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影のいろは

七夕祭りが終わると、仙台の人々は長く厳しい季節を迎える。

藩から支給された配給の量はないよりましといったもので、到底すべての村を賄える量ではなかった。


この夏は病の流行で労働力が落ち、藩も大きな打撃を受けていた。

このままでは大量の餓死者を出す。


そのため藩は配給とともに蕎麦の実を各農村へ送り届けた。


蕎麦の実はやせた土地でも育ち、しかも複数回の収穫が可能な作物である。

つまり「蕎麦の実が育つまでの食料は用意したので、死ぬ気で育てろ」ということだ。


これで蕎麦を育てるのに失敗すれば当然その村は大量の餓死者を出すし、村々は必死になって育てることだろう。

しかしそれでも食料の消費は加速し、備蓄を食い尽くしていく。


――名主の村でもそれは例外ではなかった。




「このままだと……蕎麦が育ち切る前に備蓄米が尽きるわ」

新しく名主となった芳が、村の面々を集めてそう言い放つ。


彼女は以前から名主代行を引き受けてきたこともあり、すこしおぼつかないところはあるもののしっかりと村をまとめていた。

傍らにはその夫である六郎太、そして息子のトシが控えている。

村人の一人がおずおずと手を上げる。


「味噌があるなら、なんとかなるんでねぇかい?」

「この辺りで収穫できる雑穀は、もうほとんどないの。そうなると遠くの森や山に行かなければならないんだけど……」

芳は仁八を見る。


「もう山にも森にも食べられるものが、ほとんど残っていない」

この村で一番山と水に詳しい仁八が言うことには、確かな根拠がある。


山の恵みは夏のうちに採り尽くされ、秋を迎える頃にはまるで冬の山のような有様になっているらしい。

村ではあれだけあった根菜類を食べ尽くし、次に雑穀、最後に残った米を食いつないでいた。


味噌で十分にふやかしながら量を嵩増ししていたが、それでも限度という物がある。

名主の村でさえこの有様なのだ、他の村はもっとひどい状態になっているに違いない。


「しかし藩から渡された蕎麦の実だけでなく、江戸から買ってきた蕎麦の実も植えてしまったのは無謀だったんじゃぁ……」

ぽつりと言った農民が慌てて口をふさぐ。

これだけ空腹に耐えているのだ、言いたいことはわかる。


しかしここである程度数を増やさないと、次の年を乗り越えられないのは誰もが分かっているだろう。

だから鈴たちはどんなに腹を空かせていても、種もみと蕎麦の実には手を付けず、次に向けて増産をしていた。


通常であればこんな無茶苦茶な節制はどこかで不満が爆発してもおかしくないのだが、仙台では藩主自ら率先して行っている。

その姿は村々にも伝わり、夏祭りで自ら太鼓を叩いたこともあって高い支持を受けていた。


それでも気力だけで持ちこたえられるのは、あと一年……いや半年が限界だろう。

だがそれ以上は無理だ。


どんなに人気があっても、人間は食わねば生きていけないからだ。

最後はお上の力に縋るか、自分たちで道を切り開くしかないのである。


「食うものは他にないのか……? いくら何でもあと一カ月は待てないぞ」

村人の一人が爪を噛んで唸り声をあげる。


問題は、その蕎麦が実るまでの一カ月。


それまで何とか食い繋げば、それからは大分食糧事情が楽になる。

しかしそれを待たずに収穫し、そばを食い尽くしてしまえば来年はもう餓死するしかない。


「確かにオイラたちが普段食っているものは、だいたい食い尽くした。だけどあと二つだけ、食える物が残っている」

皆がごくりと喉を鳴らす。


「それは……?」

六郎太は一呼吸おいて、答えた。


「魚とボタンだ」


あえて六郎太は鯉とは言わず、魚という。

そしてボタンとはイノシシの肉である。


だがそれを進んで食いたいという者は少ない。

鈴もそうだ。


魚とは違ってあの獣の肉というのは、どうしても人と近いものを感じてしまう。

獣の肉を食べると穢れを取り込むという印象も強い。


つまり本能的に拒否反応が出てしまうのである。

だがこの村で仁八だけは獣肉に抵抗がない。

彼の意見を聞こうと、みんな視線を向ける。


「ボタンって、旨いのか……?」

「俺は、食ってきた」

旨いかどうかを聞いたのに、食ってきたとはいかがなものか。

だが幸いなことに、ここに答えになりそうなものを一つ鈴が持っている。


「数日前、叔父上から届いた文です」

皆の視線が鈴に集まる。


「……江戸では薬としてこっそり食べる店があるそうです」

