苦境の大江戸
曇天の空ではあったが、嵐に遭うこともなく船旅は順調に進む。
陸奥の国を出発して少し暖かくなった気がしたが、ほんの誤差だろう。
穏やかな波を突き進む船の上、甲板で少女たちは楽しく会話をしていた。
「最強の武将といえば~?」
「島津家久様!」
ミクニは胸を張った。
きょとんと鈴が目を丸くする。
「……薩摩なら義弘様じゃないの?」
日ノ本でその名を知らない者はいない。
島津の勇者――義弘様。
たった数千人で十万以上を打ち破った慶長の役や、徳川軍を五百の兵で中央突破した関ケ原など枚挙にいとまがない。
三国志の呂布みたいな武人である。しかも忠誠心も持ち合わせているので非の打ち所がない。
そう考えていたが、ミクニの考えは違うようだった。
「はぁ、うちの男たち見てみなよ」
ミクニが顎で示した先では、護衛たちが今も睨み合っている。
額を突き合わせている両藩の武士たちを、六郎太が必死にとりなしていた。
「ああいう脳筋ばっかりだから、私は頭で勝つ武将の方が好きなんだよ」
なるほど、と鈴は妙に納得した。
家久様は「釣り野伏せ」で知られる知将だ。
見る限り、仙台という餌に食いついているのは薩摩側に見える。
あの中に家久様はいないようである。
「リンは?」
「私? 真田幸村様だよ」
言うまでもないが、彼である。
軍略や戦術のある武人も捨てがたいが、やはり何といっても主君への忠義を貫いた人である。
片倉小十郎様や大谷吉継様と悩むが、幸村様は主君のために身を尽くすその姿がイイ。
ミクニは「あぁ~」と納得していた。
「わかる、わかる……って、仙台なら政宗様じゃないの? というか政宗様の宿敵じゃない?」
首をかしげるミクニに「甘い甘い」と鈴は人差し指を振った。
「そこがいいんだよ。政宗様みたいな強い武将を相手にしても怯まない。その覚悟が格好いいんだから」
「選んだ理由がすっごい渋じゃっね」
しだいに三国志の話題に移っていき、ミクニは陸遜。鈴は魏延だった。
「義の人とは真逆じゃん」というミクニに「甘い甘い」と鈴は再び人差し指を振った。
「誤解されがちだけど、私は好きなんだよ」
少女たちが和やかに会話を楽しむ船旅の間、大人たちは終始ギスギスした前哨戦を繰り広げていた。
重村や清右衛門たちは相手の言葉をするりと受け流しているが、護衛たちの空気は非常に険悪だ。
例えば食べ方にも違いが表れており、薩摩の護衛が平然と干した芋や魚を豪快に食べ始める一方、仙台側は少ない食事を静かに分け合う。
それを見て互いに「お前らの食べ方は汚い」だの「戦になったら真っ先に死ぬ奴らじゃ」だの言いあっている。
やれやれ、とミクニは肩をすくめていた。
「でも、味噌がほとんど売り切れとは思わなかったなぁ」
ミクニは仙台の城下町を駆け回ったものの、成果は芳しくなかったらしい。
鈴は苦笑いする。
「仙台は本当に崖っぷちなんだよ」
「聞いたところによると、十年腐らないらしいね。ほんとじゃっね?」
こくりと鈴はうなずく。
「本当。十年前の味噌を片手に、江戸から仙台まで旅したんだから」
「んん! その話もっと詳しく聞かせて!」
一年前、江戸から仙台までの旅路についての話をかいつまんで説明していく。
険悪な護衛たちを尻目に、鈴とミクニは他愛のない話で盛り上がっていた。
「いいなぁ~。……なぁ六郎太。俺もあっちの会話に混ざりたい」
「諦めてください、三吉」
六郎太がきっぱりと言い切った。
とりなすのを諦めた六郎太は、三吉と共に船の隅で身を縮こまらせている。
武士同士のいがみ合いに巻き込まれないよう、二人はひたすら気配を消していた。
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数日後、仙台を発った船は江戸へと到着した。
前回利用した倉庫ではなく、今回は仙台藩邸に泊まることになっている。
鈴はそこでようやく、今回が参勤交代を兼ねた旅だったことに気づいた。
(そういえば、藩主様も来ているし。でもたしか参勤交代って、船禁止じゃなかったっけ……?)
