章末:それぞれの価値
「いやぁ、ボタンがあそこまで旨いなんてなぁ、また作ってくれよ六郎太」
「今はそれどころじゃないんだけどな、まあいいよ。あと、あんまり声に出すなよ。それ」
三吉と並びながら六郎太が肩をすくめる。
一汁一菜を徹底しているこのご時世、肉食をしていることを話すのは憚られる。
「あ~……なんか顔暗いしな。なんかあったのかリン?」
「まぁ、ね。ちょっと難題が」
鈴は苦笑いした。
それを聞いた三吉が笑いだす。
「まぁた難題かよ。お前は飽きねぇな」
「好きでいつも難題を抱えているわけじゃないんだよぉ……」
気が付いたらいつもそうなっているのだ。
なんでそうなるのか鈴自身も分からないのに。
「そんなに難しい顔するなって。いざとなったら喜二郎に頼ればいいじゃねぇか」
「そのキジ兄を頼れないのが、今回なんだぞ」
六郎太のその言葉を聞いて、三吉は顔色を変えた。
「……俺、いきなり不安になってきた」
「だからそう言っているじゃない」
いままでは、どうにもならないことは喜二郎を頼ることができた。
しかし、今回は何も対策が思いつかないのに喜二郎を頼ることができない。
まぁこういうこともあるよな、と三吉は頭を振った。
「そういや蒲鉾持ってきたぞ、猫の餌そろそろなくなるだろ?」
「ん、ありがと。三吉」
猫たちは米が無くなっても相変わらず蔵を見張っている。
その愛くるしい姿は、殺伐としたこの季節の一服の癒しになっていた。
「なんでか、みんな私の元に集まってくるんだよね」
「それは事件が? それとも猫が?」
「……両方だよ」
かっかっか、と三吉は笑った。
皆が食べられて、誰でも作れて、それでいて祝いの席に並べられる料理。
そんな都合のいいものがあるなら、誰も苦労しない。
「あー? 蕎麦ならいいじゃねぇ?」
「特別感がないよ、蕎麦じゃ……」
そう言いかけて、鈴は考え直す。
蕎麦。
……蕎麦なら、どうだろうか。
皆なじみ深く、仙台藩も栽培を推奨していて、茹でるだけで食べられる。
「今までになかった特別な料理」という条件以外は、すべて満たしている。
特別感さえあれば、祝い事……そういう席にだしても大丈夫なものにできないだろうか?
ボタン鍋ばかりに意識が行っていたが、なにも肉料理を主役にする必要はないのではないか。
なんか、あと少し。
あと少しで何か、引っかかりそうな気がする。
釣り竿の先がピクピク震える、そんな感覚。
黙り込んだ鈴に、三吉は不貞腐れたように唇を尖らせる。
「なんだよぉ、特別感って。それなら俺の蒲鉾でオカメ蕎麦にすれば縁起いいじゃねぇか」
祝い……縁起……。
祝いの主役は縁起がいいもの。
そして普段はできない、特別なもの。
「あ―――!」
最後に足りなかった特別感が、いま釣り上げられた気がした。
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「肉入りの蕎麦にしよう」
鈴たちが呼び出されて言い渡された大きな催し。
皆が集まった広間で、鈴は皆に事情を説明した。
「肉入りの蕎麦って、ボタンが入った蕎麦ってことか?」
「そう」
蕎麦なら誰でも作れる。
肉は祝いの特別感になる。
しかも鍋ほど大量のイノシシもいらない。
鈴の中ではもうそれしか答えが浮かばなかったが、集まった皆はあまりいい反応ではなかった。
その中で、皆が疑問に思っていることをトシが聞く。
「それって、味噌味の蕎麦ってこと?」
「あっ……」
そこで、鈴は思い出した。
味噌で作った蕎麦は、普通の蕎麦よりも味が劣る。
米絶ちの時に鈴が散々考えて工夫し、それでも江戸の蕎麦に敵わなかった経験を、ここにいる者たちは知っていた。
蕎麦は醤油の汁で食べるから美味しいのだ。
あの喉越しは醤油以外では生み出せない。
「ぼ、ボタンを醤油漬けにすれば……」
「仙台では醤油が手に入りにくいからって、味噌にしてたじゃん」
だめだった、これでは催し物の条件を満たせない。
鈴はがっくり肩を落とした。
「でも……面白そうだね、色々試してみようよ!」
