西海道への道のり
喜二郎と鈴は仙台藩からの命令を受けて登城した。
厳密には喜二郎が送った手紙によるお招きだったが、藩としての体裁があるからだ。
米を仙台藩に渡したときに入った大広間に通され、喜二郎と鈴は平伏する。
「喜二郎。はせ参じてございます」
「近うよれ」
広い畳敷きの部屋にいるのは、わずか六人だけだった。
伊達重村、その娘のイロハ。
知恵袋の清右衛門。そして家老。
前みたいに居並ぶ家老たちの談義を想像していた鈴は、少し胸を撫でおろした。
(だったらこんな大きな部屋でなくてもよかったと思うけど……)
そこはなにかしらの理由があるに違いない。
そして喜二郎だけでなく、鈴まで呼ばれた理由は分からなかったが。
今まで鈴が矢面に立ってきたのは、喜二郎がいなかったからだ。
彼が戻ってきた以上、鈴の役目も終えたものだと思っていた。
鈴と喜二郎は重村の言葉通り膝行しながら前へ進んだ。
「人手が足りん」
重村は重々しくそう言い放った。
鈴はその意図を理解できなかった。
喜二郎がわずかに顔を上げて問い返す。
「と、おっしゃいますと」
「そちが文で申していた通り、もはや米のある藩からの奪い合いだ。それ故、この時期に外交能力があるものをどれだけ動かせるかがカギになる」
そこで外交経験のある喜二郎が呼ばれたのだろう。
喜二郎もそれを察したのだろう、神妙にうなずいていた。
「加賀に伝手があるのはそちしかおらん。お主に行ってもらう」
「御意」
「だが其方の文にある西海道は、仙台藩で伝手のあるものはおらぬ。伝手があれば交渉を始められるが、この飢饉で取りなすのは向こうも難しいであろう」
江戸で築く交流は遠方よりも近隣諸国の方を重要視される。
そして近隣の国々が、ほぼ壊滅状態なのだ。
伝手もなく、いきなり交渉できる人なんてそうそういるわけではない。
「工藤様ならば、無手からでも交渉できるお方だと存じていますが……」
「あやつは今蝦夷におる。戻せん」
工藤という人が交渉の達人らしい、そんな人材がいたのであればこの時こそ必要だと思うのだが。
鈴が理解する前に、喜二郎と重村の間で次々議題が上がっては解けていく。
話が早すぎる。鈴の頭ではついていけない。
見るとイロハも難しい顔をしている。
清右衛門と家老は何とか話についていけているようだった。
「西海道にゆかりのある人物がいればその者に交渉を任せたいが、贅沢は言えぬ。そのため西海道の北東にはこの中村、南西には清右衛門を遣わす。詳しい情報は大阪で集め、それぞれ藩を定めよ」
西海道は薩摩があるところだ。
たしかに薩摩の近くだと清右衛門以外では諍いになりそうである。
納得の人選だった。
「だが西海道のどこの藩が米を持っているか、確実な情報はない。そしてこの飢饉において交渉に乗ってくるかも半分賭けだ。できれば西海道のすべての藩に交渉をしたいが、そうもいかぬだろう。用意できる船の数を考えても、喜二郎を含め四藩が限界だ」
なるほど。
ということは、あと一つの藩は重村が行くのだろう。
それなら、薩摩で情報集めでいいのではないだろうか。
いやそうか。薩摩がその情報を売ってくれるとは限らないのかもしれない。
(西海道って、九国ある南方の国々だよね。……薩摩と日向しか知らないけど)
あまり関係のない話だと思っていたら、ちらりと喜二郎が鈴を見た。
「一藩だけ、適任者がおります。西海道の日向の藩ともゆかりがあり、交流をしたことがある人物です」
「ほぅ」
喜二郎がそう言って、鈴を見つめる。
ちょっと、叔父上。……まさか。
「高鍋藩。お主が以前、江戸で取引した藩だ」
部屋が、しんと静まり返る。
喜二郎以外のすべての視線が、鈴に集まった。
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その日は仙台城の客間に泊まることになった。
その一室で、鈴はべそべそ泣いていた。
「うぅぅ……何でいつも難題ばかり……無理だよぅ、叔父上ぇ」
会議に決着がつき、あてがわれた部屋で鈴は丸まって泣いていた。
「心細いのはわかる。大役をまかせてすまないとも思う。……だが、それでもリンが築いたつながりが必要なのだ。力を貸してほしい」
「無理だよぅ……」
今まで、藩と藩のような大きな交渉の場で、鈴が役に立った試しがない。
江戸での薩摩との取引なんて、清右衛門に丸投げしてしまった商談なのだ。
他の藩でも大体は家老やその部下との取り引きで、直接対峙したのはあの優しくて温厚な治憲様だけである。
そしてこの仙台城で行われた御前会議では、謀反の汚名まで着せかけられて、完膚なきまでに叩き潰された。
あの恐怖は鈴の脳裏から簡単に消えてくれない。
喜二郎が戻って来てくれて、ようやく安心できたと思ったのにこんな仕打ち。
あんまりである。
だがどんなに懇願しても、喜二郎は困ったような顔をするだけで許してくれない。
同じ年ごろの頃、堰で鈴ができないと言ったときは許してくれたのに。
「今までも、乗り越えてきただろう?」
「だって私の力じゃないもん。皆が何とかしてくれただけで、私には無理だよぅ……」
「……これは某への貸しにしてくれていい。なんでもひとつ、お主の言うことを聞こう」
鈴はそれに答えず、蹲った。
疲れて眠るまで、鈴はいつまでもその場で泣き続けていた。
夜が明け、細かい話を詰める会議の場となっていても鈴は心の中で泣き叫んでいた。
