天秤の落胤
「……では、芋を融通いただけると?」
「困ったときはお互い様であっど」
藩主を背に、清右衛門と薩摩の家老が頭を突き合わせる。
清右衛門は気を引き締める。
その言葉の裏には「もちろん只ではないがな」が隠されている。
薩摩藩との二度目の会談でようやく本題に入れたと思ったが、やはり一筋縄ではいかない。
「ありがたきお話」
清右衛門が微笑み頭を下げる。
条件は何だ。言ってみろ。
清右衛門は、薩摩への対抗意識が強い仙台藩の中では珍しい中立派だった。
しかし商売ごととなれば話は変わる。
いくらでも来い、存分に値切ってやる。
薩摩だろうと仙台だろうと同じ家老同士だ。決して後れは取らない。
清右衛門は下げた頭の下で、商人としての闘志を静かに燃やした。
「思えば互いに無意味な張り合いで財政を苦しちょい。故に、友好関係をきびればえち思うがどうじゃろうか?」
薩摩弁は聞き取りづらいが、理解はできる。
友好関係を結ぶのはどうだろうか、と提案しているのは確かだ。
「然り。互いに深く知れば過去の諍いも水に流せましょう」
「正しゅう、そん通りじゃ」
薩摩の家老はにっこりと笑みを浮かべた。
清右衛門の背に汗が滑り落ちる。
「殿ん姫が年頃でな。婚姻関係をきびり関係を深むれば、仙台に融通を効かすっ用意があっと」
清右衛門の眉根がぴくりと動く。
「よき、お考えでございます。しかし我ら仙台の者との婚姻となれば、どなたが適任でございましょう」
「喜二郎、ちゅう者じゃ」
後ろに控えていた島津重豪が、はっきりと言い切った。
彼は家老たちの反応を値踏みするように眺める。
清右衛門だけが表情を変えたのを見て、島津重豪の口元がわずかに緩んでいた。
――しまった。と清右衛門は心の中に焦りをにじませた。
「……その者を望まれる理由を、お伺いしても」
「わいどんが冷遇しちょっ麒麟児んこっだ」
それだけの説明に、急所を突かれたと清右衛門は内心歯噛みした。
煮えたぎる気持ちを氷の仮面で押さえつけ、清右衛門はにっこりと笑って顔を上げた。
喜二郎の才能は、清右衛門が無論よく知っている。
彼が幼いころから、あの手この手で引き入れようと苦心していたのだから。
だが藩医の家系にありながら商売人のような振る舞いをする彼を、家老たちは軽視した。
仙台の家老たちは優秀だ。
だが、人を見る目だけはなかった。
彼が一代で築き上げた商業網は、仙台の大店に匹敵する価値があるというのに。
むろん先日の会見でその認識を改めた者も多い。
だが今は、彼が米沢で政務を執っているという話が家老たちを及び腰にさせていた。
案の定、家老たちは「それでいいのか?」とその話を飲みかねない雰囲気を出していた。
「……彼は今、上杉様の願いによって米沢に逗留中でございます。すぐにはお引き受けできかねまする」
「ならば、いっき仙台に戻せばよかっど? ないごてそうせん。持て余しちょっじゃっで儂らが引き取っと。代わりにわいどん芋を得っんじゃ。悪か話じゃなかじゃろ?」
確かに、食料は欲しい。
だがその代償は仙台の未来数十年の商業基盤を手放すことに等しい。
たとえ飢饉を脱しても、その後は貧困に喘ぐことになるだろう。
この一件を乗り越えれば、重村の姫を娶わせる清右衛門の計画がここにきて破綻し始める。
藩医の息子一人と、仙台の民が一年生き延びる命。
本来なら比べるべくもない。
なにか手はないか。
清右衛門が振り返って家老たちの顔色をうかがう。
家老たちは「助かった」という表情をしていた。
――仕方ない。
「……薩摩の姫は、大奥入りが決まっている、とお聞きしましたが」
これは清右衛門が持っている、とっておきの情報だ。
その言葉に薩摩藩だけでなく仙台の人間も表情が硬くなる。
だが、島津重豪は感心したように自分の顎を撫でた。
「ほぅ。茂んこっを嗅ぎ付けちょったか。だが、そっちじゃなか。御國ん方じゃ」
そう言って、彼の横に座る少女が頭を下げる。
彼女は薩摩からの使者として仙台へ来ていた姫だ。
快活で明るく人の心を引き付ける姫、と言うのが最初の印象だった。
しかし彼女も薩摩の女。
草――すなわち密偵の調べでは、なかなか油断できる相手ではない。
喜二郎を婿として出すのも、彼女を嫁として迎えるのも苦しい。
とっておきの情報は相手を怯ませたが、それ以上の効果はなかったようだ。
なにか、他に手はないか。
重村の横に控える藩医の男を見る。
喜二郎の父、什吾。
彼の顔からは何もうかがい知ることはできなかった。
清右衛門以外の家老たちは、もはや喜二郎が薩摩入りするのを止める様子はない。
