章末:王手、飛車取り
降りしきる雨。
鈴たちは薩摩藩の泊まっている宿へと足を運んだ。
ミクニに事情を話し協力してもらえないか、相談してみた。
「んん! リン、私は――」
「―――姉上」
何か口を開こうとしたミクニを、茂姫が一言遮った。
ミクニは口をへの字にしてきつく目をつむり、非常に苦しそうな表情で息を吐いた。
「私は……んん。ごめん。私の一存じゃ、どうにもならない。父上に相談しないと。本当にごめんね。薩摩までなら運ぶの手伝うから」
「ううん。十分だよ、本当にありがとう」
そうなると問題は薩摩から仙台へどう運ぶか、である。
次の参勤交代の時に合わせて運んでもらうというのはどうだろうか。
いや。そもそもそんな義理がないから、この話は最初から立ち消えになっているのである。
何か利益になるものはないだろうか。
清右衛門のいる肥後には、まだ塩が残っている。
これで取引できないだろうか?
だがその話が上がらないということは、それだけでは難しいのだろう。
イロハの方は種茂へ同じように相談しに行ったが、やはり難しいようだ。
「お主たちには恩義もある。私も力になってやりたいのは山々なのだが……仙台はさすがに遠すぎる」
種茂は非常に苦しそうな表情を浮かべていたらしい。
「何か、方法はあるはずよ……」
イロハの苦しげな表情が、鈴の胸にも締め付けられるような痛みを与えていた。
その日は一日を使って方法を考え続けた。
清右衛門も、イロハも、鈴も、何度も算段を組み直した。
しかし答えは出ないまま、出港の日を迎えてしまった。
「民間の商船を借りるのは良い手だと思ったんだけどなぁ」
「仕方ないよ、仙台にまで荷を運んでくれる人なんていなかったんだし」
鈴とトシは、あれから佐賀で船の調達ができないかと商船を当たってみた。
しかし誰からも色よい返事をもらうことはできず、スゴスゴと港へ帰って来ていた。
港ではすでに、佐賀で得た米を満載に積み込む水夫が忙しく動き回っている。
いつの間にか雨は止み、船は次々と出港の準備が整っていった。
「あれ……高鍋藩の人たちだ」
出発間近となった船に、種茂たちが見送りに来てくれていた。
イロハと清右衛門が、藩主へ挨拶しに行く。
「世話になった。……此度は助けられず、申し訳ない」
「いえ。種茂様がいらっしゃらなければ、そもそも商売できませんでした。お気になさらず」
イロハがそう挨拶を返す。
そもそも無理を言って佐賀まで渡りをつけてくれたのだ。
感謝こそすれ、恨み言をいう人などいるはずもない。
種茂はイロハと鈴を眩しそうに見ていた。
「お主たちのような次代の若者が必要だということを、強く感じた。この教訓を励みにさせてもらう」
「私たちも勉強になりました。いつか、お互いの研鑽を披露できる日を楽しみにしております」
イロハはそう言って、種茂率いる高鍋藩の人々に礼をする。
仙台・薩摩の人たちもそれに習い、深く頭を下げた。
高鍋藩の人たちに見送られながら、船は帆を上げる。
「出発!」
清右衛門の号令と共に、薩摩と仙台の船は出立した。
---
「仙台の方々が気落ちされているのはわかるのですが、なぜ姉上もそんな顔をされているのですか」
「ほったけ」
ほったけ……放っておいて、か。
いつもは明るい姉が、雨に濡れたように気が沈んでいる。
「帰りたくない」とぐちぐち言っているが、それは父の顔を握りこぶしで吹っ飛ばしたことを思い出したからだろう。
父は鼻血を出していたが、むしろ楽しそうにしていた。
それにあれは父が悪い。
手元で鳴くこの可愛らしい猫への暴言を、自分も許す気はなかった。
と、まぁ……姉が塞ぎ込んでいる理由はそういったこともあるだろうが、やはり仙台へ義理を通せないのが一番だろうか。
姉は藩主の娘として、できないことはできないとちゃんと言った。
優しさもあるが、藩主の娘として何を一番にしなければならないのか、姉は忘れてはいない。
だからこそ、初めてできた年の近い友人に何もしてやれないのが、きっと歯がゆいに違いない。
「あぁ~……」
魂の抜けるようなうめき声と共に、姉がごろりと床を転がる。
父に相談してみると言っていたが、おそらく説得はできないと予測がついているのだろう。
その考えに、自分も同意である。
父が無償で船を貸すはずがない。
父ならとんでもない何かを仙台に背負わせていくはずである。