「おお、じゃあ早速……」

「でも、おいしく食べるには技術が要るそうです。それに藩の許可も必要なんだとか」

皆が仁八の顔を見る。


「俺はイノシシなんて食ってねぇ。食べたのはボタンだ」

「「……」」

いやだから、藩の許可が本来要るんだってば。



ひとまず藩に届け出を出してみることになった。

それで許可が下りなければ、村は鯉に手を出すしかない。


それはもう「食べたい物」を選ぶ段階ではなく「生きるために食べる物」を選ぶ段階へ入ったということだった。






---

ボタンを食べることの許可を藩に申請してから二日後。

なぜか鈴と仁八の二人に登城を命じる沙汰が下った。


「じ、仁八! どうしよう。仁八が隠れてイノシシ食べてたこと、バレているみたいだよ……!」

「バカ言うな。俺は堂々と食べている。隠れて食ってなどいない」


余計ダメだった……!


申請者の鈴が登城を命じられたのはともかく、農民の仁八まで同席するよう命じられたのは、ただ事ではない。

というより、もうイノシシを食べていることがばれているとしか思えない。


「どうして落ち着いてるのぉ、仁八ぃ……」

鈴がこんなに慌てているのに、仁八はなぜか落ち着いている。


「もう、どうにもならん。諦めて腹をくくれ」


イノシシ食べてたのは仁八なのに、なぜか鈴も腹をくくることになってしまった。



結局腹をくくれないまま当日を迎え、びくびくしつつも仙台城に登城する。

仁八はいつものボロで来るわけにもいかず、名主が残した着物を着ている。


「動きづらいな。権力とは面倒だ」

「仁八、絶対余計な事喋っちゃダメだよ。ちゃんと姿勢を正して、目は伏せてね」

しっかり、しっっっかり、仁八に念を押した。


それでも一抹の不安を抱いたまま、鈴はお侍様の案内を受けて城の奥へ奥へと通される。

どうやらいつもの清右衛門の客間や、大合戦をやった大広間ではないようだ。


しばらく歩くと、左右に二人ずつ女中が控えた部屋へ案内される。

女中姿の護衛が刀を佩いて襖の前に立っていた。

鈴と仁八は無言の会釈をして床に手を付ける。


「おりんでございます。召喚のご下知により、はせ参じました」

「お入りなさい」

その声は若く、どこか聞いたことがあるような声だった。




襖が開かれると鈴たちは部屋の中に入り、再び床に手を付ける。

ちらりと見ると、部屋の奥には扇子で口元を隠した少女が座っていた。

その顔には見覚えがあった。


「久しぶり、と言った方がよいかしら。ミクニからも色々話は聞いているわ」

「イロハ姫様。その節は大変お世話になりました……!」


五郎八(イロハ)姫。


伊達重村の娘で、この城で行われた米絡みの会議では鈴を庇ってくれた御方だ。

最初に会ったのは白石だったが、喜二郎やミクニからの話によると陰ながら鈴を助けてくれていたらしい。


(何で気にかけてくれているのかは分かんないけど、多分何度も命を救われている)


ひとたび権力の風が吹けば飛ぶような存在なのが鈴だ。

しかし曲がりなりにも高い身分の者と話す機会や、交渉の場を設けられた。

どうやら偶然ではなく、誰かが裏で力を貸してくれていたらしい。


最初は喜二郎の作った伝手なのかとも思っていた。

だが喜二郎に尋ねると、それはイロハ姫によるものだったという。


(だけど、仁八と一緒に呼ばれたってことは……)


ボタンを食用とする許可を申請したのは鈴だ。

しかし仁八まで呼ばれたということは、申請内容ではなく「誰が何を食べたか」まで調べられている。

申請もなしに禁忌とされる肉食に手を出した者が、どんな責め苦の罰を受けるのか想像もできない。


不安が渦巻く心中の中、目の前のイロハ姫はただ優しく微笑んでいた。




---

「ボタンを食べる許可を申請したとのことだけど――」

「も、申し訳ございません……!」

開口一番、鈴は額が畳につくほど深く頭を下げた。


コソコソ食べていたわけじゃないんです。

仁八が、申請もなしに食べちゃいけないものだって思っていなかっただけなんです。

実は私も知っていて見逃してました。


いくつもの言い訳を、たった一つの言葉に込めて頭を下げる。

もう誤って済む問題じゃないかもしれないが、謝るしかない。


昔、父が遊郭へ行こうとして母に見つかり「離縁します」の一言で青ざめていたのを思い出す。

悪いことしたら言い訳しない、これが一番である。


「……」

ちらり、と鈴は目線を上げる。


イロハ姫が目を丸くしていた。

いきなり土下座は、さすがに早すぎただろうか……?

