Uiteindelijk zal Satsuma zegevieren.
亀助から江戸の詳しい事情を聞く。
陸奥からの米がほとんど届かなくなったことで、江戸では米の買い占めが起きているらしい。
米そのものがなくなったわけではないが、飯屋では米の量が減らされたり値段が上がったりしているという。
その分、蕎麦を食べる者が増えてこの大盛況につながっているようだ。
「これだと、江戸で米を集めるのは難しそうだね」
鈴が所持金を計算しながらうなり声をあげる。
六郎太もそれに頷いて代案を出した。
「それなら、蕎麦を大量に仙台へ運ぶというのはどうでしょう?」
「それは前にも試そうとしたんだけど……」
六郎太の言葉に鈴が眉をひそめる。
前回そば粉を船で持ち帰った際、かなりの量がカビてしまったのだ。
どうやら海路での輸送は難しそうだ、というのがその時の結論だった。
蕎麦を安定して運び込めれば、食糧事情は大きく改善するだけに残念である。
すると、ナナシが思いついたように呟いた。
「……製粉する前の実の状態ならどうだ?」
「あっ……それは確かに試してなかった」
鈴はどうだろう、と周囲を見回す。
自然と、この中で最も海に詳しい三吉へ視線が集まった。
「そば粉よりはカビ対策になりそうだけどなぁ。だが、大量購入となると賭けになるんじゃねぇかな」
米が問題なく運べるのだから、蕎麦も大丈夫そうな気はする。
だが今回の試みが失敗すれば、鈴たちの食糧事情は後がなくなってしまう。
「市場を見てきたのですが根菜類なら数もありますし、値段もまだ安定しています。こっちを検討してもいいかもしれません」
六郎太が調べてきた相場を聞いて、鈴たちもうなずく。
根菜類は塩漬けできるため、海路での輸送も可能だろう。
ちなみに仙台藩は仙台藩で食料確保に奔走している。
どちらか一方でも成功するようにと、鈴たちは別口から食糧調達の方法を探る許可を清右衛門たちから得ていた。
どのみち、このままでは一年も食料がもたない。
全員が必死だった。
いくつかの食料確保の案を持ち帰り、鈴たちは仙台藩邸へと戻っていく。
江戸にはまだ食料がある。
だが、それを仙台へ届ける方法がない。
飢饉とは、食べ物がないというよりも食べ物が届かないことなのかもしれない。
全員がこの江戸にいる間に必ず仙台へ成果を持って帰ると意気込んでいた。
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翌日、薩摩藩の別邸に仙台藩の面々が招かれ会談が開かれることになった。
しかし意外なことに、鈴たちは会談には参加せず屋敷の外で待機を命じられた。
「大人はちょかっ本題に入らじ、駆け引きをしながら戦いを進むっよね」
ミクニがすっかり薩摩弁に戻った口調でそう言った。
鈴も苦笑しながら頷いた。
「この様子だと、私たちの出番はまだまだ先みたいだね……」
このままここに控えているのは、実に時間が惜しい。
手持ちぶさたに、頭の中で買うべき物を整理していると――。
清右衛門が襖を開けて姿を現した。
出番かな、と思ったが清右衛門は首を振った。
「今日はお前たちは屋敷に帰っていい。本番は明日になりそうだ」
どうやら積年のわだかまりを解消するのに一日以上かかりそうだ、と清右衛門が肩を落とす。
そんなことをしている場合でないのは、彼が一番よく知っているだろう。
「じゃあ、リン。江戸見て回っじょ…んん! 回ろうよ」
外では薩摩弁が出るのを少し恥ずかしがっているのか、そういって鈴を誘う。
鈴は二つ返事でうなずき、二人は江戸の町へ歩き出した。
そして太田庵の一角。
そこは戦場と化していた。
「おい、もやし野郎。そこは儂の席じゃっど。譲らんか」
「お、お落ち着いてください、ナナシ。ど、どうぞ、お侍様。私の席でよければお座りください」
とりあえず食事をしようということで、太田庵に来た鈴とミクニだった。
だが、当然ナナシと薩摩武士が護衛についてくる。
六郎太が必死になって両者の間を取り持っていた。
ミクニはちらりと外へ目を向ける。
「リン、その……ここがどういう場所か。分かってる?」
「あ……武家の人が、蕎麦屋を利用するのって駄目なんだっけ。ゴメン、気を付けるべきだったね」
「いや、それは私は気にしないんだけど……」
ちらりと外の景色を眺める。
この太田庵が人気である理由はもちろん味だが、立地が良いということもある。
つまり、遊郭の隣にある蕎麦屋なのである。
ミクニは頬を赤らめて縮こまった。
ちなみに鈴はまったく気にしていない。
美味いものを場所だけで避ける方がもったいないと思っていた。
(というかミクニ。あなたの方がかなり際どい格好していると思うよ)
むしろ堂々としているからか、誰もその格好を不思議がる様子はなかった。
彼女の恰好を気にしない江戸、やはり凄い。
しばらく話をしていると、やがてオカメ蕎麦が運ばれてくる。
ミクニと薩摩武士達が見た目を物珍しがりながら、すすり始める。
「「うまじゃっね!」」
とくに蒲鉾が気に入ったのか、彼女たちは箸でつまんでひっくり返しながら観察し始めた。
すると、ナナシが表情を変えないまま蒲鉾を指さす。
「その蒲鉾はこの三吉が作ったものだ、薩摩」
ナナシの言葉に、薩摩武士たちの目が獲物を見つけたように光った。
