試行錯誤の薬
鈴は着替えを済ませ、客間へ向かった。そこにはナナシがいた。
「体調はどうだ。リン」
「……あれはナナシ?」
その問いに、ナナシは首を傾げる。
「何のことか分からんが、昨日より顔色は良く見える」
「うん、そうみたい」
昨夜、自分を助けてくれたのは誰だったのか。
だが、そのことは今は考えないようにした。
ナナシに状況を聞くと、家族はみんな今日は家を空けているらしかった。
「ねぇ、ナナシ。砂糖より甘いものって何かある?」
「思い当たらぬが……いや」
いきなりの質問でナナシは首をかしげるが、すぐに思い直して考え始める。
「……蜂蜜ではないか?」
蜂蜜! なるほど蜂蜜か!
あまりに縁がなさすぎて思い至らなかった。
(あれ? でも……しょっぱかったような、苦かったような……)
だめだ、うろ覚えすぎて思い出せない。
しかし自分の熱が下がったのは、明らかに昨夜口にした何かのおかげだ。
あれが再現できれば少なくとも熱を下げる助けにはなるかもしれない。
鈴の知る丸薬とは違うが確かな効果があった。
地獄のような一夜と引き換えとはいえ、熱は確実に下がったのだから効果は確かにあった。
(でも蜂蜜ってどこで売って……いや、取ってくるんだろう?)
ハチの巣って自然に発生するものと、育てるものがあると聞いた覚えがある。
「薬になるもの、作れるかもしれないの。蜂蜜ってどこで手に入るの?」
「易々と手に入るものではない。口にできるのは藩主や大名くらいだ」
うっ……さすがにそれは厳しい。
その肩書きを聞く限り、とんでもなく高価な品なのだろう。
何か代わりになるものはないだろうか。
「……万能薬のようにはいかないね。今作れるものを作ろう」
「それがいい」
鈴は実家の土蔵に隠していた砂糖の瓶をナナシに持ってもらい、名主の家に急ぐ。
砂糖は根本的な解決にはならないが、病人でも口をつけやすい栄養としての利点がある。
そして生姜と一緒に煎じれば、一時的に症状が和らぐことも分かった。
名主の家へ着くと、トシが少しやつれた顔をしていた。
「みんな食欲ないって言うし……どうしよう、リン」
食が細くなれば体力は落ちる。
そうなれば治る病でも回復に時間がかかり、最悪の場合は命を落とす。
「トシ。薬に心当たりがあるんだけど、材料が分からないの。甘くて、苦くて、しょっぱくて……口の中で溶けるような団子だった気がするんだけど……」
「なにそれ? そんな不思議な食べ物知らないよ……お菓子とか? 飴とか?」
「お菓子や飴というか……雪みたいな口当たりだったというか……」
やはり思い出せない。
みんなで頭を悩ませていると、堰の様子を見に行っていた六郎太が戻って来た。
「砂糖だけじゃ駄目なのか?」
事情を聴いた六郎太は思いついたままにそう話す。
ナナシは首を振る。
「これだけじゃ甘さが足りないらしい」
ナナシが答えると「まぁそうだよな」と六郎太が肩をすくめる。
しばらく考えたが、良案はでなかった。
おそらく、あれを完全に再現することはできない。
だったらせめて似たようなものを作れないだろうか。
味は違っても効能が近ければこの病を改善できるかもしれない。
「おう。戻ったぞ」
皆で頭を突き合わせていると、外から野太い声が響いた。
仁八だ。
というか早い。
喜二郎へ文を書いてから、まだ四日しか経っていない。
何かあって米沢へ行けなかったのだろうか。
鈴たちが迎えに出ると、仁八はすでに米沢を往復して喜二郎の返書まで持ち帰ってきたらしい。
六郎太の足でも往復六日はかかる。
そこに喜二郎が文を書く時間を加えれば、さらに日数が必要なはずだ。
それをたった四日。
仁八、早すぎる。
もはや飛脚に匹敵する脚力と体力である。
ふう、と息を吐きながら仁八は鈴へ手紙を差し出した。
「大体のことは口でも伝えたがな。今回は喜二郎も実際に見ないことには対処できない、と言ってたぞ」
鈴は受け取った手紙の封蝋を割る。
中には数枚の紙が入っており、びっしりと文字が書き込まれていた。
「お、叔父上……」
一枚目だけで紙が終わらない。
二枚……。
三枚…………。
「……まだある」
それほど急いで書いたということなのだろう。
これはどこから読めばいいのだろうか。
喜二郎はいつも整った字を書く。
だがよほど慌てていたのか、ところどころ筆跡が乱れていた。
集まった面々は喜二郎の長文の手紙を囲みながら読み進めていった。
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時は少しさかのぼる。
鈴から預かったという文をもって仁八は米沢に来ていた。