しかし彼女の目線は鈴ではなく、その横を見ていた。


ふと横を見ると――仁八が胡坐をかいて、堂々と胸を張っていた。


(じ、じ、仁八―――!)

頭の中が混乱状態になった。


あれほど……あれほど念押ししたのに!!!!

手で合図をして膝を何度かゆするが、筋骨隆々の男はびくともしない。


冷や汗を流しながら、鈴は仁八の分も深く平伏する。


(終わった……)

もう何を言っても不敬の罪で首を刎ねられる未来しか浮かばない。


すると、イロハ姫はクスクスと笑い出した。


「相変わらずね、仁八」

「姫様も、お久しぶりです」

親し気な雰囲気があまりにも衝撃過ぎて、鈴は鯉のように口をパクパクさせた。


「な、え……?」

イロハ姫は仁八に「そのままでいいわ」と胡坐を許可した。




「話してないの? 仁八」

「この時が来るまで、話すなと言われていました」

どっかり胡坐をかいた仁八がそう話すと「あなたらしいわ」とイロハ姫が微笑む。


イロハ姫はちらりと女中の方を見て扇子を折りたたむと、足を横に向けて崩す。

護衛の女中は、外から誰の目にも触れないように部屋の襖を閉めた。


ちょっと待って。どういう事?

二人は知り合いだったの?

というか、なら何で教えてくれないの仁八!!!!


寿命が縮むような思いを胸に、鈴は心の中で仁八を問い詰める。

その視線を感じても、仁八は知らんぷりだ。


その様子がおかしかったのか、イロハ姫は再び笑う。


「さて、どこから説明した方がよいかしら?」

「あ、あの。できればわかるところから全て、お願いしたいです」

鈴の願いに「そうね」イロハは頷いた。


「話は、最初の堰――旧堰が完成した頃まで遡るわ」

そう言って、イロハ姫はどうして鈴たちに目を掛けていたのかを話し始めた。




最初の堰、いわゆる旧堰を藩預かりにしたのはイロハ姫だという。

そしてその縁で喜二郎と伝手を作り、その後は陰ながら支援していたとのことだ。


しかしその話を聞いて、鈴は素朴な疑問が思い浮かんだ。


「え。でもイロハ姫様はどうみても……」

旧堰を作り出したのは十年以上も前だ。


年は鈴と同じか、少し年上くらいにしか見えない。

まさかイロハ姫も時を掛けて昔に行ったことがあるのだろうか。

ふふ、とイロハ姫は微笑む。


「ここではイロハと呼び捨てて結構よ。ミクニみたいにね」

「え? いえ……はい」

「たしかに堰を藩預かりにしたのはイロハなのだけど、名前が違うの。色の葉と書いて色葉。私の姉よ」

亡くなってしまったのだけれどね、とイロハは寂しそうに扇子を指でなぞった。


「当時、姉は兄弟のなかでもとても優秀でね。藩の財政を立て直すために陰ながら色んな施策をしていたの。堰もその一環ね」


喜二郎は旧堰を独力で築いたが、新しい堰では資金を作るのに非常に苦労したそうだ。

それを支援したのがイロハ姫の姉――色葉姫ということらしい。


(あれだけの堰を、子供の叔父上が建てているのは凄すぎる、とは思っていたのだけど……そういうことだったんだ)


