一つの橋を渡す者
「ねぇ、リン。皆すっごい慌ただしいんだけど」
「うん。でも話を聞いても何でか分からなくて」
トシと鈴は高鍋藩の客室を用意してもらい、くつろいでいる。
逆に言うと二人以外の面々は、活発に動き回っていた。
種茂は家臣総出で高鍋藩の誇る品を選別している。
イロハは船に用意してある商品と、届く予定商品の在庫を確認しにいった。
ミクニは薩摩武士に何かを言いつけ、イロハから小舟を一艘用意してもらってどこかに消えた。
何かすっごいことが起きている気がするのだが、鈴たちはどうしよう?
「トシ、私たちが売れる物って何かあったっけ?」
「それってイロハ様が持ち込んだ以外のもの、ってことだよね。うーん」
実は味噌も塩も、鮫製品も、今回は鈴の持ち込みじゃない。
仙台藩が、正式に喜二郎から買い取った仙台藩の資産である。
そうなると鈴が自由にできるのは、自分たちで開発した薬食いという名のナルト肉くらいなんだけど……。
「ねぇ、どういう話し合いがあったの?」
「うん? えーと……藩に売った利益は商品の所有者全員で配分、ってイロハが言ってた」
鈴の言葉に、トシが首をかしげる。
「どういうこと?」
「わかんない」
うーん、と二人で頭を捻る。
「そのまま考えると、商品が売れない藩があっても皆で分配しよう、ってことかな?」
「でもそれだと、皆が意気込む理由がわからないし……」
とすると、逆から考えてみればいいのだろうか?
「商品が売れた藩は、皆に分配できる?」
「え、何それ。面倒くさそうで誰もやらないじゃん」
「そうだよね……じゃあ、一番売った藩に利点があるように考えると……」
一番商品が売れた藩は、皆にどう分配するか決めることができる。
なるほど、そう考えると皆必死になるわけである。
今更ながらに鈴たちも慌てだした。
「違うわよ、なんでそんな横暴な考えになるの」
「あれ?」
何か手伝えることがないか慌てだした鈴に、イロハが呆れたように息を吐いた。
「売上を一つの財布に入れて、そこから持ち寄った商品割合や事前の約束に従って配分する、というのが正解ね」
つまり……どういうことだろう。
こほん、とイロハは咳払いした。
「簡単に言うと、全員で一つの店を出すようなものよ」
「ああ! なるほど」
だからみんないい商品を選ぶのに忙しいのか、と納得した。
だがイロハ「正確には違うのだけど」と肩をすくめる。
「どういうこと?」
「あの時、私が詳しい条件を決めなかったのは、交渉の余地を持たせるためよ」
イロハは続ける。
「高鍋藩は明日の朝までに商品を取りそろえられたら、先ほどの条件になると思う」
「じゃあ、取りそろえられなかったら?」
「そこはあんまり考えなくていいとは思うけど。……万一そうなったら、高鍋藩は降りるかもしれないわね」
だからあんまり考えても意味がないわけか。
「薩摩の商品は?」
「間に合わないでしょうね。島津からここまで二日かかった。小舟一艘で飛び出して、明日の朝までに品物をここに持ってこれるとは思えないわ。手元にある唐物だけ、ありがたく使わせてもらいましょう」
イロハはそういうが、一抹の不安も感じているようだ。
なにせ肥後組の清右衛門の船に追いついて速度を落とさなかったら、一日でついていたかもしれないのである。
出発したのが昼前なので、どんなに早くても往復の二日の計算だ。
「重豪様がこうなることを予想して、荷物を積んだ船を向かわせていたら……?」
「……そうなると、商品自体がまだ届かない私たちが一番不利かもしれない。だから、届く予定の品を念入りに確認しているのよ」
イロハはため息を吐いて扇子をあおいだ。
鈴とトシも、その作業に参加することにした。
そして翌朝。
「私が用意したのは、ここからここまでだ」
種茂が用意したのは満載に積まれた樽酒、茶、香などである。
選び方がうまい。消費しやすい酒と茶。
そして高級品である香の組み合わせは、どの客層にも受け入れられる。
「んん! 私が用意したのはこれらだよ!」
そして当然のごとく港で待ち構えていたミクニの薩摩勢。
こちらは唐物でできた高級品の一点突破だ。
売れれば大きいが、売ること自体がかなり難しい。
どうやらミクニが出立した後、重豪が後を追わせるように船を出したのだそう。
よく見ると、仙台船に横付けしてきたあの黒い帆の船。見覚えがある。
「では、皆さん。お話し合いをしましょうか」
商品が集まったことを確認し、イロハがそう告げる。
ちなみにその時のみんなの会話を聞いて、鈴は改めて自分が政の世界に向いていないことを思い知らされた。
---
話し合いは次のように決まった。
売上の六割は各藩へ二割ずつ配分し、残る四割を販売実績に応じて分ける。
これなら頑張れば頑張っただけ自分の藩の儲けにすることができる。
だがそうなると一番不利なのは仙台である。
売る商品がほとんど手元に届いていない。
「滞在できるのはおそらく七から八日が限界よ。つまり商品が届いて売ることができるは、長くて二日」
売っている期間が短い仙台側は圧倒的に不利である。
「だから鈴に頼みたいのが、買い手を見つけることよ」
「と、いうと?」
鈴の疑問に、イロハがひとつひとつ説明していく。
