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テンメイズヘル  作者: アントン
第一部 時掛け編
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8/9

春よこい

鈴はゆっくりと目を開いた。

先ほどまで身体を飲み込んでいた暴風は、嘘のように消えていた。

心臓だけが、まだ激しく鳴り続けている。

しばらく何が起きたのか分からない。

夢でも見たのだろうか。

「明るい…?」

戸の隙間から差し込む光は、月明りとは思えないほど眩しかった。

見慣れた土蔵。

……そのはずだった。


「なんか……新しい?」

土蔵の壁が新しい。

木材の色が違う。

柱にも傷がほとんどない。

先ほどまでいた土蔵より、ずっと新しく見える。

整理整頓されているのは変わっていないが、ところどころ先ほどは見覚えがないものが混じっている気がした。

「あれ? そういえば」

混乱したまま周囲を見回す。

あの掛け軸がなかった。

先ほどまであったはずの場所には何もなかった。

「うーん……。それより外は?」

とりあえず疑問に思ったことは棚に置き、目下最大の危機に意識を戻す。

土蔵の壁に耳を当てて、外の様子を伺う。

どうやら土蔵周辺には人の気配はなさそうだ。

いや、土蔵の中では元々音が聞こえないだけなのだろうか?

「えっ、うそ」

しっかり落としたはずの閂がなかった。

いつの間に閂を外しちゃったんだろう。

これで押し入りされていたら元も子もない。

安全を期して逃げ込んだはずなのに、もしも相手が入ってきたら袋のネズミである。

うっかり過ぎる自分を反省しながら、そろりと戸を開ける。

「わっ!」


暖かな風が頬を撫でた。

ここ最近は感じられなかった陽気に当てられ、鈴は思わず土蔵の外へ出る。

空が高かった。

どこまでも青い、そして雲がゆっくり流れている。

「……私、土蔵で寝ちゃったのかな?」

頬をぺたぺた触る。

寝ぼけていた訳ではなさそうだった。

きっとここで寝てしまって、夜が明けたのだろう。

追われていた直後だというのに呑気だね、と再び反省する。

鈴は目を細める。

空を、一群の渡り鳥が飛んでいる。

最近は、ほとんど姿を見せなくなっていた鳥たちだった。

それが当たり前のように空を横切っていく。

鳥を目で追っていた鈴は、ふと庭先へ視線を落とした。

そこで鈴は違和感に気付いた。


「え…と?」

枝先に、小さな蕾が付いている。

「……桜?」

鈴は思わず近付く。

今は夏だ。

蕾など付いているはずがない。

「何でこの時期に?」

意味が分からない。

どこか知っている世界なのに、何かが違う。

鈴は首を傾げ、周囲を見回した。

説明できない違和感だけが胸の中で静かに広がっていく。

鈴はまだ知らない。

ここがどこなのか。そして今がいつなのかを。

―――だが。


世界は既に、鈴の知る「時」から大きく外れていた。

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