可に能わず
「それでは五郎八、後を任せる」
「はい、父上」
そう言って重村は喜二郎の家から去っていった。
見送った鈴であったが、その心境はまさに焦りだった。
(藩主様の言葉を、断れるわけないよぅ……)
提案を出された時点で、もう鈴は頷くしかない。
なんでこうなった。
よりによって仙台藩が主催する正月の振る舞いの品として、ボタン鍋が選ばれるとは思いもよらなかった。
これは仙台城の人間だけに振る舞われるものではない。
城下町の民にも配られる、正月の祝いの一品なのだ。
なんだか、いつも断れなくなることばかりだ。気が重くなる。
「とりあえず、部屋に戻りましょう。リン」
「はい……」
こてん、とイロハが笑顔のまま首をかしげる。
鈴は言い直す。
「うん、イロハ」
「よろしい」
形は違えど、その笑みは父親そっくりの圧力を感じた。
「まさか、こんな大事になるなんて……」
「ごめんなさいね。でも仙台藩も、もう後がないのはわかってほしいの」
部屋に戻ると、鈴はべそべそと泣き始めた。
イロハは慰めるようにその背を優しくなでる。
「倹約令のお陰で、春には他藩から少しは米を買える銭を集めたの」
「え。本当?」
うるんだ目を勢いよく上げて、鈴はイロハを見た。
ええ、とイロハは頷く。
「だけど問題はそこまで仙台が持つかどうか。そして仙台は倹約令を敷いている以上、民を鼓舞する機会はそう多くない」
「だから正月、なんだね」
イロハは頷く。
倹約令のいいところは、言うまでもなく財政の改革を行えることだ。
だがその反面、全員が苦しい思いをするので不満がたまっていく。
「だからこそ、たまには希望を見せなければならないのよ。息抜きとしてね」
民の不満を和らげ、士気を保つには祝い事による演出が欠かせない。
そこで白羽の矢が立ったのが、このボタン鍋だった。
今もっとも仙台の民が欲しているのは、美味しく腹に溜まるもの。
それを祝いの席で特別な一品として出されれば、人々の士気も大いに高まる可能性が高い。
仙台がこの飢饉で士気を保てているのは、あの夏祭りの演出があったからだともいえる。
(でも……)
逆に失敗すれば、どうなるのか。
士気が一気に失われ、それこそ考えうる最悪の結末を迎えるかもしれない。
そう考えると、このボタン鍋は振る舞いの品として適切なのだろうか。
鈴がそう感じたのを察したのか、イロハは指を三つたてる。
「リンが懸念していることはわかるわ。ボタン鍋のままだと失敗する理由は三つある」
「まずはみんなが肉に慣れてないことだよね」
鈴の言葉にイロハは頷く。
食べれば舌鼓を打つことは間違いないが、食べるまでの難易度が高い。
鈴だって最初は穢れを体に取り込むような気がして食べたくなかった。
それを藩の振る舞いとして祝いの席で用意されても、口を付けられなかったら場が凍り付くことも考えられる。
「二つ目は数。仙台の民全員が食べるだけのイノシシを、リンたちは用意できる?」
「みんながお腹いっぱいになる量を用意するのは、無理だよ」
一頭いれば、名主の村が数日持ちこたえられるほどの食料になる。
だが仙台全ての人間が食べるイノシシ……。仁八がいくら腕利きだといっても用意できるはずがない。
イロハも同じように思ったのか「現実的でない」と頷いた。
「三つ目は調理する人。先ほどの様子を見ていた限り、誰でも作れる料理じゃないんでしょう?」
「そうだね。少なくとも私じゃ無理」
ボタン鍋は六郎太の腕前がなければ、ここまで美味しくならない。
村で六郎太の手が足りなくなって他の人が料理した時、それはもうひどい味だった。
「だからみんなに受け入れられて数も用意でき、誰でも作れる……それでいて今までになかったもの。そんな料理が必要なの」
ちょ、ちょっと待ってほしい。
それって……まさに不可能を体現したような条件じゃないだろうか。
鈴は目を潤ませながらイロハを見る。
イロハはニコニコとこちらを見ていた。
(トンチは苦手なんだよぅ、私)
それでも、見つけなければならないのが武士の家の辛いところなのだ。
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その日はそれで話し合いが終わり、イロハが去っていく籠を見送った。
「……どうするよ、リン」
「わかんない」
六郎太の問いかけに、鈴は大の字でうつぶせになり答えた。
期間は二カ月とちょっと。
あれだけ早く春になってほしいと思っていたのに、今はもっと時間が欲しい。
鈴には解決できない条件ばかりだ。そもそも一つも解決策が思い浮かばない。
「キジ兄に相談するか?」
「そうしたいのは山々だけど、今回はできないよ」
なぜならこれが「藩政」だからだ。
どんなに些細な内容であっても、外部へ漏らすことは許されない。
いつも案を出してくれた喜二郎は今、米沢にいる。
彼が仙台に帰ってくることでしか、この内容を打ち明けられないのである。
今回だけは喜二郎抜きで解決策を出さなければならない。
それができなければ、仙台を支える大事な機会を失ってしまう。
突っ伏したまま、鈴は何も思い浮かばない頭をコンコンと自ら叩いていた。
名主の家に帰る前に、鈴は土蔵の中を漁っていた。
喜二郎なら、何か残しているかもしれない。
そんな期待だけを頼りに、土蔵を探していた。
「いくらキジ兄でも無理だと思うぞ、仏様じゃあるまいし」
土蔵の中をひと通り探し終えた頃、六郎太がそう言った。
「そうだよね……そうだけど……」
喜二郎は非常に優秀だが、むろん全知全能なわけではない。
諦めの気持ちで、まだ見ていなかった土蔵の片隅の戸棚を覗き見る。
そして―――。
奥にしまってあった箱を鈴は手に取った。
(あ―――)
どくん、と心臓が跳ねた気がした。
中身が何かは分からない。
ただ、直感で鈴は感じていた。
(これは「私」が開けてはいけないものだ)
理由はない。
ただ、本能だけが警鐘を鳴らしていた。
これは、開ければ大きく何かが変わってしまう気がする。
先ほどのボタン鍋の件とは関係ないなにか。
鈴は中を確かめたくなる衝動を押さえつけ、震える手でその箱を元の場所へ戻した。
「よぉー。誰かいるかー?」
「あの声は三吉だな。……なあリン。大丈夫か?」
そう声をかけてくる六郎太に、鈴は無言でうなずく。
この寒いのに、額にまで汗を書いていた。
「……春画でも見つけたか?」
「なんでもないよ、いこう」
鈴を気遣ってくれたであろう軽口も、今は気にしていられない。
鈴は一刻も早くこの気持ちを切り替えたかった。
しかし土蔵を出ても、あの箱だけが頭の片隅から消えなかった。