「江戸の蕎麦屋で蒲鉾を売った話と同じよ。商品を売り込んで、買ってもらう。私は藩の方に売り込むから、市場の方をお願いできるかしら」
つまり、今は約束だけ取り付ける。
品は後から届ければいい、ということである。
「そういうことなら、大丈夫」
最初の藩への紹介は、種茂がやってくれる。
その後の藩の取引は藩主や姫の仕事だ。
鈴は別口で市場開拓を行い、販路を広げるのが狙いである。
「江戸で売りさばいたその手腕、期待しているわ。リン」
「イロハも、売り物が届いていないからって負けないでよ」
ふふ、と二人はかすかにほほ笑んだ。
「なるほどねぇ、だから僕とリンで先に開拓するわけか」
「そういうこと」
仙台にとって有利な点と、不利な点がある。
まず有利な点として、商品量の多さと種類では仙台が圧倒的に上である。
急遽参加することになった高鍋藩と薩摩藩は、目玉商品こそあれど仙台ほど種類は多くない。
そして売り手の面でも有利だ。
仙台側には鈴とトシがおり、二人がイロハとは別の市場で商品を捌けることも大きい。
こう言っては何だが、藩主に売り込むよりはかなり気が楽だし売り捌く自信もある。
藩の代表者が交渉に回る高鍋藩や薩摩藩にはできない戦法である。
逆に不利な点は手元に商品がほとんどないこと、これに尽きる。
うーん、とトシが唸り声をあげる。
「今まで商品が手元にあったから、商談もやりやすかったけどね」
つまり、行き交う人々に売って数を稼ぐのは現実的ではない。
太田庵のような大店を探して、そこに売り込むのが現実的だ。
こういう時に薩摩のような一点突破の武器があると、売り込みやすい。
島津でいえばあの高級な唐物なら、それだけを目当てに商談を持ち掛けられるからだ。
「そういえば、薩摩側のあの荷物ってどうやって届いたの?」
「妹さんが物資を届けてくれたんだって」
ちなみにミクニは薩摩の黒い帆の船の方に乗り込んでいる。
家出中のミクニはバツが悪そうだったが、追ってきたのが重豪でなく妹さんだったことで事なきを得たらしい。
どうやら猫の件はまだ許していないらしいが、しっかりと物資は受け取っていた。
公と私事を切り替えられるのは流石大藩の姫である。
佐賀藩にたどり着くまであと少し。
鈴はどうやって手元にない商品を売っていくのか、考えを巡らせた。
---
「お小遣いください」
「……なんですって?」
佐賀藩の鍋島城下に到着して荷下ろしが終わったあと、これから鍋島城に乗り込もうとしているイロハに向かって鈴はおねだりした。
江戸で商売を経験して、鈴が学んだ大事なことがある。
何事も最初に銭を用意しておかなければ始められないということだ。
鈴の真剣な目に折れたのか、イロハはため息を吐く。
イロハは深く聞かなかった。
こちらはこちらで任せてくれる、ということなのだろう。
「ニホ。ついて行ってあげて」
「かしこまりました」
侍女のニホが付いてきてくれるらしい。
鈴たちは鍋島城に向かう皆を見送った。
「今日もよろしくね、ニホさん」
「はい」
トシが笑うと、ニホも少しだけ微笑んだ。
どうやら既に交流はあるらしい。
まずはどうしようか。
「あ、リン。ちょっと待って!」
「ミクニ?」
これから城下へ向かおうとしたその時、ミクニが一人の女の子の手を引いて近づいてくる。
「お願い! この子と猫、少しの間でいいから預かって!」
「え?」
「ちゃんとお礼はするから! ね?」
お願い、と言われれば鈴に断る術はない。
忘れてしまいがちだが、ミクニは大藩のお姫様なのである。
「わかった、いいよ」
「ありがと! お礼は期待してていいから! 茂、挨拶」
「茂です、よろしくお願いいたします」
ミクニの妹の茂姫は深々と礼をする。
薩摩訛りもなく仕草も流麗で、本当に絵にかいたような姫君である。
ただし、その身体中に大量の猫をまとわりつかせていなければ、の話だが。
薩摩の護衛は二人着くようで頼もしい限りである。
「じゃ、またあとでね!」
「うん、行ってらっしゃい」
競争相手ということを忘れさせる快活な笑顔で、ミクニは城へと向かって行った。
「ご迷惑をおかけいたします、リン様」
「リンでいいよ。あ、すみません。いいですよ」
くすくすと茂姫は笑う。
「話しやすいようにしていただいて構いません。姉で慣れておりますので」
こうして賑やかになった一行と共に、城下の探索が始まった。
---
「あの、お三方」
「はい?」
「どうして、今度は団子を食べているのですか?」
ぶらぶらと特に何をするわけでもなく、城下街を歩きながら食べ歩きする三人に、ニホは質問した。
イロハ姫からついて行くよう指示がありついてきたニホは、彼女たちの行動の意味が分からない。
団子を一本買い、三人で一玉ずつ分けているのは、何か意味があることなのだろうか。
「……ごめんなさい、次からは二つ頼むことにします」
「いえ、そういうことではなく」
鈴とトシに勧められるまま、茂姫は楽しそうに団子を口にしていた。
イロハ姫が藩で売り込むのとは別に、鈴たちは市場で販路を開拓すると聞いていたのだが、どういうことだろうか。
先ほどはおにぎり、その前は串焼き、その前のアレはよくわからない……卵料理だろうか?
