呉越同舟
「お疲れ様、三人とも」
「イロハの方も。米は買えたの?」
にっとイロハは笑って、手に入れることができた米の数を指で指し示す。
当初予定していた米の総量を上回っていた。
「あとは仙台から商品が届くのを待つだけよ。嵐で積み荷が流れた、何てことになったら洒落にならないわ」
だがそんな言葉が引き寄せたのか、雲行きが怪しくなり始めたころに仙台からの船は到着した。
「どうしよう。雨降りそうだけど、荷を下ろす?」
「もちろんよ。むしろあれだけ重いものを乗せたままにする方が危険だわ。積み下ろしは先にやってしまいましょう」
そう言って仙台藩は総出で積み荷を陸に降ろし始めた。
「……降ってきた」
遠くで雷鳴が響く。
湿った空気に誘われ、雨粒が地面に斑点を作り始めた。
あと少しくらいなら作業できそうだが、どうするか。
作業を中断するか続行するか、皆がイロハを見る。
イロハはまだ半分くらい積み下ろしができていない船を見つめてため息を吐いた。
人命には代えられない、と苦渋の表情を浮かべていた。
「全員、作業中止。持てるだけの荷を持って――」
「イロハ!」
全員に中断命令を出そうとしたその時、快活な声が響き渡った。
「私たちも手伝うよ」
「ミクニ?」
彼女の後ろには、屈強な薩摩武士たちがフンドシ一丁で立っていた。
「こういう時の筋肉なんだから、遠慮は無用だよ!」
貸しもあるしね、とミクニは薩摩武士たちに指示を出す。
「遅れて済まぬ、私たちも手を貸そう」
「種茂様!」
家臣団を連れて、種茂も港にやって来ていた。
彼も先日、商品を大体売り切ることができたことを報告してくれていた。
「今回持ち込んだものは薩摩のような高額商品ではなかったからな。売れ行きは良かったが、捌くまでに時間がかかってしまった」
「ご助力、感謝いたします。これらは仙台の生命線なのです」
次第に強くなる雨脚に急かされながら、全員が一丸となって船の積み下ろしを手伝った。
足元が滑る。
大きな樽が傾き、数人がかりで支える。
縄がぬめり、荷物を支える手が震える。
そして視界が見えなくなるほどの雨が当たり一面を覆いつくす前に、なんとか全ての積み荷を倉庫へ移せた。
「皆様のお力のお陰です。このイロハ、仙台の皆を代表してお礼を申し上げます」
そう言ってイロハが深く頭を下げる。
仙台の全員が協力してくれた皆に頭を下げた。
「仙台ん奴らも、なかなか根性あっじゃねぇか」
誰かがそう言うと、仙台側の人が「抜かせ」と返す。
それは今までのような険悪なやり取りではなかった。
その日は挨拶もほどほどに、全員が宿屋に泊まった。
「ようやくね」
ニホに髪をすかれながら、イロハは呟く。
寝室で商品の受け渡しについて相談を受けていた鈴には、それが独り言かどうか分からなかった。
だが、その気持ちは鈴にも伝わっている。
「そうだね」と鈴は返事をした。
「あとは商品を届けて、売り上げの分配。仙台が欲しいのは米だから、銭はあまり手に入らないかもしれないけれど」
それでもその米が仙台の明日を握っているのだ。
鈴とイロハは宿の窓から雨の夜空を見上げながら、この先の未来を考えていた。
そして夜が明けた。
売り上げの配分も大方の決着がついた昼頃――。
肥後にいるはずの清右衛門が、小舟で佐賀藩にやってきたという報せが届いた。
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「清右衛門が、なぜ佐賀に?」
報告を受けたイロハは、すぐに客間を清めさせた。
肥後に向かったはずの清右衛門が、わざわざ佐賀にやってくるというのはただ事ではない。
イロハは人払いをして鈴とニホだけをそばに控えさせ、清右衛門の到着を待った。
向こうの取引で、何かあったのだろうか。
突然の来訪がその不安を掻き立てる。
しばらくして服を着替えただろう清右衛門が、イロハの前に平伏した。
「姫様。佐賀での取引、上手く運んだ由。お聞きしております。ご同慶の至りにございます」
「前置きはいいわ。そちらの取引はどうなったの?」
一切無駄なことを聞かず、イロハは結論を促す。
「味噌、鮫は売れました。米の数も予定通り確保しました」
「……塩と薬は売れなかったのね?」
「左様にございます」
やはり、薬は売れなかったのか。
だが、この肥前に持ってきてくれればかなり需要がある。今からでも運んでくれないだろうか。
鈴がそう思っていたが、清右衛門はそれとは別の苦し気な表情を浮かべる。
「……ですが、それよりも一大事にございます」
「一大事?」
清右衛門の苦しげな表情に、イロハは眉を寄せる。
鈴も嫌な予感がした。
「……船が、嵐で沈みました」
清右衛門は深く頭を下げたまま、顔を上げなかった。
「……被害状況を詳しく説明して」
「はい」
人的被害について、死者はなく水夫数名が軽傷。
積み荷は荷揚げを終えた直後で全て肥後の蔵に保管していたのが、不幸中の幸いだった。
「塩と薬は、味噌と一緒に運び出したため無事でした。しかし……」
輸送に使うための船を丸々一隻失ってしまった。
物があっても、仙台まで運ぶ手段がない。
「某の責でございます。どうか裁きを」
「今はそれどころじゃないわ。船に乗せられる人員と運び込む米……どれくらいの割合になるか計算しないと」
清右衛門は深く平伏した後、懐からそろばんを取り出す。
しばらく弾いた後、苦しげに唸り声を上げる。
「かなりの米を、置いていくことになります」
「……配分、早めに決めてしまったのが裏目に出たわ」
鈴たちが佐賀で得た米は、人員を運ぶ想定でいた船にも満載に詰め込んでいて、もう乗せることは難しい。
清右衛門の方も、無事だった一隻に詰め込んだとしてもかなりの米が載せられない。
配分会議で「仙台は米」「薩摩は銭」「高鍋藩は両方」を多めに取り分として分けることになっていた。
すでに米の取り分は仙台へ大きく振り分けてしまっている。
だが、もうそれを嘆いても仕方がない。
「米を持って帰れないとなれば売るしかない。だけど」
「はい。一度買った米を売り戻すとなると、買いたたかれましょう」
部屋に重い沈黙が落ちた。
江戸と仙台の距離であるなら船を何度かに分けて運ぶという手段も取れる。
だがここは肥前。往復するには時間も距離も人手も馬鹿にならない。
「しかし、他に方法がありませぬ。少しでも高く買い取ってくれる高鍋藩を頼るのはいかがでしょうか」
「薩摩に売れば、間違いなく買いたたかれるわね。それしかないかしら」
そこで鈴は疑問に思った。
薩摩の船を借りて運ぶという手段はとれないのだろうか。
疑問に思った鈴は聞いてみる。
「あの、薩摩の船を貸してもらって、運んでもらうのでは行けないのでしょうか?」
「それは難しい。薩摩が仙台に来る理由が見当たらん。それに船だけでなく、水夫まで借りるとなれば莫大な費用が掛かるだろう」
あれ? でも前回はミクニ、仙台に来ていたような。
そう思った鈴にイロハが説明してくれる。
「あれは、江戸から仙台の船に乗って来たのよ。江戸行の船で一緒だったでしょう?」
だからよほどの理由がない限り、薩摩が船を貸してまで仙台に来る理由がないらしい。
よほどの理由。
家出中の姫を匿うのは、よほどの理由にならないのだろうか?