そういえば未来で見た旧堰は少し拡張されて大きくなっており、警備もついていた。

お上からの采配があったとするのなら、確かに納得できる。


「気づいているかもしれないけど、姉が亡くなった時に堰の隠蔽は一時的に解かれてしまったの」

そう言われて鈴はその時のことを思い出す。


明和六年。完成した堰を鈴が目の当たりにしたころ。

あの時、名主は「スズを探していただけで、誘拐しようとしたことはない」と言っていた。

その直後、鈴は攫われかけた記憶がある。


鈴が時掛けした直後の話だ。

あまりにも対応が早すぎたことに喜二郎も懸念を抱いていた。


もしかすると、あの時がイロハ姫が亡くなったころなのかもしれない。

本当に陰ながら支援していたのが裏目に出てしまったというわけである。


「……そして姉が亡くなってから十年以上、喜二郎との縁は途絶えてしまってね。足取りを追うのは苦労したわ」

しかし子供ながらに聞いていた姉の話を頼りに、イロハ姫は独力で喜二郎までたどり着いて関係が再開された。


「私が姉の事業を継いだのは六年前。その時、喜二郎から紹介されたのが仁八ね」

曰く「口の堅く、某が最も信頼している右腕」との紹介だったらしい。


その時調べて回ったのが、当時イロハ姫の菅笠として仕えていたナナシである。

ナナシが喜二郎と顔を合わせたのもその時だったようだ。


「喜二郎は、姉以外の城の人間と関わるのを極端に避けていたわ。おそらく姉の身を案じていたか……他にも理由はあるかもしれないけど」

そして喜二郎が行っていた事業を、イロハ姫は姉と同じように陰ながら支えた。

米沢に行って仙台に実行者がいなくなり、そして鈴が立ち上がってからは鈴を陰ながら支援していたという。


「喜二郎はあそこまで身を削って産業を育てる理由を、話してくれなかった。でも、喜二郎が何十年も飢饉に備えて動いていたことは知っている。……そして、あなたが鍵だということだけは察しているわ」

「ご説明いただき、ありがとうございました」

堅いわよ、とイロハ姫は苦笑いする。


鈴もつられて笑ったが、そう簡単に仁八のような態度をとれるわけもなかった。




そこで鈴に疑問が浮かぶ。

なぜ今それを明かしたのだろう?


鈴はここに来るまで、仁八がイロハ姫と繋がりがあるなんて知らなかった。

仁八とはそれなりに長い付き合いだが、全く疑問にも思わなかった。


(知ってたら、こんなに肝を潰してないよ……)


その疑問にもイロハ姫は答えてくれる。


「仁八、説明を……。いえ、私がするわね。仁八は食べられるものを探すために色々調べて、喜二郎とナナシを通して報告してくれていたの」

「食べられるものを?」

鈴が首をかしげると「ええ」とイロハ姫は頷いた。


「リンたちが今回、許可を取るために呼ばれたでしょう? 仙台に喜二郎がいないと、ほとんど仁八に連絡を取る手段がないの。ナナシも父上付きに戻ってしまったし。久蔵も亡くなってしまった。だから、この機会に秘密を明かしたというわけ」


――あのタヌキ親父め!


どうやら、名主もこの一件に絡んでいたらしい。

天国にいる名主の豪快な笑い声が聞こえた。


(……そういえば)


鈴が最初に攫われていた事件で、ナナシを派遣していたのは名主だ。

きっと鈴が気付くまで、名主は黙っている気だったのだろう。

イロハ姫と名主がつながっていること……まさか墓まで秘密をもっていくとは思わなかった。



だがその口の堅さが災いし、イロハ姫と喜二郎を繋ぐ伝手がいよいよなくなってしまった。


ナナシも重村付きへ戻ってしまい名主も亡くなった。

喜二郎との連絡手段はとうとう途絶えてしまった。

そのため今回、鈴たちを呼び出したというわけだ。



たしかに喜二郎、ナナシ、名主を除けば、城にやってこれるのは鈴が身分ギリギリである。

それに鈴は何度か清右衛門に呼ばれてもいるので、呼び出し命令があれば城にいくのも不自然ではない。


「そこで何が食べられて飢饉を乗り越えるに値するか、調べてもらっていたわ。ボタンもその一つね」


ああ、だからか!

妙に仁八が堂々としていたのは、イロハ姫からの許可があったからなのだ。


「だから、最初から隠れて食ってなどいないといっただろう」

「説明になってないよぅ、仁八」


そんな事情があったなら教えてくれてもよかったのに。

もう腹を切るものだと思って、今までビクビク怯えていた心労を分かってほしい。



……だが、そこで新たな疑問が湧いてくる。

ここまで喜二郎、仁八、イロハ姫が繋がっていることをひた隠しにしていたのは理由があるのだろうか?


「あの、今まで秘密にしていたのって理由があるんですか? ……理由があるの?」

ちょっと眉が動いたイロハに気が付いて、鈴は口調を崩して尋ねる。


「喜二郎が、城の家老や清右衛門に目をつけられているのは知っているかしら?」

「それは、うん」

「私が喜二郎と繋がっていることが明るみになると、色々と面倒なことがあるのよ」


どうやら清右衛門は、イロハ姫と喜二郎が繋がっていたことを知らないらしい。

イロハ姫は事情を話してくれなかったが、かなり深い理由があるのだろう。


(もしかするとお家同士の事情なのかな。縁談とかそういうものなんだろうか)

聞いてもよいかどうか、判断に迷う。


うーん、と悩む鈴にイロハ姫は微笑む。


「姉が喜二郎を支えたように、今度は私があなた達を支えるわ」

その言葉は力強く、宝石のような美しい瞳が鈴を見据えている。

イロハ姫――イロハは、気品に満ちた笑顔を鈴に向けた。



「そういうわけで、これからよろしくお願いするわね。リン」

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