失礼とは思ったが、食べ歩いているだけなので遊んでいるようにしか見えない。
この数日間に仙台の未来がかかっているというのに、という思いがニホの中にあった。
「それと猫は置いてくるべきではないかと」
「離してくれないのです。仕方ありません」
親猫は鈴のそばにいることの方が多いが、子猫たちの方は茂姫の方に引っ付いていることの方が多い。
まだ手のひらに乗るくらいだというのに、子猫というのは親離れするのが早いのだろうか。
茂姫は「仕方ない」といいつつも、置いてくるという選択肢は初めからなかったかのように思える。
トシが「んー」と背伸びをする。
「どう思う、リン?」
「仙台とはかなり文化が違うね。使われている味噌の味もちょっと薄いかな?」
「なにがですか?」
トシと鈴に挟まれた茂姫が首をかしげる。
ニホも何のことを言っているのか理解できなかった。
「使われている味噌の話。僕らの主力だからさ」
「でも、このままだと馴染むまで時間がかかりそう。田楽とか、焼きおにぎりとか、味噌の味がそのまま伝わらない物の方が売れそうかな」
茂姫が感心したように二人を見つめていた。
ニホも驚いた。
遊んでいるのではない。
仙台の商品がどうすれば受け入れられるのか、彼女は調査していたのである。
「あと、今まで見たことない人がいるね。あれが南蛮人ってやつなのかな?」
「あの人たちには味噌よりも鮫製品の方が売れるかもね。食事処よりも大きな商家でよく見るし」
「お二人は商売慣れしているのですね」
茂姫の言葉に、鈴とトシは笑い合う。
「そうかもね」
「江戸では苦労したからねぇ」
そう言って、三人は次の店へと足を運ぶ。
一軒も商談をすることなく、その日は終わった。
だが鈴は城下で見た店の数や客層、使われている味噌の種類や売れ筋の商品を頭の中で整理していた。
最初から何も変わっていない状況だったが、不思議とニホの不安は薄くなっていた。
---
「姉上、お帰りなさい」
「ただいま茂! お姉ちゃん、頑張ったよ」
今日は特に何をするわけでもなく、ただ街を見歩いて薩摩船に戻った茂姫は姉の帰還を出迎えた。
その表情を見るに、成果はあったらしい。
「藩自体には売れなかったけど、武家の人たちには好調でね。数日もすれば完売しそうだよ」
「それは何よりでございます」
姉からこの商談の話は聞いている。
売れる物の額が高いだけあって、今のところ薩摩が頭一つ二つ抜けている売り上げだそうだ。
堅実に売り上げを伸ばしているのが高鍋藩の秋月様、上級武士から下級武士まで客層が広かったとのこと。
逆に売るのに苦労しているのが仙台藩のイロハ様である。
「まぁ売るものが届いていないんじゃ、仕方ないよ。むしろ手持ちの見本品だけで、藩主にいくつか買い取らせていたのはスゴかった」
「イロハ様も商売上手なのでございますね」
そうだね、とミクニは笑った。
「そっちはどうだった? 楽しかった?」
「こんな一日は初めてでございました」
初めて城下街を出歩き、気風の良い人たちと楽しく過ごせたこと。
特に意味がないと思っていた行動にも、意味があったこと。
猫が目立ちすぎて人が集まり、護衛の人が大変だったこと。
「江戸に行く前の良い思い出になりました。きっと忘れません」
「……うん。それなら、よかったよ」
普段は明るく快活な性格の姉だが、彼女が非常に細かな点に気が付く気配り者であることを茂姫は知っている。
父がこうして荷を届けさせるという名目で茂姫を向かわせたのも、ミクニの性格をよく知っていたからだろう。
湿っぽい話にはしたくない。
以前読んだ異国の物語には、「別れはハッピーエンドでなければならない」と書かれていた。
だから茂姫も自分が見て聞いてきたこと、考えたことををできるだけ楽しげにミクニへ話した。
きっとこの思い出が、遠い江戸の地に行ったときに手元に残った財産になることを願って。
島津茂姫は、徳川家斉の正室ですね。