三吉は蛇に睨まれた蛙のように、侍たちに囲まれて固まっていた。
「へぇ! この蒲鉾、その人が作ったんだ」
「ち、違う! あいや作ったのは俺だが。最初にこの案を出したのはリンだ!」
三吉は矛先をこちらに向ける。
ああ、そういえば最初にすり身の話をしたのは鈴と喜二郎だった。
ここまで形にしたのは三吉と喜二郎なのだから、謙遜しなくてもいいのに。
「私はほとんど関わってないよ。この仕上げに関わったのは三吉と叔父上だし」
「叔父上?」
こくり、と鈴がうなずく。
「喜二郎っていうんだけど」
「キジロー……。それって味噌のキジロー?」
鈴はこくりとうなずく。
味噌と言えば喜二郎――少なくとも鈴にとっては、思い当たる。
ミクニの眼がきらりと輝く。
「その人、われ知っじょ!」
どうやらミクニは味噌と鮫製品経由で知ったらしい。
事業と人脈については、知る人の間ではかなり知名度があるらしく、薩摩でもその名を聞いたのだとか。
特に塩づくり、堰づくり、鮫油の話が非常に興味深く、ミクニも家にまで尋ねに行ったらしい。
あいにく留守だったので諦めたらしいけど。
まぁ、今は米沢にいるしね。
「んん! そうかぁ、リンの叔父さんなんだ。あれ? キジローさんってたしか苗字が……」
ミクニは首をかしげる。
リンも喜二郎も林であるが、どうしたのだろうか。
何かを思い出そうとしているようだが、うまく思い出せないらしい。
「よぅ嬢ちゃんたち、めんこいな。どうでぃ、俺たちに酌してくれたら小遣いやるぞ?」
「んん?」
昼間から酔っぱらっている二人の男が、鈴とミクニの席に寄ってくる。
人生初のナンパの経験が、親子ほどもトシが離れたおっちゃん達である。
だが可愛いと言われて悪い気はしない。
ミクニもニヤニヤ笑いながら、おっちゃんたちに流し目をやる。
「ほほぅ、私たちに目をつけるとはお目が高いね」
「だろぅ? 俺たちイイ女になる娘がわかるんだよな、これが。だからよ………」
そう男がミクニに肩を回そうとしたその時、薩摩武士とナナシの菅笠衆が男達の背後に立った。
気のせいか、この店の暑さが一瞬なくなったような気がした。
「だから、なんだ」
「いってみせ、ボウフラ野郎」
「……」
ナンパの男たちが背後を振り返った時、鬼のような形相の薩摩と、凍てつくような眼をしたナナシたちが腕組みしていた。
「……あ、や。イイ女でどこぞの姫かと見間違えてしまいました、すみません」
「姫じゃボケェ!」
薩摩の男が足を踏み鳴らすと、男たちは勘定を床に放り出して一目散に蕎麦屋から飛び出していった。
……人生初のナンパの経験が、恐れをなして逃げられるってどういうこと?
ミクニは気にした様子はなく、もう忘れたかのようにハフハフと蒲鉾を頬張っていた。
「んん! 江戸って面白い町ね」
「そだね、私もそう思うよ」
それから鈴とミクニは江戸での街を散策した。
前回来た時はあまり悠長に回っていられなかったので、二度目の散策は回りたかったところを中心に回った。
ミクニは江戸が初めてらしく、鈴にお任せとのことだ。
ちょっと人には言えない本屋があることを知っていたので、こっそり寄ってみようとしたが、またもやナナシに止められる。
「いいじゃない、ちょっとくらい」
「許可できない」
「なになに? どういった本屋?」
ナナシへ期待の目を輝かせるミクニ。
当のナナシは知らぬ存ぜぬで顔をそむけていた。
薩摩武士が「姫ん要望を蹴っとは何事か!」とナナシに詰め寄るが、ぼそりと何か小声でつぶやくと「姫は立ち寄ってはなりもはん」とクルリと意見を反転させる。
何を言ったのだろう、ナナシ。
「しかし江戸の物価は高いね。こんなんじゃすぐ銭がなくなっちゃうよ!」
「それは私も思った」
屋台の値段が、去年より上がっている。
これも飢饉の影響だろうか。
一汁一菜令のため、買い食いを控えている鈴は楊枝にさした蒲鉾をミクニにおすそ分けする。
ミクニは飛びつく勢いで受け取ると、ほっぺに手を当てて味わっていた。
「しかしこの蒲鉾美味しいね。どうやって作っているの?」
「それは秘密だよ」
互いににっこり笑う。
仲良くなったからといって、明かせない秘密まで話すわけではない。武士の娘同士も大変なのである。
ミクニは大して気にしてなさそうに肩をすくめていた。
「残念。じゃあ、さっきの蕎麦屋の場所。皆に教えてもいい?」
「うん、それは大丈夫だよ」
鈴とミクニは他愛ない話をしながら、和やかな時間を過ごしていた。
そして日も暮れ始め、そろそろ各々の藩邸に戻る頃合いになった。
夕暮れになっても人通りは多く、町はにぎわっている。
(あれ……?)
しかし一瞬だけ、ミクニと薩摩武士の周囲だけが、なぜか時が止まったように静かな空間が広がっているような気がした。
鈴が目をこすってみると、その奇妙な空気はなくなっていた。
ふー、と鈴は息を吐いてミクニに笑いかける。
「それじゃあ、ミクニ。また明日ね」
「Rin. Uiteindelijk zal Satsuma zegevieren.」
ミクニはいたずらっぽく笑うと、聞き慣れない蘭語で何かを呟いた。
その言葉を聞き取れず、鈴は首を傾げた。
「え? なんて?」
「ううん、また明日ね!」
そう言ってミクニと薩摩武士は去っていった。
鈴はこの時は、その言葉の意味を深く考えなかった。




