江戸を越えて仙台へ
四隻の大型船は四国と大阪を経由し、いったん江戸で積み荷の整理を行うことになった。
出発は明朝とのことで、一日だけの江戸滞在が許される。
ちなみに西海道の北東に向かった中村様は、すでに米を手にして仙台へ戻っていったらしい。
「んん! 楽しみだねぇ、太田庵」
横で軽い足並みで歩く半裸姿のお姫様、ミクニ。
対照的にイロハは重い足取りだった。
無理もない。
江戸を発てば次は仙台、鈴たちの本番はここからなのである。
しばらく歩くと、一年ぶりの太田庵が見えてきた。
太田庵は相変わらず遊郭の隣で客を迎えていた。
イロハは遊郭の隣にある蕎麦屋を見上げ、露骨に顔をしかめた。
「リン、あなた。武家の娘でしょう。抵抗ないの?」
「え? 全然。美味しいものに貴賓なしだよ」
「食べ物じゃなくて、場所のことよ……」
渋々と言った様子でイロハも中に入る。
中に入るとデンシュが気さくに挨拶してきた。
「おう、今年も来たか」
「久しぶりだね、デンシュ。オカメ蕎麦お願い。二人ともそれでいい?」
鈴の提案にイロハとミクニは頷く。
席についてしばらく店内を眺めていると、奥から親方の亀助が顔を出した。
「久しぶりだな、嬢ちゃん。カテメシのことで聞きたいことがあるんだが……連れがいるのか?」
「うん、私のお友達。一年ぶりだね、亀助」
そうか、と言って亀助は手に持っていた紙束を広げる。
「亀助、ごめん。まずご飯食べてもいい?」
「……ああ、そうか。それは悪いことした。だったら後で上に来てくれ。相談したいことがある」
亀助は少し残念そうに紙束を拾いなおし、二階に上がっていった。
「……ずいぶん頼られているのね、リン」
「うーん。頼られているっていうより、持ちつ持たれつってところだと思うよ」
しばらくすると、湯気を立てたオカメ蕎麦が運ばれてきた。
鈴とミクニにとっては懐かしい味だったが、イロハは椀を埋め尽くす具材の多さに目を丸くしていた。
「聞いてはいたけど、想像以上ね」
「んん! 私もこれを楽しみにしてたんだよね!」
ちなみに高い身分の者は、麺を啜るというのを避ける傾向にある。
だが今は三人ともお忍びである、気にする必要はない。
食事を終えると、イロハが代金を支払おうとするが「代金ならもうもらったよ」とデンシュが手で遮る。
デンシュの横でニホが一礼しており、イロハは気難しい表情を浮かべていた。
さて、亀助に呼ばれた鈴は、早速会いに行こうと立ち上がった。
「あれ? 二人ともついてくるの?」
「面白そうだから!」
「余計なこと言わないか心配だからよ」
確かに、三人寄れば文殊の知恵とも言う。
鈴が亀助に相談されて答えられなくても、二人なら答えられるかも。
そう思っていたのだが、後で船に戻ってトシへ話すと、「三人寄れば姦しい、の間違いかもね」と笑われた。
亀助はカテメシの研究の成果を教えてくれた。
その代わりに鈴たちが今まで試してきた事を聞きたがった。
「そうか。食える物でも苦みがあるかないかで、汁の配分を考えねばならんな」
鈴としては今まで経験してきたことを答えるだけだったので、それほど苦労はない。
むしろ興味深そうなミクニと、眉間にしわを寄せているイロハが対照的で印象に残った。
今年は蒲鉾を佐賀で売り切ってしまった旨を話すと、亀助は残念そうな表情をしていた。
「薩摩から仕入れられるようにはなったんだが、やはりまだ仙台の方が品質が高い」
「まぁ、製法渡したの去年だしね」
喜二郎たちは蒲鉾の完成品を作るのに何年も費やした。
作り方を真似るだけでは、一朝一夕には越えられないものがあるのだろう。
経験したことを洗いざらい話した後、太田庵を出た。
「リン、聞いていない話が色々あったのだけど。あとで話してもらうわよ」
「私も聞きたいなー!」
あなたはダメよ、とイロハは手でミクニを遮る。
話していないことなどあっただろうか、と鈴は首をかしげた。
「やっぱり、去年よりも活気は落ちている気がするね」
船に戻る途中、鈴はそうつぶやいた。
江戸の町は少し活気がなくなっているように感じられ、やはり飢饉の影響が大きいことが分かる。
寂れているというわけではないが、一、二年前より明らかに店の数が少ない。
「江戸の大半の米を賄っている仙台が飢饉なのだもの。影響が大きいのは当然だわ」
そう言ったイロハは、憂いの目で江戸の町を眺めていた。
その日は特にすることもなく、仙台藩の別邸で休む。
だが、夜になると「洗いざらい話してもらうわよ」とイロハが部屋を訪ねて来た。
眠くなる目を頑張って開け、聞かれたままを答えて夜は更けていった。
翌朝になり、水を補給し終えた大型船に乗り込み、仙台を目指す。
「叔父上たちは米を手に入れられたかな」と波風に揺られながら鈴は考えていた。
途中何度か雨に降られながら、船は陸奥の国へと近づいていく。
曇天の空が、未だ飢饉の最中であることを嫌でも意識させた。




