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鏡の名君

潮風に三人の長い髪が揺れた。

髪を押さえる二人を見て、気になってリンが尋ねてみる。


「そういえば、二人ともあまり結わないんだね、髪」


未婚の姫には複雑な髪型も多いと聞いていたので、ふと疑問に思った。

二人は顔を見合わせる。


「あなたもじゃない」

「だって、私まだ成人してないし」


ちゃんと結おうとすると時間もかかる。

正直、面倒だった。

日常ではほとんど垂髪を後ろで束ねているだけなので、公の場で結おうとするとたまに失敗する。


「私は時と場所を考えているだけ。こんな潮風の中で、油使って結おうとは思わないわ」


イロハの髪が風でなびく。

確かにお城で見た時のイロハはどこからどう見ても姫君であった。

今は船という閉鎖空間なので、多少崩しても文句を言う人はいない。


「私は、結うと汗がすごくてねー。公の場じゃない限りこの髪型だよ」


そう言ってミクニは馬の尾のように後ろで一つに束ねた髪を揺らす。

というか公の場で見た時も同じ髪型だった気がするが、そこは言わない方がいいのかもしれない。

イロハは「はぁ」とため息をつく。


「もうすぐ高鍋藩に着くわ。ちゃんと服を整えてね」

「はーい」

「……なんでミクニが返事するのよ?」


仙台の政のはずなのだが、一番やる気を出しているのはミクニのような気がした。

ミクニは不思議そうに首をかしげる。


「まさかとは思うけど、交渉についてくる気じゃないでしょうね?」

「ついて行かなくていいの?」

「当たり前でしょ」


イロハの言葉に、「そっかぁ」とミクニは残念そうにした。


「あの唐物、どれくらいの値打ちがあるか、知っている人がいるといいと思ったんだけどなぁ」

「……」


イロハは鈴を見る。

鈴は首を振った。わかるはずもない。


イロハは周囲の者たちを見回したが、誰も首を縦に振らなかった。

ミクニは「にっ」と笑った。


「ついて行かなくて、いいの?」

「……交渉するのは、私たち。いいわね」

ミクニは元気よく「はーい」と返事した。




日向の国、高鍋藩は紹介元の上杉治憲が元いた藩である。


鈴は治憲の紹介によって味噌、塩、そして鮫製品などを買い取ってもらった。

買い取ってもらったと言ってもほとんど物々交換で、主に高鍋藩特産の酒や茶と交換である。

そんな縁でやってくることになった高鍋藩。


「……様子がおかしいわね」


調べによれば、日向の国は飢饉の影響が少ないと聞いていたのだが、城下街には活気がないような気がした。

鈴たちは上陸用の船に乗って城下街にたどり着くが、やはりにぎわっているという雰囲気ではない。


(それでも、仙台に比べればはるかに活気があるんだけどね)

一抹の不安を抱えながら鈴達は高鍋城を目指した。






---

鈴たちは藩主が住む屋敷の客間へと通された。

仙台でのあの家老全員勢ぞろいした会議を想像していた鈴は、それだけでも胸を撫でおろす。


鈴、イロハ、ミクニはみんな髪を結って整えており、服も糊が効いたものに着替えている。

特にミクニはいつもの半裸の恰好でなく、ちゃんとした服装である。


イロハの侍女ニホが船で、張り切って皆を着付けてくれた。

ちゃんとおめかししたイロハとミクニは、相当な器量持ちである。


「やっぱり、鮫の油いいね。いい匂いがする」

「でしょ?」


小声で話すミクニと鈴。

イロハは軽く咳払いして二人を黙らせた。


「殿が、いらっしゃいました」


小姓の言葉に三人は平伏する。

以前、江戸の高鍋藩で会ったのは家老の方だった。

だが話の大きさから考えると藩主自ら来てもおかしくない、とは予想していた。


(でもそうなると、私と繋がりがあるかは少し疑問なんだけどね……)


そうなった場合の鈴は最初の挨拶だけで、あとは何も話さなくてもよいとイロハから言われていた。


藩主と話す機会などそうそうあってほしくないので、そうなれば鈴としては嬉しい限りであった。

襖が開く音と共に、足音が近づいてくる。


「面を上げてくれ、近くで話そう」


その言葉に三人は顔を上げた。

だがその顔を見た瞬間、鈴だけ驚愕の表情を浮かべる。


「上杉、治憲様」


ぎょっと目を見開くイロハとミクニ。

治憲とうり二つの顔の男は、困ったような笑顔を浮かべた。


高鍋藩主、秋月種茂。

今代の名君とされる上杉治憲の、実の兄であった。




「秋月種茂だ。其方がおりんだな。松三郎……上杉治憲から話はよく聞いている」

「は、はい……」


上杉治憲から?