「そうね。もう少しで蕎麦も収穫できるし、ちょっとは余裕あるわよ」
トシの意見に芳も賛成する。
研究の日々の幕開けだった。
この研究の日々に一番気合が入っていたのは、何と三吉だった。
それはもう、名主の家に泊まりこんでの研究である。
「最近は鮫で新しいもんも作り尽くしちまってな。ちょっと退屈してたんだ」
そう言って三吉は嬉々として筆と紙に何かを書きなぐっていた。
「ボタンを、肉と分からないような見た目にできればいいんだけど」
「なるほどなぁ、考えてみるぜ」
実に楽しそうだ。
これが藩の一大行事でなかったら鈴も楽しめたかもしれないが、今は責任の重さの方に引っ張られている。
ひとまず肉の見た目については三吉に任せた。
他の皆は蕎麦と肉をどう融合させるかを話し合った。
「やっぱり蕎麦はあっさりした醤油の方がおいしいよね」
「そうだね。僕もそう思う」
試作品の蕎麦をすすりながら、一番最初に作った比較対象の醤油蕎麦が一番おいしいという結論だった。
何度も失敗しながら、次の案をあの手この手で考える。
「醤油も味噌の親戚みたいなものだし、何か考えてみるわ」
三吉に負けるわけにはいかない、と芳もやる気を出している。
味噌と醤油の配合を考えたり、醤油の皿と味噌の皿を分けて蕎麦を入れたりと試していた。
幸い試食してくれる人には困らない、この村は空腹の人ばかりだ。
それから数日経ち、良案が出ないまま三吉の方が先に完成品を出してきた。
「どうよ、このナルト。縁起いいだろ?」
「わっ、可愛い!」
それは渦巻き状に丸めた肉を輪切りにしたナルトだった。
なるほど、これならなじみ深い。
一見して肉と分からないのもよかった。
三吉は上機嫌に、そばにあった試作品の蕎麦を手に取って飾り付ける。
「ほらよ、これぞオカメ蕎麦改だ!」
「あ、三吉。それ醤油の……」
蕎麦なんだけど、と言おうとして三吉の手元を見つめる。
味噌で下味を付けた肉が、澄んだ醤油の汁に浮かんでいる。
(……あれ?)
肉だけ味噌なら、汁は醤油のままでいいんじゃない?
そんな単純な答えを思いつかなかったことに、全員が唖然となる。
「ほほぅ、ウメェじゃねぇか。自分で作っといてなんだが、いけるぜこれはよ!」
ほら食ってみろ、と差し出され食べかけの蕎麦を鈴は受け取る。
そこには半分かじられた目玉役のナルトが、悲し気に鈴をみているような表情をしていた。
それを口に入れ、蕎麦の汁をすすり、蕎麦を食べる。
「……おいひぃ」
何十年も鮫の研究を行ってきた三吉に、発想という分野ではまったく歯が立たなかった。
悔しくもあったが、それが今まで彼が作り上げてきた個性なんだなと改めて鈴は納得した。
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「見事だ」
ふるまいの品が出来上がった旨をナナシ経由で城に伝えると、次の日には呼び出された。
例のごとく喜二郎の家での会食である。
鈴側は料理人の六郎太と、発案者の三吉が同席していた。
出来上がった蕎麦をナナシが毒見として啜り、次いで重村とイロハが口をつける。
「恐れ入ります」
鈴は深々と頭を下げた。
六郎太も同じように頭を下げ、三吉も遅れて頭を下げる。
三吉は明らかに怯えた表情で縮こまっていた。
「しかし、蕎麦と絡めるとは面白い発想だ」
「ええ、これなら肉を直接食べるよりも、受け入れやすいのはよい点です」
食べるのがもったいないくらいに綺麗に飾り付けられた椀を見て、お上の二人が感嘆の声を上げる。
「仰る通りです。三吉が見た目を、六郎太が調理を工夫してくれました。皆で考えた料理にございます」
「うむ、ではこのナルトは?」
「この三吉が考えました」
「ちょっ……」
いきなり名前を出され、二人の視線が三吉に集まる。
「そちは、たしか鮫製品を作っていた者だな」
「は、はい。そうです」
「儂がそちを召し抱える、と申したらどうする?」
その時の三吉の表情は、一生涯忘れることができないものだと鈴は思った。
「父上、それはなりません」