(でも……)
彼女たちなら何か突破口を見出すかもしれない、とも思っていた。
藩という枠組みに囚われない彼女たちなら、ひょっとしたら何かしら妙案を思いつくかもしれない。
わずか数日の関わりだったが、どこかでそう思う自分もいた。
生まれて初めて訪れた他藩の街で、あの朗らかな笑顔で連れ出してくれた、あの少女たち。
自分にとっても大切な存在だと、心の中で強く思っていた。
(あなたたちにも幸あらんことを、遠くの地より心から願っています)
きっと。
ここで得た経験を、自分は生涯忘れないだろう。
それが遠く離れた江戸の地で―――。
自分が将軍の嫁……一橋家の妻になったとしても。
茂姫は遠く東の地に思いをはせながら、鈴たちの幸福を願った。
---
「よう戻られた。話は聞いちょい」
薩摩にたどり着いた鈴たちを、重豪は歓待してくれた。
仙台を代表して、イロハは重豪へ挨拶する。
「はい。嵐で船を失ってしまい、ここまで米を運んでいただきました。重豪様と御國様に感謝申し上げます」
「ふぅむ。災難じゃったの」
イロハと清右衛門は、事情を説明した。
船と人員を借りられないか、という話である。
「御國、こっち来て耳を貸しやんせ」
重豪はしばらく考え、ミクニを手招きする。
怒られると思ってミクニは身をすくませていたが、重豪は珍しく小声で何かを呟く。
ミクニは最後まで聞き終わると、目を瞬かせて父を見ていた。
鈴たちは互いに顔を見合わせ、その様子を伺う。
「よかでごわす。船は貸しもんそ」
仙台組に緊張が走る。
もちろん、ただではないだろう。
だが、続く言葉は意外なものだった。
「そいに、運ぶ費用もこっちで持ちもす」
「はっ……。それは」
イロハの横に控えていた清右衛門の顔に脂汗が浮かぶ。
断られると思っていた相談を受け入れられた。
それだけではなく、費用まで出すと言っている。
無理難題を言われて断られるよりも、危険度がはるかに高くなった。
清右衛門は、その意図が読めず必死に言葉を探す。
「それは、ありがたいことでございますが……理由をお聞かせくださいませ」
「困っちょらっがや? お互い様でごわす」
清右衛門の顔色がどんどん悪くなっていく。
見ると、イロハも同じような表情をしていた。
対して満面の笑みを浮かべている重豪は「そいに」と言葉を続ける。
「力ば借りに行くのは、わっしらの方でごわす。受け取りに行くのは道理でごわんど?」
力を借りに行く。
それは何を意味しているのか。
元々ミクニが同行できていたのは、外交問題を避ける約束があったためである。
それも、喜二郎の持つ「力」を借りるという約束だ。
その後、鈴たちは改めて考えさせられることになる。
本当に、これを交渉材料にしてよかったのか。
自信たっぷりの重豪の表情を見て、誰もがそう思わずにはいられなかった。
---
大海を進む四隻の大型船。
鈴はその先頭の船の甲板の上で、大の字で寝転がっていた。
西海道へ来る時にいたはずの猫は、もう乗っていない。
それだけでも、この船が少し静かになったような気がする。
「そんなところに寝ていると、邪魔になるわよ」
「イロハ」
声を掛けられ、鈴が顔を向ける。
大仕事を終えたイロハが、寝転がる鈴の横に腰を下ろした。
目的としては大成功だった。
しかし、とんでもない課題を抱えての帰還でもある。
しかも喜二郎は、この状況を何も知らない。
先に情報を伝えたくとも、当の薩摩船がぴたりと後ろについてきている。
喜二郎の「力」を貸すだけのはずだった。
それが今では、喜二郎そのものを薩摩へ連れて行かれても文句を言えない状況になっている。
だがその不安を口にした鈴に、イロハは静かに首を振った。
「喜二郎は渡さないわ。証文にも『力』と明記してあるもの。解釈としては、こちらの方が正しいわ」
「そうかな。そうなのかなぁ……」
「ええ、それに彼は私の……」
そう言って、イロハは言葉を飲み込む。
なんだろう。
一瞬、色っぽい話かと思った。
イロハは視線を彷徨わせながら、言葉を探すように続けた。
「……仙台藩の、なくてはならない存在よ。手放せないわ」
「うん。そうだね」
北へ進むにつれ、海の青さは少しずつ鉛色へと変わっていく。
佐賀で得た希望を積みながら。
それでもその先に待つ未来だけは、まだ晴れる気配を見せなかった。