「病、か……」
仁八から報告を受けて喜二郎は低くつぶやいた。
「広がるのが早いようだ。どうすればいい、喜二郎」
仙台から米沢までわずか二日で山と森を踏破してきた仁八が、先を促すように尋ねる。
仁八は幼い頃からの右腕であり、今は仙台で喜二郎が担っていた堰の仕事を一手に任せている。
最近は六郎太を使いに出すことも多いが、余計なことを聞かず必要な結論だけを聞いて即座に動くこの男を喜二郎は高く評価していた。
「……感染者の繋がりは?」
「名主と芳。あとは仙台にいた連中が多い。スズ……いや、リンにも兆候がある」
鈴もか――と、喜二郎は眉をひそめた。
江戸へ向かった者たちに感染が見られない。
一方で、鈴は長く米断ちを続けていた。
理由はある程度見当がつく。
おそらく栄養不足による体力の低下だろう。
衰えた身体に病が入り込みやすくなったと考えられる。
(原因として可能性が高いのが水。もしくは江戸からの貰い病だが……この場合は水が有力か)
宝暦の大飢饉でも同様の事例があったと聞いている。
江戸へ向かった者たちに感染が少ないことから考えても、まず疑うべきは水である。
仁八の話では例の新堰はすぐに開放したらしい。
新鮮な水を大量に使えるようになれば感染の勢いは抑え込める。
問題はその先だ。
患者をどう支えるか。
「あいにく某には薬の知識はない。ゆえに、まずは体力を取り戻させるのが第一手だ」
喜二郎は袖机の紙を引き寄せ、素早く筆を走らせる。
病には薬が最善だ。
しかし高価な薬を仙台中へ行き渡らせることはできない。
だから切り口を変えて対処する。
人は病だけで死ぬわけではない。
食えなくなり。
飲めなくなり。
衰弱して死ぬ。
ならばその衰弱を防げばいい。
病に倒れた者は皆、大量の汗を流しているという。
大量の汗を流せば汗とともに体の水分や塩気も失われる。
だから必要なのは塩気。
そして腹に溜まる食べ物だ。
喜二郎は今の仙台でも手に入れられるものを一つずつ書き連ねていく。
「仁八。お主はここに書いた内容を試してみてくれ。それ以外のものは数日で用意するゆえ、使いの者に仙台へ届けさせる」
「わかった」
仁八は封蝋を施した手紙を受け取ると、つむじ風のように駆け去っていった。
仙台はこれからが正念場だ。
一刻を争う焦りを押し殺しながら喜二郎はさらに筆を走らせる。
やがて書き上げた紙束を見下ろした。
「間に合えよ……」
小さく呟き、喜二郎は紙束をまとめる。
そして奉行へ相談するため静かに腰を上げた。
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鈴たちは喜二郎の書き付けに記された内容を読み進める。
皆との相談のすえ、まずは患者でも口にできる食事を試してみることにした。
芋を砂糖で煮て豆乳と混ぜ合わせ、汁物として飲ませた。
「みんな、これだと食べてくれるみたいだね」
「そりゃそうだよ。なんなら僕だって食べたいもん」
貴重な甘味が食べられる。
食欲はないはずなのに、病人たちは甘味だと思うと匙を止められないようだった。
トシなんか「頑丈な体が恨めしい…」と嘆いている。
この甘味を食べられるのは病人だけである。
ある程度食欲が回復したら、特製の生姜味噌汁を皆に飲ませた。
辛みと苦みがあるので味は不評だったが、「薬だ」と言うとみんな渋々口をつける。
もちろん薬ではない。
だが汗を流して楽になれば病を追い払うことにもつながる――それが喜二郎の考えだ。
なら生姜味噌汁で体を温めるのも、あながち間違いではないはずだ。
芋汁は皆おかわりを求めるほどだったが、生姜味噌汁だけは最後まで渋い顔で飲まれていた。
しかし効果は少しずつ表れた。
「まず食わせろ。治すのはその後だ」という喜二郎の言葉はどうやら正しいらしい。
それを繰り返して砂糖や薬味が尽きかけたころ、米沢から綺麗な布や砂糖……そのほか様々な薬味が届いた。
十人がかりで運ばれてきた物資を見て、喜二郎も調達には相当苦労したのだろうと察せられた。
残念ながら食料はほとんど確保できなかったらしいが、今は十分である。
ぜいたく品に分類するもので、薬の効能がありそうなのを集めてくれたようだ。
「叔父上の文によると、病が流行っている内は綺麗な布で口元を覆うと防げるんだって」
こちらは米沢の医者に聞いた情報だそうだ。
それから鈴たちは食事以外、清潔な布で口元を覆うことを徹底した。
「むず痒くていやだなぁ」とトシは渋っていたが、それでもみんな口元を覆い続けた。
だが徹底した食事管理と対策のお陰なのか、名主の村の病にかかった者たちは徐々に快方へ向かっていった。