そしてみるみるうちに準備が整い、向かう人選も決まって船出の日が迫る。
今回、鈴に同行する仲間はトシだけだ。
六郎太と芳は村のことがあり動けない。
仁八は、いないと肉が不足するため行けない。
三吉は重村につかまり、各地へ売る鮫製品の準備のため残ることになった。
子供二人で、藩と直接交渉。
しかも藩の重役とかではなく、藩医という中級武士の娘、そして名主の家の子供。
馬鹿にしているのか、と切り捨てられてもおかしくない人選ではないだろうか。
「頑張ってね、リン。トシ。無事に戻って来てよ」
「うん、母ちゃんもしっかりね」
手を振る芳たち村の衆に見送られ、鈴とトシは港へ向かった。
二人の傍らには妊娠した猫のシャミと、その番と思われるミカンがいる。
「途中まで薩摩行きの船に行くんでしょ? ならミクニ様に猫を譲ろうよ」
そう言って連れてきたのだが、長旅になるのに大丈夫だろうか。
不安なまま港に向かう。
交渉材料の味噌、塩、鮫製品、そして三吉の新作の渦巻き味噌肉を大量に乗せた船が、すでに港を発つ準備をしていた。
気の重いまま、船頭が待つ桟橋まで歩く。
「準備はできたわね? リン」
「え?」
桟橋で待っていたのは船頭だけでなかった。
「じゃあ行きましょう。仙台の未来が私たちにかかっているわ」
重村の娘、イロハが待っていた。
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「そしたら治憲様が、鮫油だけ買い取ってくれたんです」
「面白いわね、もっと聞かせて頂戴」
船旅が始まって一刻も経たぬうちに、トシとイロハは打ち解けていた。
状況を呑み込めないでいた鈴に代わって、トシがイロハの相手をしている形である。
イロハが「江戸での交渉の話を聞きたいわ、全部」と言ったことで、同行していたトシが快活に話し出したのがきっかけだ。
彼女の姿はいつものお姫様の服ではなく、旅に適した礼装である。
だがそれも木綿でできたもので、ちょっと潮風が当たると皺ができていた。
鈴の視線に気が付いたのか、イロハは少し照れ臭そうに笑う。
「高鍋藩に着く前には着替えるわ。そんなに見ないで」
「あ、うん。ゴメンね」
あれだけ重大な話をしていたのに、イロハはもう船旅そのものを楽しんでいるようだった。
……こういう切り替えの早さも、上に立つ人には必要なのだろうか。
この心の強さが鈴にもあったら、と思わずにいられない。
「この船は人しか乗せていないから、足が早いわ。船乗りも熟練者ばかりで、大阪に寄ったとしても十日程度で薩摩に着く予定よ」
「十日で? すごい早さだね」
聞くと船頭も水夫も熟練者ばかりらしい。
それくらいこの旅路に仙台の未来を掛けていることが伺えた。
逆に積み荷を満載にした船が付くのは約二十日後とのことだ。
その荷が届くまでが、鈴たちに残された交渉時間だった。
足元にポテポテと歩きながら近寄ってくる猫のシャミを抱き上げ、水平線を見た。
不安を抱えながらの旅路ではあるが、もうこうなった以上腹をくくるしかない。
何度も奮い立たせた覚悟を、もう一度だけ鈴は胸に刻んだ。
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船旅は順調だった。
大きな嵐にも遭うことなく時折降る雨で水を確保し、薩摩を目指す。
気持ちを持ち直した鈴も次第に緊張が解けていき、イロハたちと共に猫と戯れる時間が増えていった。
船乗りたちも最初は苦笑していたが、いつしか猫たちは船中の人気者になっていた。
「もっと見たかったね、大阪」
トシが残念そうにつぶやく。
大阪には情報集めと水の補給だけですぐに出立してしまったからだ。
大阪ではちょっとした騒ぎもあったが、今は置いておこう。
「あら。トシは大阪に興味があるのかしら?」
「うん、商売するなら大阪って言うじゃん……言いますし」
だいぶ打ち解けてきたが、トシは言葉遣いを直す。
イロハは気にしないようだったが、周りの目はそうもいかないからである。
ちなみに鈴は大阪に複雑な思いを抱いていた。
あの真田幸村が散った地であり、誉を得た戦場の舞台でもある。
徳川と豊臣最後の戦い、大阪の陣。
それから百年以上経つ。すでに戦火の傷跡もすっかり癒えていた。
「でも、今川焼っていっても通じなかったときはどうしようかと思ったよ」
同じ菓子でも土地が変わると呼び名まで変わる。
鈴のつぶやきに「それね」「それなー」と二人は同意してくれた。
大阪の今川焼……回転焼きは、あんこがたっぷり入っていて、とても美味しかった。
さすがにこの旅路で一汁一菜を持ち出すほど度量の狭い人は船に乗っておらず、清右衛門も苦笑いしながら鈴たちを見ていた。
そんな和やかな気持ちが続き、船は四国の南の海を通り過ぎる。
途中そこでもひと悶着あったのだが……まぁ、それも何とかなった。
仙台の船は風を味方につけ、南の海路を突き進む。
そして、ようやく目的地の港が見えてきた。
「すごい、これが……」
港には見たこともないほど多くの船が並び、人の声が風に乗って聞こえてくる。
黒々とした山並みの向こうに、見慣れぬ大きな城下町が広がっていた。
西海道の雄。薩摩。
鈴たちの担当の藩に行くための許可証を、ここで得る必要がある。
今回は清右衛門が全面的に味方になってくれるので心強かったが、その先の交渉が待ち構えていると思うと楽観もできなかった。