幕府が様々な理由で船を禁じていると寺子屋で習ったことがある。
今回は船で移動しているが、本当に問題ないのだろうか。
鈴の表情を読み取ったミクニが、説明する。
「今回は特別みたいじゃっね。んん! 大飢饉だから、その分の費用を対策に回せってこと、なんじゃないかな」
どうやら仙台で会談した時にその話を聞いたらしい。
たしかに藩主をはじめ主要な家老たちが揃っているため、人選だけ見れば重厚だ。
だが供回りの武士の少なさを見れば、一目で藩が苦境にあることが分かってしまう。
「それじゃあね、リン。また会おうね」
港に着くと、ミクニたち薩摩の一行とはそこで別れた。
鈴は手を振って見送る。
「着いたね」
見渡す限りの人、人、人。
懐かしい、人の行きかうこの空気。
――二度目の江戸。
鈴は一年前のことを思い出していた。
清右衛門がそれぞれに指示を出しながら屋敷へ向かう。
「お主たちはしばらく屋敷におれ。薩摩との会談は、江戸での評議が終わってからだ」
「では私たち、商品の納品に行ってもよろしいでしょうか。今年も来られると思っていなかったので、挨拶もしたいんですけど」
清右衛門は少し考えた後、「構わん」と許可を出した。
許可を得て、鈴たちは太田庵へ向かうことにする。
道中、仙台で食べていた蕎麦とは一線を画す、しょうゆを使った出汁の匂いがそこかしこから香ってきた。
「やっぱ、江戸は格別だなぁ。オイラは二度目だけど、蕎麦屋の多さに驚くよ」
「私もそう思った。蕎麦はやっぱり江戸だね」
鈴は六郎太とそういって歩きつつ、後ろから静かについてくるナナシに同意を求める。
「……江戸はいつでもこんなものだ」
ほほぅ、やはりナナシは江戸に来たのはこの前が初めてじゃなかったのか。
だったら、珍しい店を教えてもらいたいものだ。飢饉が終わったらね。
「うわぁ、すごい人気……」
太田庵の店の前では相変わらず長い列ができている。
蕎麦屋の者たちは、ひっきりなしに訪れる客をさばいていた。
しばらく並んで店に入れるまで待つ。
しかし一緒に並んでいる男たちからする、このよくわからない匂いは遊郭帰り特有の物だろうか。
そう六郎太とナナシに言ったら、二人とも目をそらしてしまった。
話している間に列は少しずつ進み、ようやく店内に入ることができた。
「こんにちは、お久しぶりです」
「らっしゃいましー……って、嬢ちゃん! 江戸に戻ってきたのか!」
声を上げたのは、太田庵に雇われた元露店蕎麦屋の店主―――デンシュだった。
もうすっかり老舗の職人らしい顔つきになっている。
「ちょっと待ってな、旦那様を呼んでくる」
「あ、すみません。お構いなく」
あとでここの主人の亀助には挨拶するつもりだったのだが、デンシュは断りを入れる前に二階への階段を駆け上っていた。
しばらくすると、亀助が二階から駆け下りてきた。
「久しぶりだな。仙台どころか陸奥全域でひどいと聞いたが、無事だったようだな」
「この通り、おかげさまで何とかね」
そうか、と亀助はにっと笑う。
「相談したいことがある。上がってくれ」
鈴たちは客間へ通され、亀助の後を追う。
「うわぁ……」
部屋に入った鈴が発した一言目は、それだった。
足の踏み場もない。
この光景は見たことがある、三吉の部屋と同じだ。
「む……すまん、すぐに片付ける」
そう言って亀助は散らばった紙を集め、人が座れる空間を確保する。
本当に人数分の人しか座れない空間しかない。
どうやら研究熱心な人間は、片付けるのが苦手らしい。
鈴は苦笑いした。
「田酒、例の物を運んでくれ」
「いま、ちょうど作ったものがありますんで、しばしお待ちくだせぇ」
デンシュは階下に戻っていくと、しばらくして一杯の蕎麦を運んできた。
オカメ蕎麦だ。
だが、どこか具材が違うような気がする。
「これなんだが、少し食べてみてくれないか」
「あの。倹約令があるので、ご馳走はいただけないのですが……」
鈴が遠慮がちに断ろうとすると、六郎太が首を振った。
「よーく見てください、リン。これは一汁一菜ですよ。ね?」
六郎太が片目をパチパチする。
「あぁ~……たしかに?」
そう言われれば、その通りだった。
一汁一菜であれば問題ない。だから遠慮なく食べよう。
鈴、ナナシ、六郎太、三吉の四人は揃って蕎麦をすすった。
オカメの具材が蒲鉾から沢庵に置き換わっている。
「うーん……歯ごたえはいいんだけど、少ししょっぱすぎるかな?」
「やっぱり、そうか……」
聞くところによると、職人たちの間でも意見が割れているらしい。
江戸の人は濃い味を好むと聞く。
それでもこの沢庵は、塩気が蕎麦つゆよりも前に出てしまっている気がした。
以前提案した蒲鉾入りのオカメ蕎麦は、食感を加えながらも蕎麦つゆの味を損なわないのが強みだった。
亀助もこのオカメ蕎麦に自信を持てなかったのか、難しい顔をしていた。
「要検討だな」
亀助は書付に一本線を引いた。
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「江戸に来たってことは、また蒲鉾を売ってくれるのかい?」
「そうしたいのは山々なんだけど、仙台が今は飢饉でね。あんまり持ってこられなかったんだけど、買ってくれる?」
「もちろんだ」
亀助は迷いなく頷き、そろばんを弾き始めた。
商談の結果、買い上げ量は前回の四分の一ほどになった。
それでも、このご時世に買ってもらえるだけありがたい。
蕎麦をすすりながら、鈴は江戸の様子について尋ねることにした。




