ」
親父が少女の手のひらに何枚かの硬貨を乗せる。
「ありがとう」
そのやり取りを何となく眺める。
そういえば――
この世界の金って、どうなってるんだ?
アークとして五年間生きてきた記憶があるので、銅貨や銀貨というものが存在すること自体は知っている。
だが、自分で買い物をした経験がほとんどない。
そのため、実際の金銭感覚がまるで分からないのだ。
前世でサンドイッチといえば、一つ三百円くらいだっただろうか。
二つで銅貨六枚。
ということは、一つ銅貨三枚。
この銅貨三枚というのが、高いのか安いのかすら分からない。
「はいよ! サンドイッチ!」
屋台の親父からサンドイッチを渡される。
「あ、ありがつ!」
「…………」
「…………」
また噛んだ。
「ふふっ」
横から笑い声が聞こえる。
「また噛んだわ」
「…………」
どうしたんだ、俺は。
別に噛みたくて噛んでいるわけじゃないんだが。
少女は楽しそうに俺の顔を見る。
「そういえば」
「ん?」
「『にょ』の人は、なんて名前なの?」
「にょの人!?」
噛みすぎて変なあだ名をつけられた!
「俺はアーク! アークっていうんだ!」
「アーク」
「そう! だから変なあだ名つけないでくれよ!」
「ふふっ。考えておくわ」
「考えるな!」
まったく。
「そういう君は? なんて名前なんだ?」
「私?」
「ああ」
少女は一瞬、口を開きかけて――
「私は…………」
妙な間があった。
「……エリィよ」
「エリィ?」
「ええ」
何だ、今の間。
少し気になったが――まあいいか。
「エリィね。よろしく!」
「ええ。よろしく、アーク」
「それと、サンドイッチありがとう」
「どういたしまして」
二人で広場のベンチへ戻り、買ったばかりのサンドイッチを頬張る。
「…………おお」
美味しい。
パンに挟まっているのは、何の肉か分からない焼いた肉と野菜。
味付け自体は前世の料理と比べればかなり薄い。
だが――
「美味しい……」
昨日からろくに食べていなかったこともあって、めちゃくちゃ美味しく感じる。
エリィも隣で美味しそうに食べている。
その横顔を眺めながら、ふと先ほどの疑問を思い出した。
「そういえば、エリィ」
「なに?」
「銅貨って、どれくらいの価値なの?」
「…………」
エリィの動きが止まった。
「何?」
「いや、その……銅貨一枚で何が買えるとか、そういうの」
「…………はぁ」
盛大なため息をつかれた。
「あなた、そんなことも知らないの?」
「……知らない」
「さっきから思ってたけど、あなた本当に変な子ね」
「うるさいな。知らないものは知らないんだから仕方ないだろ」
「仕方ないわね」
エリィは食べかけのサンドイッチを片手に、少し得意そうな顔をした。
「じゃあ、この私が教えてあげる」
「おお、お願いします先生」
「先生!?」
エリィは一瞬驚いたあと、どこか満更でもなさそうに胸を張った。
「いいでしょう。ちゃんと聞きなさい、アーク」
「はい、エリィ先生」
「まず、この国で使われているお金には、小銅貨、銅貨、銀貨、金貨の四種類があるわ」
「ほうほう」
「小銅貨十枚で銅貨一枚。銅貨十枚で銀貨一枚。銀貨十枚で金貨一枚」
「つまり、十枚単位で一つ上の硬貨に変わるのよ」
なるほど。
さっきのサンドイッチは一つ銅貨三枚。
前世の感覚でサンドイッチ一つを三百円くらいと考えるなら――
小銅貨一枚が十円。
銅貨一枚が百円。
銀貨一枚が千円。
金貨一枚が一万円。
もちろん、物価が違う以上そのまま当てはめることはできない。
でも、大体の感覚を掴むには十分だ。
「はいっ! エリィ先生!」
「はい、アーク君!」
先生と生徒ごっこをしながら、俺はもう一つ質問する。
「一ヶ月働いたら、どれくらいのお金がもらえるの?」
「一ヶ月?」
エリィは少し考える。
「えぇと…………」
何かを思い出すように視線を上へ向けた。
「確か、一ヶ月でもらえるのは金貨十枚と銀貨六枚くらいだったはずよ」
「金貨十枚と銀貨六枚……」
前世の感覚に無理やり当てはめるなら――
十万六千円くらいか。
「…………なかなか少ないな」
「何が?」
「いや、なんでもない」
もちろん、この世界と前世では物価が違う。
単純に比較できるものではないだろう。
それでも、生活水準を知るための一つの目安にはなりそうだ。
「それにしても、エリィは博識だね」
「そう?」
「うん。なんでそんなこと知ってるの?」
「たまたまよ!」
エリィが少し慌てたように答える。
「この前、お勉強したから知ってるだけよ」
「なるほど。勉強したのか!」
…………ん?
勉強?
俺はエリィを見る。
ということは――
この子。
貴族か、裕福な商家の子なのか?
今日、市場を歩いていて気になったことがある。
文字をほとんど見ていない。
肉屋には肉や動物の絵。
パン屋にはパンの絵。
どの店も、文字ではなく絵を使って何の店なのか分かるようになっていた。
おそらく――
この世界の識字率はかなり低い。
少なくとも、平民の五歳児が普通に勉強しているような社会には見えない。
それに。
改めてエリィを見る。
長く綺麗な黒髪。
整った顔立ち。
そして、明らかに仕立てのいい服。
五歳くらいの女の子なのに、まるで人形のように綺麗な格好をしている。
…………。
やっぱり。
普通の平民じゃないよな、この子。
「何?」
じっと見ていたせいか、エリィがこちらを見る。
「いや、なんでもない」
「変なの」
エリィは残っていたサンドイッチを食べ終える。
そして――
「教えるって言ったけど」
「うん?」
「私も最近勉強したばかりだから、教えられるのはここまで」
「そうなんだ」
「ええ」
エリィはベンチから立ち上がった。
そして大きく身体を伸ばす。
「ご飯食べたら、動きたくなったわ」
「…………?」
エリィが俺を見る。
「ねえ、アーク」
「なに?」
「散歩でもしない?」
「散歩?」
「ええ!」
…………。
正直。
迷子の時は、動かない方がいいんだけどな。
セバスも俺を探しているはずだ。
ここで待っていた方が、どう考えても見つけてもらいやすい。
だが――
俺はエリィを見る。
サンドイッチを奢ってもらった。
通貨についても教えてもらった。
その手前。
…………断りにくい。
「…………分かったよ」
俺もベンチから立ち上がる。
「ちょっとだけ歩こう!」
「決まりね!」
エリィが嬉しそうに笑った。
こうして俺は――
迷子なのに。
もう一人の迷子と一緒に。
広場を離れることになった。