(これまでか…)
清右衛門は腹をくくり、薩摩の家老に向き直る。
喜二郎を売り渡して手にした一年の猶予。それを最大限有効活用するしかない。
清右衛門は覚悟を決めた。
「……その件、前向きに――」
清右衛門が口を開きかけたその時。
「断る」
ふいに響き渡るその言葉に、清右衛門は驚いた。
仙台藩主、重村が提案に異を唱えたのだった。
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「断る」
仙台藩主、重村のその一言で、その場が凍り付いた。
島津重豪は顔をしかめた。
藩医の家系の男一人、それで仙台を救えるのだ。
破格の条件のはずだった。なぜ、首を横に振る。
「……理由をお話しする前に、人払いをお願いいたします」
重村がそう言って周りを見渡す。
面白い、と思い島津重豪は手を振る。
「みな、下がれぃ」
家老たちは訝し気にしていたが、島津重豪に従って御國とともに下がっていく。
仙台藩の家老たちも同じようにふすまの奥に消えていった。
その場には、島津重豪と重村だけが残った。
「このお話は、内密にお願いします」
「約束すっど」
ぺろり、と島津重豪は唇を舐める。
この仙台藩主は何を思って話を蹴ったのか。
つまらない話であるならば、話は終いである。
仙台藩主は息を整え、島津重豪を見据える。
「喜二郎は、私の弟です」
「……ほぅ」
重村は「母は違いますが」と付け加える。
ぴくりと島津重豪の太い眉が動く。
それだけで、おおよそは察することができる。
腹違いということは妾腹なのだろう。
優秀すぎる腹違いの弟となれば、考えられるのは一つだった。
「跡目争いから遠ざけたか」
重村は黙ってうなずく。
おそらく藩医家に預けた理由もそれであろう。
だが、それだけでは説明のつかない点があった。
「じゃっどん、今なら戻せるはずじゃ」
「……戻せませんでした」
重村は静かに答える。
「彼は優秀すぎたのです」
堰、塩、味噌、鮫……重村は一つずつ指を折る。
落胤――それも家臣に落ちた、これほどの才を持つ男。
家老たちが恐れたのも無理はない。
島津重豪は顎を撫でつけた。
「麒麟児を制御できんかったか」
重村は否定しない。
だが、彼は喜二郎自体を忌避しているようには見えなかった。
島津重豪の直感だが、こう思う。
「じゃっで、おんしは戻したいわけじゃ」
「はい」
重村は頷くが、それでは理屈にあわない。
何か理由があるのだろうか。
「なぜじゃ」
島津重豪の疑問に重村は少し考える。
「私にはできないことを、あれは成します」
「……」
藩主ができないことを藩医の息子ができる。
島津重豪は興味深く、「して?」とその続きを促した。
「私は藩を守れます」
しかし、と重村は続けた。
「あれは藩を変えられる」
その眼には、彼が手にしたくても手にできない才覚への羨望が宿っていた。
島津重豪は深くため息をつく。
「理由はわかりもした」
そのような事情があれば、島津には来れまい。
一年先の未来、十年先の未来を考えるならば、この男も喜二郎の薩摩入りを認めただろう。
この男、重村は五十年先の未来を見据えているのだ。
この場は諦めるとしよう。
「こん話は心にしもうちょくことにすっ」
で、あればだ。
『当初の予定通り』、鮫製品による買い取りに話の舵を切るのがよいだろう。
薩摩としても十年先の未来を見据えて喜二郎を婿に迎えたかったが、五十年先の話をされてはどうしようもない。
数年分の利益が確保できるだけでも、この会談に意味はあった。
島津重豪はさっそくその交渉のために、話を変えようと頭を巡らせる。
何かきっかけになる話題がないか、と思ったとき「そういえば」とふと娘の話を思い出した。
「リンちゆ娘は何者じゃ」
「喜二郎の姪ですよ」
ふーむ、と重豪は顎を撫でる。
「喜二郎を調べっ時、決まって鈴ちゆ娘の名が出よっ。呼び方がスズなんか、リンなんかもわからん」
娘にはリンと名乗っていたようだが、どうにも話が噛み合わない。
重村は苦笑いしながらも、答えをはぐらかす。
もう勝負はついた、あとは本当に興味本位だった。
「そん娘も隠し玉か、麒麟児け?」
「いえ」と重村は小さく首を振った。
重村はしばらく庭へ目を向け、表情を緩めてから答えた。
「あれは麒麟ではなく……そうですね。たとえるなら吉兆を知らせる獣。テンですよ」
「面白か例えじゃ」
麒麟児の姪はテン。リンリンと鳴る鈴というわけだ。
島津重豪は、その名を胸の内で静かに反芻した。