隣に座っていたイロハが首を振る。
引き留めてくれた少女に、三吉の表情が地獄に仏を得たように輝いた。
「これは私の職人です。勝手に引き抜いてもらっては困ります」
「……そうなのか。ならば、後で話し合おう」
知らぬ間に引っこ抜かれていたらしい。
三吉の方を見ると、首がもげそうな勢いで横に振っていた。
(……ということは助けてくれているんだろうね。頷くのが正解だよ、三吉)
三吉は今にも泣き出しそうな顔をしていた。
ふぅ、と重村は息をつく。
「これならば、正月の縁起物としてふさわしいだろう」
全て食べ終えた椀を盆に戻し、重村は紙を差し出した。
「こちらは?」
「お主たちが何も出せなかったときの案だった物だ」
拝見します、といって鈴は紙を開く。
そこには夏祭りで行われた御輿担ぎの案や、冬の海で魚を獲ろうという催しまであった。
「……この寒空の中でそれらの案をとらずにすみそうで、儂も胸を撫でおろしておる」
それは捨て身でも藩を盛り上げようという意思を感じる策だった。
イロハは逆に残念そうでもあった。
「私は民の者に直接能を見てもらう案、良いと思ったのですけれど」
「下々の者に、姿を見せる姫がどこにおる」
そう言いながら何度も城を抜け出しているイロハを見て、重村はため息をついた。
「………近々、改めて使いを送る。その時に城の者に指導してくれ」
「承知いたしました」
なんとか面目が保てたことに、鈴は胸を撫でおろした。
三吉は涙を流しながら頭を伏せていた。
こうして正月の振る舞いは決まった。
あとは本番を迎えるだけである。
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城下に太鼓や笛の音が鳴り響く。
藩から振る舞われた御神酒に大人たちは気分を高揚させ、肉入りの蕎麦に舌鼓を打っていた。
「俺ぁ、もう城に行くのはコリゴリだぞ」
「そう言わないでよ、三吉」
皆が楽しく街を歩いている中、三吉だけがげっそりとしていた。
例の蕎麦は城でもなかなかの評判だった。
作り方を伝授するために呼び出された三吉と六郎太は、目上の人たちに囲まれて戦々恐々だったらしい。
六郎太は今も城に詰めており、お偉いさんに料理をふるまっている頃だろう。
城で見かけた六郎太は「オイラ、村の方の取りまとめもあるんだけど……」とぼやきながらも鍋を振るっていた。
だが、料理をしている時の六郎太は生き生きしていた気もする。
正直に言えば城の料理人にも六郎太の腕は負けていない。
長いあいだ喜二郎を支えてきただけあって、目上の人たちにも耐性がある。
「六郎太は特別さ。俺ぁ上の人間とはなるべく関わりたくないぜぇ。……あぁ、喜二郎がいたときは本当にうまく避けてくれてたんだなぁ」
「だからゴメンって」
喜二郎は本当にうまく三吉を隠していたのだろう。
これだけ研究に力を入れられる人間を、藩が見逃すとも思えない。
あの重村でさえ三吉を召し抱えるような話をしていたのだ。
「家帰ったらトミに慰めてもらうぜぇ」
「そういえば三吉の家族に会ったことないね、私。どんな人なの?」
その言葉を待っていたかのように、三吉は饒舌になる。
実家から持ち込まれた見合い話を、喜二郎が調べたうえで強く後押ししてくれたのがきっかけらしい。
最初は乗り気でなかった三吉だったが「お前に必要な人だ、絶対に捕まえろ」と喜二郎が言い、あの手この手で嫁にすることになったそうだ。
いまではもう、見ての通りゾッコンである。
「今度塩釜に来たら紹介するぜぇ。トミとイザもお前に会いたいって言ってたしよ」
「そっか、楽しみ」
城下ではイロハの能が始まったのか、一番の賑わいを見せていた。
向こうからナナシが歩いて来るのを見ると、三吉は立ち上がる。
「俺ぁ、帰る。皆によろしく言っておいてくれ」
「うん。……三吉」
なんだ?と三吉は振り返った。
「ありがと、また助かったよ」
「いいってことよ。またな」
そう言って三吉は手を上げて去っていった。
この冬は長く続く。
それでも、今日は温かい気持ちでいられそうだった。