食事がまともにとれるようになると、甘味ではなく普通の食事になるので「もっと病でいてもよかったかもしれない」などと笑えない冗談をいうものまでいる始末だ。
「とりあえず……落ち着きそうだね」
鈴は疲れ切った顔でそうつぶやく。
「無理しないでね。リンもこの前まで倒れてたんでしょ」
トシの言葉に、鈴は空元気の笑顔を返した。
この数日はほとんど不眠不休だった。
このままでは鈴まで倒れてしまう。
そう言われて鈴はいったん眠ることにした。
翌朝、名主が起きたとのことで主だった仲間がみな集まる。
「やれやれ、こんなに労わってくれるなら。もう少し寝ていればよかったわい」
「もう、みんな本当に心配したんだよ」
そういう鈴だったが、それはもう心の底から安心した。
喜二郎と話していた「儂は長くない」なんて言葉を聞いていたものだから、一時期は本当にダメかと思ったのである。
わっはっは、と名主は豪快に笑った。
「村の方はどうだ?」
「だいぶ良くなったわ、父上」
喜二郎からの物資が届くと、芳は割とすぐ回復していた。
やはり体力のある者ほど回復が早いらしく、とりあえず腹に溜まるものさえあれば命は繋いでいた。
「やっぱり、僕のサツマイモ汁が効いたんだね」
「え? 私の生姜味噌汁の方が絶対に効果は上だよ」
トシと鈴が言い合う。
名主は「たしかにな」と頷いた。
「あのサツマイモ汁は絶品だった。病の時にしか食べられないと思うと残念でならん」
「ね! やっぱりそう思うでしょ! ほら!」
トシは目を輝かせて名主を見て、勝ち誇ったように鈴に笑みを浮かべる。
鈴もワクワクした笑みで、「私のは?」と名主の評価を待った。
「あの生姜味噌汁を食わされた時は、儂も死を覚悟したわ」
「そ、それは……でもよくなったでしょ?」
鈴は自分が料理下手なのは認めるが、効能はあったはずである。
「まぁ、この通りだ。効き目だけは認めてやろう」
「そ、そうだよね。味は今後の課題と言うことで……」
鈴はバツの悪そうに眼をそらした。
この際、味よりも腹に溜まり栄養になることの方が大切だった。
それも仁八が最速で米沢に手紙を届けてくれたからに他ならない。
「仁八、お前二日で米沢にいったらしいな。儂と同じ位の年のはずだが、どうなっている」
「自分の方が若い」
その一言に、名主が噴出した。
確かに筋骨隆々の姿を見ても、名主と同年代だとはだれも思わないだろう。
ふー、っと名主は息をついて再び布団をかぶった。
「疲れた、悪いが少し休ませてくれ」
「そっか、そうだよね」
その様子に、鈴とトシは頷いて立ち上がる。
「また来るね。名主さん」
「おやすみ、じぃじ」
「ああ。また来い、テン。おやすみ、トシ」
久しぶりに聞いたその呼び名に後ろ髪をひかれたが、鈴とトシは部屋を出た。
二人が部屋を出ていくまで、名主はその姿を見つめていた。
そして入れ替わるように、一匹の白い猫が名主のもとにやってくる。
「おお、ビャッコ」
名主は腕だけ布団からだし、その白い毛並みを撫でる。
本当の名前はモチだが、芳と仁八は何も言わない。
「芳、パチ。育てるのは大変だが、しっかりな」
「大丈夫です、父上。みんな自慢の子ですから」
生意気な奴め、と名主は白猫を撫でながら苦笑いした。
村での病が落ち着くと、体力がある者は近隣の村へ余剰分の砂糖や調味料を配りに行くことになった。
しかしすでに衰弱が激しく、病で亡くなったものもいた。
「それでも俺たちに薬を分けてくれるのだから、ありがたい……」
薬に近いもの、と言って渡しているので嘘ではないのだが、心苦しい。
効く保証はない。
だが、何も渡さず見捨てるよりはいい。
それに、鈴たちは全ての人間を助けられるわけではない。
限られた物資の中で、助けられるだけ助けようとするだけだ。
すでに食料が尽きかけて配給待ちの村もあったが、食料だけはどうにもできない。
「江戸で手に入れた芋や蕎麦を配るのは?」
「それは止めておいた方がいいんじゃないかな。一つの村に渡したら他の村もねだってくるよ」
う、っと鈴はしり込みする。
飢饉では物資のあるところに人が群がる。
今回近隣の村に砂糖や調味料だけを配ったのも、食料に余裕がないことを示すためでもあった。
手にしている有限の食料をいかに節約し、いかに増やせるかはその村ごとの責任であり、藩の責任である。
まずは自分達がしっかりと生きぬき、今回のような緊急時にはできるところで支援するのが正しいのだろう。
だが、それでも。
自分たちだけが食料にある程度余裕を持ち、生き延びようとしている。
その事実は嬉しいはずなのに、鈴の胸は少しも晴れなかった。