そう思ったが、目の前の男は治憲より幾つか年上に見えた。

穏やかな笑みの奥には、幾度も政の荒波を越えてきた者だけが持つ静かな重みがあった。


種茂は話し始める。


「治憲は私の弟だ。江戸で其方と会うことができなかったのは、本当に残念でならない」

「ご兄弟だったのですね。ご無礼申し上げました」

よい、と種茂は手のひらを向ける。


なるほど確かに似ている。

話し方も、口調も、接し方も。


(……ひょっとして。治憲様の方が種茂様を見習っていた、とか)

見たところ兄弟仲もよさそうだし、十分あり得そうだ。


「味噌を売り込みに来た女子がいる、と治憲から愉快な文が届いてな。お主がいる間の江戸では、話題には事欠かなかった」

「きょ、恐縮です」


それから二年前の江戸の話で、しばらく盛り上がる。

治憲の藩邸に来て味噌を売り込んだこと、高鍋藩に仙台商品を持ち込んだこと、そのほか諸々。


イロハはハラハラと話を聞き、ミクニはキラキラと目を輝かせて聞いていた。

話が一区切りしたところで、種茂は息をつく。


「陸奥の国は、特にひどいそうだな」

「はい……皆その日食うのも困る有様で。比較的飢饉の影響が少ないと聞いていた西海道に、米を買い付けに来たのですが……」

鈴が一旦言葉を区切ると、種茂も目を伏せる。


「……城下を見たであろう。私も早い段階から飢饉対策はしてきたのだがな。この飢饉は全国に広がっていて、民が食えるようにするだけで手いっぱいだった」


十分凄い功績だと思った。


仙台では、その民が食うのに困って餓死者が出るほどの被害が出ている。

奥州の北方は言葉にできないほどの状況で、地獄のようになっているとも聞く。


(……だけど、そうすると。私たちの当ては外れてしまったことになるんだよね)

うーん、と鈴はどうしようか悩む。


「種茂様、お伺いしてもよろしいでしょうか」

良案が浮かばない現状に悩んでいると、イロハが凛とした声を上げる。

種茂はイロハの方へと向き直った。


「伊達重村の娘。五郎八と申します」

「伊達殿か。遠方からよく参られた。して、伺いたいこととは?」

「飢饉の影響が少ない、西海道の国はご存知でしょうか」


あ、そうか。と鈴は思い至る。

飢饉の影響が比較的少ないとされていたのは「西海道の国々」であって、高鍋藩単体ではない。

大阪では「高鍋藩は餓死者がいないそうだ」くらいの情報しかわからなかった。


もしかすると、他に傷の浅い……むしろ豊作の国もあるかもしれない。

種茂は頷く。


「比較的被害が薄く、米に余裕があるのは佐賀藩だ」




佐賀藩は有田焼などの陶磁器生産で知られる。

そして海外との交易によって富を得ており、米の生産力も高い大藩である。


「このご時世、そんな藩もあるのですね」

「だが、その海外貿易が弱みでもある」

弱み? と鈴とイロハは疑問に思う。


「なんだと思う?」

鈴とイロハは顔を見合わせる。


海外貿易ができる藩は少ない。

勝手な想像だが、莫大な富を築くことができる仕組みだと思っていた。そこに弱みなんてあるのだろうか。


「警備の費用です」

ミクニのその一言に、種茂がうなずく。


「その通りだ、お主は?」

「島津重豪の娘、御國と申します」


鈴は内心、かなり驚いた。


立ち振る舞いやその作法……どこからどう見ても、立派な姫君だった。

いつもの姿を知っている鈴には、その変化が信じられないほどだった。

種茂は感心した様子で三人を見た。


「まさか、あの薩摩と仙台の人間が、ともにいる姿を見ることになるとは思わなんだ」

「それだけ、この飢饉は深刻だと考えています」

「然り」と種茂は頷いた。


しかし佐賀藩か。

さすがにこの藩は全く伝手がない。

西海道の北東の方へ行った中村奉行と、南西の肥後へ向かった清右衛門の担当区域でもない。


江戸でやったみたいに徐々に関係を深めていくなら方法はあるかもしれないが、時間が限られている。

あと十日足らず……いや、荷物の受け渡しを考えると8日ほどだろうか。


悠長にしていたら積んだ荷物を、そのまま持って帰ることになりかねなかった。

鈴が悩んでいると、イロハが種茂に頭を下げる。


「種茂様に、お願いしたいことがございます」

「うむ……聞こう」

「佐賀藩に、我々を紹介してはいただけませんか?」


なるほど、西海道の国の方に紹介してもらうという方法があるのか。

だけどこれが商売であるなら、種茂にも利点がなければならない。


イロハはどのような条件を出すのだろうか。

種茂もその言葉を待っている。


「私たちの商品は、味噌、塩、鮫製品、薬。そして薩摩で手に入れた唐物です」

「うむ」

「この商品に加えて高鍋藩の酒と茶を、佐賀藩に売るのはいかがでしょうか?」


……つまり、どういうことだ?

佐賀藩に鈴たちを紹介してもらう代わりに、高鍋藩の商品も売ってきてあげる、ということだろうか。


(高鍋藩が受ける利点がないように思うけど……)


案の定、種茂は表情を変えていない。

これは商談失敗の流れだと直感で感じた。


だが、イロハは言葉を続ける。


「藩に売った利益は、商品の所有者全員で配分する、という方法でいかがでしょうか?」

配分って等分するってことだろうか?

それは、不味くないイロハ?


だって一番商品持ってきたの、自分たちなんだよ。

だが鈴以外の皆は面白そうに顔を突き合わせた。


「藩に売った利益を配分、だな?」

「その通りです」

「んん! それなら私も、もっと持ってくればよかった……!」


どういうことだろう。

鈴だけがその意味を最後まで理解できていなかった。

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